61歳リスナーからの相談。胃の全摘手術に付き添う日々
今夜の相談は、ペンネーム「ハイネさん」からのお便りです。61歳の主婦で、老眼になってから読書から遠ざかっていたものの、このポッドキャストをきっかけに再開しようと思ったと綴られていました。
ハイネさんの主人は胃の全摘出手術を受け、約10ヶ月が経ったところだといいます。胃のない生活にようやく慣れてきたものの、術後は食生活や体調の変化に心がついていけず、楽観的な主人がうつになってしまうのではと恐れる日々が続いていたそうです。
楽観的な主人もうつになってしまうのではと恐れる日々が続いていましたが、最近になってようやく体調が安定してきました。
他への転移が今のところないことは不幸中の幸いだとしつつ、もともと悲観的な自分はちょっとした変化に落ち込むことが多いとハイネさんは書いています。そのうえで、今に感謝して生活していけるようになる本はないかとリクエストが寄せられました。
胃があった頃の過去や、不調が起こる未来に目を向けず、今に感謝して生活していけるようになれる本がありましたら教えてください。
バタやんは、大きな手術に付き添うハイネさんのほうが喪失感や日々の変化に戸惑い、落ち込みを感じているのではないかと受け止め、まずはそのしんどさに寄り添いました。
川上未映子と穂村弘の対談で聞いた「文学は救いになるか」
本の紹介に入る前に、バタやんは先日聞きに行った対談の話から始めます。作家の川上未映子さんと歌人の穂村弘さんのトークショーで、川上さんの『黄色い家』が文庫化された記念に紀伊国屋ホールで開催されたものでした。
師走半ばの平日の夜にもかかわらず会場は超満員で、バタやんも発売初日にチケットを入手していい席を確保したそうです。周囲の人が開演前からノートを出す様子を見て、メモ魔を自認する自分がその日に限ってノートを忘れたことにがっかりしたと振り返ります。
もし記事にするならってことをすごい考えながら聞いちゃって。見出しにしたいような言葉がいっぱいいっぱいありました。
この対談の話を持ち出したのには理由がありました。川上さんは最近母を亡くし、さらに自身にも大きな病気が見つかって退治したばかりで、不安な気持ちがいっぱいだった時期の話をしていたのです。
そんな時は全然小説が読めなかったんですと。こんな仕事をしてるのに、物語というものが頭に入ってこない。
さらに川上さんは、本を読むこと自体が余裕のある人の楽しみなのではないかと語ったといいます。時間にもお金にも心にも余裕のある人の嗜み、優雅な特権階級の遊びなのではないかと自覚しないといけない、という趣旨の発言でした。
この発言はバタやんの解釈だと前置きされています。川上さんが階級やクラスを描く作家であることから、バタやんは本当にしんどい人にこそ届いてほしいのに、余裕のある人にしか届かないというもどかしさがあるのかもしれない、と聞きながら感じたそうです。
穂村弘の返し「最悪な状態は芸術にしか救えない」
川上さんは対談の中で、穂村さんに問いを投げかけます。両親が亡くなったり病気が見つかったりといった、自分がすごくピンチのとき、辛いときに本は読めるのか、という問いでした。
エクストリームな時は文学は必要なのかっていうことを聞いたんですよ。
この問いに対する穂村さんの返しが、バタやんの心に強く残りました。エンタメが救えるのはある程度のところまでで、その先は芸術にしか救えないのではないか、という応答です。
バタやんも、エクストリームなときには詩や歌のように抽象化されたものしか入ってこないという感覚に共感します。リアリティのある物語や、起承転結がはっきりして展開が早い小説やドラマは、そうしたときには入ってこないかもしれないと語りました。
この視点から、バタやんはハイネさんへの本選びの方針を定めます。強い物語や、メンタルを直接ケアするような本を紹介するより、抽象度の高い詩や、芸術性の高い文章を味わえる本のほうがいいかもしれないと考えたのです。
今夜の一冊。若松英輔『あなたが言わなかったこと』
今夜の「勝手に貸出カード」に選ばれたのは、批評家で随筆家の若松英輔さんのエッセイ集『あなたが言わなかったこと』です。詩もいくつか掲載されています。
この本は、もともと真宗大谷派の新聞に掲載されていた文章をまとめたものだといいます。浄土真宗の宗派に関わる媒体のため好みは分かれるかもしれないとしつつ、お坊さんの話を聞いているような語り口だと紹介されました。
