帰国後の逆カルチャーギャップと代官山という場所
前回、アメリカから強制送還されたところまで話が進んだ高須さん。今回は帰国後、父の会社に入ってから代官山でG.O.D.を開くまでの流れがテーマになります。
父の会社に入ったものの、上司からほぼ指示もなく放置状態だったと高須さんは振り返ります。7年ほどアメリカにいた反動で、いわゆる逆カルチャーギャップに悩まされていたそうです。
結構悶々としてて。で、カルチャーギャップがすごくて。逆カルチャーギャップが。
当時の会社は1980年代後半、バブル真っ只中。「売れるものがいいものだ」という価値観で、高須さん自身が着たくないと感じる商品もあったと言います。
俺こんなもん着たくないし、欲しくないわっていうものも結構あって。
代官山には、当時から父の会社が別の店を構えていました。今のG.O.D.と同じ場所です。1980年代に流行していたバナナリパブリック風の店だったと高須さんは説明します。
舞台となる代官山のアドレス(同潤会アパート跡地)周辺は、当時サンフランシスコや代官山食堂、銭湯、パン屋の森永ベーカリーなどが並ぶエリアだったと二人は懐かしみます。
G.O.D.という店名に隠された「犬目線」の由来
その店も役目を終える時期にきて、新しく何かをやろうという話になります。父から「お前やれ」と言われ、高須さんが責任者としてスタートさせたのが代官山のG.O.D.でした。
G.O.D.は当初、SUNSHINE+CLOUDではなく、父の会社の中の新規事業として始まったセレクトショップでした。店名の由来を種市さんが尋ねます。
それはG.O.D.ってどういう意味なんですか?
高須さんによると、アメリカにいた頃、犬をとても可愛がり、犬と同じ目線で話す友人がいたそうです。そういう人間になりたいという思いが名前の出発点でした。
犬、なんていう、犬と同じ目線で話す子だった。そういう人間になりたいなと思って。
G.O.D.はドットを取ると「GOD(神)」になります。そしてそれは「DOG(犬)」の逆綴り。神と犬(GODとDOG)は逆さまの関係という言葉遊びが店名に込められていました。
神とドッグって、ゴッドとドッグって逆なわけ。
さらに後日談として、父の会社名は「TAC」で、後ろから読むと「CAT(猫)」になるという偶然もあったそうです。話は長くないどころか、種市さんも小畑さんも一気に腑に落ちた様子でした。
ドメスティックブランド黎明期の代官山セレクトショップ
店で扱う商品は、高須さん自身が決めていきました。海外での経験を生かした高級ブランドと、当時出てきたばかりの国産(ドメスティック)ブランドを組み合わせる構成です。
扱っていたのはネペンテスやAKU、ヒピハパなど。アメカジやDCブランドの流れの中で、アメリカをベースにした日本製ブランドが立ち上がってきた時期でした。
一番初めは海外のちょっと高級ないいブランドとドメスティックブランドを集めてやってて、一部もちろん物作る背景もあるからオリジナルもあった。
当時、インポート品をセレクトする店はまだ多くありませんでした。強いところではネペンテス、レッドウッド、バックドロップといった名前が挙がります。
種市さんは、上野のやよいやたまみ、タモリ屋といった老舗インポート店にも触れます。洋服の畳み方まで丁寧で「襟を正される」ような、化石のような名店だと敬意を込めて語りました。
33年前から変わらない名品「オーロラシューズ」との出会い
話題は、種市さんがこの日まさに購入して履いていたオーロラシューズへ。G.O.D.がオープンしたのは1992年で、この靴の販売は1994年ごろから続いていると高須さんは説明します。
商品はほぼ変わってない。だからその頃のお客さんまだいたりするから。
オーロラシューズの「オーロラ」は、ニューヨーク州北西部にある地名でした。マンハッタンから車で5時間ほど、人口500人ほどの「オーロラ村」で作られているといいます。
出会いのきっかけは、高須さんが代官山で仕入れていたニューヨークのブランド「ジェイモガンピュエット」でした。SOHOに店を構えるアバンギャルドなブランドで、植物染めの先駆けでもあったそうです。
その頃ってやっぱりニューヨークかLAしかじゃない。だからニューヨークは結構行ってて。
そのジェイモガンピュエットの店員だったロバートという友人が「面白い靴があるけどどう思う?」と見せてくれたのがオーロラシューズでした。今から35年ほど前のことだと高須さんは振り返ります。
サンプルが雑誌に載り、オーロラ村まで飛んだ買い付け秘話
靴には輸入枠の問題があり、枠を持たないと関税が高くなります。当時G.O.D.は枠を持っていなかったため、高須さんはサンプルだけ取り寄せ、代官山の店に置いていました。
ところが、スタッフがそのサンプルをOLIVEのスタイリスト岡尾さんやananのスタイリストに見せてしまい、雑誌に掲載されることになります。
サンプルなのに。載っていいって出させちゃって。
反響は大きく、しかも足数も作れない状況。掲載が決まった時点で「これはやばい」となり、高須さんはオーロラ村まで行くしかなくなりました。
あと足数も全然作れなかったから。で、もうやばいってなって。
