お化粧しながら聞いてます、という発見
直接感想をいただけるのは、本当に嬉しいものですね。メールやフォーム、Xでも感想を聞かせてもらうことはあるんですけど、やっぱり顔を合わせて聞けるのはありがたい限りです。
その方は女性で、いつ番組を聞いているんですかと尋ねてみたら、「お化粧してる時に聴いてます」とおっしゃっていました。
これは僕にとって新鮮な発見でした。
確かに女性にとって、その時間は動画を見ようにも鏡を見ているから見にくい。唯一空いているのが耳なんですよね。
この時間にPodcastはぴったりだなと思いました。
浪人時代、初めて自発的に本を読んだ
その方は、大学の哲学の授業を当時は全然真剣に聞いていなかったそうです。ところが社会人になってから哲学を学びたいと思うようになり、縁あってこのラジオを聞くようになったと話してくれました。
これを聞いて、僕も自分のことを重ねたんですよね。
僕は高校時代までは非常にちゃらんぽらんで、哲学の手の字も知りませんでした。倫理の授業も取っていなかったし、意識して何かを考えることもあまりなかったと思います。
そんな不真面目な学生だったので、浪人することになりました。
親からお金を出してもらっている身としては褒められた立場じゃないんですけど、哲学という点では本当にいい時間だったんです。
なぜかというと、時間はあるんですよ。でも大学生やニートとは違って、親の視線がある手前、遊ぶわけにはいかない。
かといって、勉強を全部できるほど真面目な人間でもなかった。
じゃあ何をしたかというと、本を読んだんですね。
それまで実はろくに本を読んでいませんでした。親からは本読め本読めと散々言われ続けてきたんですけど。
人間って不思議なもので、読めと言われると読む気がなくなるんですよね。読むなと言われていたら、多分読んでいたと思います。
その浪人の時期に、初めて自発的に本を読み始めました。
読んだのは最近の流行り物ではなく、古典です。うんと昔のものというより、明治時代あたりの『芥川龍之介』『太宰治』『夏目漱石』、そのあたりの文豪たちの名作でした。
有名どころから、あまり知られていないけれど短くて読みやすい短編集まで読んでいくと、彼らの言葉は本当に示唆に富んでいて、皮肉が利いていて、哲学的な言葉ばかりだったんです。
そういうものを読むようになると、不思議と自分でも考えるのが癖になっていく。
読むだけだと飽きてくるので、自分だったらどう考えるかを毎日日記に書き留めるようになりました。
これが地味で辛い浪人時代の僕にとって、オアシスみたいな存在になっていったんですよね。
次第に、これを大学でもやれたらいいなというところから、哲学を学べるところに行きたいと思うようになりました。それで哲学科があるところを探して志望した記憶があります。
大学の哲学の授業に感じたギャップ
ところが、です。無事に合格して大学に入って、哲学の授業をすごく楽しみにしていたんですけど、正直言って全然面白くなかったんですね。
自分が想像していたものと違いました。授業でやるのは哲学の歴史なんですよね。誰がいつ、どういう本で、どういうことを言ったのか。
暗記させられるわけじゃないんだけど、ひたすら淡々とやっていく。
僕がイメージしていたのは、自分が考えたことを、古代ギリシャみたいに討論して語り合って深めていく、そういうものでした。
ところが全然そういうのはなくて、教授がボソボソと説明していくだけ。これに正直辟易してしまったんです。
大学の哲学にすごく理想を描いていた分、哲学そのものに対して失望してしまったところがありました。
その後、仏教を学ぶ機会があって、西洋哲学とはまた違う東洋哲学の深みを知ることになるんですけれども。
こういう経験をしている人は、実は多いんじゃないかなと思うんです。
高校の倫理の授業で哲学に触れる機会は結構ある。それがすごく印象的だったという人もいれば、僕と同じように全然面白くなくて、ただの睡眠時間になっていた人も多いんじゃないでしょうか。よく寝れるんですよね、あの時間。
哲学が本当に必要になるのは、大人になってから
その後なんですよ。哲学が本当に必要になってくるのは、やっぱり苦しい時、大変な時なんですよね。
だから社会人になって年を重ねてから、哲学を教養として知っておきたい、考えたいという気持ちが出てくる。それは実は結構大人になってからのことなんです。
ところが、いざ学ぼうと思っても、どこから手をつければいいのかわからない。哲学がすごく遠いものになってしまっている。これはよく聞く話です。
だから、僕の稚拙なPodcastかもしれませんけれども、これを入り口にして学んでみようかな、考えてみようかなと思っていただけるのは、とっても嬉しいことだなと思っています。
僕が哲学について言いたいのは、哲学を変に敷居の高いものにしてはいけないということなんです。ものすごく難しい言葉を使って、難しいことを考えなきゃいけないとなると、誰も学ぼうとは思わなくなる。
そうじゃなくて、当たり前すぎて見過ごされている大事な問いをしっかり見つめて、自分の頭で考えていく。
これは頭がいいとか悪いとか関係なく、誰もが学ぶべきものだと思っています。
敷居を下げて、誰でも学べるようにしたい。これが僕の思いとしてずっとあるんです。今回リスナーさんの話を聞いて、それを改めて強く思いました。
学ぶのに、遅すぎることはない
もう一つ言いたいのが、学ぼうとなった時に「いや、でも遅いよね」と思う人がいるかもしれないんですけど、遅いということは絶対にないということです。
もう大人になっちゃったから、もう何十代になったから、そんなことは全くない。
もちろん早く始められたら幸せなことですけれども、別に遅いってことはないんです。
人間、今が一番若い。そこから種をまけば、未来は必ず変わる。遅いと後悔してうだうだ言っている間があるなら、その間に種をまいた方がいい。
これは仏教で言う因果律ですね。種をまけば結果は変わる。今からでも学んで全く遅くない。何歳であってもいいんです。
普段は仕事で忙しくてつい見過ごしがちですけれども、生きる意味、生きる目的、命の価値、そういったものを大事な問題として一度じっくり見据えて考えていただきたいなと思います。
このPodcastが、その一助になれば嬉しいです。
皆さんが哲学や生きる意味を考えたくなったきっかけがあれば、ぜひ聞かせてください。感想はハッシュタグみたらし煩悩ラジオで。日常のちょっとした愚痴や虚しさは匿名で送れるマシュマロ、しっかりした人生相談はお便りフォームまで。文字で読みたい方はnoteもチェックしていただけると嬉しいです。
それでは、煩悩まみれの僕たちですが、今日も人生味わって生きていきましょう。合掌。
まとめ
哲学は難しい言葉遊びではなく、当たり前を見過ごさず自分の頭で考えることそのものです。そしてそれが本当に必要になるのは、大人になってからなんですよね。
- 哲学は敷居の高いものではなく、見過ごされた大事な問いを自分の頭で考えること
- 哲学が本当に必要になるのは苦しい時、大変な時。だから大人になってから求めたくなる
- 学ぶのに遅すぎることはない。今が一番若く、種をまけば結果は必ず変わる(仏教の因果律)