聞く人によって、聞く時の状態によって響くところが違う、受け止め方が変わるような、そんな語り口の本なんです。
タイトルの「あなたが言わなかったこと」は、若松さん自身が病気で亡くした奥様を指しているとバタやんは受け止めました。不吉に感じられたら読むのをやめてほしいと断りつつ、これは深い愛の話であり、ハイネさんのお便りもまた深い愛の話だと読んだと語ります。
「幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない」という引用
この本の中で、『風立ちぬ』からの引用が紹介されていました。「幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない」という言葉です。
前後の文脈として、身近な大切な人が試練に遭うのはとても苦しく切ないことだけれど、その切なさの先に、自分の利益や自分だけの幸せを願うのとは違う幸せが探せるのではないか、という趣旨のことが書かれていたそうです。
ただしバタやんは、これはあくまで自分の解釈だと強調します。この本は抽象化された言葉と名著からの引用がサンドイッチのように紡がれており、どう受け止めるかは読者に委ねられている書き方だと説明しました。
自分がまたちょっと違うエクストリームな状態だったら、違う解釈の仕方をしたかもしれませんというような、非常に余白が多い本なんです。
この余白の多さこそが、穂村さんの言葉とつながるとバタやんは感じます。エンタメには救えないエクストリームな状態のとき、芸術だけが心に入ってくるという感覚は、こうした余白のことなのかもしれない、賛美歌が胸を打つのも似ているかもしれないと語りました。
神フレーズ「自信とは、文字通り自分を信頼すること」
番組の締めに、バタやんはこの本から「神フレーズ」を紹介します。この本自体、さまざまな本や人の言葉が引用された、若松さんが選んだ神フレーズの集まりのような一冊だといいます。
バタやんは、この言葉を自分と誰かの比較の話として受け止めます。誰かに批判されると自信がなくなり、気が大きくなると自信過剰になる。劣等感も自信過剰も、誰かと比べることから発生するものだと整理しました。
そのうえで、自分の自信をなくすときは、誰かとの比較だけでなく過去の自分との比較も多いと指摘します。そうではなく、まず今の自分を信頼する、とにかくそこからなのだという点が響いたと語りました。
「人材」ではなく「人間」を。自分の魂を信頼する強さ
バタやんは、若松さんが大学の教員を辞めた理由にも触れます。大学が「優れた人材を輩出する」と人材という言葉を使い出したことに違和感を覚え、それが辞めた理由の一つだったといいます。
人間を育てたい、人間を教育する場だと思ったんだけど、人材を育てるって言われて、その人材を育てたいわけじゃないと思った。
この話は、人事の仕事に携わるバタfaん自身の実感とも重なりました。人材という言葉はよく出てくるものの好きになれず、「材」を財産の「財」に書き換える言い方や、適材適所という表現にも引っかかりを感じていたと明かします。
だからこの本を読んですっきりしたとバタやんは語ります。優れていることや秀でていることを競う必要はなく、自分の魂を信頼できることが幸せであり、強さなのかもしれない、と受け止めました。
最後にバタやんは、ハイネさんの心に何か灯る言葉があるといいなと願いを添えます。深い愛の話として読んだこの一冊が、試練のときに寄り添う本になればという思いが込められていました。
まとめ
第232夜は、伴侶の大病に付き添うリスナーの相談に、強い物語ではなく抽象度の高い芸術で応える回でした。穂村弘さんの「最悪な状態は芸術にしか救えない」という言葉を軸に、若松英輔さんの『あなたが言わなかったこと』が紹介されました。
- 相談は、胃の全摘手術を受けた主人に付き添い、落ち込みやすい日々を過ごすハイネさんから寄せられた
- 川上未映子さんと穂村弘さんの対談で、エクストリームな状況では強い物語より抽象化された芸術が心に入ってくるという話があった
- 今夜の一冊は若松英輔『あなたが言わなかったこと』。余白が多く、読む時の状態によって受け止め方が変わる語り口の本
- 神フレーズは「自信とは、文字通り自分を信頼することに他ならない」。他者との比較ではなく今の自分を信頼することが軸になる





