五島列島で聞いた「潜伏」と「隠れ」の違い
本題に入る前に、今井さんは仕事で初めて訪れた長崎県の五島列島の話をします。取材で訪れたこの島々には、キリシタンの歴史にまつわる世界文化遺産があり、狭い面積に驚くほど多くの教会が建っているといいます。
今井さんが現地で知ったのは、一般に「隠れキリシタン」と呼ばれる人々とは別に、「潜伏キリシタン」という呼び方があることでした。本人は素人の歴史観だと前置きしたうえで、現地で学んだ違いを説明します。
今井さんの説明では、江戸時代に禁教令 ── キリスト教の信仰や布教を禁じた法令。江戸幕府は17世紀初頭から禁教政策を強め、信者は厳しい取り締まりを受けましたが出たことで、キリシタンは全員がいったん潜伏キリシタンになりました。神道や仏教の信者を装い、偶像も聖書も置かず、証拠を残さないように信仰を続けたといいます。
明治になって禁教が解かれると、表に出てきた人々は現在のカトリックの信者になりました。一方で、明治以降も表に出なかった人々が、隠れキリシタンとして当時のやり方を今も受け継いでいるそうです。
禁教令のもとで信仰を隠した人々。明治に禁教が解かれると表に出て、現在のカトリック信者になった
明治以降も表に出ず、当時のやり方を受け継ぐ人々。たとえば葬儀を昼は神式、夜はキリスト教式で行う
隠れキリシタンの信仰について、青木さんは「カトリックが時間の中で変容した」と受け止めます。たとえば葬儀を昼は神式、夜はキリスト教式で行い、その2つをセットにするのが地域の信仰になっているといいます。
今井さんが特に話を聞けたのは、頭ヶ島という場所でした。頭ヶ島は江戸時代に開拓された元無人島で、疫病にかかった人を隔離する目的で開かれたため、人が寄りつきません。そこで仏教徒を装った潜伏キリシタンが、病気のリスクより見つかるリスクの低さを選んで移り住んだそうです。
頭ヶ島の子孫に今井さんが「100年ぶりに聖書を読んだとき、口伝えの教えはどれくらいずれていたのか」と尋ねると、驚くほどずれていなかったという答えでした。家ごとに担当する範囲を決め、書き残さずに代々口で伝え、互いにチェックし合っていたといいます。
「やりたいことはないのか」と聞かれてたじろぐ相談
この回のテーマは、千葉県に住む30代の会社員からのお便りです。今井さんが読み上げた相談は、転職先の社長から「やりたいことはないのか」と聞かれ、うまく答えられないというものでした。
今年の4月に転職をし、約半年を迎えます。未経験の業種職種での採用となり、日々目まぐるしく、そして楽しく働いているのですが、社長からは「今までの経歴からすると今のポジションはもったいないのでは?やりたいことはないのか?」という話をいただいており。個人的には与えられた場所で花を咲かせたいタイプのため、特にやりたいことと言われても思いつかないし、今のチームも働きやすく、特に不満はありません。
オファーをいただいたらぜひ挑戦したいと思えるたちなのですが、自主的なところだとそこまで前のめりになることもできず、微妙な反応をしてしまいがちです。働く上でのやりたいことってどのように見つけたらいいのでしょうか。
相談の結果、年内は今のポジションで理解を深め、翌年からいろいろ挑戦していくことになったそうです。採用する立場にいる青木さんは、相談者の姿勢を前向きに評価します。
僕、ほら、まあ採用してる立場じゃない。(相談者は)めっちゃいいスタンスだけどね。
青木さんが評価したのは、相談者が「その場所にいる自分が幸せか、心地よいか」で居場所を決めている点です。頭で考えすぎず、自分の潜在能力のすべてを名誉やお金に変えようとはしていない、と青木さんは文面から読み取ります。
一方で、能力の高い人が目立たない仕事をしていると、雇う側は「不満なのではないか」と心配になりがちです。今井さんは「英語がペラペラらしいのに、英語を使わない仕事で大丈夫かな」という例を挙げます。
(周りが)こういうこともできるんじゃない、ああいうこともできるんじゃないって言ってくるのに対して、少なくとも脊髄反射してないっていう感じがあるよね、この方が。
