番組のタグラインが「経営者」に変わった理由
この回は、番組「思考旅行」のタグラインを変えたという話から始まります。井上さんは、当初から明確な意図があったわけではないと前置きします。
磯川さんとの収録やゲスト回を重ねる中で、いろいろなテーマから、あえて「経営者」に絞る面白さを感じ始めたといいます。
もともとこういう意図を持って思考旅行って名付けたわけじゃないんだけど、いろいろ考えた結果、あえてちょっと経営者に絞ってみるのも面白いなって最近思い始めて、タグラインみたいなものを変えてみました
いいね、なんかこのやりながら変わってく感じが、始まり立てなんだなっていう
この「やりながら変わっていく」感覚は、後半の対話全体を貫くキーワードにもなっていきます。
言葉は「個人」ではなく「誰かと誰かの間」にある
井上さんは今、8個ほどの番組に関わっているといいます。その中で、まだ言葉になっていないジャンルの存在を感じているそうです。
たとえば「戦略的社員論」という番組は、独立や転職が肯定される時代に、あえて社員として働く面白さを探る内容だと紹介します。
コピーライターの小林巧さんと始めた「TeamWording」は、理念や言葉をテーマにした番組です。ここで井上さんは、言葉に対する違和感を語ります。
近年は言葉に関わる本が増えている一方で、その言葉は「個人に帰属するもの」として扱われがちだと指摘します。理念浸透も、経営側が作った言葉をどう社内に伝えるか、という発想になりがちだといいます。
言葉ってなんか個人じゃなくて、誰かと誰かの間にあるものなんじゃないかなって思ってて。急に僕がベンガル語で喋っても受け取れないから
だからこそ、理念も「浸透させる」のではなく、みんなで探しに行ったり、形骸化したら見直したりする時間のほうが重要ではないか、と井上さんは考えます。
チームビルディングならぬ「チームワーディング」。まだ定義されていないジャンルを探索し、共有していくのに、ポッドキャストは適したフォーマットだといいます。
情報は「醤油」より「ソース」に近い
磯川さんは、文章とポッドキャストの違いについて語ります。文章では言い切りのほうが伝わりやすい一方、まだ漠然と考えていることを伝えるのは音声のほうが向いているといいます。
今なんとなく漠然とこんなことを考えてんだよねみたいなことは、やっぱ伝えやすい媒体だよなと思う
井上さんはこれを「情報がソースに近い」と表現します。醤油のように整えられたものではなく、濃いエスプレッソのような一次情報にアクセスできるのが音声メディアの特徴だといいます。
ここで話題は、ポッドキャストの要約ツール「Pody」に及びます。起業家のケンスーさんが手がけるサービスで、井上さんはケンスーさんの考えを紹介します。
ケンスーさんいわく、SNSでは恋愛系や炎上系、ディベート的にバトるコンテンツが伸びやすく、「良い情報の割合が少なすぎる」といいます。
そのヒントがポッドキャストにあるものの、音声のままでは検索に引っかからず、情報が外に出ない。だから要約したり文字にしたりして、良い情報の割合を増やしたい、という発想だと井上さんは説明します。
YouTubeでいうところの切り抜きさんみたいな感じで
磯川さんの番組の画像も、このPodyで音声を要約・文字化したうえで作られているといいます。ただし、そのデザイン自体は井上さんが手作業で仕上げているそうです。
今存在するサービスのちょっと先をアナログで実装するみたいなのが好きだから。サービス内で完結できないことをちょっとアナログでやる
「それ失敗なの?」と言われそうな失敗
ここから本題の「失敗と再生」に入ります。井上さんは、失敗という言葉の捉え方が人によって大きく異なる点に注目します。
誰もがわかる失敗もあれば、「それって失敗なの?」と他人には見えるけれど、本人にとっては失敗だった、という感覚もあるといいます。
他人には失敗に見えないかもしれないけれど、自分の中では失敗だったと感じたことは?
