ブランドの歴史を調べる難しさ
今回からは自己紹介的なブランド紹介ではなく、ブランドの歴史を深掘りする本編に入ります。最初に取り上げるのはシャネルです。
ただ、ブランドの歴史を調べてみると、曖昧な部分が非常に多いと竹野は話します。
多くのブランドは企業サイトが一番情報を持っていますが、シャネルやエルメス、ロレックスのような一流どころは、映画や雑誌でも取り上げられることが多いといいます。
そのため、ブランド史の書籍や主要人物の名言集なども意外とあり、そうした資料から調べを進められたそうです。
さらに、アパレルやブランドの現場で働く中での飲み会や休憩時間の会話も、調べのヒントになったと語られています。
自分の過去を語り直したシャネル
ココ・シャネルことガブリエル・ボヌール・シャネルシャネルの創業者。「ココ」は後年の愛称で、幼少期はガブリエルと呼ばれていた。は、比較的情報量が多い人物です。
ただ調べてみて印象的だったのは、彼女自身が自分の過去をかなり語り、書き換えていた点だと竹野は言います。
伝記作家のジャスティン・ピカーティ{要確認: ジャスティン・ピカーティ}が『ココ・シャネル ザ・レジェンド・アンド・ザ・ライフ』{要確認: 書名}という本を出しており、そこから多くのことがわかったそうです。
その本によると、シャネルは自分の神話を作り直しており、真実を調べるのがかなり難しかったとされています。
たとえば孤児院という言葉を避け、父に預けられた場所を「叔母たちの家」と語ることがあったといいます。
本当にその実生活というか、プライベートの部分もブランディングしていたんではないかなという風に思います。
戦う女性の裏にあった少女の憧れ
竹野には、シャネルに対して「戦う女性」というイメージが強くありました。
しかし調べていくと、意外にも生々しい女の子のような部分もあったといいます。
本質としては、思春期の女の子の憧れを守るために、強い女性になっていったのではないかと竹野は考えています。
その本質は育った環境とつながっているとして、ここから幼少期の話へ進んでいきます。
貧しさの中で生まれた「シャスネル」
ガブリエル・ボヌール・シャネルが生まれたのは1883年、フランス西部メーヌ・エ・ロワール県のソミュールにある施療院でした。
母はウジェニー・ジャンヌ・ドボル{要確認: 母の名}で、洗濯婦という仕事をしていました。父はアルベール・シャネルという行商人で、作業着や下着を街で売り歩く移動商人でした。
作業着や下着を売る父と、洗濯婦の母という組み合わせが、仕事としてつながっているのが面白いと竹野は話します。
施療院は当時の貧困者を支える無料の病院で、孤児院や貧困者の収容施設を兼ねた包括的な社会施設でした。
彼女が生まれたとき、母は体調不良で出生届にも出られず、父も不在で記録では旅行中とされていました。
そのため出生時の姓はシャネルではなく、役所の登録では「シャスネル(CHASNEL)」と誤記されて残っていたそうです。
エレガンスの象徴みたいな彼女からは想像できないですよね。実際は名前すらまともに登録されていないところからのスタートっていうところと考えると、すごく感慨深いですよね。
名前に込められた「幸福」と母の死
ガブリエルという名前は天使の名前から付けられています。フランスでは天使などの名前を付けることが多いそうです。
そして「ボヌール」はフランス語で幸福を意味します。貧困の人生の始まりに幸福という名が入っていたことに、竹野はエピソードとしての重みを感じています。
母のジャンヌは1895年に亡くなります。ガブリエルは11歳、あるいは12歳目前とも言われています。
死因は結核と説明されることが多い一方で、肺炎、妊娠、貧困、過労などが積み重なった複合的な要因として紹介する資料もあります。
単に病気で亡くなったというより、貧困から病気になりそのまま亡くなった、という流れがイメージしやすいと竹野は語ります。
生まれたソミュールはロワール流域の町で、馬術学校やワインでも知られています。ただしシャネル家は地域の名士ではなく、定住しない行商人として田舎町を移動しながら暮らしていました。
彼女の求めていた自由っていうのは、家がない人間が自分の居場所を作るための自由だった。だからその自由には、どこか冷たさであったり、強さであったり、緊張感みたいなものがあったんじゃないかな。
オーヴァジーヌ修道院での生活
彼女のエピソードに欠かせないのが、オーヴァジーヌ修道院での生活です。
