ジャズイベントと『BLUE GIANT』、ミュージシャンの心地よさとは?
本題に入る前、今井さんは収録が11月であることに触れ、直前の3連休に青木さんが日本橋の音楽イベントへ行った話を振ります。青木さんによると、それは日本橋プロジェクトというジャズのイベントでした。
このジャズイベントは、三井不動産のコレド室町を会場の一つとして、青木さんの知人が中心になって開かれたものです。その知人のリョウさんは、元は薬の問屋だったという古いビルを、カフェやギャラリーなどの複合施設にプロデュースしている人物だといいます。
まあ音楽好きだし、ジャズも好きだけど、まああんま予備知識もなく行ったんだよね。すっごい良かったね。
青木さんはジャズを一時期探って聴いていたものの、直近20年近くは真面目には聴いていないと話します。それでも「ジャズかっけー」と感じた背景には、漫画と映画の両方が好きだという『BLUE GIANT』の存在もありました。
二人が盛り上がったのは、『BLUE GIANT』のコミックスに毎巻収録される、登場人物の未来のインタビュー集です。青木さんは2巻に1冊ぐらいは泣いてしまうと語ります。
映画版について今井さんが挙げたのは、ドラマーの石若駿さんの仕事です。作中の玉田はド素人という設定のため、凄腕の石若さんが「下手な状態から上手くなっていく演奏」を演じていたことに、今井さんは驚いたといいます。
彼(石若さん)がね、ほんと2019年に僕の曲、レコーディングした時にドラム叩いてくれて。
青木さんは、自身の楽曲のレコーディングに集まったスタジオミュージシャンたちに、独特の心地よさがあったと振り返ります。音楽を自在に奏でる身体性を持った人たちは、アーティストと呼ばれる人とはまったく違う空気をまとっていたそうです。
その人たち(コーラスの人たち)が「おはようございます」って入ってきた瞬間に、もうスタジオがめちゃくちゃ明るい雰囲気になるんだよね。
今井さんは、曲を作るアーティストが硬いパズルのピースだとすれば、周りの人は柔らかくないといけないのかもしれない、と受け止めました。
「わーい」を消した理由。年相応の振る舞いというテーマ
今回のテーマは「年相応の振る舞いってあるのか」です。今井さんは、「もう大人なんだから」「その年でそれはちょっと」と、ファッションよりも発言や振る舞いに年齢相応が求められがちなことを挙げ、自分らしい心地よさを優先してもいいのかを考えたいと切り出します。
このテーマのきっかけは、以前ゲストに来た内沼さんとのFacebook Messengerのやり取りでした。出演が決まった頃に青木さんが「わーい」と書き込み、それを消したのを今井さんが見ていたのです。
すごい珍しい。なんかアオキさん(が投稿を)消すって珍しいんですけど。
青木さん本人は消した覚えがなく、「恥ずかしくなったのかな」と首をかしげます。そのうえで冗談めかして口にしたのが、年齢との組み合わせでした。
それはそう。53歳で「わーい」はないか。
今井さんは、自分も含むおじさん世代のLINEの絵文字多用がよく言われることにも触れます。そのうえで、青木さんは無理に大人ぶったり周りにアジャストしたりしていないように見えるが、実際はどうなのかと問いかけました。
年相応とは「形」か、その奥の成熟か
今井さんの問いに対して、青木さんはまず「そもそも年相応とは何か」に立ち返ります。年を重ねることで何を目指すべきなのか、という問いです。
青木さんの考えでは、年相応の振る舞いは振る舞いそのものが目的ではありません。年を重ねたことで積み上がった何か、つまり成熟を表現する手段として振る舞いがある、という見方です。
振る舞い自体がどうこうというよりも、その振る舞いを通じて年を重ねたことで積み上がってる何かを表現したいわけじゃない。
そのため青木さんは、自分を「自然体」タイプではなく、かなりコンセプチュアルなタイプだと説明します。成熟しようとする過程で、今の自分の成熟を表すにはどんな振る舞いがよいかを考え、意図的に選び取っているといいます。
一般に大人っぽいとされる言動や装いに合わせる
年を重ねて積み上がった成熟を、振る舞いを通じて表す
