最近ハマっているエッセイと、お蔵入りしたイントロ
冒頭の雑談で、東南さんが最近ハマっているものとして名前を挙げたのが、朝井リョウさんとさくらももこさんのエッセイです。
研究に関連する本ばかり読んでいる反動で、主観的な文章を読みたくなったといいます。客観的にこうだと述べる文章ではなく、個人が主語の文章に惹かれたそうです。
なんかこう、個人主語のもの、主観的な文章がすごく読みたいっていう衝動に駆られた結果、エッセイにハマっていて。
もともとこの話は、番組のイントロで東南さんの「最近ハマっているもの」を紹介するコーナーにする予定でした。ですが、自己紹介の前に他人の名前が二人並ぶのはおかしいと安斎さんに止められ、お蔵入りになったといいます。
パーソナリティの名前の前にまず二人違う人の名前出てきちゃっててわけわかんないからやめてって。
きっかけは、2026年3月に出版されたさくらももこさんのエッセイ『たびたび』でした。旅をテーマに他媒体の連載を編集した本で、頭を使わずに楽しく読めて癒されたと東南さんは話します。
そこから西加奈子さんやジェーン・スーさんなど、いろいろな人のエッセイを読む中で、朝井リョウさんのエッセイにたどり着きました。朝井さんの「ゆとり」三部作のエッセイは、2014年から出版されています。
東南さんが心を動かされたのは、その後書きでした。朝井さんが、文章を読むことは楽しいという感覚をさくらももこさんのエッセイから身につけた、と書いていたのです。
(朝井リョウさんは)文章を読むことが楽しいことだっていう感覚を、自分に染み込ませてくれた。それがさくらももこさんのエッセイだったっていう後書きを見て、すごいしびれた。
東南さん自身も、さくらももこさんのエッセイから読書の面白さを感じていました。作家同士の影響の受け合いを知れるのは、研究者同士が先人の考えを超えようとする歴史に似ていて面白い、と語ります。
結局、本って月に何冊読めばいいの?
雑談を経て、この回のテーマが提示されます。「結局、本って月に何冊読めばいいの?」という問いです。
安斎さんによれば、講演やセミナーの質疑応答で毎回のように出る質問だといいます。ただし、その場では取り上げないそうです。
(この質問は講演で)大体一個ぐらいあります。(でも)スルーします。
一見しょうもない問いに見えて、実は意識の高い問いでもある、と安斎さんは捉え直します。今は本を読まない人が増えているという実感が背景にあるからです。
東南さんが調べたデータによると、ある調査会社の2025年の調査では、半年間に読む本が1冊未満の人が約51%でした。漫画や週刊誌は除いた数字です。
さらに文化庁の2024年の調査では、1か月に1冊も本を読まない人が62%にのぼりました。こちらは電子書籍を含み、雑誌と漫画を除いた数字です。
2つの調査を踏まえると、半数以上の人は1か月に1冊も本を読んでいないことになります。本という媒体から情報を得る人が大きく減っている、というのが2人の見立てです。
20冊読んでも、実は苦手?2人の読書の実態
東南さん自身の読書量は月10冊から15冊、多いときは20冊以上とブレがあるといいます。ただし、その中には漫画も含まれていると打ち明けます。
Kindleでカウントしているため分類しておらず、多かった月は漫画を多く読んでいた可能性がある、と東南さんは補足します。
安斎さんは、自分が何冊読んでいるか見当がつかないと話します。テーマを決めると関連する本を数十冊まとめて買うものの、読んだかと言われると難しいそうです。
買った冊数で言ったら多いよ。立派な冊数を買ってますよ。
買った本は目次をパラパラ見て、AIの要約を確認し、いったん読まずに置いておくことも多いといいます。テーマの全体像を押さえるためや、著者への敬意として買う面もあると話します。
一方で安斎さんは、本を読むのが苦手だという長年のコンプレックスを明かします。本を読んでいると、いつのまにか全く違うことを考えてしまうそうです。
なんか本読んでると、全く違うことを考えてるっていう。本を集中して読み進めるみたいなのがすごい苦手なんだよね。
