偏差値より先に、学校のほうが持たなくなる?
今回の入口になったのは、日経新聞の「さよなら偏差値 2050年の受験、2人に1人が国公立・難関私立大学へ」という記事です。刺激的なタイトルですが、笠原さんが最初に抱いたのは別の感想でした。
偏差値が力を失うより先に、学校の方が、高校の方が持たなくなるんじゃないですかね
笠原さんは、大学のあるべき姿を語るのは高校の教員という立場からは難しいと前置きします。勤務校の生徒が受ける先の話であり、どの大学がどうという話は角が立ちやすいからです。
そのため今回は、大学論ではなく、記事の話題を高校側から見たらどう見えるか、に焦点を絞る形で話が進みます。
記事が示す2050年の受験と、大学の生き残り
記事の内容のうち、この回に関係する部分が紹介されます。文部科学省の推計では、2025年に約65万人でピークだった大学進学者が、2050年には3割減の42万人になるとされています。
一方で、難関とされる私大群と国公立大学の入学定員は合わせて21万人程度あります。定員の規模が変わらなければ、2050年には2人に1人が難関私立か国公立に在籍する計算になる、という見通しです。
記事では、大学側が系列校を新設し、中学高校の段階から学生を集める動きも紹介されています。法政大学や明治大学が系列校を新設した例が挙がっていました。
背景にあるのは私大の経営環境の悪化です。資金ショートのリスクが高い私大が2040年度に現在の5倍に増えるという文部科学省の試算も紹介されています。
偏差値は据え置きでも、入ってくる学生の中身は入れ替わっている
笠原さんは、記事が2050年という未来形で書かれている一方で、高校から見える受験の倍率は現在すでに下がり続けている、と指摘します。
難関校と呼ばれる大学は、数字の上ではかろうじて偏差値を維持しているように見えるといいます。ただ、入試制度が変わることで、表面的な数字は動かなくても、入学してくる学生の学力層には変化が起きていると感じるケースがあるそうです。
同じ大学、同じ学部でも、どの入り口から入るかで入試の中身も、その先の伸び方も違ってくる、というのが笠原さんの見立てです。
ここで笠原さんは、総合型選抜で入った学生の成績が悪いという話ではない、と明確に区別します。むしろ一般受験でペーパーの学力が高くても、大学との相性が悪いと入学後に伸びないこともあると話します。
偏差値という数字だけを見ていると、変化を見落とすことになるんだろうな
大学入学後に「伸びる生徒」と「続かない生徒」の差
卒業生の様子を見ていると、はっきり差が出ているところがある、と笠原さんは続けます。
総合型選抜で自分のキャリア設計をきちんと評価されて進学した生徒は、大学入学後の伸びが目覚ましいといいます。会うたびに何かをやっていて、話も面白いそうです。
会うたびに何かやっていて、話を聞いてもすごい面白いことを話してくれる学生が多いですね
逆に厳しいのは、入れるところに安易に入るパターンだと笠原さんは言います。大学入学までは順調に見えても、入った後が厳しくなりやすいそうです。
何をしに来たのかが自分の中で決まらないまま4年間が始まると、立て直すのはなかなかしんどい。ただ、気の合う友達や打ち込めるものを見つけられれば大丈夫だ、とも話します。
門戸が広くなることは、進路指導の側から見れば入れる可能性が増える話であると同時に、入った後で困る生徒も増える話でもある、というのが笠原さんの整理です。
選ばなくても入れてしまう状況で、それでも選ばせるという仕事は多分高校の責任として残る
試験の早期化が高校生活を圧迫する
記事にあった系列校の新設について、笠原さんは複雑な思いを語ります。系列校を作れば中学・高校で募集活動をする必要があり、それは自業自得だと理解を示します。
一方で、抜け道を探って実質的な囲い込みや青田刈りのような試験をする大学が出てくると、高校の授業や高校生活が圧迫される、と笠原さんは懸念します。
早い時期に生徒を拘束する仕組みが増えると、クラス全員が揃って何かをする時間や、落ち着いて過ごす時間が削られていくといいます。試験が早期化すると、生徒が1年中ソワソワすることにもなります。
高校3年生の思い出が受験勉強しかないって、そういう高校生活を送らせていいのかっていうのはすごい疑問ですね
笠原さん自身も私学に勤めており、私学の経営の厳しさは内部事情としてわかる、と率直に述べます。それでも、ブランドの維持や優秀な学生の囲い込みという言葉で今の状況を説明されると、げんなりするといいます。
囲い込まれる側にいるのはこちらの教室にいる生徒なので、生徒振り回して欲しくはないな
大学より先に、高校が少子化にぶつかる
ここで笠原さんは、忘れてはいけないのが少子化にぶつかる順番だ、と話を転じます。子どもの数が減り続けることは確定していて、急に増えることは起こり得ないといいます。
だから記事にあった経営の話の通り、この先大学が減るのはほぼ確定だと笠原さんは言います。しかし高校は大学よりも先に少子化にぶつかるので、人ごとではないというのがポイントです。
特に私学に勤めていると、毎年その地域の中学3年生の人口が気になる、と笠原さんは話します。来年度の中学3年生が全体で何人いて、自分の地域の子どもがどれだけ残っているかは、生徒募集に直結するからです。
次期学習指導要領の改定をめぐる議論でも、人口減を念頭に置いた普通科の構造改革の話が各所に出てきている、と笠原さんは指摘します。
ただ、現場にいるとそれほど気にしなくてもよいという空気感もある、と笠原さんは正直に語ります。目の前の生徒は今年も来ていて、時間割も回っているため、議論を自分の学校の話として受け取りにくいといいます。
