お彼岸は「向こう岸へ渡る」という意味
お彼岸の彼岸は、もともと「到彼岸」からきています。かの岸に至る、向こう岸へ渡るという意味です。
こちら側の岸を此岸といって、迷いや悩みを抱えた苦しみの世界、私たちのいる場所です。
向こう岸はかの岸で、悟りの世界。その間に川が流れているとイメージしてもらえればいいと思います。
この岸から、かの岸へ渡る。それが「到彼岸」なんですね。
川を渡るための六つの実践、六波羅蜜
では、彼岸と此岸の間の川をどうやって渡るのか。そのための六つの実践が『六波羅蜜』です。六波羅蜜寺というお寺もありますよね。
お彼岸には7日間ありますが、真ん中の中日を除くと6日間になります。1日1つずつ、この六つを心がける期間だと説明されることがあります。
今日は中日なので、六つ全部をさらっと見てみるのにいい日かなと思います。
まず1つ目は布施。与えること、分かち合うことです。お坊さんにお金を包むことだけが布施ではありません。和やかな顔で微笑みかけることも、人に優しい言葉をかけることも布施に含まれます。
2つ目は持戒。決まりを守り、自分を律して良い習慣を持つことです。この戒の語源はシーラ ── 持戒のもとになった言葉。戒めというより、習慣といった意味だったとされますという言葉で、戒めというよりは習慣という意味だったそうです。漢訳されるときに戒めという字が当てられたんですね。
3つ目が忍辱。これは後でもう少し詳しくお話しします。
4つ目は精進。努め続けること、努力し続けることです。精進料理の精進ですね。
5つ目は禅定。いつでも心を落ち着けて、静かに物事を見つめること。座禅の禅です。
6つ目は智慧。物事をありのままに見る力です。知識とはもっと違うものですね。
前の五つを実践することで智慧が養われ、智慧が養われることでこの五つもよくできるようになる。一つ一つが独立したものではなく、それぞれつながっているんです。
改めて紹介してみると、なんだそんなことか、意外と地味だと思われるかもしれません。でも、日常的で習慣的な地味なことほど大切なんですね。
一番誤解されやすい言葉、忍辱
さて、ここからは3つ目の忍辱を特にピックアップしてお話しします。六つの中で一番誤解されやすい言葉じゃないかと思っています。
忍辱というと、多くの方は耐え忍ぶこと、じっと我慢すること、たとえ理不尽なことをされても黙って耐えること、というイメージを持つかもしれません。仏教といえば我慢、というイメージを持っている方も多いと思います。
でも、この理解のままだとちょっと困ったことになります。理不尽な扱いや差別的な扱いを受けても黙っていろ、という話になってしまいますよね。
そういうことではないんです。
ここでお釈迦様の言葉を集めた古い経典『ダンマパダ』、法句経の言葉を引きたいと思います。冒頭近くに、結構有名な言葉があります。
「恨みは恨みによって止むことはない。恨みを捨ててこそ止む。これは永遠の真理である」という一節です。
やり返せば相手もやり返してくる。それを繰り返しても終わらない。言い返して言い返されて、どんどん大きくなって、恨みや辛みが膨らんでいく。
やり合っているうちに、当事者同士はもう最初に何が問題だったのかも忘れている。そんな言い合いになってしまうこと、よくありますよね。
お釈迦様は、2500年前にもうその構造を見抜いていた。やってやり返して、やり返してを繰り返すことが、2500年以上、今の私たちも続けているわけです。
我慢と忍辱は、心の中でまるで違う
では、恨みを捨てるとはどういうことか。じっと我慢するのかというと、そうではないんです。ここが大事なところです。
忍辱のもとの言葉はパーリ語やサンスクリット語でクシャーンティ ── 忍辱のもとになった言葉。耐えるだけでなく、受け入れる、揺るがないという意味の幅があるとされますといいます。耐えるという意味だけでなく、受け入れる、揺るがない、という意味の幅もある言葉だそうです。
我慢というのは、腹の中に怒りを溜めている状態です。外には出さないけれど、内側では煮えたぎっている。だからいずれどこかで爆発してしまう。
でも忍辱はそうではありません。そもそも怒りや恨みのやり返しの繰り返しに乗らない。怒りに自分の心を乗っ取られないということなんです。
だから外から見ると同じように見えるかもしれません。でも、私たちの中で起こっている心の働きとしては全く違うんですね。
もう一つ大事なこととして、忍辱は黙ることではありません。言うべきことは言わなければいけない。おかしいことはおかしいと言わなければいけない。
ただ、怒りやイライラに飲み込まれた状態で言うのと、落ち着いた状態で言うのとでは、結果がまるで違います。怒りに任せて言った言葉は、大抵相手に届かないし、その分だけ相手もイライラして返ってくる。自分自身も後悔につながることが多いわけです。
つまり忍辱というのは、カッとなった気持ちと自分の行動を切り離すことだと思うんです。何を言うかを怒りに決めさせない。自分自身の穏やかな心で決める。
そう考えると、忍辱は我慢のように内に秘めるものよりも、もっと能動的で積極的な実践に見えてきませんか。耐えるというよりも、自分の手綱を自分でしっかり握って、怒りに心も言動も支配されないということなんですね。
お彼岸の残りの日に、一つでも
六波羅蜜、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧。どれも修行するお坊さんや出家者だけのものではなくて、日々の中の私たちにもできることばかりです。
お墓の前で手を合わせた方もいるかもしれません。今週はお彼岸があと3日ありますから、この六つのうちどれか一つでも思い出していただけたらと思います。
忍辱は難しいですね。私も気が長い方ではないので、カッとなることもあります。だからこそ、お彼岸の期間は特にこういった六波羅蜜の行いを思い出して実践してみて、その流れで残りの期間も続けていけるといいんじゃないかなと思うわけです。
忍辱というのは、我慢することではありません。怒りや恨み、奢り、そういったものに心を奪われないということです。
皆さん今日も頑張っていきましょう。では、また明日。
まとめ
お彼岸は向こう岸へ渡るための実践、六波羅蜜の期間です。なかでも忍辱は我慢ではなく、怒りに心を奪われず、自分の手綱を自分で握る能動的な実践だと考えています。
- お彼岸は此岸から悟りの彼岸へ渡る「到彼岸」に由来し、渡るための六つの実践が六波羅蜜
- 忍辱は耐え忍ぶ我慢と誤解されやすいが、もとの言葉には受け入れる・揺るがないという意味の幅がある
- 我慢は怒りを腹に溜めて爆発するが、忍辱はそもそも怒りに心を乗っ取られない
- 忍辱は黙ることではなく、言うべきことを穏やかな心で言う積極的な実践





