意味付けだけでは抜け出せないマンネリはあるのか
この回は、前回の続きから始まります。前回は、退屈がやってくるタイミングや、対象そのものを変える・時間配分を変える・意味付けを変えるといった対処法が話されていました。
その締めくくりで田中さんが投げかけたのが、意味付けを変えるだけでは脱出しきれないマンネリもあるのではないか、という問いでした。
今回はその「脱出しづらいマンネリ」の代表例として、人間関係のマンネリから話が始まります。カップルのマンネリのように、固定化した関係にまつわる退屈です。
岡山さんは、関係の深さによって抜け出しやすさが変わると整理します。友達関係は比較的変えやすい一方、関係が深くなるほど社会的な定義の割合が大きくなる、という見立てです。
会社の一員ならこうせねばならないとか、カップルとか家族みたいな関係だとこうあらねばならないみたいな定義があるから、(意味付けを)変えにくかったり、抜け出しにくかったりする
田中さんはここで、関係そのものではなく「その人」に注目してはどうか、と視点をずらします。役割は変わらなくても、対象への向き合い方は変えられるのではないか、という発想です。
意味付けで抜け出せないマンネリはどうすればいいのか
岡山さんは、マンネリには意味付けで抜け出せるものと、そうでないものがあると前回からの論点を確認します。問題は、心の持ちようでは変えにくい停滞感からどう抜け出すか、という点です。
田中さんの答えはシンプルで、自分の心の持ちようから抜け出せないときは、対象から離れたり一度リセットしたほうがよさそうだ、というものでした。
岡山さんはここで、少し厳しい話だと前置きしたうえで踏み込みます。本気で変わりたいなら、環境を飛び出すしかない、という指摘です。
一方で田中さんは、大体のことは一時的には意味付けで変えられるものの、停滞はまたやってくる、と補足します。そのうえで問うべきは、また停滞が来ても乗り越えたい関係なのか、という点だと話します。
たとえばお風呂のように、絶対に付き合っていかなければならないことなら、意味付けをして付き合い続けるしかありません。しかし、本当に長く付き合う必要があるのかを問い直す余地はある、というわけです。
飽きの正体を具体化すると打ち手が見えてくる
岡山さんは、この問いかけは「飽きているのか、まだ我慢できるのか」を確かめるだけでなく、自分が何にモヤモヤしているのかに気づくためのものでもある、と話を進めます。
例として挙げたのが、会社を辞めたいと思ったときの理由の分解です。上司の息が臭くて嫌、という分かりやすいものもあれば、変化のなさや漠然とした不安のように、つかみにくいものもあります。
なんで自分はこの仕事を続けていくことに不安を感じているんだろうみたいな。なんでこうモヤモヤするんだろうとか、何に不安なんだろうとかって考えていくと
岡山さんは、掘り下げていくと、AIに代替されて50歳ぐらいで職を失うかもしれない、といった具体的な不安にたどり着くことがある、と語ります。
そうして具体化していくと、飽きだと思っていたものが飽きではなかったり、不安だと思っていたものが不安ではなかったりして、打ち手が見えやすくなる、というのが岡山さんの見立てです。
漠然とした飽き・不安
何にモヤモヤしているのか自体が曖昧な状態
問いかける
なぜ続けることに不安を感じるのかを掘り下げる
具体的な要因に気づく
飽きではなく別の要因だったと分かる
打ち手が見える
要因に合った対処を選べるようになる
あらゆる飽きは「自分」に飽きているのではないか
ここで田中さんが、この回の核心となる仮説を持ち出します。あらゆる飽きは、実は自分に飽きているのではないか、という見方です。
田中さんの整理では、対象や関係に対しては嫌悪など具体的な理由が生まれやすい一方、退屈として感じているのは、その中にいる自分の状態への飽きが多いのではないか、というものです。
