組織改革が進まないという大学職員の相談
今夜のお便りは、大学の職員をしているという車海老ドットさんから届きました。少子化やコンプラ強化を背景に、大学組織も制度と風土の改革を求められているといいます。
ところが一職員の立場では「調査をしろ」「案を出せ」と言われるばかりで、話が一向に進む気配がないとのことでした。
私は一般企業から転職した組なので、組織のレスポンスの遅さや、世間からずれた閉鎖的な環境にモヤモヤゾワゾワしてしまいます。
バタやんさんも事業部門から人事部へ異動した経験があり、相談者は勝手に親近感を覚えていたそうです。おすすめの本を教えてほしい、という相談でした。
バタやんさんは、強豪と呼ばれるスポーツの部活やチームで、ハラスメントやいじめ、不祥事が続けて注目を集めていたことに触れます。
強い学校であるほどOBからのプレッシャーも強く、長く続いた習わしを変えるのは難しいのだろう、と話します。「今時こういうのはやめましょう」と思う人がいても、劇的に変えるのは簡単ではないかもしれません。
今夜選んだ2冊の勝手に貸出カード
今夜の「勝手に貸出カード」は2冊です。1冊目は、古賀史健さんの『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』。
もう1冊は、サラ・アーメッドさん著、竹内要江さんと飯田麻結さん訳の『苦情はいつも聴かれない』です。
まずは『集団浅慮』から。浅慮とは、浅い思慮と書いて「せんりょ」と読みます。フジテレビの件にまつわる第三者委員会の報告書を読み解きながら、なぜ優秀だったはずの組織が愚かな意思決定をしてしまうのかを掘り下げた本です。
この本を知ったきっかけは、経営者のレピュテーションリスクへの対応判断をテーマにした講演会でした。
登壇していたジャーナリストの浜田敬子さんが、集団浅慮という概念とこの本を紹介していたそうです。バタやんさんはそれまで「集団浅慮」という言葉を知らず、当初は「染料」かと思っていたと明かします。
集団浅慮とは何か。凝集性の高い集団で起きること
集団浅慮は、もともとアメリカの社会心理学者アーヴィング・ジャニスさんが提唱した概念で、英語の「グループシンク」の訳から来ています。
凝集性の高い集団に深く関わっている人々が、集団の統一を守るために批判的思考を放棄してしまう思考様式、と解説しています。
著者の古賀さんは、これを「優秀であるはずの個人が集団になった時に発現する、あまりにも愚かな意思決定プロセス」と定義しています。集団になれば思考が深まりそうなのに、逆に浅くなってしまうという話です。
ポイントは、どんな集団でも浅くなるわけではなく、「凝集性の高い集団」で起きるという点です。凝集性とは、古賀さんの本では簡単に言うと「仲がいい」ことだと書かれています。
団結力があり、エンゲージメントが高く、その組織に所属していたいという意欲が高い状態です。人事の領域では、むしろ理想とされる状態でもあります。
一方で、そうした組織には選民意識も生まれます。「選ばれし者だ」「成功体験を共有している」という思いが、集団に所属したい気持ちをさらに強めます。
バタやんさんは、フジテレビも強豪スポーツチームも、凝集性が高い組織だったのだろうと想像がつくと話します。「俺たち、私たちの誇り高き集団を守ろう」という作用が、いかに強いかという話です。
逸脱者はどう扱われるのか。3つの段階
バタやんさんが興味深かったのは、強い結束の集団に「異物」が混入したとき、同調圧力がどんなステップで組織を守ろうとするかという解説でした。本の中では、この異物を「逸脱者」と呼んでいます。
たとえば職場で、毎年恒例の習慣に対し「やめましょう」「僕は参加しません」「それは仕事と関係ありますか」と言う人がいたとします。そこから3つの段階が始まると解説されています。
第一段階は「説得」です。逸脱しようとする人に対してコミュニケーション量を増やし、話し合うことで同質性に染められるのではないかと考えます。