青木さんは、相談者のような姿勢を「めちゃくちゃ成熟している」と表現します。周りが全員ポテンシャルのすべてを成果につなげようとする人ばかりだと、こちらも息苦しくなるかもしれない、とも話しています。
逃げるように起業した青木さんと、北欧での「限度額」
青木さん自身も、やりたいことを聞かれてすぐに答えられたことはないといいます。会社員時代、雇われる側での可能性がなさすぎると感じ、ほぼ消去法で、逃げるように起業したと振り返ります。
ただし青木さんは、誰にも期待されていない自分の可能性を、自分だけは信じていたそうです。その可能性を発揮できる機会は欲しかったものの、何で起業すればいいかがわからず、起業を思い立ってからクラシコムを始めるまでに7年かかりました。
しかも、これならやりたいと思って始めた最初の事業は自分に合わず、壮絶にしくじったといいます。青木さんは、まさか自分が雑貨屋さんになるとは思わなかったと語りつつ、今の仕事は合っていると話します。
今井さんが「ちょっと怖い」と感じたのは、クラシコム創業期のエピソードです。会社に残ったお金で、せめてもの罪滅ぼしに妹さんと北欧へ行った際、青木さんは手持ちのクレジットカードの限度額まで食器を買ってきました。
売れんじゃんと思ってたから、怖くはなかったのよ。それ今思うと怖いよ。
青木さんによれば、当時は「もっとあればもっと売れるのに」と思っていて、お金を使っているというより拾っている感覚だったそうです。周りからは無謀や勇敢に見える場面でも、本人としては「これはいけるでしょ」と思っていて、怖さはなかったと説明します。
やりたいことを決めない方が、想像の外に出会える?
話を相談に戻した今井さんは、「やりたいことがある方が偉い、かっこいい」という考えはいつからあるのだろうと問いかけます。キャリア論が日本に入ってきてからそうなったのか、という見立ても添えています。
青木さんは、相談者のスタンスを「自分の想像の外にあることに希望を持てている」と捉えます。そこで引いたのが、以前の配信でも触れたスピノザ ── 17世紀オランダの哲学者。主著『エチカ』で知られ、人間の身体や感情の力を肯定的に論じたことから、現代の思想にも影響を与えていますの言葉です。
我々は自分の身体が何を成し得るかを知らずに生まれてくるんだと。
だからやりたいことを設定しない方が、その想像の外にある素晴らしいことに出会いやすくなるじゃないですか。
青木さんは、相談者はそうした可能性に希望を持てているからこそ、キャリア計画を意識しすぎずにいられるのかもしれないと話します。そういう人に限って案外うまくいく、とも付け加えています。
今井さんは、昔の自分がまさにそうだったと打ち明けます。会社を作ってから数年前まで、恋い焦がれた仕事ではなく、需要があって向いている気がするから「今は編集者をやっているだけ」というスタンスで、半分は本音だったといいます。
今井さんは、天職は一生わからないかもしれないと考えていました。青木さんは芸人から落語家になった山崎邦正さんの例を挙げ、人のキャリアは予想できないものだと二人でうなずき合います。
編集者を一生の仕事に絞った今井さんと「クラシコム以外やる気ない」青木さん
一方で今井さんは、会社を作って人を養う立場になると「急がば回れでいい」とは言えないと話します。編集者という仕事も一生やるつもりでやらないと逆にダサいと思うようになり、今は向こう30年はこの仕事をやると絞っているそうです。
今井さんに今後を問われた青木さんの答えは明快でした。ただし、そう決めたというより、それ以上にできることがないという感覚だと説明します。
青木さんは、クラシコムを卒業した後にやりたいことを聞かれても「あるわけない」と答えるといいます。いくつもの会社を経営できるシリアルアントレプレナー ── 複数の事業を次々と立ち上げる起業家のこと。連続起業家とも呼ばれ、事業を軌道に乗せた後に売却や退任をして新たな会社を興すケースが多く見られますは違う能力の持ち主で、自分はクラシコムを辞めたら何もしないだろうと話します。