そして、自分に対する飽きなら、意味付けによって変えられる、と続けます。自分の行動や言動は自分で変えられるからこそ、自分要因の飽きは変えられるという理屈です。
田中さんは変化というテーマにも接続します。世界は絶えず変化し続けているのだから、本来は飽きるはずがない、というのです。
それでも飽きているなら、固定されているのは世界ではなく自分の状態ではないか、と田中さんは考えます。岡山さんもこれに乗り、停滞しているのは周りではなく自分だった、と言い換えます。
朝の光に飽きないのはなぜか
田中さんは、この仮説にたどり着いたきっかけとして、朝起きた瞬間のコンディションの話を挙げます。しんどい日もあれば、大体はハッピーに感じるといいます。
その「ハッピー」は、自分の状態に目を向けたものではありません。起きたときに外から光が差していて、今日はどんな天気になるかと考えたり、光の向きが変わってきたと感じたりするときに湧いてくるものだ、と田中さんは語ります。
つまり、自分以外の何かに目を向け、その変化を感じているときは飽きていない、ということです。だからこそ、飽きの要因は自分の側にあるのではないか、という気づきにつながりました。
岡山さんは、最終的に変えられるのは自分だけだ、と受けます。そう考えれば、どんな状態であっても退屈からは必ず抜け出せる、という結論に二人はたどり着きます。
飽きと嫌悪は分けて考える
ただし田中さんは、ここまでの話が飽きや退屈に限った議論であることを確認します。対象から離れるべきかどうかは、飽きではなく嫌悪など別の理由があるかをまず探るべき、という別の話だと整理します。
岡山さんも、飽きは自分で解消できるとしたうえで、嫌悪やパワハラのように危険を感じる状態は飽きとは違う、と線を引きます。
話の中では、ちょうど横浜市長がパワハラで辞めた出来事にも触れられました。危険や嫌悪を感じるときは、遠慮なくその場を去ったほうがいい、というのが岡山さんの立場です。
自分の捉え方や在り方を変えることで、自分で解決できる
パワハラなど、危険を感じるときは遠慮なくその場を去ったほうがいい
マンネリは「続いていく」ことが前提の悩み
田中さんは、最初の問いへの答えを整理し直します。マンネリからの脱出は、まず自分自身でできるという前提があり、意味付けや変化への注目でよい方向に向かう、という話です。
そのうえで田中さんは、これらがあくまで飽きへの「対処」である点を指摘します。対処し続けるということは、その対象と長く付き合っていくことを意味します。
仕事や住む場所、人間関係も同じで、変えてもいいのなら変えてもいい、という選択肢も残ります。長く続ける前提で対処は必要でも、本当に続けるのかを問いかけることも大事だ、という話です。
田中さんは、マンネリという問いの前提には「その状態が続いていく」ことがある、と最後に気づきを述べます。継続を前提とした悩みだからこそ、対処と問い直しの両方が要る、というまとめです。
二人は、予定調和ではない展開になったと振り返り、田中さんは自身の退屈への対処法として朝の光を浴びることを挙げて回を締めくくりました。
まとめ
マンネリや退屈を、対象や関係への飽きではなく「自分への飽き」ととらえ直すと、意味付けや視点の切り替えによって自分で解決できる余地が見えてくる、という対話でした。一方で、嫌悪や危険を感じる状態は飽きとは分けて考える必要があります。
- 意味付けを変えるだけでは抜け出せないマンネリもある、という問いから議論が始まった
- モヤモヤの正体を具体化すると、飽きではなく別の要因だったと分かり、打ち手が見えやすくなる
- 世界は変化し続けているのに飽きるのは、停滞しているのが周りではなく自分だからではないか、という仮説が示された
- 飽き・停滞は自分で解決できるが、嫌悪や危険を感じる状態は遠慮なくその場を去ったほうがいい
- マンネリは「続いていく」ことが前提の悩みであり、対処と「本当に続けるのか」という問い直しの両方が要る



