ローマ人はどれだけ風呂好きだったのか
今回のテーマは、古代ローマの浴場文化です。前回話した世界遺産としてのローマの浴場やヨーロッパの温泉保養都市の話を、さらに深掘りしていきます。
五箇さんは、ローマの浴場といえば漫画『テルマエ・ロマエ』のイメージが強いと話します。あの作品を読むと、ローマの人たちもかなりの風呂好きだったんだなと感じるそうです。
五箇さんは、ローマ帝国のなかでもイギリスのバースのような遠い場所にまで浴場を作っていたことに触れ、どんだけ風呂好きだよとツッコミます。
風呂なしではみたいな。
五箇さんは、日本も北海道から沖縄まで風呂屋だらけだと重ね、そこにローマとの親近感を感じると話します。
急になんか遠い国だけど親近感湧いちゃいますよね。
KANAEさんは、国によっては手早く汗を流すだけで済ませる文化もあると指摘します。北米などは効率重視の印象があるという流れから、ローマの風呂好きが日本人にとって身近に感じられる、という話になりました。
戦士の湯治場から始まったローマの温泉
ミドさんによると、ローマの温泉の起源はかなり古く、想像される温泉の形は紀元前2世紀ごろ、帝国になる前の共和制ローマの時代から始まったとされています。
ただし当初の温泉は、リフレッシュや療養のためというより、遠方で戦った戦士たちの傷や疲れを癒すための施設だった、とミドさんは説明します。
戦士たちが遠方で戦って、その傷だったり疲れを癒すための療養施設として、温泉っていうものをローマ人が捉えていたそうなんですね。
五箇さんはこれを、日本の湯治と同じだと受け止めます。傷を癒すための湯という点で、地域を超えた共通点が見えてきます。
その後ローマ帝国になると、時の皇帝が「もっと一般的に温泉を楽しもう」という方針を打ち出し、テルマエと呼ばれる公衆浴場が各地に作られて広まっていったといいます。
五箇さんは、ローマ帝国が栄えて余裕ができたからこそ「楽しもう」という発想になったのだろうと話します。戦い続けている時代には、無防備に風呂に入っていられないというわけです。
風呂・水風呂・サウナがそろっていた浴場の中身
五箇さんが、傷を癒す湯治からさらに発展したのかと尋ねると、ミドさんは帝国の中心部が安定するにつれて温泉療養のスタイルも変わっていったと答えます。
ミドさんによると、温水につかる温水浴のほか、水風呂にあたる冷水浴、さらに蒸気を使った現代のサウナのような設備まで整えられていったといいます。
温水、冷水、蒸気。じゃあ風呂、水風呂、サウナじゃない。
浴場の作りとして、脱衣所の先に冷水用のプールがあり、急な温度変化で体を壊さないよう、体だけ温める部屋が用意されていたとミドさんは説明します。
その先にお風呂があり、しかもぬるま湯と熱い風呂に分かれ、さらにその奥にサウナがあったといいます。五箇さんはこれを「普通の銭湯」と評します。
そんな昔から。
見た目は日本の銭湯より豪華で、床や壁面にはモザイクアートがあしらわれていたとミドさんは話します。浴場はアートの場所でもあったわけです。
今もそのアート自体はかけらが残る程度ですが、礎石はいろいろな場所で見ることができるといいます。
個人宅の浴場と、地方ごとに違う温泉の特色
五箇さんは、温水・冷水・蒸気の3つの設備がセットで、お金持ちは家にそれを作っていたと『テルマエ・ロマエ』で読んだと話します。個人宅に浴場を持つ人もいたそうです。
ミドさんは、皇帝クラスになるとそうした浴場を作りがちだったと応じます。例として、南フランスのアルルという世界遺産の場所を挙げました。
アルルには大きな円形闘技場があり、そのそばに皇帝が温泉施設を作っていたといいます。一応は公衆浴場とされているものの、皇帝も使っていただろうとミドさんは話します。
一方で、有名なポンペイには実はサウナがなかったりと、場所によって温泉の特色が違うのも面白い点だとミドさんは指摘します。今の温泉文化に似ているというわけです。
五箇さんは、この違いには予算も関係しているのではと推測します。予算が潤沢な地方は設備を3つ作れる、といった具合です。
