ポッドキャストで聞きたいのは情報か、会話か
番組冒頭、中里さんは普段からよく聞いているポッドキャストについて、最近気づいたことを話します。それは「AさんとBさんがただ喋っている状態を聞きたい」という、会話そのものへの欲求でした。
ただ会話でここに情報が存在しないんだけど、AさんとBさんが和やかにただ会話をしてるっていうものを聞きたいんだっていう欲があるなって最近思って。
中里さんによれば、YouTubeなら一人が話していても、テレビの小さい版のように切り替わってもよかったそうです。ところがポッドキャストでは、一方的に話す内容が、ときにストレスに感じられることがあったといいます。
穏やかに会話さえしてれば、内容が最悪なくてもいいぐらいな時があって。
桜林さんは、それは情報を得たい欲求とは「別の欲求」だろうと応じます。ただし桜林さん自身は、内容があまりにないとイライラしてしまうとも話します。
でもなんかこう、二人がなんか自分の意見、自分の意見、自分の意見みたいな、言い合ってるだけだと、やっぱりちょっともやっとして。
なんかせっかく二人で話してるから、こう呼応し合ってるみたいなのが聞きたい。
呼応する会話が少ないのは「聞く」が難しいから
中里さんは、この欲求に気づいてから普段の会話を聞くと、二人が呼応し合って新しいものが生まれる会話は意外と少ないと感じるようになったといいます。
桜林さんは、著書『あなたはなぜ雑談が苦手なのか』でも書いたこととして、会話がうまくいかない原因は「聞く」の難しさにあると話します。
やっぱそれのできなさのきっかけって多分ね、聞くが難しいんだよね。
相手が喋ってる間の聞くがまあかなり難しいから、まあできてないことの方が多いんじゃない。
中里さんは、好きなポッドキャスターの例を挙げます。意見をまくし立てたあとに「議論したい」と言うものの、相手の話にすぐかぶせるトーンでは、誰も議論をふっかけたくならないだろうと感じたそうです。
しっかり聞いて、そっかってならずに、え、でもってこうかぶせちゃうと会話がちょっと難しいよね。
二人は、ポッドキャストに何を求めるかは人それぞれだろうと話し合います。中里さんは、穏やかな会話が好きか、一人語りが好きか、リスナーの声も聞いてみたいと呼びかけています。
義母に懐く長女に苛立つ母親からのお便り
本題は「ママが一番じゃないと」というのろいです。桜林さんが、ラジオネームもずくさんからのお便りを読み上げます。
もうすぐ4歳になる長女と8ヶ月の次女を育てています。長女は私ママより義母おばあちゃんの方が好きなのではないかと悩んでいます。
長女の出産後、私は産後うつ傾向でした。義母と家がかなり近いこともあり、新生児の頃からよく長女を預けて一人時間をもらっていました。長女が意思表示ができるようになると、ばぁばの家に行くと言い、保育園の後はほとんどばぁばの家で過ごすようになりました。週5日前後です。寝る時間には帰ってきて一緒に寝ています。
義母と私の関係は適度な距離を保ちつつまあまあ良好です。ただ、ばぁばは仕上げ磨きが一瞬で終わってしまったり、お風呂が雑であせもができてしまったり、お菓子を自由に食べさせたり、私が大事にしている生活の基本をないがしろにされているように感じます。夫を通じて何度もこうしてほしいと伝えたけれど変わらず、翌朝はしっかり仕上げ磨きをするなどで対応しています。
長女に今日はママとお出かけしようと言っても、嫌だ、ばぁばが大好きだからばぁばの家に行くと言って聞きません。あっそう、ばぁばが大好きなんでしょ、はいはいと素っ気なくしたり、嫌味を言ってしまい、悪循環だと頭では分かっていても感情が抑えられません。長女がばぁばと言うと、私の心が反応してぶわっと苛立ちが生まれます。
とはいえ、ばぁばの家で過ごしてもらうと私も楽なんです。産後うつ傾向で長女との関係を深く築けなかったから自業自得、ばぁばに長女が取られてしまうと自分を責めることもあります。苦しいです。長女とばぁばの深い関係に嫉妬する呪いについてご意見いただけましたら幸いです。
「ばぁばの方が好き」と決めつける前に
