沼津で生まれ、山形と仙台で育つ
番組の主宰である小野寺力さんは、餃子ウィークの特別編として、2週にわたる自己紹介を送ることにしたと話します。
誰も聞いてないと思ってプライバシー情報をもりもり含んでお送りしますので、ここだけの話ということにしていただければと思います。
小野寺さんは1976年3月、静岡県沼津市で生まれました。沼津には中央亭という独特な餃子の店があり、母もそこで餃子を食べていたかもしれないと振り返ります。
2歳頃に母親が離婚し、弟とともに母の故郷である山形県酒田市へ移り、祖父母と暮らすことになりました。
周りは田んぼだらけで、自転車で農道を駆け回ったり、水路でザリガニを釣ったりして遊んでいたそうです。祖父母が畑で野菜を育て、鶏に卵を産ませる農家の生活を手伝っていました。
幼稚園を卒業する前に母親が再婚し、弟とともに宮城県仙台市へ移り住みます。以降、小学校から大学まで仙台で過ごし、仙台が小野寺さんのふるさとになりました。
餃子のない食卓と「早い者勝ち」の食事
当時の仙台には餃子屋がほとんどなく、共働きの家庭だったこともあり、家族で餃子を作る体験はほぼありませんでした。
大人になってから、子どもの頃に家族で餃子を包んだという話を聞くと、幸せな家庭だと感じるようになったと話します。
餃子をね、家族で作る家庭っていうのはすごく幸せな家庭だなと思いまして。餃子は幸せな食べ物だなと。
子どもの頃は、ご飯に納豆、卵、牛乳が定番で、母が仕事前に作るカレーを食べて育ちました。
弟や妹を含む4人きょうだいの中で、すぐ下の弟とご飯を取り合う生活だったといいます。いかに早くたくさん食べるかを競ううちに、体も大きく育ちました。
妹は170cm、男きょうだいは全員180cmを超えるほどで、食事は味わうものではなく栄養を満たすためのものだったと振り返ります。今も馬鹿舌なのはその背景があるかもしれないと話します。
電子工作とガジェットに夢中の少年時代
中学時代はあまり学校が好きではなく、半分ほどしか通わず、電子工作にハマっていた時期がありました。
嘘発見器などの電子工作キットを組み立てたり、弟の世代で流行ったミニ四駆を速くする実験をしたりして楽しんでいたそうです。
買ってもらったゲームウォッチを、なぜこんな小さなものが複雑な動きをするのか気になって解体してしまい、元に戻せなかったといいます。電子手帳も同じように解体して終わったと振り返ります。
本当に親には申し訳ない気持ちでいっぱいでございますが、そういった何か新しいものに触れていくガジェットがすごく興味津々でございまして、そのガジェットがなぜ動くのかということにも興味津々でございまして。
新しいものがなぜ動くのかへの好奇心が、後にIT業界へ進むきっかけになったと考えられます。
スタートレックが変えた人生観
高校時代には深夜放送のスタートレックに夢中になり、録画して何度も見ていたそうです。
携帯電話のようなハンズフリー通信や、音声で記録されるコンピューターなど、作中のガジェットに未来を感じたといいます。大人になって振り返ると、それらの多くが現実に実現していたと話します。
ただの空想だけで作られているわけじゃない、ちゃんとサイエンス、フィクションなんだけど、サイエンスであるっていうところが面白いですね。
宇宙艦隊という軍隊の、クリアでシンプルな指示系統と、個人の考えも尊重されるリーダーシップに憧れを抱いていたと語ります。
将来大人になったら何になりたいかっていったら、ジャンリュック・ピックカードになりたいっていう夢を持つぐらいスタートレックが好きでありました。
誰かが切り開いた道を行くのではなく、自分の道を切り開きたいという性格につながっていると振り返ります。
マクドナルドのアルバイトで知った「作る楽しさ」
中学時代は帰宅部で、ワープロのマニュアルを隅々まで読んで機能を試すような日々でした。高校ではバスケ部に入りましたが、有酸素運動が苦手で長距離を走れなかったといいます。
高校時代には禁止されていたマクドナルドのアルバイトを厨房で経験しました。マニュアル通りに正確かつ早く作ることが評価されるのが得意だったと話します。
ハンバーガーを一度に12個作る機械で、ケチャップやマスタード、ピクルスを手早く仕上げる一連の動きを、いかに速くやるかを楽しんでいたそうです。
高校3年生の頃には他の高校生に指示を出す立場になり、社会体験として面白かったといいます。弟妹も全員マクドナルドで働くようになりました。
