バーチャルヒューマンとは何か、なぜimmaを作ったのか
守屋さんは、GO三浦さんと同い年で、元々は広告業界からキャリアをスタートしています。今回は、日本初のバーチャルモデル「imma(イマ)」を手掛けた立場から話が展開されます。
三浦さんがまず尋ねたのは、そもそもバーチャルヒューマンとは何かという定義でした。
うちが定義しているバーチャルヒューマンは、3DCGとAIを駆使して人間にほど近い存在体を作っていく、というのが一つの定義としてあります。
守屋さんによると、immaが最初に発信していたのは、意外にもSNS ── 写真や短い動画を投稿して交流するサービス。守屋さんはフォロワー数や再生回数を追う風潮そのものを批判の対象にしていましたへのアンチだったといいます。数字ばかりを追うコンテンツのあり方に嫌気が差していた時期だったそうです。
存在しないキャラクターでもこんな数字取れるんだよ、あなたたちが追っかけてる数字って虚無だし、割と何もないものだよ、みたいなことを(immaだからこそ)発信できた。
一方で守屋さんは、immaを社会的な発信にも使ってきました。カンボジアの女性支援など、お金にならないプロジェクトを数多く走らせたといいます。
こんな存在しないキャラクターにこんな本質的なことを言われる、というのが自分の中では結構痛感で。
発信すべき情報をimmaを通して伝えると、伝わるものも伝わるという手応えを、守屋さんは実感してきたと話します。
「人間の仕事を奪うな」への反論と、働くという概念
バーチャルヒューマンの将来について、守屋さんは大きく二つの方向を描いています。一つは誰もが知るスター的存在を生み出すこと、もう一つはバーチャルヒューマンが社会に自然に溶け込んだ状態を作ることです。
ただ、その道のりは平坦ではありませんでした。immaは海外から激しいバッシングを受けたといいます。
名前を伏せたかったんで、プロデューサーMって名前をやってる時とかは、もうプロデューサーMは悪魔だとか、人間を生み出すなんてありえない、みたいなこと言われた。
「人間の仕事を奪うな」という批判も多かったといいます。これに対して守屋さんは、人間の仕事はもう少し減らしてもいいのではないか、と考えを述べます。
働くために生きてるような感覚がすごくそこにあって、もうちょっと仕事を減らしてもいいんじゃない?っていうか。
守屋さんは、お金に左右されずに美味しいご飯を食べて寝ていい生活ができるなら、働くという概念自体を変えた方がいいのではないかと語ります。その一端をバーチャルヒューマンとAIが担えるのではないか、という考えです。
三浦さんは、この考えを一歩進めて整理します。好きな仕事は人気が集まる一方で、誰も選ばない仕事は消去法的に残ってしまう、という現実を指摘しました。
世の中の人があんまり喜ばない仕事自体は、どんどんAIとロボットに奪わせてしまって、人間が楽しめるワクワクできる快適な仕事だけを残す。そういう社会を作るための一歩目、ツールにバーチャルヒューマンがなり得るんじゃないか、ってことですか。
半分ぐらい思ってますね。ただ、それまでには相当ものすごい批判もあるだろうし。
人間の仕事を奪う存在であり、人間を生み出すことは許されない
喜ばれない仕事を任せ、人間が楽しめる仕事だけを残す一歩になり得る
immaを支える3つのビジネスモデル
三浦さんは、immaを巡る現在のビジネスモデルについて尋ねます。守屋さんの会社の事業は、大きく分けて三つあるといいます。
一つ目は、immaのような自社のキャラクターを持つ事業です。二つ目は、バーチャルヒューマンを企業に提供する事業で、ディズニーや中国、タイの企業などにも提供しているといいます。
三つ目が、リリースしたばかりで問い合わせが増えているというサービスです。バーチャルヒューマンをエージェント化し、対話できる仕組みを作るものです。
HITOって書いてヒトっていうサービスを出したんですけど、モニターとかデバイスさえあれば、そこにバーチャルヒューマンを表示させて対話できる仕組みを作っている。
この仕組みは、受付や展示会の案内、公共機関の案内などに使えるといいます。モニター上で広告表示から画像表示まで、さまざまなことができるのが特徴です。
三浦さんは、この三つを「自社バーチャルインフルエンサー」「会社公認バーチャルインフルエンサー」「バーチャル社員」と整理しました。
自社IP
immaなど、自社のキャラクターを持つ
共同保有・提供
企業にバーチャルヒューマンをライセンス提供する
エージェント化(HITO)
モニター上でバーチャルヒューマンと対話できる仕組み
タレントの仕事は奪われるのか
三浦さんは、バーチャル社員の使い道は理解できる一方で、immaのようなバーチャルインフルエンサーはタレントの仕事を奪う形になるのではないか、と問いかけます。