中里さんが最初に気にしたのは、ばぁば側の事情です。実母に預ける話はよく聞くものの、高齢で体力がなく「もう少し少なめにしてほしい」と言われるケースもあるため、義母が本当に「全然来ていいよ」という感じなのかが気になったといいます。
桜林さんは、出産後から4年間、長い時間をばぁばの家で過ごしてきたのだから、長女がばぁばに愛着を持つのは自然だと受け止めます。そのうえで、母親側から結論を決めてしまうことには注意を促します。
(ばぁばの方がいいって言うからといって)こっちから、あ、もうどうせ長女はこうだ、ばぁばの方が好きなんだみたいに決めたりするのは本当にやめた方がいいなって思って。
桜林さんの提案は、「ばぁば家に慣れてるもんね、ばぁば好きだよね」くらいに受け止めることです。今は体調などの事情で一緒の時間が取れなくても、子育ての時間は長く、挽回のチャンスはいくらでもあると話します。
中里さん自身も、祖父母と同居し、働く母親に代わって祖母と過ごす時間が長い「おばあちゃん子」でした。それでも祖母は中学生のときに亡くなり、学校とのやりとりなど母親にしかできないことも多かったといいます。
だからまあ今ちょっと楽させてもらって、今はラッキーぐらいな。
預けて楽になることに、罪悪感はいらない
桜林さんは、相談者さんは産後うつ傾向に加えて、今も疲れているのかもしれないと推し量ります。だからこそ、ばぁばの家で過ごしてもらって楽だと感じることを責めなくていいと話します。
(ばぁばのうちで過ごしてもらって)楽だって思うことに罪悪感を覚えなくていい。ラッキーでいいと思う。
中里さんは、義母と適度な距離を保ちながら関係が良好なこと自体が大切で、それを維持できるのがよいのではないかと付け加えます。
歯磨きやお風呂など、自分と違うやり方が気になる点については、二人とも「人に預けるとはそういうこと」と受け止めます。桜林さんは、夫婦の間でも「もっとちゃんとこうしてよ」はあるのだから、見えないところで預かるばぁばならなおさらで、悪気があるわけでもないと話します。
しかもそのお金払って預けてる先とかなわけでもないわけだから。
中里さんは、そこは飲み込むしかないとしたうえで、翌朝に自分で仕上げ磨きをするという相談者さんの対応は、すでにうまくできていると認めています。
その苛立ちは嫉妬か、それとも罪悪感か
桜林さんは、相談者さんが「嫉妬」と呼んでいる気持ちについて、少し違う気がすると切り出します。嫉妬と呼んでしまうと、気持ちがドロッとしてしまうからです。
これは憶測で言いますけど、やっぱり嫉妬だけじゃなくて、罪悪感みたいなものが。
なんか自分ができてないっていう自分を責める気持ちが、どっかその拗ねた感じになっちゃってるのとかもあるから。
桜林さんは、もしそうなら、まず自分を責めるのをやめることが先ではないかと話します。中里さんも、産後うつの時期に預けたことに罪悪感を持っているなら、人に頼るのはむしろよいことだと応じます。
さらに桜林さんは、子どもは一緒に過ごす時間が長い相手に馴染むものだと説明します。父親が子どもと時間を取れない家庭で「ママママ」となるのと同じで、それは母親がダメだからではないといいます。
自分への否定に聞こえ、「私よりばぁばが好き」「自業自得」と自分を責めて苛立つ
過ごした時間が長いから馴染んでいるだけ。「そりゃばぁば好きだよね」と思えばよい
中里さんは、長女の「ばぁば」という言葉が、相談者さんには自分への否定のように聞こえているのかもしれないと読み解きます。
根っこにある「育児で甘えてはいけない」
中里さんは、苛立ちの根底に「育児は甘えてはいけない」「自分一人でしっかり子育てしなければ」という思いがあるのではないかと推測します。桜林さんも、自分はできていないと思い込んでいるのかもしれないと応じます。
言い方悪いけど、使えるもんは全部使った方がいい。
なんかこう、なんだってなんかみんなは一人で頑張ってるのに、私は人に頼ってみたいなのはいい。せっかくそんな近くにいたらラッキーでしかない。