近くの空港まで飛ぶと、鳥の羽をつけた帽子をかぶったオーナーが迎えに来てくれたそうです。アーミッシュというより、どこかパンクな面白い人物だったと高須さんは語ります。
当時、オーロラ村の郵便局2階が工場兼アトリエで、たった3人で靴を作っていました。ガレージ中のガレージとも言える、極小規模の手仕事だったのです。
郵便局の二階に工場兼アトリエみたいなのがあって、三人で作ってる。
この靴は今も基本的に変わっていません。手で革を伸ばして作るため、一足ごとに革も表情も違う。だからこそ、色違いで2〜3足買う人が多いのだと二人は共感し合います。
だってこうやって、手で革伸ばしてやってるからね。一個一個違うから、顔が。
ちなみに現在、オーロラ村で靴を作る人は7人ほどに増えたそうです。30数年で倍以上とはいえ、依然として小さな作り手であることに変わりはありません。
父の会社倒産と、旅立ちを引き止めた「オーロラの奇跡」
G.O.D.をしばらく続けたところで、父の会社が倒産します。高須さんは「ゼロになるから、また旅に出よう」とこれを機会と捉えたと振り返ります。
倒産に伴い、大家さんに迷惑がかからないよう、代官山の店の名義を会社から高須さん個人に変更しました。それでも資金が回らず「もう無理だ」と感じていたといいます。
ところが、まさにそのタイミングでオーロラシューズが売れ始めます。オーロラが売れることで、どうにか経営を続けられたという、奇跡的な巡り合わせでした。
本当にお金が回んなかったから。そしたらオーロラ売れ始めちゃって。
旅に出ようとしていた高須さんですが、オーロラの買い付けそのものがニューヨークへの旅でもありました。結果として、旅に出ずに店を続けることになります。
なぜ東京を離れ、逗子・葉山へ拠点を移したのか
高須さんはこの頃すでに逗子に住んでいました。帰国後、父の会社の寮を出ることになった際、東京が嫌で海の近くに住みたいと考えたのがきっかけです。
候補は逗子、大磯、湯河原。鎌倉は人が多く、鎌倉好きの色が強いため避けたといいます。逗子は魚屋のある庶民的な街で、生活する人の街だった点が気に入ったそうです。
逗子ってすごい普通の庶民の街なんですよ。駅前降りると魚屋あってみたいな。
湯河原は温泉もあって魅力的でしたが、通勤に40分かかるため現実的でないと判断。最終的に、まだ東京へ通える逗子に絞られました。
それでも高須さんは、東京に通うこと自体が嫌になっていきます。東京へ行くと服装まで変わってしまう。そんな感覚も理由の一つでした。
もうそのまま起きたまんま店に立っても違和感ない店にしたかったんですよ。
人が来ない街で始めたカタログ通販が生んだ狂騒
葉山に店を持つきっかけは「サンライトギャラリー」でした。ブルータスの編集などをしていた美術作家の長井さんが運営していましたが、本人が飽きてきていたところ、高須さんが半分を引き受けることになります。
ただ、その場所は人が来ない。そこで、アメリカで流行していた通販に着目し、カタログを作ろうという話になりました。LLビーンやJCペニー、Jクルーといった海外のカタログ通販がヒントです。
このカタログのテキストには、洋服一つひとつにストーリーが書かれていました。「何日も旅をしていると、時々自分がどこにいるのかわからなくなってくる」といった文体が、店の世界観を形づくっていきます。
当初は数十人程度のリストしかありませんでしたが、集英社の通販特集に載ると状況が一変します。応募が段ボールで届き、ファックスの用紙がなくなるほどの反響でした。
会社ってお店行くと段ボールでハガキが届いてて、ファックスペーパーがなくなってんだよ。
申込みは2万人規模に膨れ上がります。パソコンもない時代、紙で届いた膨大なデータをどう処理するかが最大の問題でした。
これ会社なくなるなと思って。
結局、住所データは専門業者に出してデータ化し、シールに出力して貼って発送する形をとりました。買うかどうかもわからない2万人へカタログを郵送する、送料だけでも相当な負担だったと言います。
- 応募は数十人から2万人規模へ急増した
- 紙のハガキやFAXでデータが届き処理が追いつかなかった
- 住所データ化は専門業者に外注して対応した
通販は次第に売れ始めますが、それでも全体としては小規模だったといいます。ただ、その中でオーロラシューズだけは突出して売れ続けていました。この続き、葉山に移って以降の話は次回に持ち越されます。
まとめ
帰国後の逆カルチャーギャップから始まり、代官山G.O.D.の立ち上げ、オーロラシューズとの出会い、父の会社の倒産、そしてカタログ通販の狂騒まで。情報もインフラもない時代に、直感で道を切り拓いた立ち上げ期の物語が語られました。
- G.O.D.は「GOD(神)」と「DOG(犬)」の逆綴りという言葉遊びから名付けられた
- オーロラシューズはニューヨーク州の人口500人ほどの村で手作りされる名品
- 雑誌掲載をきっかけに反響が広がり、買い付けのためオーロラ村まで飛んだ
- 父の会社倒産の危機を、売れ始めたオーロラシューズが救った
- 人が来ない街での集客策として始めたカタログ通販に2万人の申込みが殺到した