磯川さんは、直前に体験したばかりのエピソードを挙げます。自身が運営する「イワシクラブ」に、数か月前にシーシャ屋を畳んだという人が訪れたのです。
その人は、現役のシーシャ店に来て「店を潰しました」と、恥ずかしそうに話したといいます。本人は明らかに失敗として捉えていました。
しかし磯川さんの受け止めは違いました。むしろ早めに一区切りついてよかった、と感じたそうです。
その在り方の変化って、自分はすごく失敗のように思ったり、挫折のように思ったりするけれど、ちょっと先を行った人から言わせてもらうと、むしろおめでとうみたいな
磯川さん自身も、シーシャ店の運営から一度離れ、別の場所にお世話になった時期があったといいます。だからこそ、在り方の変化を歓迎する気持ちがあるようです。
優しさが「反省の機会」を奪う?
井上さんは、この歓迎の空気に別の角度から光を当てます。先に失敗した人に失敗を話すと歓迎される、という不思議さです。
うちの母ちゃんなんか、彼女とこんなことあったわみたいなLINEすると、おめでとう!次next!とか言って
落ち込んでいる本人にとって、受け入れられたり歓迎されたりするのはありがたいことです。しかし井上さんは、そこに落とし穴を感じています。
ありがたい反面、その失敗に対して反省する時間が短くなる説も感じてて。先輩たちが優しくしようとすればするほど、逆にそいつの変化の機会を奪っている可能性もある
この指摘を受けて、磯川さんは自身が反省期間の長いタイプだと明かします。もともとウジウジ考えてしまう性格だといいます。
禅僧との言い合いのようなやりとりを、数か月にわたって反芻したこともあるそうです。今振り返れば、それは自分の凝り固まった価値観と向き合う、とても良い時間だったと語ります。
失敗の正体は「自分のエゴ」
磯川さんは、失敗の背後にあるものを言い当てます。スタッフの離脱といった現象も、たどっていくと自分の内側にたどり着くといいます。
これに対し井上さんは、エゴは個性やこだわりとも言え、ポジティブにも解釈できると応じます。井上さん自身、長らくそれを個性だと思い込んでいたそうです。
個性なのに殺していいのか、みたいなことをすごく強く主張していた。でも実はただのエゴやこだわりだった、という感覚に気づけた
個性だと思っていたものがエゴだったと気づくのは、ある種の自己破壊です。井上さんはこれをアイデンティティクライシスと呼びつつ、危うさも指摘します。
やりすぎると鬱になったり、自己犠牲に向かったりしかねない。そのバランスをどう取るのか、という問いです。
鬱は「内側への旅」という捉え方
磯川さんは、鬱を特別なものと思わなくていい、と語ります。最近少し状態が開けてきた実感から出た言葉です。
鬱ってね、内面の旅なんですよね。旅行って僕らは外に行くじゃないですか。だけど内側の旅なんですよ、これは
井上さんが「思考旅行ってことですか」と受けると、磯川さんは思わず笑いながら、自分の番組にまとめられたことを認めます。会話が軽やかに交わる場面です。
一方で磯川さんは、自分を責める方向に入りすぎると戻れなくなる危うさも語ります。禅僧の妻・アオイさんに言われて号泣した言葉を紹介します。
自分で自分を責めちゃダメですよ、いじめちゃダメですよって言われて
自分を責める状態にはまると、周囲が手を差し伸べても、自分でまた自分を傷つけてしまう。だからもう少しライトに、鬱をポジティブに捉えてもいいのではないか、と磯川さんは提案します。
自分と「こだわり」を切り分ける
井上さんは、自分という存在と、自分のこだわりやエゴを切り分けて考えるようになったといいます。
自分の中には一人ではなく、たくさんの自分がいる。その中の一つは「壊れても大丈夫なんじゃない?」と思える、という感覚です。
反省したりする時に、自分のことをお前と呼べる感じ。他者になる感覚があって