当時の発注はアナログで、過去の売上や天気のデータから作る量を分析していました。この経験がマーケティングとの初めての出会いだったと振り返ります。
家電量販店から携帯電話、そしてインターネットへ
大学は東北福祉大学の社会福祉学部社会教育学科に進み、学校だけでなく図書館や博物館など、生涯を通じて学ぶ場があるという社会教育の考え方に出会います。
当時は中国留学を目指して中国語を学んでいましたが、大学卒業の時期に弟が事故を起こしたため留学を断念しました。
その後、仙台駅前の家電量販店サクラヤに就職し、固定電話や周辺機器を販売します。マニュアルを読み込んで機能を伝える売り方が得意で、売ることの楽しさを知りました。
やがて携帯電話コーナーを任され、1998年に初めてパソコンを買ってインターネットに触れます。
1999年にiモードが始まると、自分でHTMLを独学してウェブサイトを作り、それを携帯で見せながら販売するようになりました。
なんか与えられたものじゃなくて、自分で発信ができる時代なんだと思って、そこですごく感動を覚えまして。
IT業界での転職と、独立して会社を立ち上げるまで
サクラヤが閉店することになり、仙台で面接を受けた大手メーカーの誘いで東京へ出て、データセンターとセキュリティの営業を始めます。しかし7ヶ月やっても売れず、法人営業に才能がないと感じたと話します。
その頃、モバイルコンテンツを手がけるサイバードの千葉功太郎さんと話すうちに、その下で働きたいと考えて転職しました。
サイバードでは通信会社向けの担当として、新しい携帯電話の仕様を仕入れて社内に展開する仕事をします。効率化のために勝手に社内サーバを立ち上げ、権限ごとに情報を分けて仕様書を共有していました。
2004年頃、モバイルが踊り場に入った時期にインターネットの源流を知りたいと考え、六本木ヒルズの上のフロアにあったライブドアへ転職します。
ライブドアでは机も自分で調達するところから始まり、ポータルサイトの検索系コンテンツ(地図や辞書など)を担当しました。集めた資金を新しいものへ投資し続けるベンチャーのスタイルを面白いと感じたそうです。
これは自分で会社をやった方が面白いなっていうのがなんかムクムクとなってきまして。というか、サラリーマン合わないなっていうのがね、自分の中にありまして。
いきなり辞めるのは不安だったため、2006年頃に独立した元同僚のもとで3年ほど経営を学びました。
そして2009年、自身の会社エナジャイズを設立します。社名は、スタートレックで物を転送するときの掛け声「エナジャイズ」に由来します。
当時はクラウドがまだ一般的でなく、必ず標準になると考えた小野寺さんは、クラウドコンピューティングの導入支援を仕事にしました。
一人社長として始めた仕事は、次第にウェブ制作やスタートアップ支援へ広がり、デザインやコーディング、プロデュースの人たちを調整する「ITどかたの親方」のような役割になっていったと話します。
コワーキングスペースで餃子を焼き始める
渋谷のコワーキングスペースCOBAを職場として借りて仕事をしていた小野寺さんは、そこにあるCOBAライブラリーという場所で餃子を焼き始めます。
無理をすれば100人ほど入れるその場所で餃子を焼いて提供したことが、餃子人生の始まりだったといいます。
そこで餃子を焼いて提供するっていうところから、私の餃子人生が始まったという感じですね。
なぜCOBAで餃子を焼くことになったのかは、後編で語られる予定です。
まとめ
沼津で生まれ、山形と仙台で育った小野寺力さんの半生には、ガジェットへの好奇心と「自分の道を切り開きたい」という一貫した性格が流れていました。マクドナルドやIT業界での経験を経て、コワーキングスペースで餃子を焼き始めたことが、餃子ジョッキーへの入り口になります。
- 餃子屋のない仙台で育ち、家族で餃子を作る体験がなかったからこそ、餃子を「幸せな食べ物」と感じるようになった
- ガジェットを解体するほどの好奇心と、スタートレックが人生観を形づくり、IT業界へ進む素地になった
- マクドナルドのアルバイトで「作る楽しさ」とマーケティングの面白さに出会った
- 家電量販店での販売、サイバードやライブドアでの経験を経て、2009年にエナジャイズを設立した
- 渋谷のコワーキングスペースCOBAで餃子を焼き始めたことが、餃子人生の始まりだった




