音楽の仕事はどうやって始まった?
眞白マッシュさんが今回聞きたかったのは、音楽の仕事をしているスパイスさんの「そもそも」の部分でした。スパイスさんは昭和58年生まれ、昭和の終わりに生まれた世代です。
中学・高校時代はカラオケブームの真っただ中で、歌が好きだったこと。そして、ゆずやゆず、コブクロといったストリート・路上ライブのブームがあったことが原点だと話します。
友達に「路上ライブやってみない?」と誘われたのが、自分が演じる側に立つ始まりでした。
一方で、専門学校では幼児教育を学び、保育士や幼稚園の先生の免許を持っているという意外な経歴もあります。
卒業する頃には運良く音楽事務所に所属していましたが、進路に悩んでいました。そんなとき、教育実習先で仲良くしていた幼稚園の先生に相談すると、即答で背中を押されたと言います。
そんなの音楽やった方がいいわよって言われて。その理由が、幼稚園や保育園の先生って「大きくなったら何になりたいの?」っていう夢を育てる仕事でしょって。先生が夢を諦めるなんて私は反対だわって言われて。
その言葉がきっかけで、スパイスさんは音楽でご飯を食べていく道を選びます。ライブハウスでバイトを始め、受付やドリンク作りもしつつ、メインではブッキング業務やイベント制作を担う裏方の道へ進みました。
そして、いろんな巡り合わせの末に「マネージャーをやってほしい」というバンドが現れます。それがエイベックス所属のバンドだったと振り返ります。
節目ごとに道を繋いでくれた「ご縁の人生」
スパイスさんの経歴には、節目ごとに誰かが次の道を用意してくれたという共通点があります。
もともと高校まではスポーツに打ち込み、水泳で県の選抜にも選ばれていました。将来は水泳選手か、学校の先生かインストラクターになると思っていたそうです。
ところが高校で故障し、うまく練習できない時期に、路上ライブへ誘ってくれた友達がいた。ライブハウスを辞めるときも、勤め先のオーナーであるPA(音響)さんが、担当していたエイベックス所属の新人バンドを紹介してくれた。そんな連なりがありました。
スパイスさんは、それを「周りの人を大事にできていた結果」だと今は捉えていると話します。周りの人を大事にしてきたものが、大事につながってきているなら、とても幸せな人生かもしれないと語りました。
眞白マッシュさんも、スパイスさんの周りにハートフルな人がたくさんいて、人生の節目にそうした出来事が起きているのではないかと受け止めていました。
どこで育ち、どんな音楽の街で遊んだのか
スパイスさんの出身は、東京にほど近い千葉県松戸市です。一駅で東京の金町、車で少し走れば埼玉の三郷に入る、都県の境に隣接した街だと説明します。
表参道や原宿、山手線で上野などにも出やすく、程よくのどかで程よくにぎやかな環境で育ったそうです。かつてはファミリー向けのベッドタウンだったのだろうと振り返ります。
眞白マッシュさんは大学時代を茨城で過ごし、常磐線ユーザーだった経験から、松戸や柏という遊び場に共感します。
柏は音楽の街として知られ、サムシングエルスなどの出身地でもあります。路上ライブが厳しくなった今も、行政が許可制で許可証を発行し、公式に歌える仕組みを続けていると話します。
二人は、ハーモニカとアコギを鳴らす路上ミュージシャンへの憧れや、楽器を持っていることがかっこよかった時代を懐かしみました。
今でこそHIPHOPでラップやるとかダンスするっていうことが、クラスの目立つ人たちがやりたいことなんだろうなと思いますけど、僕の時代はまだまだギターやってるっていうのがクラスの目立つやつがやってる、そういう時代でしたね。
歌う人と羽根で盛り上がる、埋もれた名曲の話
ここで話題は、当時流行したアコースティックのフォークデュオへ。眞白マッシュさんが「歌う人と羽根が好きだった」と切り出すと、スパイスさんが強く反応します。
待ってください。僕、これは今日長くなりますよ。歌う人と羽根が一番好きだったんです。
スパイスさんは今年もレトルトさんと二人でライブに行ったほど、デビュー当時からずっと追いかけてきたと語ります。
眞白マッシュさんは、この曲名を出すと「青いベンチでしょ?」と別のアーティストと間違われることが多く、何度も訂正してきたと苦笑します。
興味のない人からすると同じジャンルに見えがちですが、二人にとってはゆず、19、コブクロ、歌う人と羽根はそれぞれ全くカラーの違うグループでした。スパイスさんは、19の古着っぽく原宿っぽいカルチャーをまとった世界観も好きだったと話します。