SNSのメッセージからリンクをたどり、いつのまにか別の本を買っていて「今何してたんだ」となる、といった多動的な傾向も自分にはあると語ります。本という一直線のルートを読み進めるのが昔から苦手だったそうです。
AIが読書を変えた?「本を読む」の定義を問い直す
安斎さんは、今はさらに本が読めなくなっている、と実感を語ります。AIやスマホによって情報が細切れになり、集中を保つのが難しくなっているためです。
(今は)スマホに常時接続して自分の時間が細切れになってみたいなのを、ほんとめちゃくちゃ感じる。本読むのってすごい難易度上がってるよな。
具体的な習慣として、PDFがあればとりあえずNotebookLM ── Googleが提供するAIツール。資料を読み込ませると、要約やスライド、音声解説などを自動で生成できますに入れる、と安斎さんは話します。要約やスライド、インフォグラフィックにしてから必要なときに見るそうです。
東南さんも資料はNotebookLMに入れますが、先に要約を見てからインフォグラフィックにするか判断すると話し、2人のやり方には少し違いがありました。
ここで安斎さんが投げかけたのが、「本を読んだとは何か」という問いです。オーディオブックで最後まで聴いた人と、NotebookLMで丁寧に要約して読んだと言う人を、どう受け止めるかを東南さんに尋ねます。
オーディオブックで聴いた人と、NotebookLMで要約を読んだ人。どちらが本をちゃんと読んだと言えるのか。
安斎勇樹 さんからの質問
東南さんは、どう読んだかと、中身をどう理解し身につけたかは別問題だと答えます。オーディオブックでも頭に入る人と入らない人がいて、原文を読んでも人は誤読するからです。
NotebookLMで読んでも原文でちゃんと読んでも、誤読することあるじゃないですか。
安斎さんの関心は、どう読めたかよりも本当に中身を読めたのかどうかにありました。頭からお尻まで読んだのに読解力が至らず読めなかった人と、AIの要約で内容を把握した人。どちらが本を読んだと言えるのか、という問いです。
東南さんは、通しで読んでも何も残らないくらいなら、NotebookLMでスライド化して理解するほうがいいのではないか、と話します。ただし中身を読まずに「この本はこうでした」と語るのは倫理的にどうか、とも付け加えます。
冊数を指標にすること自体への違和感
話は、本の冊数を指標にすること自体への違和感に及びます。「今月20冊読めた」と誇ることに、そもそもあまり意味はない、と安斎さんは考えています。
その理由として挙げたのが速読です。速く読むほど自分がもともと持っている知識に当てはめて読むため、結局は知っていた話に帰着してしまうといいます。
速読すればするほど、自分のもともとの既知の[[スキーマ::ある物事について頭の中に持っている知識の枠組み。新しい情報を理解するときの土台になります]]に当てはめて読むから、もともと知ってた話に帰着するんですよね。
オーディオブックについては、小説とは相性がいいと安斎さんは話します。物語の流れに乗る読み方なので、理解にあまり影響しないためです。
一方で、体系的に書かれた本には向かない、とも指摘します。数ページ前の概念定義を保持したまま理解を積み上げていくタイプの読書では、速度を上げると階層性が崩れて深く読めなくなるからです。
物語の流れに乗って読むため、聴く形式でも理解にあまり影響しないとされる
前に出た概念定義を保持して積み上げる読みには不向きで、速めると深く読めなくなる
安斎さんは、大学院時代にデューイ ── 20世紀アメリカの哲学者・教育学者。ジョン・デューイ。経験を通じた学びを重視する教育思想で知られますを読み返した経験を例に挙げます。修士1年で「すごい」と思った本が、実は読めていなかったと後から何度も気づいたそうです。
「読めてなかったわ、修士の頃」みたいな。(それを)何回も何回も読んで、なんとなくわかってく。
一冊を繰り返し読み、深く読むことの価値を考えると、冊数でカウントすることに本質的な意味はない、と安斎さんは語ります。東南さんも強く同意しました。
誤読する価値と、退化していく読む力
