音声メディアではまず扱わない、カントの歴史哲学へ
カント編もいよいよ大詰めです。前回は「啓蒙とは何か」を扱い、一人ひとりが自分の頭で考えることの大切さというカントのメッセージが強く打ち出されました。
今回はそこから話をさらに広げ、カントの歴史哲学と、彼が考えた平和の思想へと踏み込んでいきます。
この第一部、第二部、第三部の初めでは、人間の理性から人間の道徳、そして啓蒙の話をしてきました。それを踏まえて、今日は歴史哲学や、カントが考える平和について話していきたいと思っています。
個人の理性、個人の道徳、そして啓蒙の時代という話が、ここで一気に人類の始まりから終わりまでを見わたす壮大なスケールへと展開していきます。
カント紹介で、音声メディアでこの論文を取り上げることはほぼないと思うんですけど、普通は。
最初に扱うのは「世界市民という視点から見た普遍史の理念」という論文です。純粋理性批判で終わることの多いカント紹介では、めったに触れられない領域だとしながわは言います。
カントは歴史をどう見たのか
この論文が問うのは、歴史とは何なのか、歴史を動かしているものは何で、歴史はどこへ向かっていくのか、という問いです。
歴史っていうものは何なのか、それを動かしているものは何で、歴史はどうやって来て、どこに向かっていくのかっていうところを論じるのが、この普遍史の構想なんですよね。
前回の啓蒙の話も、この大きな歴史の流れを18世紀という時点で輪切りにしたものにあたります。全体像がわからなければ、啓蒙の意味も本当にはわからない、としながわは言います。
その前提にあるのが、人間には進歩していく可能性があるというカントの大きな信念です。ただし、その「進歩」の考え方が独特だと言います。
カントは、多くの国家が一つの世界国家になるとは言いません。しかし、たくさんの国家が連携して共同体的な連合を作ることは、歴史的必然だと語ります。
これがちらっと品川さんが言ってた、今の国際連盟、国際連合につながることを言ってたのは、そこなんですね。
単に「そこを目指そう」ではなく、「こういう理由で必然的にそうなる」と語るところが、カントの独自で興味深い点だとしながわは強調します。
「自然の意図」という一番外側の信念
カントの思想の枠組みには、人類の歴史には一つの規則性、法則があるという信念があります。それを司っているのを、カントは「自然」と呼びました。
一人ひとりの人間は利己心に動かされて、自分の得のことをやったり、他の国と戦ったり交際したりするんだけど、大きな歴史の流れでいくと、全体的には進歩発展の方向に進んでいくというのは必然である。これが自然の意図である。
この話に、聞き手のタッシーは意外だと反応します。個人の話では、理想と現実の二つの世界に足を突っ込みながら理想を目指す姿勢が大事だと語られていたからです。
そうなっていくのが人間的にも自然的にも必然だと言い切ってるのが、カントすごいな。それはどういうロジックなんだろうというのが気になった感じですね。
これに対ししながわは、「自然の意図」はカントの思想を一番外側でくるんでいる信念だと解釈します。
一人ひとり頑張る、自分の頭で考えるのは大事なんだけれども、宇宙の果てから見た時にいうと、大きくこういう流れが流れてるよねっていう、そういう感覚だと思うんですよね。
つまり、自分が今やろうがやるまいが、大きな流れとしては良い方向に向かっている、というのがカントの思想の極論です。これを矛盾と捉えるか、レイヤーが違うと捉えるかは、人によって分かれるところだと言います。
理性で考え、道徳的に生き、自分の頭で判断する。個々の努力として大事なこと
個々の行動をくるむ一番外側の信念。歴史全体は進歩発展へと必然的に向かう
これはニュートンが万有引力の法則を発見したのと同じレベルの話で、歴史にも法則があるとカントは考えた、としながわは説明します。
進歩史観はこの時代に生まれた新しい発想
