建築を学ぶと、なぜまっすぐ見なくなるのか
今回のテーマは「斜に構えているということに気がつくこと」です。マスコットさんは、自分自身がめちゃくちゃ斜に構えて生きてきたと振り返り、今もその癖が抜けていないと話します。
斜に構えるとは、物事をまっすぐ見ずに「実はこう思っているんじゃないか」「こういう意味があるんじゃないか」と勘ぐることだと説明されます。
以前に話した「事実と解釈」の話にも触れ、自分の解釈は結構異常だと自覚してきたと語ります。偏見や妬み、嫉みが重なって、相手が思ってもいないことを「思っているに違いない」と歪曲して考えてしまう、という自省です。
そしてこの癖は、建築を学ぶことで一層強くなったのではないかと考えられています。
建築の学科に入って建築を学んでいると、なんであれ、斜に構えるようになるんですかね。なんでなんだろうな。
その理由の一つとして挙げられるのが、建築家は批評性を持つべきだという考え方です。
批評性を持って、自分が設計した建物を世の中に問うていきなさいという考え方があるからこそ、世の中を批評的に見ようとすると、物事をそのまま見てはいけなくなるのかもしれない、と話されています。
まっすぐ生きる人を肯定できない構造
物事をまっすぐ見ないと、まっすぐ生きている人を真正面から見られなくなる、という問題が指摘されます。
まっすぐであることをいいと思えていないからこそ、まっすぐ生きている人を肯定できない。肯定すると、斜めに生きてきた自分を否定することになってしまうからだと語られます。
その結果、一生懸命に何かをやる姿や、必死に取り組む姿を見せることを「かっこ悪い」と思ってしまう。失敗したら「すごくダサい」と感じてしまう。これは冷笑的な態度かもしれない、と自省されます。
マスコットさんは、SNSなどで表立って人を冷笑することはしないと断りつつ、「心の中のX」で誰かの頑張りに対して「これでうまくいかなかったら恥ずかしいよな」と思ってしまうことがあると打ち明けます。
斜に構えてる人は、まっすぐではないからこそ、それを肯定しないで生きなきゃいけないからこそ、冷笑的な方向に進んでいく可能性が結構高いんじゃないかな。
まず「斜に構えている」ことに意識的になる
この態度には、かなり問題があると考えられています。要は格好つけているのだ、と単純化して語られます。
自分のやり方が一番ベストだ、オリジナリティでやらなければいけない、誰かと同じであることをいいと思わない。そうした感覚自体は大事だとも思う、と補足されます。
そのうえで大切なのは、自分は斜に構えているんだぞ、まっすぐに物事を見ていないんだぞと、まず意識的になることだと述べられます。
斜に構えることは、一般的に見れば普通になってしまうことかもしれない。だからこそ、自分の感覚が一般的な感覚から相当ずれているのだと認識する必要がある、という流れです。
そのズレを認識しないと、お客さんが本当に求めているものにピントが合わない。これが前回話したズレの原因でもある、とつながっていきます。
批評性を求められる
建築を学び、物事をまっすぐ見なくなる
肯定できない
まっすぐ生きる人を肯定すると自分の否定になる
冷笑に向かう
一生懸命な姿をかっこ悪いと感じてしまう
感覚がずれる
一般的な感覚、相手のニーズとズレが生じる
冷笑する側より、冷笑される側のほうがかっこいい
かつて「恥ずかしさは捨てた方がいい」という話をしたことにも触れられます。恥ずかしさは何の得にもならないからです。
ただ、その前にまず、格好つけていること、斜に構えていることに気づくこと。そこから頑張っている人を純粋に応援し、自分もそちら側に行かないと、その感覚はわからないと語られます。
その根拠として、世界的な偉人や有名になった人は、一度は冷笑される側を通ってきているのではないか、という見立てが示されます。
最初は否定され「何やってんの、あいつ」と言われる。それでも続けるうちに評価が広がり、変人だと思われていた人が「めっちゃすごい人じゃん」と見直されていく。歴史に名を残す人にはそうした過程があるのではないか、という自論です。
つまり冷笑するということは、自分は冷笑される側には行かない、という考え方だと整理されます。無茶だと思われることに踏み込むからこそ、冷笑される段階を経て、社会的な意味をもたらす人になっていくのではないか、と話されています。
何が求められているかを知る「第ゼロステップ」
マスコットさんは、主語を大きくして「建築家の皆さん」と語ることには抵抗があると断ります。当てはまらない人もいるからで、この考え自体も斜な意見だと自嘲します。
そのうえで伝えたいのは、まず「自分は斜に構えているんじゃないか」と気づくことです。
斜に構えてるんですよ、私は。っていうことに気づくこと。
斜に構えることでオリジナリティが生まれる面もあるかもしれない。それでも、他の人の考え方を知ろうとしたり、まっすぐさのかっこよさやすごさを理解できれば、何かが少し変わっていくと考えられています。
そうすると、何が求められているのかがより見えてくる。物を売るときも、集客や採用を考えるときも、これは第一ステップの前の「第ゼロステップ」として大事なのではないか、とまとめられます。
まとめ
今回は、建築を学ぶうちに身につく「斜に構える癖」に、まず自分で気づくことの意味が語られました。恥ずかしさを捨てるより前の、静かな自己点検の話です。
- 建築の批評性は、物事をまっすぐ見なくさせ、まっすぐ生きる人を肯定しづらくする面がある
- まっすぐな人を肯定できないと、冷笑的になり、一般的な感覚とのズレが生まれる
- まず「自分は斜に構えている」と意識することが、相手のニーズ理解の出発点になる
- 偉人や有名人は一度冷笑される側を通っており、冷笑する側よりされる側のほうがかっこいい
- 気づくことは、集客・採用・販売を考えるうえでの「第ゼロステップ」になる