だからこそ青木さんは、クラシコムに求められている間は、わざわざ別の経験を求めに行かなくても、続けていればいろいろなことが勝手に起きると考えています。編集者の場合も、持ち込まれる案件や編集者という定義そのものが変わっていくはずだといいます。
あんまり自分で次こうしてこうしてって思いすぎない方がかえって変化できる。
ジャンルを絞らないのは弱み?朝専用缶コーヒーとセグメント
今井さんは、相談者と同じく自分にもやりたいことはないとしつつ、やりたいことが明確な方がチャンスは増える気もすると話します。同世代の編集者が作った会社の多くは、ローカルやスタートアップ、四国などにジャンルやエリアを絞っており、絞っていないことは多少コンプレックスでもあるそうです。
青木さんは、絞ることで差別化しやすくなる点は認めつつ、それはマーケティング論でいう弱者の戦略だと説明します。自分が弱者と見なしているのではなく、セグメントを細かく切ってフォーカスする手法は、強者に対抗するためのランチェスターの法則 ── もとは戦闘の損害を数理的に表した法則。経営では、弱者は市場や地域を絞って一点集中し、強者は広く物量で勝負するという戦略論として広まりましたのような考え方だといいます。
今井さんがここで挙げたのが、常々尊敬しているという朝専用缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」です。缶コーヒー戦争のなかでジョージアには勝てないとき、各社が味やコクで競うのとは全く違う「朝専用」という軸を打ち出した商品で、今井さんも弱いからこそやったことだと見ています。
青木さんは、朝はもともと缶コーヒーを飲む場面として一番多かったのかもしれないと推測します。夜専用や夕方専用ではうまくいかなかっただろうとし、セグメントには必ず何かを捨てる面がある、と話を進めます。
捨てなくていいのに捨てるって意味ない。
青木さんは、ツドイが今の形で成り立っているなら、むしろ広いスタンスを取った方が、想像しないところから球が飛んでくる可能性があると話します。自分の想像の外から良きものが流れ込んでくる状況をどう作るかを、青木さんはいつも考えているそうです。
例に挙げたのは、クラシコムが運営する「北欧、暮らしの道具店」という名前です。北欧ヴィンテージ食器の専門店として始めた頃は北欧に限定したことが立ち上げに役立ちましたが、活動が多岐にわたるにつれ「北欧じゃないじゃん」と言われ、うまく伝わらない場面も出てきたといいます。
立ち上がりが早く差別化しやすい。一方で何かを捨てることになり、「この領域だから頼めない」と声がかからなくなることもある
想像していないところから球が飛んでくる。一次産業の支援をする人にマスな仕事を頼むような、ギャップの面白い依頼を受け取れる
青木さんは、コミットの幅を実態に合わせて再定義し続けているならいいとしつつ、コミットが強すぎるのは本当のところどうなのか、と疑問を投げかけます。
「まず世界を見よう」待てる人が気づけること
青木さんは改めて、相談者が今の仕事をしながら半年ほど観察しようとしている姿勢を高く評価します。クラシコムでも観察を大事にしていて、何をやりたいかを言う前に、まず世界を見ようという感覚があるといいます。
ラブレターもらいましたと。だけど俺のこと何も知りませんみたいな。
青木さんのたとえは、ラブレターを送る前にまず相手について調べられることを調べよう、という意味です。相談者の文面からは、何をしたいか、何が好きかを言う前に世界をつぶさに見たいという感覚と、焦らずに待てる余裕が感じられたといいます。
青木さんは、相談者は力のある人なのだろうとも話します。走り出しが遅れてもキャッチアップできると自然に思えるから、余計に待てるというわけです。
待てる
焦らずに時間を取れる
見れる
世界や周りをつぶさに観察できる
気づける
向こうからやってくる機会に気づき、リスクも避けられる
青木さんによれば、焦っている人は変なリスクにも当たりやすいといいます。待てる人は結果としていい球しか受け取らず、その球は望んでいたものと違っても、取ってみればめちゃくちゃいい球だったということがあると話します。
