葉山の店はどんな流れで今の姿になったのか
高須さんが葉山に店を出したのは1995年。書き起こしでは、当初は「東京に行きたくなかった」という気持ちも半分あって始まった経緯が語られています。
今の店舗はこの場所で13年。以前はもう少し近くに店があり、そこから移転した形になります。以前の店と合わせると、葉山での商いは31年になります。
葉山にお店出したのがなんでかなと思って来たんですよ。すごいその三十年前ぐらいですか、ここ。
ちょうど1995年なんで三十一年。
御用邸の目の前という立地で、木々の雰囲気もよく、訪れた人が口をそろえて「気がいい」と言う場所だと種市さんは話します。
やっぱいろんな人来ると、やっぱもうここの気がいい、気がいいって。みんなそういうこと言わない人でも言うぐらいすごいところというか。
最初の店は突貫、そこから移転を望んだ理由
最初の店は突貫作業で作ったもので、内装まで手が回らなかったと高須さんは振り返ります。だからこそ、やり始めてすぐに「もっとやりきれた店を作りたい」という思いがあったといいます。
一番初めの店って結構もう突貫作業というか、やっぱりね、初めだからとにかくやろうって話だったから、内装もそんなに来れなかった。
経営が安定して余裕ができる中で、移転したい気持ちはずっと持ち続けていました。ただ、いい場所はなかなか出てこなかったといいます。
高須さんの構想は、服だけの店ではありませんでした。飲食など他のカテゴリーも合わせた空間を作りたいという計画が、コンセプトとして自分の中にあったと語っています。
通販カタログから始まった客層と「名前のない店」
葉山の店は通販カタログから始まりました。高価な商品もあり、マニアックな客がしっかり買ってくれていたといいます。
意外だったのは、初めは地元よりも遠方からの客のほうが多かったことです。九州や北海道、関東圏から、カタログで知ってわざわざ足を運ぶ人が中心でした。
逆に初めは遠くからの人の方が多い。
高須さんは、地元の人に信じてもらうには時間がかかると話します。新しく来た人への警戒心は自然なもので、信頼は積み重ねで生まれるという見方です。
地元の人って初めこの人たち何?って警戒心するじゃないですか、絶対的に。やっぱり地元の人に信じられるって時間かかるもん。
当時は「名前のない店」が流行っていた時代でもあったと高須さんは言います。あえてわかりにくい場所を目指す感覚があり、その流れは今また戻ってきているとも語られました。
奄美大島の宿と、震災の縁で出会った元保養所
移転先を探す中で、話は突然、奄美大島に飛びます。奄美で宿を始める人が、SUNSHINE+CLOUDのハワイの生地を使ってユニフォームを作りたいと持ちかけてきたのがきっかけでした。
高須さんは「宿をやるならお土産屋のスペースを貸してほしい、そこで店をやりたい」と応じました。そこから、なぜか今は宿も手がけることになったといいます。
巻き込まれ事故っていう。
高須さんは、1つの場所を形にするのに大体10年かかると話します。奄美を始めたのが2009年でした。
今の店舗との出会いは、2011年の東北の震災がきっかけでした。震災に関わった人から「葉山に使っていない物件があるので見ませんか」と声をかけられたのが、この元保養所だったといいます。
ここはたまたま震災、2011年の東北の震災の時にちょっと関わった方が、使ってない物件があるんで見ませんか?って言われたのがここだった。
10坪から70坪へ、そろばんでは弾けない大勝負
即決だったのかという問いに、高須さんは強く否定します。前の店が10坪ほどだったのに対し、この物件は約70坪。単純計算で7倍の広さでした。
前だって10坪ぐらいの店だったんだから。
昔の保養所だけに重い雰囲気があり、どうリノベーションするかも悩みどころでした。熱量もお金もかかる大勝負です。
貸してくれる大家さんは良心的な人でしたが、契約の交渉は毎月1回ほど、1年半近くかかったといいます。
高須さんによると、建物をいじること自体は問題なく、時間がかかったのは家賃や、飲食部分をどう扱うかといった条件面のすり合わせでした。
契約と並行して進んだデザインと、LAの建築家
契約交渉と並行して、内装デザインも進めていました。高須さんが信頼する建築家がロサンゼルスにいて、その人に相談し、日本にも来てもらって方向性を固めていったといいます。
契約は2012年11月に決まり、翌2013年4月にオープンしました。デザインの下地ができていたため、契約が決まってから一気に工事を進めた形です。
日本とアメリカでは、建築の進め方そのものが違うと高須さんは説明します。日本は壁を先に建ててから床を張り、アメリカは床を張ってから壁を建てるのだといいます。
壁を先に建て、それから床を張る
床を張ってから壁を建てる
この違いによって、部材と部材が接する「取り合い」の納まりが変わってきます。そこにこそ、LAの建築家はこだわったのだと高須さんは語ります。
夜中にトンカチ、サグラダ・ファミリー化する内装
LAの建築家はディテールへのこだわりが強く、夜中にトンカチを持って壁を叩き始めることもあったといいます。古い建物で図面が全部残っているわけではないため、どこに柱があるかを自分で調べていたのです。
すごい来てくれて、夜中にトンカチ持って壁叩き始めるんで。どこに柱が入ってるかとか、自分で調べるわけ。