KANAEさんは、これはお城を見れば違いがわかるような感覚かもしれないと重ねます。地域の力の差が浴場に表れていた、という見方です。
浴場は「出会いの場」でもあった
ミドさんは意外な側面として、イタリアのカラカラ浴場を挙げます。ローマ帝国でもかなり大きな温泉設備で、主に男性が使う場所でした。
当時のローマ帝国では同性愛が今より一般化していて、カラカラ浴場は出会いの場でもあったという史実が残っている、とミドさんは説明します。
温泉入ってたらもうなんかそこでこうナンパみたいながあって、出てくる時にはこう腕を組んで出てくるみたいなローマ人もいたらしいですね。
五箇さんは「めっちゃ発展場じゃないですか」と驚き、KANAEさんも「どんな情報書持ってきてるんですか」と笑います。浴場が今でいうバーのような社交の場だったことがうかがえます。
五箇さんは、『テルマエ・ロマエ』を読むと皇帝もそうしたノリだったと話し、ミドさんも乱色が強い皇帝が結構いたと応じます。昔からそういう文化があったわけです。
皇帝の名を冠した巨大浴場と、代替わりの盛り上がり
ミドさんによると、浴場は主に皇帝が公共事業として作ることが多く、皇帝が代替わりして「温泉作るぞ」となると、市民がわーっと沸いたといいます。
五箇さんはこの盛り上がりを面白がります。新しい皇帝の浴場が、市民にとって大きな楽しみだったことが伝わってきます。
なかでも温泉建設で有名なのが、アグリッパやカラカラ帝だとミドさんは挙げます。浴場にはその皇帝の名前がついているという流れです。
KANAEさんは、こうした人物はローマなどにもさまざまな遺跡を残していると補足します。アグリッパやカラカラ帝が、テルマエのなかでも特に大きな浴場を作っていったといいます。
マッサージや床暖房まで、完成された設備
五箇さんは、浴槽以外の設備、たとえば今のサウナでいう食堂や休憩スペースのようなものがあったのかと尋ねます。
ミドさんによると、バースではサウナが浴場に付属する形でついていて、さらにサウナの後にはマッサージをする場所があったといいます。
そこでは今でいうマッサージ師のような人が、もみほぐしをしていたそうです。KANAEさんは「完成してる、今の」と驚きます。
その担い手はおそらく奴隷だっただろう、とミドさんは当時の時代背景として付け加えます。
KANAEさんは、『テルマエ・ロマエ』のイメージだとお湯を沸かすのに裏で人が息を吹いているようだが、この時代はそうではないのかと尋ねます。
ミドさんは、人力ではなく地下に空洞を掘り、そこに火をくべて床下ごとお湯を温める方法だったと説明します。大きな浴場では壁もくり抜いて空洞にし、部屋ごと温めていたといいます。
壁もくり抜いて空洞にして火をくべて、もう部屋ごと温めるみたいな。
そこで出た蒸気を、体を温める部屋に循環させていたそうです。2000年前に、床暖房のような仕組みがすでに完成していたことになります。
地下に空洞を掘る
床下や壁にあたる部分に空間を作る
火をくべる
空洞に火を入れてガンガン温める
床下ごと温める
床下や部屋全体を熱で温める
蒸気を循環させる
出た蒸気を体を温める部屋へ回す
今も湧き続けるバースの温泉と、川に流れる湯
五箇さんが、こうした設備を今も見られる場所があるのか尋ねると、ミドさんはバースにその跡が残っていると答えます。
バースには博物館が併設され、史跡跡にホログラムでローマ人が登場し、どのように温泉を楽しんでいたかを見ることができるといいます。
バースでは今も温泉が湧いていて、大浴場は天井が取れて外からも見える状態になっているとミドさんは話します。
プールぐらいのサイズの大浴場がこう湯気を出しながらブクブクと湧いてる状態を見ることができる。
ただし遺跡の温泉自体には入れず、あくまで温泉として見学する形だといいます。KANAEさんは、あつあつの湯がブクブクしている様子を想像します。
さらに、あまりにも湧きすぎて排水が大変なため、川にも流していて、川からも湯気が立っているそうです。五箇さんは「日本人だったらそこ温泉に入りそう」と笑います。