青木さんは逆に、40歳を目前にした今井さんに、節目を強く意識するタイプかを尋ねます。今井さんは「ぼーっとなっている」ほうに近いとしつつ、若い人と過ごす場での変化を語りました。
今井さんは以前、遊びの場で「そんな若いんだ」と言われることが多かったそうです。ところが最近は、若い人から「え、もう43ですか?」と言われるようになりました。
そうした場面が増えたことで、今井さんは自分の話をしすぎないよう気をつけていると話します。後輩の同業者の飲み会では、自分は放っておくと質問ばかりするので、聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてほしいと最初に伝えるそうです。
でも大体その僕と行くと、みんななんか今日は自分の話をしすぎてしまいましたみたいな風に。
青木さんはこの話を受けて、今井さんがどこへ行っても相手に距離を感じさせないよう振る舞うのがうまいと指摘します。今井さんは、どちらの世代の話題にも対応できることも大きいのではないかと付け加えました。
成熟とは、世界と自分を深く認識できること
青木さんは、今井さんの「距離を感じさせない振る舞い」を、ある種の成熟だと評します。そして自分は年相応に成熟していくことを肯定している、と立場をはっきりさせます。
年を取ってもある種未熟なままでいいよねっていうふうには思ってないけど、成熟って何なんだろう。
青木さんが成熟の中身として挙げるのは、同じものを見てどれだけ深く、多面的に認識できるかです。例えとして持ち出したのが、子どもと大人の味覚の違いでした。
子どもはハンバーグとカレーしか好きではない時期があります。けれど大人になると、ワサビやうなぎの肝吸いのような微妙な味わいもおいしく感じられるようになります。青木さんはこれを味覚の成熟と呼び、それによって世界は確実に豊かになると話します。
青木さんがとりわけ自覚していたいのは、自分の内側です。自分が本当はどう感じ、どう思っているのか、自分は何キャラなのか、若い人やおじさん、異性からどう見えているのか、ということです。
年を重ねるほどフィードバックが返ってくるので、自分がどう見えているかもわかるようになります。青木さんは、同じ振る舞いでも、どんな自己認識の中でしているかによって、未熟にも成熟にも見えると考えています。
BTSに憧れたアクセサリーと「ピュアな衝動」
青木さんは自己認識と振る舞いの関係の例として、3〜4年前の出来事を挙げます。それまでアクセサリーにまったく興味がなかった青木さんが、BTSのメンバーがアクセサリーをたくさん着けている姿を可愛いと感じ、突然いっぱい買って着け始めたのです。
青木さんは、昔からゴローズやインディアンジュエリーが好きだった50代男性ならかっこよさしかない、と前置きします。そのうえで、何の前振りもない人が急に始めれば痛く見える可能性が高いことは自覚していた、と話します。
このピュアに生まれた動機とか衝動っていうものを、そういうものに対する恐れとか、恥じらいの気持ちで押しとどめてしまうことはもったいないなとも思うんだよね。
Messengerで可愛い女の子のスタンプ(携帯少女)を使うのも、青木さんにとっては一番しっくりくるからです。外形だけで痛いと判断する人とは、別に付き合わなくてもいいという感覚があるといいます。
青木さんの基準は、感受性や感覚の可動域をいつも広く保つことです。他人に迷惑をかけるなら遠慮しますが、自分が恥ずかしいやつと思われるだけなら止める必要はない、と考えています。
一方で青木さんは、外からどう見えるかに気づけない、予想できない、本気でかっこいいと思い込んでいる状態は未熟だと線を引きます。今はかっこよく見えることへの興味はなく、豊かな感受性をどれだけ深め、自由でいられるかに自分なりの成熟の目標があるそうです。
30代の「大人にならなきゃ」と、色褪せていった世界
今井さんが「昔は(着たいものを)着ない選択肢があったのか」と尋ねると、青木さんは30代の頃はむしろ強くコントロールしていたと答えます。年相応の格好をしよう、ファッションにこだわるのはダサいからこだわらない人になろう、と考えていたのです。
そしたらね、やっぱりね、感受性なんかで世界がどんどん褪せてっちゃうんだよね。