第二段階は「疎外」です。今度はコミュニケーション量がぎゅっと減らされます。呼ばない、輪に入れない、ゴルフにも飲み会にも誘わない、という状態です。
コミュニケーション量が減ると、仕事や試合での機会も奪われやすくなります。会に呼ばれず、抜擢もされず、メンバーにも選ばれなくなります。
もともとスキルがあった人でも、チャンスが減ればパフォーマンスを発揮しにくくなります。そして第三段階の「排除」に至ります。集団が逸脱者を排除すると同時に、本人も辞めていく確率が上がり、見た目には「排除成功」のようになってしまいます。
フジテレビはどこで判断を間違えたのか
話はフジテレビの問題に戻ります。バタやんさんは、女性のAさんはそもそも最初の段階からコミュニケーション量が多くなかったのではないか、と想像します。
飲み会の華として呼ばれることはあっても、中枢の仲間内という扱いではなかったのだろう、という見立てです。
そして事が起こり、明らかになっていく過程でも、彼女の話を聞く役割は女性アナウンサーのトップだった佐々木アナ1人に任せきりになっていたといいます。
意思決定に関わる男性陣は、彼女から一度も直接話を聞いていませんでした。バタやんさんは、ここが一番、判断を間違った要因だと考えています。
この調査報告書について、本では「魂の報告書」と書かれています。バタやんさん自身も読み、報告書がこんなに気持ちのこもったものなのか、と驚いたそうです。
いかに間違ったか、ここでこういうことをしなかったのがどういうことなんだっていうのを、事実を書きながら、書いている人の思いみたいなのが乗っかっていて、印象的でした。
テレビの報道では二人の間に何があったかに注目が集まりがちですが、読み応えがあるのは、どこで組織の判断がずれていったのかという部分だといいます。
守りたかったのは女性ではなく自分だったのか
バタやんさんが感じた判断ミスの要因は、彼女の声が届いていなかったのではなく、そもそも声を聞こうとしなかった点にあります。
報告書では「女性のケアを最優先」という言い方がされています。しかしバタやんさんは、それは自身の解釈だと前置きしたうえで、その言葉のもとで向き合うことから逃げ、避けたのではないかと指摘します。
自分の言動で相手の容体が悪化するかもしれない、と相手を慮っているように見えて、実は違うのではないか、という見立てです。
バタやんさんは、これはうがった解釈で憤りすぎかもしれないと断りつつ、克明な報告書と古賀さんの分析を読めば、読者それぞれに「ここが悪手だった」と気づくポイントがあるはずだと話します。
リーダビリティが高く引き込まれる、今年随一と呼べるノンフィクションだと評価しました。
『苦情はいつも聴かれない』が描く組織的ハラスメント
一方で、バタやんさんには疑問も残りました。副題の通り、個人なら優秀な人が集団の一員になったせいで浅い思考に陥る、という説明でよかったのか、という点です。そこで2冊目を紹介します。
サラ・アーメッドさんの『苦情はいつも聴かれない』は、大学組織の中でセクハラや差別を訴えた学生や教員への数多くの聞き取りをもとにした本です。なぜ声を上げても声はかき消されるのか、なぜ苦情は制度的に無力化されるのかを分析しています。
著者自身が研究者でありながら、大学のハラスメント問題への対応に抗議して所属の大学を辞職した経験を持つ人だといいます。
この本は、苦情を言った人が退職や転職を余儀なくされ、加害者側が組織に残り続けるという非対称性を指摘しています。
苦情を申し立てた人に「協調性がない」「あの人はおかしい」「個人的な恨みなのでは」といった疑問を投げかけ、声を上げにくくさせ、悪者を転換してしまうといいます。正しく記録に残らないことも起こりやすく、これらを本では「形なき暴力」と呼んでいます。
権力の温床は非公式なポリシーにある
もう一つ印象的だったのは、権力の温床は「非公式なポリシー」に存在するという指摘でした。
昇格や抜擢には人事ポリシーやルールがあるはずです。しかし公式なルールが決まっていて、成績が同レベルであっても、別の要因で結果が左右されることがあります。