遺跡の温泉には入れないものの、近隣には観光の一環として入れる施設もあり、水着着用などの条件つきで、今もバースで温泉を楽しめるとミドさんは話します。
浴場は社交とコミュニティの場だった
五箇さんは、今の温浴施設との共通点として、体を温めたり休んだりするだけでなく、社交場でもあったのかと尋ねます。
ミドさんによると、お風呂に入る前の体を温めるスペースや、腰掛けられる場所があり、そこで名のある武将などが仕事の話や交流をしていたようだといいます。
KANAEさんはこれを「サウナですね」と評し、五箇さんも露天風呂やスーパー銭湯で話が始まる感覚と同じだと重ねます。
なんか知らないけど話始まる時ありますよね。
ミドさんは、全然知らないおっちゃんが「どっから来たの」と声をかけてきて、それが実は皇帝かもしれない、と冗談まじりに話します。浴場が身分を超えた出会いの場だったことがうかがえます。
浴場から広がる、現代につながるインフラ
KANAEさんは、ローマには浴場だけでなく周辺にたくさんの遺跡がセットで残っていて、それらがいろいろな国のインフラの基礎になっている点に触れます。
例として、イギリスではその時代にできた道路が今も使われている場所があるといいます。五箇さんも水道を挙げ、現代への影響の大きさに驚きます。
KANAEさんは、かなり近代化していてわかりにくい部分もあるが、それだけインフラ作りが徹底されていった時代だったのではと話します。浴場に加えてそうした施設も見て回るのがおすすめだといいます。
ミドさんは面白い例として、図書館が浴場とセットになっていたことを挙げます。お風呂に入りながら読書する文化もあったそうです。
皇帝とか、そのいわゆる秘書だったりとかっていう人は、ちょっと調べ物するのにお風呂行ってたっていう。
KANAEさんは、携帯を持ち込んで本を読むのと同じだと重ね、ミドさんも先日お風呂で漫画『キングダム』を読んでいたと明かします。2000年前と現代の入浴の楽しみ方が地続きであることが見えてきます。
なぜヨーロッパから浴場文化が消えたのか
ミドさんは、ローマ帝国がその後、西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれたと説明します。西ローマ帝国ではキリスト教の力が強まっていきました。
ミドさんによると、キリスト教はもともと禊や自分を律すること、禁欲を大事にする文化のため、西ローマ帝国では浴場文化がだんだん廃れていったといいます。
一方の東ローマ帝国は、今のトルコのイスタンブールが首都でしたが、その後オスマントルコによって帝国自体がなくなってしまいます。こうしてしばらくヨーロッパで温浴文化が失われる時代が来ました。
五箇さんがトルコのハマムに触れると、ミドさんは、トルコでは昔のローマの浴場をオスマントルコの人たちが改修してハマムにした場所もあると答えます。
五箇さんは、こうした流れに歴史の積み重ねを感じると話します。ローマの浴場が、形を変えながら後の入浴文化につながっていったことが見えてきます。
最後に五箇さんは、次回はローマ帝国の話を受けて、ヨーロッパ全域に広がる温泉保養都市について深掘りすると予告します。温泉文化がヨーロッパで一度廃れた後、再び盛り上がっていく話になるといいます。
まとめ
古代ローマの浴場は、戦士の湯治場から始まり、風呂・水風呂・サウナがそろう施設へと発展し、出会いや交流の場、さらには読書の場としても使われていました。床下から温める仕組みや道路・水道といったインフラは、現代にも地続きでつながっています。
- ローマの温泉は当初、戦士の傷や疲れを癒す療養施設として捉えられていた
- 帝国が安定すると、温水浴・冷水浴・蒸気の設備がそろい、今の銭湯に近い形になった
- カラカラ浴場のように、浴場は出会いや社交、仕事の交流の場でもあった
- 地下に火をくべて床下ごと温める仕組みが、2000年前にすでに完成していた
- キリスト教の禁欲文化などで浴場文化は一度廃れ、トルコのハマムなどに形を変えて残った