洋服もほとんど買わない10年ほどを過ごすうちに、道を歩いていても、同じ人と話していても、些細なことに心が動く状態が失われていったといいます。40歳ぐらいから青木さんは、若作りではなく、心が動いたことに自分で気づき、大事にする方向へ切り替えました。
30代は「大人にならなきゃ」と装いを抑え、感受性が褪せていった
40歳ごろから心が動いたことに気づき、大事にするようにした
青木さんはこの感覚を、2か月ほど通っている機能改善系のパーソナルトレーニングに重ねます。理学療法士のようなコーチに「肩甲骨を意識して」と言われても、使ってこなかったので感覚がわからないのだそうです。
これ(肩甲骨の話)感受性とか感性も全く一緒で、使わないとね、感じれなくなっちゃう。感じてるのに認識できなくなっちゃうんだよね。
青木さんは、53歳にもなって悲しむのはみっともない、感極まって泣くのも怒るのもみっともない、と感情を一つずつ認識から外すことに疑問を示します。スイッチを切って振る舞いだけ大人っぽくしても意味がない、という考えです。
誰の迷惑にもならない場面では感受性に素直に従い、激しく怒っていても表に出すメリットがない場面では平静を保つ。青木さんは、深まった感受性を理性で扱えることこそが年相応の成熟であり、親世代のステレオタイプな型を真似ることではないと結論づけます。
aespaに夢中な50代社長は「痛い」のか?
今井さんは、青木さんがK-POPやaespaの新曲のよさに素直だと指摘します。20代前半のガールズグループに50代の社長が入れ込んでいる、と言えばそう見えるかもしれない、と冗談交じりに続けました。
青木さんは11月8日に代々木体育館でaespaのライブへ行く予定だと明かします。今井さんは、年齢を意識しすぎると、好きでも発信できなくなるのではと問いかけました。
書けないとかね、多分ね、好き、あ、これ好きかもっていうことに気づけなくなっちゃうと思う。
青木さんによれば、自分の年齢で好きなのは恥ずかしいと思っているうちに、好きになるチャンスそのものを失ってしまいます。例に出したのは、アニメと漫画です。
かつて海外ではアニメは子どものものとされ、日本人が漫画を読むことが知識人に揶揄されることもありました。今では世界中で見られていますが、それは大人のたしなみとしてオーソライズ ── 権威づけられ、公認されること。ここでは、社会的に「大人が楽しんでもよいもの」と認められる状態を指していますされたからだ、と青木さんは見ています。
青木さんはロックも同じだと話します。60歳ぐらいのオアシスが来日して日本中のおじさんが聴きに行くことは、ビートルズの時代には考えられなかったはずです。オーソライズされる前に自分の心が動いたと気づき、それを大事にするのは難しい、というのが青木さんの指摘です。
若者の流行は追わない。25歳と53歳の「当社比」
今井さんは、社会人になりたての頃、SpotifyやApple Musicがなく音楽を聴くには手間がかかったと振り返ります。そのとき、この番組を編集するツドイの久保さんに言われた言葉を今も覚えているそうです。
このままやったら僕らが大学の時嫌やった、「わしらの時の音楽が一番良かった」っていうおっさんになりますよって言われて。
ただ青木さんは、自然にそうなっているならいいと考えています。問題は、気づけなくなった結果そうなっている場合で、それはもったいないと話します。
本当に自分の感受性をね、信じたいんだよね。信じられるものにしておきたいっていうか。
そのため青木さんが絶対にしないことの一つが、若い人の間で流行っていると聞いても、興味がなければまったく見ないことです。無理に若者の考えを知ろうとしたことはないといいます。
青木さんがその理由として挙げるのが「当社比」です。他人と比べるのではなく、同じ青木耕平で比べれば、25歳の自分より53歳の自分のほうが感受性があり、いろいろなことに気づけるというのです。
何が流行っているか、何を聴けばかっこいいかという見え方ばかり気にしていた
自分自身の感受性で捉えられることが増え、いろいろなことに気づける
青木さんが興味を持つのは、「若い人の間で」という属性の話ではなく、面白い若い人が言っていることです。若い人が好きなものにも良いものと悪いものがあり、興味がないものは興味がない、と割り切っています。