高須さんは、このまま彼に頼んでいたら一生終わらないと感じたと振り返ります。永遠に完成しないサグラダ・ファミリー ── スペイン・バルセロナにある教会建築。19世紀の着工から100年以上たった今も建設が続いており、完成しない建築の代名詞として知られる。のようだと思ったそうです。
これ作りに終わんない、永遠に終わんないぞと。
結局、建築家は諦め、実際に動ける日本の担当者にバトンタッチする形で工事は進みました。
カフェ、花屋、家具へと広がる領域
移転当初から、カフェと花屋の計画はありました。家具はあとから加わったもので、店舗用に作った什器を「欲しい」という人が現れたことがきっかけです。
什器は鹿児島の棟梁に来てもらい、鹿児島から材木を入れて作ったものでした。もともと家具を作りたい気持ちもあり、福岡・大川の広松木工と出会って、自社のデザインで家具を作り始めたといいます。
いい空間を作ったことが、内装のディレクション依頼につながっていきました。洋服から始まった仕事が、内装や家具へと領域を広げていった流れです。
ただやっぱり表現できないからね、なかなか。みんなここ見てさ、わーすごいと思うけど。
ゲストハウスも、もとをたどれば古くからの取り組みです。以前の店舗の近くで、遠方から来た客にお茶も出せないからと「葉山レストハウス」という簡易喫茶をやっていたのが始まりでした。
昭和30年代の古民家を改装したそのカフェは、今の店舗に移転してカフェが不要になったため、現在はAirbnb ── 世界中の宿泊施設やホームステイ先を、貸し手と借り手がオンラインで直接やり取りできる宿泊予約サービス。個人宅の一室から一棟貸しまで幅広い。のゲストハウスとして活用されています。
三万人の町で店をやるということ
店から歩いて10分ほどのゲストハウスには、SUNSHINE+CLOUDの客も、Airbnbで見つけた人も訪れます。夏休みに家族で5日間滞在し、海に行くような使われ方もするといいます。
話は、葉山という町で事業をやることの意味に移ります。高須さんは、葉山の人口はわずか3万人だと指摘します。
だって三万人しかいないんだよ、人。逗子合わせて七万人、逗子葉山で十万人。だから誰も大企業入ってこない。
大企業も鎌倉までは来るが、葉山までは来ない。小売業としては本来成り立ちにくい土地だと高須さんは言います。それでも成り立っているのは、種市さんいわく「デスティネーションストア」にできているからです。
そろばんを弾いたら、この店はやっていない
小畑さんは、7倍の広さの店を出すのは普通に計算したら人が来ないと不安になるはずだと問いかけます。それに対する高須さんの答えは明快でした。
いやだから、そろばん弾けないからだよ。そろばん弾いたらやってないよ。
そろばんを弾いたら普通のお店になると高須さんは言います。すべてを計算して儲かるか儲からないかで決めれば、余白のない店になってしまうという考え方です。
不安がなかったわけではありません。むしろ不安だらけだったといいます。それでも「やりたい」という気持ちのほうが強かったと高須さんは語ります。
FAXもメールもない時代、電話1本で500足
高須さんの商売観を象徴するのが、オーロラシューズとの関係です。当時はFAXはあってもメールがない時代でした。それなのに、発注は電話で行っていたといいます。
時差を考えて夜中まで待ち、海の向こうへ電話をかけ、500足のオーダーを口頭で伝える。しかも相手は、いつ電話がかかってくるかも把握していなかったといいます。
夜中まで待って、時差を考えてオーダーを、五百足のオーダーを電話で。
高須さんは、当時オーロラシューズの商品の90%が自社の扱いだったと明かします。何の保証もなく電話1本で500足を頼み、それを作ってもらう。そのやり取りを十数年続けたことが、信頼関係になったといいます。
決済は間に商社が入る形で回していました。この点を小畑さんが細かく尋ねると、種市さんは「いい話が台無しになる」と笑ってツッコミを入れます。
お約束の信頼関係で電話一本で。何にも保証もないとこでやってるっていういい話をさ。全部それ、債権のお金は?
アルゴリズムの時代に、気持ちで選ばれる店
新しいオーナーに代わった今も、オーロラシューズとの信頼関係は続いています。ヨーロッパでも人気が高まる中、最優先で回してもらえるのはSUNSHINE+CLOUDだといいます。
種市さんは、この関係こそが今の時代に大切なものだと語ります。数字や合理化ではなく、最後は気持ちで選ばれる店だという見方です。
そろばんではなく直感と人間関係で道を切り拓く。買った葉山に行くっていうのはそういうことという言葉に、この店の商売論が凝縮されています。
まとめ
葉山「SUNSHINE+CLOUD」の30年余りは、そろばんを弾かずに直感と信頼で道を広げてきた歴史でした。10坪から70坪への移転も、電話1本で500足を発注し続けたオーロラシューズとの関係も、すべて計算の外側にある選択です。
- 葉山での商いは31年、今の70坪の店舗は元保養所を震災の縁で借りて13年
- 移転当初のカフェ・花屋から、家具や内装ディレクションへと領域が広がった
- 人口3万人の葉山は本来小売が成り立ちにくいが、「行きたい店」として成立している
- そろばんを弾いていたらこの店はやっていない、というのが高須さんの商売観
- FAXもメールもない時代の電話発注を十数年続けたことが、オーロラシューズとの信頼になった