これに対し守屋さんは、あまりそうは思っていないと答えます。守屋さんの考えの出発点にあるのは「タレント」という言葉の捉え方でした。
タレントっていう言葉って、いわゆる何か特異点を持ってる人ですよね。
守屋さんは、マツコさんや林修さんのように、特徴的な技や武器を持つ人がタレントになっていった流れを例に挙げます。今はTikTokなどを見れば、犬もアリも、そしてバーチャルヒューマンも含めて、何か面白いものを持てば全部タレントになり得ると話します。
何か一つの特徴的なものを持った人がメディアに発信していけば、全部タレントになっちゃうと僕は思っちゃってる。その中の一つでしかないんじゃないの?って思ってる。
つまり、タレントの仕事を食う・食わないという議論そのものが、世界全体のコンテンツを見渡すと、それどころではない規模になっている、というのが守屋さんの見立てです。
コンテンツになる価値と、動くかどうか
守屋さんは、TikTok ── 短い動画を投稿・視聴するサービス。守屋さんは、地方でも身近な題材が価値になり得る場を作った点で存在が大きいと話しますの存在の大きさに触れます。Instagramが「映え」を作ってしまったために、地方の子どもたちが「僕たちにはあげるものがない」と話すニュースを見たといいます。
ところが、ある少年が秋田こまちだけをひたすら投稿し、それが伸びていたそうです。守屋さんは、自分たちにしかない価値に気づけるかどうかが、コンテンツになるかどうかの分かれ目だと語ります。
三浦さんは、これに一つ視点を加えます。価値に気づくかどうかよりも、動いてみるかどうかが大事だという指摘です。
自分が気づかなくても、誰かが見つけてくれれば価値になったりするから。
バーチャルヒューマンも同じで、最初は「これ人間なの?」という議論になり、見た目が人間に近いからこそ悪魔崇拝とまで言われた、と守屋さんは振り返ります。
「悪魔崇拝」と言われたimmaと八百万の神
三浦さんが、悪魔崇拝と言われた経緯を尋ねると、守屋さんは、フランスのあるメディアにそう書かれたと明かします。
三浦さんは、キリスト教 ── 西洋で広く信仰される一神教。唯一神が世界を創造したとする世界観で、人が人に近い存在を生み出すことに強い抵抗が生まれやすいと説明されています的な世界観からすると、人間と同じ価値を持つバーチャルヒューマンを生み出したことが悪魔の所業と見なされたのではないか、と読み解きます。
守屋さんは、書いた人たちに連絡を取り、抗議ではなく意味を聞きたいと2時間ほどオンラインで話したといいます。そこで持ち出したのが、日本の神道 ── 日本古来の宗教。山や川、道具など、あらゆるものに神が宿ると考える多神教で、八百万の神という言い方に表れていますの話でした。
八百万どころじゃないですけど、全てのこういったものにも神が宿るっていう概念があるんだ、だから日本って多分こういう不思議なキャラクター文化があるんだよ、みたいな話をした。
CGの解像度と、たとえば孫悟空のアニメキャラクターの解像度が違うだけで、やっていることは変わらない。守屋さんがそう説明すると、相手は納得し、後で謝罪までされたといいます。
三浦さんは、IPを次々に作って、そのどれかが世界に届くかもしれないという時代に、八百万の神的な日本的な思考法はすごい武器になると話します。
人間に近い存在を生み出すことは悪魔の所業とされやすい
あらゆるものに神が宿り、不思議なキャラクター文化を生む土壌になる
「IP」という言葉の氾濫への違和感
三浦さんは、守屋さんがIPという言葉にこだわっているのではないかと切り出します。守屋さんは、こだわりというよりも違和感だと答えます。
今目を開けばみんなIP、IPって言ってる状態はちょっと違和感はあります。IPって作れないんで、そんな簡単に。ほんと作ってみてくださいっていう感覚はある。
守屋さんが重視するのは「集中力」です。NETFLIXのドラマは次々にIPになりつつあるが、自分ははっきり覚えていない、と正直に語ります。
ピンポン鳴れば荷物取りに行くし、携帯通知鳴ったら見てるしみたいな。結局、集中してないんですよね。
昔は月9が始まると決まった時間にテレビの前に座り、集中して見ていたから、はっきり覚えている。守屋さんは、コンテンツをどう集中して、かつ受動的に見させるかが、IPにとって大事だと語ります。
これをどう集中して見させるか、集中かつ受動的に見させるかっていうことが、僕はIPにとってすごい大事だと思ってて。
三浦さんは、この違和感を「IPという概念のインフレ」と表現します。キャラクターと世界観とストーリーがあればIPだと言うが、人々が集中して見てしまう魔法がかかって初めてIPになる、という区分が必要だと整理しました。
守屋さんも、Tシャツやチケットが売れるようにマルチプルに物が売れる状態こそIP化された状態だとしつつ、キャラクターを作ればIPができるという勘違いへの違和感を語ります。