桜林さんは、お金がある人なら外注してもいいように、頼れる先があるなら頼っていいと話します。そうした考えを一つずつ緩めていけば、「私のこと嫌いなんだ」という極端な結論にならずに済むといいます。
事実が変わらなくても、なんかちょっと捉え方がちょっとやっぱ疲れてるっていう捉え方になっちゃってる気がする。
依存先が複数あることは、むしろ強み
中里さんは、逆のケースとして、ブランチで出会う母親たちの例を挙げます。子どもが母親とだけ過ごし母子分離がまったくできず、小学校低学年でも24時間張り付き、昼夜逆転にも付き合って疲れ果ててしまうケースです。
それに比べて相談者さんは、最初から育児の一部を他の人に頼り、義母とも良好な関係を保てています。中里さんは、外から見ればむしろいい方向に進んでいるのかもしれないと話します。
子どもが母親だけを頼り、24時間張り付きや昼夜逆転への付き添いで母親が疲れ果てる
最初から育児を他の人に頼り、義母と良好な関係を保てているため、そうはならずに済んでいる
桜林さんは、周りの「自称おばあちゃん子」たちは自立が上手で、少し大人っぽい印象があると話します。中里さんはそれを、子どもから見れば依存先が複数ある状態だと言い換えます。
(おばあちゃん子だった子供のころは)なんかすごい安定してた気がするもん、自分でも。
桜林さんは、母親ではなく祖母と過ごすから「かわいそう」ということは決してないと強調します。母親がいるべきときにいられるなら、それでいいという考えです。
母親でなければならない時は、これから来る
二人は、母親が必要とされる大切な時は必ず来ると話します。ばぁばが何歳まで生きるかはわからず、教育にお金をかける大きな決断も、やはり父母がするものだからです。
こっから先長いからそれが全てだよ。
桜林さんは、下の子もいて2人の子育ては大変なのだから、助けてくれる人には助けてもらったほうがいいと重ねます。中里さんも、現状を維持するほうが相談者さんにとって楽そうだと話します。
変えるなら、自分の扱い方
変えるとすれば、それは自分の取り扱い方だと桜林さんは言います。自分を責める気持ちが嫌味のような拗ねた態度として表に出てしまうのは、あまりよくないからです。
なんかどうせ私のこと嫌いなんでしょ?みたいな。その拗ねた気持ちってさ、やっぱり自分が先に思っちゃってるじゃん。
(拗ねた気持ちが)薄くならないと、表面の対応だけ変えるって難しいよね。
中里さんの「どうやったら変えられるのか」という問いに、桜林さんは、まず罪悪感や自分を責める気持ちがあると自覚できているかどうかだと答えます。長女が「ばぁば」と言うだけで苛立つのは、もう反射のようになっているので、それは避けたいとも話します。
中里さんは、4歳と8ヶ月という年齢を踏まえ、就学などで子どもの生活はこれから大きく変わると見通します。学校の友達が一番になるかもしれず、環境の変化とともに相談者さんの気持ちも変わっていけばいいと話します。
自覚する
自分を責める気持ちや罪悪感があることに気づく
捉え直す
「ばぁば好き」は過ごした時間の長さの表れで、自分への否定ではないと受け止める
頼り続ける
疲れを自覚し、頼り先と一人の時間を大事にする
桜林さんは最後に、自分が疲れていると自覚できるなら頼り先は絶対にあったほうがいいとして、一人の時間を大事にしてほしいと呼びかけています。次回のテーマは「約束は守るべき」というのろいです。
まとめ
義母に懐く長女への苛立ちは、嫉妬というより、産後に預けたことへの罪悪感や自分を責める気持ちから来ているのかもしれない、というのが二人の見立てです。頼れる人に頼ることは子どものためでもあり、母親が必要な場面はこれから先に必ず来ると話されています。
- 子どもが一緒に長く過ごす相手に懐くのは自然なことで、母親が否定されているわけではない
- 預けて楽になることに罪悪感はいらず、「ラッキー」と受け止めてよい
- 苛立ちの奥にある自責に気づくことが、拗ねた態度を変える出発点になる
- 依存先が複数あることは、子どもの安定や自立につながりうる
- 前半では、ポッドキャストで呼応し合う会話が少ないのは「聞く」が難しいからだと語られた