この修道院は12世紀起源の非常に古い場所で、宗教建築としてしっかり作られた芸術的な建物でした。後に孤児院として利用されるようになったといいます。
オーヴァジーヌはフランス中南部コレーズ県にある岩山の村で、19世紀には修道院が孤児院として使われ、マリア修道会の修道女たちが子どもたちの世話をしていたとされています。
母の死後、ガブリエルは父によって姉妹とともにこの孤児院へ預けられました。姉か妹かは資料によって異なるそうです。
重要なのは、そこがただの学校ではなく、中世的な修道院の秩序が残る空間だった点です。孤児院というと学校のイメージがありますが、実際は修道院に近い場所でした。
『TIME』の記事では、その生活が具体的に描かれています。白く塗られた壁、黒く塗られた扉、白いブラウスと黒いスカート、修道女の白いウィンプルと黒いスカート。
少女たちは早朝のミサから就寝前の祈りまで厳格な日課に従い、週六日授業を受け、夜には将来の嫁入り道具となるシーツの裾縫いなどを学んだといいます。
上下関係のある厳格な縦社会の中で縫うことを学んだ経験は、後にシャネルというブランドを経営する上での秩序の概念につながっているのではないかと竹野は見ています。
白と黒の空間、清潔さ、黄色い石鹸の匂い
白と黒を象徴色とし、香水シャネル五番へとつながる
『TIME』は、修道院の清潔な理念や黄色い石鹸の匂い、白黒の空間が彼女に残ったと紹介しています。その清潔さこそ、貧しさから抜け出すための最初のラグジュアリーだったのではないかと竹野は考えます。
シャネルの美学は、華やかなサロンではなく、白黒の沈黙の中で始まった。
「愛されなかった」記憶とロマンス小説
修道院で彼女がどう見られていたかについて、直接的な同級生の証言は限られています。彼女自身も、この場所を愛のある家庭としては語っていません。
『TIME』では、彼女が後に「叔母たちは善良だったが全く優しさがなかった、私はその家で愛されなかった」と語ったと紹介されています。
悪いことをしない良さと、いいことをする良さはあっても、優しさにはつながらない。その感覚がこの一言に表れていると竹野は話します。
ここからは少し可愛らしいエピソードです。少女時代のシャネルは、こっそり持ち込まれた連載のロマンス小説を読み、貧しい少女が優雅な女性へ変わる物語に惹かれていたとされています。
1890年代に流行していたのは、新聞連載の大衆ロマンス小説や女性向けの教養恋愛小説、シンデレラ的な上昇物語でした。
貧しい少女が主人公となり変身していく物語は、自分と重なる部分があったのではないかと竹野は推測します。今でいう「なろう小説」のようなテンプレートに近いといいます。
この変身の物語は、まさにシャネルがブランドとして体現したものにつながります。スーツを着れば変身できるというイメージにも、その憧れが感じられると語られています。
また彼女は孤児院の少女たちに、父はアメリカで財を成し迎えに来てくれると話していたとされます。ただ実際には父と再会していません。
物語を作ることで自分を守っていたのか、父に会いたいという思いが成り上がりの動機になったのかは、推測の域を出ないと竹野は述べています。
成功後も手放さなかった幼少期の記憶
シャネルは修道院時代を語りたがらなかったことで有名ですが、意外にも成功後の暮らしにはその記憶が反映されています。
1920年代末頃に建てられた南フランスの別荘ラ・パウザ{要確認: ラ・パウザ}には、オーヴァジーヌ修道院の記憶が織り込まれたと記述されています。
また、色とりどりのガラスを使ったアクセサリー「グリポワ」{要確認: グリポワ}は、修道院のステンドグラスからインスピレーションを受けたと言われ、実際にステンドグラスのようなデザインだそうです。
つまり彼女は成功してからも幼少期の空間を捨てず、むしろ自分の城とするほど大切な記憶にしていたと考えられます。
まとめ
シャネルは孤児院で現実を生きながら、ロマンス小説の中で理想を育て、その理想を自分自身と服を使って現実に降ろしていったと竹野はまとめます。強く見える彼女の本質は、理想を信じ続ける少女のままだったのではないか、というのが今回の結論です。
- シャネルは自分の過去を語り直し、プライベートまでブランディングしていた。
- 「シャスネル」と誤記されるほど貧しい出生から、彼女の人生は始まった。
- 修道院の白と黒、清潔さ、石鹸の匂いが、後のブランドの美学につながっている。
- ロマンス小説の変身への憧れが、シャネルというブランドの本質に息づいている。
- 成功後も幼少期の記憶を別荘やアクセサリーに織り込み、大切にし続けた。