なぜ「良い音楽」が正当に評価されにくいのか
話は、アーティストがメジャーになり多くの人に知られる仕組みへと移ります。眞白マッシュさんは、なぜこのアーティストがもっと評価されないのか、とやきもきした経験を語ります。
メジャーレーベルで働いていたスパイスさんは、90年代から2000年代初頭までの状況を振り返ります。
渋谷のセンター街で音楽が流れてて、モニターでMVが流れてて、街でしっかり音を鳴らせば、ある程度20万枚、30万枚っていうCDの売り上げのベースが見えてくるみたいな時代。
当時は資本力のある強い会社が、お金や周りのインフラを押さえてチャートを作れた時代だったと話します。100万枚を売ることもほぼ毎週のように起きていました。
今はそれが変わり、実態に即したとも言えますが、代わりにインディペンデントな人がTikTokからバズって人気が出ることも生まれやすくなりました。どちらも一長一短だと語ります。
一方で眞白マッシュさんは、穿った見方をしてしまうと明かします。結局はSNSのアルゴリズムなのか、という違和感です。
スパイスさんは、音楽が良くても「バズってないもんね」、歌が良くても「フォロワー少ないじゃん」と言われる状況を挙げ、自分がいいと思うものをいいって言えない感じを今の社会問題かもしれないと表現しました。
好きの多様化と、声にしにくくなった「推し」の気持ち
眞白マッシュさんは、好きだと発信しても反応が「凪」で終わってしまう虚しさに、最近ようやく体感として気づいたと話します。
スパイスさんは、SNSでバズらせること自体が目的になるのも本質的ではないと指摘します。一方で眞白マッシュさんは、音楽がおろそかで、作品ではなくファンサービスになっている逆パターンもあると加えます。
二人は、アーティストを大きく2つのタイプに分けて整理しました。
バンドやシンガーソングライターのように、自分を変えずに音楽性を保って進んでいくタイプ
プロデュースを受け、ファンをより喜ばせるための活動を頑張っていくタイプ
どちらも音楽として素敵だとしつつ、最近はファンが喜ぶことやSNSで評価されやすいこと、つまりわかりやすい方に進みやすい傾向があるとスパイスさんは話します。それが本当に音楽的な評価なのかは難しい、と。
その背景として、好きなものが多様化したことが挙げられます。
昔で言ったら、みんなでジャンプ読んで同じ漫画で熱狂したり、月9をみんな見て、火曜日に学校でその話をするとか。そういう時代ではなくなってきた。
熱量が集合する場所やタイミングが少ない時代だからこそ、数字を持っているものを好きでいる自分に安心感を感じる人もいるのだろう、とスパイスさんは分析します。
さらに、否定しない風潮の中で「自分はこっちの方がいいと思う」と気持ちを競わせにくくなったとも話します。優劣をつけたいわけではないけれど、本当は「これ好きだったんですか、僕もです」という出会いがもっと起きるはずだ、と。
ナイトクラブとライブハウス、それぞれの入り口
話題はクラブカルチャーへ。スパイスさんが音楽やクラブへの入り口を尋ねると、眞白マッシュさんは中田ヤスタカさんが入り口だったと答えます。
鈴木亜美さんが中田ヤスタカさんの楽曲をフィーチャリングのような形で歌っていたことがきっかけで刺激を受け、2008年頃、渋谷で中田ヤスタカさんがDJをすると知って足を運んだのが最初でした。
もっと遡ると、岐阜県出身の眞白マッシュさんにとって、2003〜2004年頃のトランスやサイバートランスのムーブメントは、テレビや雑誌の中でしか把握できないものでした。クラブという場所が東京にあることへの憧れがあったと言います。
一方スパイスさんは、お酒をほぼ飲まないこともあり、クラブカルチャーは好きでもどっぷりとはマッチしなかったと明かします。ただし今のクラブなら違うだろうとも話します。
遊んだ場所として、二人は新木場ageHaや渋谷のクラブ名を挙げます。スパイスさんはVISIONによく通い、FAR EAST MOVEMENTを生で見に行った思い出を語りました。
現場に来てお前偉いなみたいな。自分でちゃんと足運んで聴かないとやっぱダメだよなって言われて。聴いたことあるけど見たことない音楽を現場に見に行くっていう点では、クラブのノリも楽しかったですね。
回遊できるサーキットと、能動的に動くことの価値
眞白マッシュさんが特にスムーズに入れたのは、渋谷のクラブエイジアだと話します。深夜でもライブバンドセットのアクトが多く、当時の店長も深夜のライブを積極的に入れて盛り上げていたためです。