安斎さんは、旅行で何か国行ったかという話にたとえます。多くの国をなぞるより、一か国に住んで働くほうが文化を深く理解できる、という考え方です。
バーッとなぞるように世界一周して何十カ国行ったよりも、(一カ国に)住んで、暮らして、働いてみるほうが本当の意味で文化はわかる。
さらに安斎さんは、本は理解だけのために読むわけではない、と話を広げます。自分は創作のために読むことが多く、誤読も歓迎だといいます。
読んだら内容が違っても、そこからインスピレーションが湧いて自分の作品や仕事のアウトプットにつながる。だから正しく読まなくてもいい、という感覚です。引用のために読むときだけは慎重になる、とも補足します。
東南さんも、本の主張が自分と違っても、なぜここが議論されていないのかという発見のきっかけになると応じます。自分の違和感やモヤモヤを見つけるために読書する、という視点です。
一方で安斎さんは、本が読めなくなっていること自体は自分にとって深刻な問題だと打ち明けます。何かしらの脳が確実に退化している感覚がある、というのです。
何かしらの脳は絶対に退化してる感覚があって。もう無理だわって思って。俺、本読めない人間なんだみたいな。
東南さんは、退化ではなく、自分が思ったより本を読めない人間だと受け入れつつある、と返します。安斎さんも、すでに諦めてきていると応じました。
安斎さんは、自転車を手に入れると通学路を歩けなくなる感覚にたとえます。制約があったからこそできた試行錯誤や、わからなくなったら戻って定義を確認するような深い読書が、圧倒的に衰えていると感じるそうです。
最適化しすぎた読書と、じっくり読むトレーニング
東南さんは、それは年を重ねて自分をハックする方法がわかってきたからではないか、と問いかけます。安斎さんも、それもあるかもしれないと認めます。
安斎さんによれば、自分の基盤となる思想や理論はそう簡単には着替えられないといいます。学習論の思想を土台に物事を見ているため、今から経営学のレンズを入れても馴染まないそうです。
深くじっくり基礎をつくる読みは20代でやったとして、今はそれを土台に情報処理的に素材を集めている感覚だと語ります。物作りとして熟達した証拠でもある一方、何かが退化していく感覚も確実にあるといいます。
最適化しすぎているからこそ、月に1冊くらいじっくり本を読むという指標を、逆に自分は持ったほうがいいかもしれない。安斎さんはそう考えを整理しました。
今回のルール:毎月1冊、語れる本を作ろう
番組の締めとして、読書量や読む時間について1つだけルールを作るなら、という問いが投げかけられます。安斎さんは2つ浮かんだと答えました。
1つ目は「月に読んだ本の冊数を自慢するな」です。冊数は速読で簡単に増やせるため、そこを指標にすること自体に意味がないからだといいます。
浅く、読みを浅くすればするほど冊数って増やせるんで。
2つ目は、安斎さん自身のマイルールとして「毎月1冊はじっくり読む」です。
これを受けて東南さんが提案したのが、毎月1冊は語れる本を作るというルールでした。安斎さんも良いと応じます。
安斎さんは、それだけで文化庁調査で言えば上位4割に入れると付け加えます。本はハックすれば何冊でも読めるという前提に立ち、まず一冊を大事に、語れる本を作ろうという発想です。
東南さんにとって、その語れる本が朝井リョウさんとさくらももこさんのエッセイでした。この1か月ずっと安斎さんに話し続けてきたことになり、すでにルールに忠実だったと2人は笑います。
まとめ
冊数を指標にする問いから始まった回は、一周回って「毎月1冊、語れる本を作ろう」というルールに着地しました。AI時代に本の読み方が変わる中で、量ではなく深さや自分への影響で読書を捉え直す会話でした。
- 半数以上の人が月に1冊も本を読まないというデータが、この問いの背景にある
- 速読やAI要約は冊数を増やせるが、深く読む力とは別物だと2人は考える
- 本は理解だけでなく創作のためにも読み、誤読がクリエイティビティを生むこともある
- 最適化しすぎた読書への反動として、月1冊じっくり読むトレーニングの必要性が語られた
- 今回のルールは「毎月1冊は語れる本を作る」。それだけで読書量では上位に入れる