井上さんは、魂と身体は別々に存在し、魂はこの身体を借りている、という感覚も語ります。少しスピリチュアルな話だと断りつつ話を進めます。
すると磯川さんは、自分も同じことを思っていると応じます。ヨガの後に自分の体をさすり、体に感謝する時間があるといいます。
自分でさするんですよ、これって。マッサージとかもいいけど、意外と自分でもお疲れ様とか声かけながらさすってあげるのがすごくいい
皮膚から体を整える「ファシア」の話
体をさするという話から、井上さんは「ファシア」の研究者の話を紹介します。妻の知り合いだといいます。
その人によれば、人間の生物的な構造は精密にできており、皮膚を触ることで体内の仕組みを整えていけるといいます。
たとえば心臓のあたりに手を当て、皮膚を上下左右にずらしたり、ダイヤルのようにひねったりしながら深呼吸を繰り返す。一番呼吸しやすい向きで固定するのだといいます。
膜は一枚ではなく、パズルのように小さな膜が重なってできている。それが整うと、血や水が流れやすくなる、というのがその人の説明です。
頭蓋骨も同じで、小さな骨の集合体だといいます。誰かに頭を包むように持ってもらい、同じ要領で調整すると、噛み合っていなかった骨がはまり、顔が小さくなるとも語ります。
その人ね、逆子を治すの、それで。僕も妻が妊娠した時に、それで逆子を直したりした
反省会は「二度と繰り返さない」ための会
話は再び失敗と向き合う流れに戻ります。井上さんは、自分に優しすぎて失敗を受け入れられないケースもある、と別の側面を挙げます。
そのうえで、自身の店であった出来事を語ります。イベント向けの新商品で、直前まで器が決まらず、当日に仕入れて原価割れしたのです。
商品開発を担当したスタッフが「私の責任なので私が払います」と申し出ました。しかし井上さんは、それを止めました。
逃げるなと。払って終わらせるんじゃねえと。そこで払ってしまったら、そこで清算しちゃう。次に全く繋がらない
費用は会社が払う。それより「なぜこうなったのか」を考えよう、という提案です。井上さんは、失敗の処理が「責任を取る」という形に流れがちだと指摘します。
この指摘に、磯川さんは実業家・斉藤一人さんから聞いた言葉を紹介します。
失敗しても反省しちゃダメだよって言われて。どうしたらいいんですかって聞いたら、同じことを二度としなければ大丈夫だいって言われて
これは反省を否定しているのではなく、反省という言葉の意味を捉え直す話です。1週間重しを背負うことより、同じことをどうしたら繰り返さないかに向き合え、という助言でした。
「反省してるポーズ」より大事なこと
井上さんは、多くの人が「二度と同じことを起こさない方法」を考えられていない、あるいは考える時間がない、と指摘します。
どっちかっていうと、反省してますっていうポーズを取ることの方が重要視されてる気がする
磯川さんは、ポーズよりも、同じことをしないためにひたすらロジカルに考えたり、他人と対話したりするほうが重要ではないか、と語ります。
「反省しろ」と言う本人も、落ち込んでほしいわけではなく、二度と繰り返さないためにどうするか考えてほしいだけのはずだ、というのが2人の見立てです。
ここで井上さんは、反省会という言葉を捉え直します。
反省会って、二度と同じ失敗を繰り返さない回なんだね。あるべき姿としては
落ち込むのはやめて、同じことをしないためにどうするかを考える。反省という言葉自体を、組織の中でどう捉えるかを話し合う価値がある、と2人はうなずき合います。
問いを頭に放り込み、翌朝に答えが出る
井上さんは、磯川さんが二度と繰り返さない方法をどう考えるのか、その過ごし方を尋ねます。
磯川さんは、そういうときは音信不通になり、暗く沈んだ状態になるといいます。ただし、その間はそのことについてのみ考えているそうです。
一人で考えるプロセスは独特です。問いを頭の中に放り込み、悶々と過ごすと、翌朝に答えが出てくるといいます。