偏差値にさよならを言う前に学校の方がもたなくなるんじゃないかなという、そういう状況が静かに進行している気がします
高校での学び方が、大学以降の成長に効いてくる
記事を読みながら笠原さんが思い出したのが、河合塾グループが京都大学と共同で行っていた「学校と社会をつなぐ調査」です。高校と社会の接続やキャリアについて、同じ人を追いかけて調べる大規模な調査だといいます。
ここで笠原さんは、これから話すのは調査結果を読んで自分が受け取った理解であって、調査主体の公式な結論とは言い方が変わる、と丁寧に断ります。数字も出さないので、気になる人は原典を確かめてほしいと呼びかけます。
笠原さんが受け取った傾向としては、高校できちんと学んでいない生徒が大学生になって自然に成長するかというと厳しい、という結論に感じたそうです。高校で何をどのように学んだかが、その後に効いてくるといいます。
言われてみれば当たり前ですが、進路指導の場面では忘れがちだと笠原さんは言います。とりあえず入れる大学に入れば、あとは大学が何とかしてくれると考える働き方が、ないわけではないと感じているそうです。
人の数が減り、大学の側も構造転換があり、就職環境も生成AIや人手不足で変わっています。そう考えると、何をどのように学ぶかに関する高校の責任は大きい、というのが笠原さんの見方です。
門戸が広くなるほど、高校でやっていることの中身が影響してくる。入りやすくなるからこそ、入る前に何をやったかで差がつくという皮肉な話だと笠原さんは話します。
教員の専門性を磨く時間を、どう確保するか
ここからが今日一番言いたいことだが、まだうまくまとまっていない話です、と笠原さんは前置きします。人が減っていく時代だからこそ、教員の専門性はますます重要になると考えているといいます。
生徒も学校も数が減る中で、それでも学校を選んでもらうとき、最後に残るのは授業や学級運営、大人と生徒の関わり方だろう、と笠原さんは話します。
ところが、その専門性を磨く時間が現状のシステムでは取りにくい、というのが問題です。新しいことを学ぼうとしても、公務や部活、書類に追われて1年が終わる。研修に行く時間の確保自体が交渉事になるといいます。
笠原さん自身は外に出る回数が多いものの、それは相当無理をしていて、褒められたやり方だとは思っていないと打ち明けます。
根本的に思っているのは、必要な仕事だとしても、割り切って手放さなければいけない時が来るということだと笠原さんは言います。全部やる前提でいる限り、時間は生まれないからです。
手放すというのは、誰かに対して手を抜くように感じられてしまうので、だから何をやめるかということを決めるのが難しいんだろうと思います
目の前に生徒がいる以上、その生徒に関わる仕事は大体すべて必要な仕事に見えてしまう。だから何をやめるかを決めるのが難しい、というのが現場の実感です。
手放して空いた時間で何を学ぶか、について笠原さんは、授業や学級経営など、子どもを目の前にして対応するために必要な専門性を磨いたほうがいいと考えています。
学習心理学だとか学習方略だとか教育工学だとか、その辺の知見を学べると良いなと思ってます
「2050年、まだ先だな」で終わらせない
ここまで話してきて結論らしいものは出ていない、と笠原さんは認めます。大学が減る、高校が減る、専門性の重要性は増える、でも時間はない、という身も蓋もない話が並んだ形です。
それでも笠原さんの立場は、記事を読んで「2050年か、まだ先だな」で終わらせないほうがいい、というものです。2050年には自分も定年退職間近になっているといいます。
そんな先の話をしてもと思うかもしれないが、教育は後から時間の経過を取り戻せない、と笠原さんは強調します。15歳人口の減り方を見ていれば、高校にとっても無関係とは言えない話だと締めくくります。
大雨での休校と、日常のICT準備
エンディングでは、収録日に勤務校が大雨の影響で休校になったことが語られます。勤務校は土地が低い地域で、登校できても無事に帰れる保証がないため、早めの休校は妥当だったといいます。
こうした時に早く行動できるかは、ICTの整備状況にも左右される、と笠原さんは話します。連絡が一斉に届く仕組みや、生徒が家で何をするかを示せる環境が、普段から使われているかが問われます。
普段から使っていないものはいざという時には動きません
端末があっても「やっておけよ」で終わる運用ではうまくいかず、何をどこまでやり、どこに出すのかがわからないまま生徒の1日が終わってしまう、と笠原さんは指摘します。第109回で話した宿題の話とも似ているといいます。
基本は教室に集まって授業ができればいいとしつつ、警報が出るような命や安全に関わるときには、ICTで幅広く対応できる選択肢を持てる学校でありたい、と笠原さんは話します。
まとめ
「さよなら偏差値」という記事を入口に、笠原さんは高校の現場から少子化と教員の専門性を語りました。偏差値が力を失う前に学校のほうが持たなくなるという危機感と、それでも高校が果たすべき責任が軸になっています。
- 2050年に大学進学者は3割減の42万人になる見通しで、定員が変わらなければ2人に1人が難関私立か国公立に在籍する計算になる
- 偏差値は据え置きでも、入り口の違いによって入ってくる学生の中身や入学後の伸び方は変わっている
- 試験の早期化や囲い込みは、高校の授業時間や高校生活を圧迫する懸念がある
- 18歳人口の減少は3年前の15歳人口の減少であり、高校は大学より先に少子化にぶつかる
- 人が減る時代だからこそ教員の専門性が重要になるが、それを磨く時間の確保が現状では難しい







