ノロで倒れたのに、なぜか元気になった
この回はおぐりんが、前回の内容を確認するために番組の書き起こしツールを開くところから始まります。海鮮丼を食べた後にスパーンと意識がなくなった、という体調の話が口火を切ります。
食生活を気にして、野菜から食べる、ゆっくり噛む、オートミールを買うといった改善を試みているとおぐりんは話します。海鮮丼の日は海鮮丼と味噌汁しかなく、食べるのも早いのが良くなかった、と自己分析しています。
そんななか、おぐりんは今年3回目の39度超えの発熱をしたと明かします。原因はどうやら食中毒、ノロではないかという流れになります。
今年39度超え3回目です。発熱。40歳。
衰えるんだね。
耐用年数過ぎてるから、もう。
原因についておぐりんは、7人ほどで深夜まで飲んでいて、酔って覚えていないものの、おそらく生肉(牛肉)を食べたのが当たったのではないかと振り返ります。ただ同じものを食べた他の人は当たっていないため、確証はないと話します。
翌朝のミーティング中に気持ち悪くなり、熱が上がって腎臓あたりが軋み、便器と抱き合っていた、とおぐりんは当時の壮絶さを語ります。病院で点滴と血液検査、薬をもらって回復したそうです。
ところが、体調とは別に、気持ちの面ではなぜか元気になった感覚があるとおぐりんは言います。この数日はよどんでいない、悪いものが一緒に出ていったのかもしれない、という話になります。
でもなんか出したんだよなぁ。すごい。この数日よどんでない?あんまり。
「見ないで描いていた」と気づいたデッサンの話
体調の話から、少し前に2人でやったデッサンの話に移ります。おぐりんは、スケッチをして「自分に足りないもの」がすごく伝わってきて良かったと振り返ります。
えばちゃんは、描いているとき対象を見ないで描いている瞬間があると指摘します。デッサンとは本来そういうものだ、というやり取りです。
子供の時から(対象を)見てないんだなって思った。
そもそも物を前に置いて絵を描いた経験があったか、という話にもなります。えばちゃんは、小学生の時に、校内の藤棚を描いた思い出を語ります。
1回で終わらないから。翌週も描いて、翌翌週も描いて、だんだん藤が枯れてっちゃう。だから最終的に寂しい絵になった。
おぐりんは、男の子はそういう時間に遊び出してしまって、お絵描きの時間が鬼ごっこの時間のようになる世界観にいた気がする、と自分の子ども時代を振り返ります。
『国宝』を見て、経験できなかった人生を代理体験した
話題は、おぐりんが見たばかりの映画『国宝』に移ります。えばちゃんは、その鑑賞体験が元気になったことに関係しているのか、と尋ねます。
おぐりんは、主人公がどんな状況でもその世界に取り憑かれたように芸を続けたことに触れます。そして、自分がかつてジョッキーになりたかったことと重ね合わせます。
(『国宝』の主人公のように)家業の外から来た人はなれないみたいな文脈を言われたのよ。そうじゃないアナザーストーリーをあそこに見たんだよね。
おぐりんは、競馬家族でないと生きていけないと親に言われた自分と、外から来ても芸の頂点に立つ主人公とを対比させます。経験できなかった人生の代理経験として昇華された感じがして良かった、と話します。
春江はなぜ離れたのか。「私じゃない」という選択
続いて、劇中で主人公と苦難を共にした女性が離れていく展開について語られます。おぐりんは、意外とあっさり離れていったように見えたと感想を述べます。
えばちゃんは、その女性の描かれ方を「非常に女性らしい」と評します。自分の人生を中心に置き、なおかつ情に厚い女性像だという見立てです。
自分の人生をちゃんと中心に置いてるし、ちゃんと情に厚いっていう女の人像だなっていう感じがする。
おぐりんは、この解釈が初めてスンと入ってきたと言います。自分が昔傷ついていたのはこれだったのか、これは普通のことなのか、と受け止め直します。
僕はそれに昔傷ついていた気がする。私が昔苦しんだのはこれなのか。普通なのかって思った。
えばちゃんは、女性側にも「ポイント・オブ・ノーリターン」までは寄り添った助走があったはずだと補足します。そこまでは寄り添い、そのうえで自分の人生が続くとわかっている、という説明です。
おぐりんは、劇中で主人公の代役を宝側の喜久雄が見事に演じるのを見て「私がいなくても大丈夫」と思ったのか、と解釈を確かめます。しかしえばちゃんの見立ては少し違います。
私がいなくても大丈夫よりも私じゃないなの方が強いような気がする。
えばちゃんは、相手には芸事と心中するほどの世界があり、女性はそれを見て「この人は私じゃない・私がいてはいけない」と感じたのではないか、と語ります。おぐりんは、この感情はもしかしたら今世では理解できないまま死ぬかもしれない、と反応します。
母性の神格化と、家庭における父親の位置
話題は、おぐりんが最近子どもを産んだ人にした質問へと移ります。子どもが生まれてから旦那さんはどういう存在になったか、と尋ねたそうです。
おぐりんには、子どもが生まれた瞬間に旦那さんが急に外側のものっぽくなるイメージがある、と語ります。うまく言葉が見つからないとしながらも、寂しさのようなものを感じるといいます。
ところが質問した相手は、旦那さんが「もっと死なれたら困る存在になった」と答えたそうです。おぐりんは、みんながそうではないのだと知り、この領域の話は自分には理解できないものが多いと話します。