いや、あいつとは一緒にお酒を飲みたくないなとか、よく一緒にいるから、あいつのことはよく知ってるからみたいなことで、男の人が結果的に有利になったりする。
本では、これを権力の温床となる非公式なポリシーとして解説しています。バタやんさんは、女性アナウンサーの起用や降板も、非公式なポリシーの温床だったように想像されると話します。
声を上げるとキャリアに不利になる、というプレッシャーは男女を問わずあります。この本では、人種や育ち、出身校の違いなど、差別の対象になりやすいさまざまな差異も相まって、声を上げづらくする力が働くと描かれています。
辛い立場の人や、集団から異物と見なされた人を排除し、抑えつける作用を、本では「組織的ハラスメント」と呼んでいます。
さらにこの本には、声を上げづらくするプレッシャーをかける側の人は、当事者と会いたがらず、距離を取りたがるとも書かれていました。バタやんさんは「まさに」と受け止めます。
声は届かなかったのではなく、聞かれなかった
バタやんさんは、フジテレビ問題は集団浅慮であったかもしれないが、同時に組織的ハラスメントでもあったのかもしれない、と考えます。
全員が思考停止に陥っていたわけではありません。古賀さんの本を読むと、「これはまずい」と個人的な判断で動いたり、声を通そうとした場面は何度もあったといいます。佐々木アナや人事局長だった人などです。
しかし結局、声は中枢に届かなかったのではなく、聞かれなかったのです。佐々木アナも人事局長も、大事な決議の場には呼ばれていませんでした。
バタやんさんは、こうしたことは自分の組織にもすぐ重ね合わせてしまう、起こり得ることばかりだと話します。
2冊の読み比べと、最後の神フレーズ
2冊の読み味は対照的です。『集団浅慮』はグイグイ読ませる無駄のない文章で、さすが古賀さんという印象だといいます。
一方の『苦情はいつも聴かれない』は比喩が多く独特の描写で、面白い反面、読みこなすのに時間がかかったそうです。税込で3000円ほどする本ですが、思い当たるところがあった人にはぜひ読んでほしいと勧めます。
最後に、『苦情はいつも聴かれない』から神フレーズが紹介されました。
組織を守ることについて私たちが語るとき、一部の同僚を他の人たちに優先して守ることだけでなく、一部の同僚を他の人たちから守ることも語っている。
誰が該当者になるのかには歴史がある。誰が該当者にならないのかには歴史がある。
皮肉が混ざっていて一瞬では理解しづらいフレーズです。バタやんさんの解釈では、誰かを守るふりをして「仲間を裏切らない」ことを優先しているのではないか、という話だといいます。
集団を守ろうとする強い作用は、必ずしもトップダウンで起こるわけではありません。トップを配慮した結果や、誰かが仲間を裏切らないことを優先した結果として、集団の外と中が作られていくのではないか、と考えられます。
こうした構造は、日本の伝統的な会社や学校だけで起きていることではない、とバタやんさんは本を読みながら感じました。相談者へは「ぜひ頑張ってください。頑張りましょう」と、経過があればまた教えてほしいと結びました。
まとめ
フジテレビ問題の調査報告書を軸に、優秀な組織がなぜ誤るのかを2冊から読み解いた回でした。声が届かなかったのではなく聞かれなかった、という視点が全体を貫いています。
- 『集団浅慮』は、凝集性の高い集団が統一を守るために批判的思考を手放すメカニズムを、フジテレビの調査報告書から読み解く
- 逸脱者は「説得」「疎外」「排除」の3段階で組織から遠ざけられ、機会を奪われて活躍できなくなる
- 『苦情はいつも聴かれない』は、苦情を言った人が去り加害者が残る非対称性や、非公式なポリシーが生む権力の温床を描く
- 声を上げた人を居づらくする力自体が「組織的ハラスメント」であり、プレッシャーをかける側は当事者と距離を取りたがる
- 集団を守る作用はトップダウンだけでなく、仲間を裏切らないことを優先する配慮からも生まれる