一回頭の中に放り込むんですよ、その問いを。で、悶々と過ごすんですよ。翌朝の朝起きた瞬間に出てくるんだよね
まだまどろんでいる時間に「ピカーン」とひらめき、直感的にわかってしまう。磯川さんはこれをオートメーション思考と呼びます。
答えが出たら「手放す」。話すことの意味
ひらめいた後は、誰かに話すといいます。井上さんが相談相手の選び方を尋ねると、磯川さんは基本的に否定せず聞いてくれる人なら誰でもいい、と答えます。生成AIでも構わないそうです。
ここで磯川さんは、大事なのは「はなす」ことだと語ります。それはスピークの「話す」ではなく、「手放す」の意味だといいます。
とにかく話すっていう、スピークの方じゃなくて、この手放すの話す。紙に書き出すでもいいし、生成AIに話すでもいいし
ただし、ひらめくところまでは自分で悶々と考える。そのうえで手放す、という順番です。
磯川さんは「下手の考え休むに似たり」という言葉を挙げ、一人で考えていると堂々巡りになると語ります。だからこそ話すプロセスは大事だといいます。
一方で、磯川さんは悶々とすること自体が好きだとも認めます。
大した悩みじゃないのに、考えてるふりしながらタバコとか吸ってると、文豪になった感じするじゃないですか
一人でも、誰かとも過ごせる「淡いの場」
この話から、井上さんは自分のタイミングで一人になり、自分のタイミングで誰かと話せる場に注目します。井上さんは、自身の「イワシクラブ」がそういう場だと感じています。
今の社会構造では、一人でこもるリトリートや瞑想か、誰かと過ごすか、どちらかに分かれがちだと井上さんはいいます。その間を行き来できる場が必要ではないか、というのです。
井上さんは、自身が「籠もり」というコンセプトで営む宿の例を挙げます。部屋にこもりに来たはずなのに、朝に一階のお焼き屋さんへ行くと、よく喋るスタッフと自然に話すことになるのです。
籠もるぞって思ってきたのに、人と触れられるみたいな感じ。すごく僕はいい期待値のずれだなと思って
完全にこもるのでもなく、どこかで人と触れられる。その行き来やバランスをどう作るかを、井上さんは考えているといいます。
悶々とする時間は「過去の自分を弔う」時間
磯川さんは、悶々とする時間の正体に気づきます。それはロジカルに考える時間というより、感情を整理する時間ではないか、というのです。
磯川さんは、最近祖母を亡くした経験から、四十九日や通夜、葬儀といったプロセスを振り返ります。細かく儀式を挟むあの仕組みは、感情整理の時間なのだと感じたそうです。
失敗に際して悶々とする時間も、これと同じだといいます。話しているうちに、磯川さん自身が答えにたどり着いていきます。
整理しているのはロジックではなく感情だ、という結論に、2人は深くうなずきます。失敗と再生の間には、こうした弔いの時間があるのかもしれません。
磯川さんは、この回で気持ちがすっきりしたと語ります。井上さんが「それ前回も言ってた」と返し、笑いの中で対話は締めくくられていきます。
まとめ
失敗をどう扱うかをめぐる対話は、「反省の意味」と「感情を整理する間」という2つの核心に行き着きました。落ち込むポーズより、二度と繰り返さない工夫を。そして、その工夫が生まれる前には、過去の自分を弔う時間が必要なのかもしれません。
- 失敗の受け止め方は人によって異なり、「それ失敗なの?」と見えるものも本人には失敗になりうる
- 先に失敗した人の優しさは救いになる一方で、本人が反省する機会を短くしてしまう側面もある
- 失敗の多くは自分のエゴが引き起こす。自分と、自分のこだわりを切り分けて捉える視点が助けになる
- 反省は落ち込むことではなく、二度と同じことをしないための工夫を考えること
- 問いを頭に放り込んで悶々と過ごし、答えが出たら人や生成AIに話して手放す。その時間は感情を整理し、過去の自分を弔う時間でもある