この流れを受けて、えばちゃんはおぐりんの話に「母性の神格化」があるように感じると切り出します。あくまで勝手な解釈と前置きしたうえでの指摘です。
これは勝手な解釈ですけど、母性に対する神格化があるなって時々思うんだよね。
えばちゃんは、母親という存在が特別であってほしいという願いや、パートナーに母性を求める傾向があるのではないかと語ります。そのうえで、あるパターンを指摘します。
本当にそこにその人を母性だと思う子供が生まれたってなると、自分に分け与えるはずの母性が減っちゃった。
おぐりんは、母親個人というより「母性」という存在そのものへの偶像崇拝的な何かがありそうだ、と受け止めます。えばちゃんは宮崎駿作品を例に、少女性と母性を年齢問わず求める描き方が多いと重ねます。
えばちゃんは、母性の話が根本的におぐりんを作っているものの中で結構な割合を占めているのではないか、罪悪感もそこにありそうだ、と踏み込みます。おぐりんは「今世で終わりそうか」と問い返します。
癒せるかどうかじゃないかな?自己受容の話でしょ。
2度目のお遍路へ。靴ずれ対策と「間」の話
話題はおぐりんの2度目のお遍路に移ります。2週間後に高知入りする予定だといいます。
2回目ということで、おぐりんは前回の反省を活かした改善点を挙げます。荷物を持ちすぎない、足の指を5本指ソックスで分ける、靴擦れ用のテープや雨用の靴カバーを用意する、といった具体策です。
- 荷物を旅行並みに持ちすぎない
- 5本指ソックスで足の指を分ける
- 靴擦れ用のテープスタイルの絆創膏を使う
- 雨で歩けるよう靴カバーを持っていく
靴ずれがつらいのよ、本当に。本当につらいの。足が痛くて。もう。
えばちゃんは、歩いていて楽しいのか、「なんで歩き始めちゃったんだろう」とならないのかと尋ねます。おぐりんは、なるけれど、始めると止まれない性格で最後までやりきると答えます。
後でやってよかったなって大体思うって知ってるから。あの、やるんだと思う。
なぜ2回目に行こうと思ったのか、という問いにおぐりんは、月末までに使う3日間の夏休みがきっかけだと明かします。直前まで、もう一度やろうとは全く思っていなかったそうです。
さらにおぐりんは、お遍路には「間」がないことに触れます。他者との間がなく、自分しかいないため、自分の存在が不定期になるという感覚です。
自分って他者との間にいるじゃない。そう、その間があんまりないのよ、お遍路中って。
えばちゃんはこれを受けて、だから「人間」ではないのだと返します。おぐりんは、自分が一期一会を好きだと言うのも、その「間」を怖がっているからかもしれない、と分析します。
「はやく人間になりたい」。取り憑かれないと動けない自分
えばちゃんは、おぐりんの話をまとめるように「早く人間になりたいだね」と言います。おぐりんは、今世で人間になれるかな?と繰り返し問いかけます。
毎回確認してくるのやめてくれる?(笑) なれると思ったらなれるんだよ。
おぐりんは、自分は何かに取り憑かれ、縛られないと動けないタイプだと言います。過去のエピソードで語られた「蝶になってりんごが成って人間になる」というモチーフにもつながる話です。
えばちゃんは、リンゴと木を見つけることや人間になることを目的にしなければ見つかるのでは、と投げかけます。おぐりんは、目的にしているわけではなく、ただ見つからないと言っているだけだと返します。
でもね、探してるものって大体見つからないよね。それはマネージャーになりたい人ほどなれないのと同じパラダイムだって知ってるから。
昇給の裏にある「見てくれる人がいない」という不満
マネージャーになりたい人の話から、給与や昇給をめぐる不満の話へ広がります。えばちゃんは「上げてほしいのは本当に給料なのか」と問いかけます。
おぐりんは、多くの不満の正体は「見てくれている人がいない」ことなのではないか、と語ります。プロセスを見てもらえず結果だけを伝えられることへの不満が、表層的に給与の話として出てくるのではないか、という見立てです。
ただしおぐりんは、純粋にもっと給料が欲しい人も、必要なお金がある人もいると付け加えます。えばちゃんは、大事にされていると感じられることの重要さに触れ、昇給を人質のように言うのはそうではない、とまとめます。
昇給を人質みたいに言わないもんね。そうじゃない。
最後は、この雑談が収録になるかどうかの相談で締めくくられます。おぐりんは机の周りが積読で汚いと言いつつ、国宝の話と母性・主体性の話、そして「元気になったよ」は残せそうだと確認します。
元気じゃないと何にもできないからね。
抗生物質で腸内の善玉も悪玉も一掃されたのかもしれない、という会話で、なぜ元気になったのかの謎に一応の落としどころをつけて2人は別れます。
まとめ
体調を崩したのになぜか元気になったおぐりんが、『国宝』や母性、お遍路をめぐって「人間になること」の意味を問い続けた回でした。答えは出ないまま、それでも探し続ける2人の掛け合いが残ります。
- ノロらしき食中毒でダウンしたのに、気持ちの面ではなぜか元気になったと語る
- 『国宝』を、かつてジョッキーを諦めた自分の代理経験として受け止めた
- 離れていった女性の「私じゃない」という選択と、母性の神格化という指摘が響いた
- 2度目のお遍路では靴ずれ対策を徹底しつつ、他者との「間」がないことを怖がる自分に気づく
- 昇給の不満の裏には「見てくれる人がいない」という思いがあるのでは、と考察した