青木さんにとっての年相応は、感受性が深まり、フィードバックで自己認識がはっきりして理性が鍛えられ、感受性に振り回されすぎなくなることです。ただし、時に振り回されることもいいことだと付け加えます。
青木さんは、今井さんが最近落ち込んでいるらしいとディレクターのノジさんから聞いたら、すぐに飯に誘って話を聞きたくなる、と例を挙げます。憧れの大人像を思い描いて形から入ることが本当にいいのか、と問いを残しました。
オアシスの東京ドームとプロ野球。おじさんがはしゃぐ姿は希望になる
話は逸れて、今井さんがオアシスの東京ドーム公演に行った話になります。5万人で満員の東京ドームのライブを初めて体験し、端から端まで、おじさんも若者も全員が歌っていたことに圧倒されたそうです。
今井さんが感心したのは、オアシスの二人が観客が歌いやすいよう、歌い方のアレンジを一切しなかったことです。本人たちは飽きているはずなのに、音を裏に入れることもなくプレーンに歌っていたといいます。
おじさんたちが笑顔で熱唱する姿を見て、今井さんはプロ野球が長く人気を保つ理由についての持論を思い出します。お腹の出たおじさんたちがビールかけで思い切りはしゃぐ姿は、特にテレビしかなかった昔、プロ野球でしか見られなかったというのです。
青木さんは、柔道ではガッツポーズが怒られると応じ、今井さんは相撲も同じだと続けます。今井さんによれば、プロ野球は選手寿命が長く、監督も含めたおじさんたちがはしゃいだり怒ったり乱闘したりする姿の疑似体験になっているのかもしれません。
オアシスの会場では、付き合いで連れて来られたように見える人も一切いなかったそうです。今井さんは、相手がいるおじさんも、オアシスだけは仲間と行きたかったのだろうと推測しました。
当時は避けたオアシスとBOØWYを、大人になって受け取り直す
青木さんは、オアシスの全盛期が20歳ぐらいで、当時は広島に住んでいたと振り返ります。タワーレコードの試聴機で『Definitely Maybe』を聴いていいと思ったものの、ど真ん中のものにはかっこつけて向き合えなかったそうです。
同じマンチェスターでも、青木さんはプライマル・スクリームやボビー・ギレスピーに憧れていて、リアム・ギャラガーのマッチョな感じは避けていたといいます。それが大人になってからのほうが、オアシスをいいと思えるようになりました。
今井さんは、当時まっすぐ向き合えなかった人が集まる現象は、オアシスだけでなく、少し前のナンバーガールや、アイドルバンドのように扱われていたユニコーンの再結成ライブにもあったと話します。
青木さんの場合、それにあたるのがBOØWYです。中学生の頃は王道すぎて一番避けていたのに、最近YouTubeで当時のライブ映像を見て、本当にかっこいいと驚いたといいます。
王道すぎる、マッチョだと感じ、かっこつけて避けていた
大人になって聴き直し、本当にかっこいいと受け取り直せた
それがやっぱり年相応じゃないけど、大人になって嬉しいことの一つだよね。
青木さんは、変なコンセプト先行で受け取れなかった本当にいいものを、大人になって受け取り直せることに喜びを感じています。日本のロックを軽んじていた同世代にこそBOØWYを聴いてほしい、布袋寅泰さんがすごい、と熱く語って話を締めくくりました。
まとめ
この回で青木さんが示したのは、年相応を「大人らしい型」に合わせることではなく、感受性を深めながら、それを理性で扱えるようになることとして捉える見方です。オアシスやプロ野球、BOØWYの話も、年を重ねたからこそ素直に楽しめるものがあることを示していました。
- 年相応の振る舞いは目的ではなく、積み上がった成熟を表現する手段だと青木さんは考えています
- 感受性は使わないと、感じていても認識できなくなると青木さんは話します
- 成熟とは、感情をすべて感じたうえで理性でコントロールできる状態だとされています
- 恥ずかしさからピュアな衝動を押しとどめると、好きになるチャンスを失うかもしれません
- 当時避けた音楽を大人になって受け取り直せることも、年を重ねる喜びの一つとして語られました