ライブハウスの音楽とクラブの音楽は、2000年代くらいまでは全く別のものでした。エイジアはロックとDJをミックスし、渋谷の街に大きな影響を与えていたとスパイスさんは見ています。
O-EASTなども含め、あの一帯でサーキットのように回遊できることを二人は評価します。渋谷や新宿のような遊び場の多い街では、ここ10年ほどで回遊型イベントが増えました。
眞白マッシュさんは、野外の大型フェスよりも都市型サーキットが好きだと語ります。少しずつライブアクトを楽しみ、この音楽が好きかもと気づくきっかけになるからです。
さらに、サブスクやSNSで聴くだけでなく、生で聴くと音源を超えてくるか、という別の楽しみ方があるとスパイスさんは補足します。
眞白マッシュさんは、先入観なく入ってきた情報に対して能動的に動くことに自覚的になっていると話します。放っておくとフィルターバブルで選択肢が狭まるからです。
スパイスさんは、そのフットワークの軽さを尊敬すると話しつつ、つながり方がわからない時代に、気軽に「とりあえず行ってみよう」と動ける感覚のある人はいいのだろう、と語りました。
お互いに薦めたい一曲を交換する
ここで二人はおすすめ曲の交換会を行います。まず眞白マッシュさんが選んだのは、ラフラフの「たがために鐘は鳴る」です。
眞白マッシュさんは、歌詞のAメロを朗読し、そのパンチラインの良さを紹介します。1999年リリースの曲ですが、40歳になった今、ミッドライフクライシスの只中で改めて染みたと言います。
スパイスさんは西沢悟志さんのソロ弾き語りライブを見たことがあると応じ、その声が心なしか自分の喋り声に似ているという指摘も飛び出しました。
続いてスパイスさんが選んだのは、椎名林檎さんのリミックスアルバム「百薬の長」に収録された「意識」です。
以前ジャケ聞きの回で話した大沢伸一さんとの仕事の縁もあり、この曲を選んだと言います。オリジナルは昭和歌謡っぽくムーディーな楽曲ですが、大沢伸一さんのリミックスでは四つ打ちのクラブビートに生まれ変わり、DAOKOさんのラップも書き下ろしで加わっています。
なかなかオリジナルをリミックスが超えてくるってないと思ってるんですけど、正直この意識という林檎さんの曲に関しては、リミックスの方が超えてるんじゃないかなって。
スパイスさんは、オリジナルとリミックスを聴き比べて、眞白マッシュさんがどう感じるかも含めて提案したいと話しました。
音楽もサウナもカレーも、体験しに行くという共通点
雑談は尽きず、話はサウナやカレーにも広がります。眞白マッシュさんは名古屋にサウナの店が多く、タトゥーフレンドリーの店も多いと紹介します。
スパイスさんはタトゥーに対してウェルカムな立場で、裸になって楽しむ場所であり、怖がる必要もないと語ります。
さらにスパイスさんは、東京で体験できる「ミュージックロウリュ」を紹介します。
ミュージックロウリュは、オートロウリュの時間にサウナ内が暗くなり、アーティストや洋楽などのテーマで爆音で一曲が流れる演出です。心も体も熱くなる時間で、好きな音楽だと曲が終わるまで居留まりたくなると話します。
音源だけでなく生で聴きに行くこと、そしてサウナやカレーも実際に体験しに行くこと。この回は、能動的に足を運んで体験するという一貫したテーマで貫かれていました。
最後にスパイスさんは、番組「僕たちは、カレーとサウナでできている」の告知を行います。月曜と木曜の週2回配信で、10月24日には東京・新宿あたりで公開収録イベント「ポッドキャストランデブー」を開催予定だと案内しました。
まとめ
音楽の仕事に就いたスパイスさんのキャリアから、平成〜令和のカルチャーの移ろいまでを世代の近い二人が語り合った、スピンオフ回でした。共通して浮かび上がったのは、良いものを自分で見つけ、足を運んで体験することの大切さです。
- スパイスさんは幼稚園の先生の一言で音楽の道へ進み、節目ごとに周りの人が次の道を繋いでくれた「ご縁の人生」を歩んできた
- 90年代は資本力でチャートが作れた時代から、今はSNSでバズが生まれる時代へ変化し、それぞれに一長一短がある
- 好きの多様化が進む中で、数字や周りの評価に流されず、自分が良いと思うものを声にすることの難しさが語られた
- 眞白マッシュさんはラフラフ「たがために鐘は鳴る」を、スパイスさんは椎名林檎「意識」の大沢伸一リミックスをおすすめ曲として交換した
- サブスクやSNSで完結せず、ライブやサウナのミュージックロウリュなど、能動的に足を運んで体験することの価値が通底テーマだった