きっと誰かがこう、グローブをさ、構えて、Heyとかって。こっち投げてくれって言ってくれてると思うんで、その人見て投げたいなと思えば投げ返せばいいんだもんね。
今井さんも、課題やビジネスを思いつく人と、それを形にできる人はおそらく別だと補足します。相談者のような人は、思いつく人のそばにいるという働き方もあるのかもしれない、という見方です。
やりたいことは「困りごと」と表裏一体
ここで青木さんは、やりたいことがない理由について、もう一つの見方を示します。
青木さんは、困っていることがないとやりたいことはあまり生まれないため、相談者はあまり困っていないのではないかと考えます。困りごとの主体は自分でも、会社でも、世界でも、身近な知人でもよく、困りが何かをやりたいという気持ちの土壌になっているといいます。
青木さんの場合は、会社で困ることがあり、その困りごとを何とかしたくて「こうしたい」につながることが多いそうです。自分が困っていなくても、誰かは困っていて、困りごとを持ち込む人、つまりボールを投げてくる人はいると話します。
そのなかで応えたいものに応えていれば、何らかの動機が生まれているのと同じだと青木さんは考えています。だから自分も含めて、他者の困りごとには敏感でいたいといいます。
困りごとが人と人をつなぐインターフェースになる
困りごとを探す努力を普段しているのかと今井さんが尋ねると、青木さんは、言われやすい状態にはしているかもしれないと答えます。そのうえで、本人も気づいていない困りごとがあるものだと考え、「この人は何で困っているのかな」と見ているそうです。
困りごとが見つかったとき、青木さんは自分の困りごとと相手の困りごとを合わせ、一度に解決できる方法を考えます。それができると、相手と仲よくなれる、連帯できるといいます。
青木さんは、困りごとはネガティブに聞こえるものの、困りごとは「こうありたい」とのギャップだと説明します。どうでもいいと思っている人は何にも困らないので、困りというわかりやすいシグナルから、その人の潜在的な望みも見えてくるという考え方です。
自分でわかってることはほとんど介在価値がなくて、本人もうまく言葉にできてない困りごととか望みみたいなものを見立てられると、僕らが介在する価値が出てくるケースが多いんで。
青木さんは例として、「自分は大丈夫」という雰囲気を出している人が本当は寂しがっていて、その寂しさの奥にこういう居場所を望んでいるのが見える場面を挙げます。それがわかると、一緒にやれば近づけるかもしれないと思え、うまくいくケースが多いといいます。
今井さんに昔からそうだったのかと聞かれると、青木さんは、持ち物少なく始めたので「僕と一緒にやりたいだろう」という感覚は常にないと答えます。かといって頼み込むわけでもなく、尊厳を保ったまま連帯するために、お互いの望みと困りごとが重なるところを探すのだといいます。
必然的にそのインターフェイスを探すっていう意味で、困りごととか、その人の潜在的な望みはよく探すかもね。
最後に青木さんは、お便りをくれた相談者を「素敵な人だな」と評します。今井さんは、ツドイは決して潤沢に案件があるわけではないので、いつでも仕事を募集していると呼びかけて回を締めくくりました。
まとめ
この回では、「やりたいことが見つからない」という悩みに対し、青木さんと今井さんが、やりたいことを決めないことの価値や、観察し、困りごとに敏感でいることの大切さを語りました。やりたいことは自分の中から探すだけでなく、誰かの困りごととの重なりから生まれるものでもある、という見方が示されています。
- 青木さんは、心地よさで居場所を選び、周りの期待に脊髄反射しない相談者の姿勢を「成熟している」と評価した
- スピノザの言葉を引き、やりたいことを設定しない方が想像の外にある素晴らしいことに出会いやすいと語られた
- セグメントは立ち上がりに有効な一方で何かを捨てることになり、広いスタンスの方が想像外の球が飛んでくるという
- 待てることが見ることにつながり、見ることが機会やリスクに気づく力につながる
- やりたいことは困りごとと表裏一体で、他者の困りごとと自分の困りごとの重なりが連帯の入り口になる