人間は進歩していくという発想は、人類が長年かけて考えてきたことではなく、この時代に特有のものだったとしながわは指摘します。
結局それがサルトルぐらいまで続く、人類社会は良くなっていく、成長しているっていう考え方をカントは持ってたって感じなんですね。
この進歩史観を特徴的に打ち出したのが、カントであり、ヘーゲルであり、彼らがまとめた「ドイツ観念論」の時代です。
中世は先が読めず進歩しない時代でした。だからこそ、あの世で救われるという終末思想がキリスト教的に存在したのです。
もう14世紀の世界終わってるっていう、黒死病がめっちゃ蔓延して、あ、これが世界の終わりだみたいな、そういう時代ですからね、14世紀って。
そこから一気に変わり、数十年、しかも特定の地域にいた人たちの思想が、なんとなく進歩していきそうという僕らの感覚にまで入り込んでいる、としながわは語ります。
その進歩の感覚は、その後の資本主義とも相互作用しながら加速していったとタッシーは補足します。
弁証法から見えてくる「非社交的社交性」
では、人間が進歩発展していく原理は何か。カントはそれを、一見矛盾する二つの側面のぶつかり合いから説明します。
カントが挙げるのは、人間には二つの相反する側面があるという「非社交的社交性」です。
まず「社交性」。人間は集まって仲良くしたい、協力したい、愛情を与え合いたいという特徴を持っています。アリストテレスも人間を社会的な存在と見ました。
一方の「非社交性」には二つあります。一つは、一人でいたい、孤独でいたいという傾向です。
もう一個の反社交性は何かっていうと、孤独になるだけでもなくて、かつ他の人よりも優越した立場に立ちたいとか、他の人に勝ちたい、支配したい。こういう欲求も人間って持ってますよねっていうのが非社交性の方です。
社交性
仲良くしたい、協力したい、愛情を与え合いたい
非社交性(1)
一人でいたい、孤独でいたい
非社交性(2)
他人より優越したい、勝ちたい、支配したい
ルソーは、勝ちたい・支配したいという欲望を良くないものと見て、自然に帰れ、昔に戻れと考えました。しかしカントは、その二つを否定せずに受けとめます。
どっちかではなく、両方を認めるという発想
タッシーは、この考え方が第2章までの議論と一貫している点に驚きます。矛盾する二つの性質を、両方持っていると認めているからです。
どっちかじゃなくて、矛盾する二つの性質を人は持ってるから、両方持ってるよって認めてるのがすごいですよね。ルソーのように、ホッブズにだからこうじゃなくて。
善の側面と悪の側面のどちらかをクローズアップして結論づける思想家が多いなか、両方を内包したまま考えていくのがカントのすごさだと語ります。
過去にも人間ってこういう側面があるっていう哲学者は多かったと思うんですが、両方内包しながら、それを踏まえて考えていこうっていうのは、すげえな、カントさんと思いましたね。
しながわは、この見方に立てばホッブズもルソーも両極端に見えてくると応じます。ホッブズは非社交性を重視して国家を説明し、社交性をあまり認めませんでした。
一方ルソーは社交性だけを重視したため、現実には人々が争いを始めるという点を認めないと、夢物語で終わってしまう、としながわは整理します。
非社交性が戦争を生み、社交性が平和へ向かわせる
ここから、二面性がどのように世界平和へつながるのかが語られます。まず働くのは非社交性、つまり競争や支配の原理です。
非社交性によって、国家の中に支配する人・される人ができ、国家同士でも非社交性が働いて戦争が起きます。これがカントの見ていた現実でした。
実は国家自体も国家同士で非社交的な性格って出てくるじゃないですか。今まさに僕たちが見てる国際政治の世界ってほんとそうですよね。食うか食われるかというか。
しかし人間は社交性も持つ動物です。戦争を続ければ両方滅びると気づき、お互いの自由を認め合って協力する方向へ進む、としながわは説明します。