月9などを決まった時間に、CM中だけ席を立って集中して見ていた
通知や来客で中断しながら見て、内容をはっきり覚えていない
日本がIP大国になるために足りない「プロデューサー」
三浦さんは、IT ── 情報技術。インターネットに関する技術やサービスを指します。三浦さんは、この分野で日本はアメリカと中国に敗れたと整理していますの戦いで日本はアメリカと中国に敗れた一方、この10年でチームラボやワンピース、任天堂やポケモンといったIPが世界で存在感を高めてきたと振り返ります。
三浦さんは、ITで負けた日本がIPでやり直す可能性があると考えつつ、では何が間違っていて何をすべきかを守屋さんに問いました。
守屋さんの答えは一貫して「プロデューサー論」です。日本には面白い本や優れた作家、監督が数多くいるのに、それをビジネスにできる人があまりにいない、というのが年来の主張だといいます。
どの領域でもそうですけど、とんでもない技術力とか発想力を持ってる人がいるけど、それをビジネスにできる人があまりにもいない。
守屋さんは、それを上手くやったのが韓国や中国だったと指摘します。良いものがあっても、それを外にどう届けるかの体制が日本には蓄積されていない、というのが一つ目の課題です。
もう一つは、作家や監督の気持ちをどれだけ汲み取れるかです。優秀なプロデューサーでもビジネス色が強すぎると、作家に「あの人とはやりたくない」と離れられてしまう、と守屋さんは語ります。
三浦さんは、これを作家・編集者・プロデューサーという三つのレイヤーで整理します。日本は作家は多いが、編集者もプロデューサーも足りない状態ではないか、と問いかけました。
作家
作品のゼロイチを生み出す
編集者
作品に魔法をかけ、集中して見させる形にする
プロデューサー
世界中にIPとしてデリバリーしていく
再現できないものを連発する、鈴木敏夫は失敗したのか
守屋さんは、今後のビジネスの強さは「再現性のなさ」にあると語ります。投資家からは再現性を問われるが、再現できないものを連発できるかどうかにこそ価値がある、という考えです。
再現性のなさを連発できるかどうかが価値だと僕は思ってるんで、それがIPの強さじゃないですか。
三浦さんはこれを「再現はできないが連発はできる」と言い換え、共感を示しました。守屋さんは、再現できるものはIPとしての価値がないのと同じだと続けます。
その上で守屋さんは、作家という生き物の気持ちをどこまで理解できるかが鍵だと語ります。作家は作品を自分以上の宝物として作っており、その気持ちを100パーセント理解した上で「こうしたい」と言えるかどうかが、プロデューサーの分かれ目だといいます。
この話を受けて三浦さんは、あえて逆の見方を示します。宮崎駿さんと鈴木敏夫さんの関係について、鈴木敏夫さんは失敗しているのではないか、というのです。
宮崎駿はゼロイチを作って、鈴木敏夫がいたから映画になったが、あれをIPにしてグローバルで一気にやるのはめっちゃ金儲けできたはずのものを、めっちゃ安く日テレに売ってる。
三浦さんは、作家と編集者は作品を作ればよく、IPという言葉は作品を世界中に売っていくプロデューサーだけが使うもの、と整理します。作家・編集者・プロデューサーを分けて考えるべきだという主張です。
一方で三浦さんは、この三つを一人でこなす例外的な天才として、村上隆 ── 世界的に評価される現代アーティスト。制作から発信・販売までを自ら手掛ける手法で知られますや杉本博司を挙げます。作家でありながら編集者もプロデュースも自分でやっている点が異次元だと語りました。
三浦さんは、作品として捉える人とIPとして捉える人で役割が分かれるという整理ができたことを、この日の収穫として対談を締めくくりました。
作品のゼロイチを生み出す人
作品に魔法をかける人
魔法のかかった作品をIPとして世界に売る人
まとめ
バーチャルヒューマンをAIによる仕事の代替や新しい働き方の入り口と捉え、氾濫する「IP」という言葉の正体を、作家・編集者・プロデューサーの役割分担から問い直した対談でした。
- 守屋さんはバーチャルヒューマンを、喜ばれない仕事を任せ、人間が楽しめる仕事を残す手段になり得ると考えている
- タレントの定義は「特異点を持つ存在」に広がり、バーチャルヒューマンもその一つに過ぎないと守屋さんは見る
- immaは海外で悪魔崇拝とまで批判されたが、八百万の神という日本的な多神教の考え方で理解を得た
- 守屋さんはIPを、集中して見させる魔法がかかった状態と捉え、キャラクターを作ればIPになるという風潮に違和感を示す
- 日本がIP大国になるには、作家の気持ちを汲み取り世界へ届けるプロデューサーが足りない、という点で二人の見方は重なった