結果的に自分の利己的な感情を考えると、結果的にはやっぱり協力した方が得だよねというふうになりますよねというポイントですね。
協力すれば商業も発展し、人権も守られる。だからこそ国際的なルールや秩序が大事になる、という流れです。
タッシーは、これがカントの見ていなかったその後の人類の歩みとも重なると振り返ります。
2度の世界大戦で非社交性の極致まで行って、でももう疲弊して、仲良くしようよ、こうしないともうみんなダメになっちゃうよってなって、国際連盟とか国際連合ができて、ヨーロッパの中でEUができて。
絶えず拡大し続ける連合という理念
カントが目指したのは世界国家の樹立ではなく、絶えず拡大し続ける持続的な連合でした。この論点は「永遠平和のために」に受け継がれます。
この連合が戦争を防ぎ、好戦的な傾向を抑制する。ただしカントは、それを「期待するところまでしかできない」と言います。
この理念が100パーセント実現されて、100パーセント戦争がない国になっているかと言われるとそうではないですが、じゃあ国連が全くなかったら、多分今の世界、もっとひどい状態になってそうです。
同時代の政治家メッテルニヒが、今のEUの始まりのようなヨーロッパの連合を目指したことにも、カントの理念の近さが表れている、としながわは補足します。
「永遠平和のために」には、常備軍を持たないなどの条項案も含まれ、国際的な連合を作る際の実践的な原型ができている点も興味深いと語られます。
戦争は必要悪か、リアリストとしてのカント
論文紹介を締めくくるにあたり、しながわは思想的に強調しておきたい点を挙げます。それは、永遠平和が必ず向かっていく先だとするならば、戦争も歴史的必然になるという裏の含意です。
戦争であったり殺し合いっていうものは、人類が永遠平和に至るための一つのプロセスなので、そういう意味では必要。だから途上なんですよ、本当に。
つまりカントは単純な平和主義者ではなく、今生きているこの時代を「途上」と捉えていました。それに対し、これで完成形だと言い切ったのがヘーゲルだと対比されます。
争う力、競争して殺し合う力が歴史を動かす原動力になるという発想を、しながわは経済における資本主義になぞらえます。
資本主義っていうのは、もっと儲けたい、もっと稼ぎたい、独占したいっていう経済的な欲求が社会を良くしていくっていう発想じゃないですか。それを政治の方でいうと、こういう理論になる。
これをどこまで正しいと見るかは、信じるも信じないもあなた次第というところに落ち着く、としながわは締めくくります。
タッシーは、一つの側面だけを強調して結論づけるのではなく、矛盾する二つを両方認めたうえで思考を深めた点に、納得感の理由があると振り返ります。
理性の時も矛盾する世界が二つあってどっちもあるんだよっていう考え方だし、今回も社交性と非社交性、どっちも持ってるんだよっていう、その捉え方をもって思考を深めていったのが、すごく納得感のある結論にたどり着いたんだろうなっていう。
カント編は次回で最終話です。次回はカントの人生にも触れ、遅咲きの彼が後半生で矢継ぎ早に思想を打ち出した背景も語られる予定です。
まとめ
今回は、あまり音声メディアで扱われないカントの歴史哲学と平和思想を通して、人間の二面性が世界の永遠平和へつながる道筋が読み解かれました。仲良くしたいのに勝ちたいという矛盾を、どちらか一方に切り詰めず両方認めたところに、カントの独自性がありました。
- カントは、人類の歴史には進歩へと向かう規則性があり、それを「自然の意図」が司ると考えた
- 人間には社交性と非社交性が同居する「非社交的社交性」があり、その対立が社会と歴史を動かす
- 非社交性が戦争を生むが、社交性ゆえに人類は協力へ向かい、拡大し続ける連合という理念に至る
- カントは単純な平和主義者ではなく、戦争を平和への途上の必要悪と見るリアリストだった
- 国際連盟・国際連合やEUといった現代の枠組みは、カントが構想した理念と重なる部分がある




