なぜ「幻影旅団になろう」なのか
この回は、パーソナリティとイナケンさんが、自分たちのポッドキャストをどんなチームとして運営するかを、『HUNTER×HUNTER』の幻影旅団になぞらえて話すところから始まります。
イナケンさんがまず注目したのは、団長クロロがいても組織そのものが優先される構造でした。リーダーさえも1つの役割にすぎない、という点です。
その団長がいるけどさ、クロロ。別にその組織が優先であって。彼も役割であるっていう。
パーソナリティはこれを、リーダー個人ではなく、指揮系統のたまたま頭になっている役割に従うことが大事なのだと言い換えます。
大事なのはクロロというよりかは、その指揮系統のたまたま頭になってる役割に従うっていう、それだけが多分大事。
揉めたらコイン、というチームのルール
組織が優先とはいえ、最低限守るべきルールは必要だという話になります。イナケンさんが挙げたのは、幻影旅団の団員同士のマジギレ禁止というルールです。
とはいえ、最低限守るべきルールがありますよと。
パーソナリティは、幻影旅団では団員同士が揉めたらコインで決める描写を引き合いに、自分たちの番組でも同じルールを採用したいと話します。
ここで重要なのは、相手を思ってのトゲのある発言と、嫌味を分けて考える姿勢です。イナケンさんはその違いを次のように整理します。
相手を思ってるからこその、ある種トゲのある発言だったりとか、でも(相手が)死んだら嫌味を言うとかではないって話ね。
パーソナリティは、トゲと感じるのは受け手の解釈であり、相手が自分を嫌いだという前提を入れると苦しくなると言います。だからこそ、トゲトゲ感じた時は自分が変わるチャンスだと捉えるべきだと話しました。
そのうえで、親子でも必ず合わない部分は出てくるとし、揉めたら最後は運に任せる「揉めたらコイン」を、自分とイナケンさんの組織ルールとして登録すると宣言します。
揉めたらもう運に任せましょう。だからこれが僕とイナケンさんのルール。
なぜ幻影旅団は「かっこいい」のか
話題は、なぜ幻影旅団という敵役にこれほど感情移入できるのかに移ります。イナケンさんは、漫画界でも悪役への感情移入度がトップクラスだと感じています。
悪役に感情移入できる度、結構トップクラスな気がして。主人公はゴンとかキルアとかクラピカだとして、でもそいつらにもそいつらの正義があるなっていうのが、漫画としておもろいよな。
パーソナリティは、その「かっこよさ」を、ゴンたちが最終的に行き着く生き方が幻影旅団だからだと説明します。
ゴンたちは基本的に自分や、キルアのような近しい人のために戦っている。一方で幻影旅団は、組織という社会を背負って誰かのために戦っている、というのがその理由です。
パーソナリティはこれを、善悪をつけない状態での価値観の「熟成度」という指標で語ります。その指標では、幻影旅団のほうが成熟しているというわけです。
自分や、キルアのような近しい人のために戦う。序盤のゴールは父ジンに会うこと
組織という社会を背負い、誰かのために戦う。個を超えた集団への忠誠がある
組織はなぜできたのか、コンセプトの重要性
イナケンさんは、最近の巻で明かされた幻影旅団の過去のエピソードが漫画史上でも特に好きだと語ります。なぜその組織が生まれ、自分を超越した組織への忠誠心が育ったのかが描かれる部分です。
自分を超越した組織への忠誠心みたいな。あれを敵キャラに対して感情移入させる冨樫先生、ちょっと半端じゃねえなっていう。
パーソナリティはこれを、個人が社会とつながる瞬間の面白さだと受けます。企業でいえば、憧れのリーダーの姿から入り、次第に「なぜみんなここに集まっているのか」が解き明かされる感覚に近いと言います。
そこから、組織にはコンセプトが不可欠だという話につながります。コンセプトがなければ、そもそも組織として認定されないからです。
パーソナリティは、これを自分の弱点にも重ねます。各プラットフォームで発信はしているものの、現状しか解像度高く話せず、その手段でどんな未来を得たいかを言語化できていない、と認めます。
どういう未来をその手段を通して得たいかっていうのを言語化できてないから、多分まだね、全然パワーが弱いんですよ。
イナケンさんはこれを、幻影旅団でいう「何を成し遂げるか」がまだなく、パーソナリティがゴンのようにジンを追いかけている世界線にいる、とたとえました。
流動的な主人公という、ハンターハンターの構造
話は物語の構造論へ進みます。イナケンさんは、ハンターハンターの主人公はゴンだと答えられがちだが、最近の展開にゴンは出てこないと指摘します。
意図的に主人公を複数描き分けてる。要は主人公格をあえて置いてない感もあるなって。
イナケンさんは、ゴンがジンに会うゴールを終えた時点で、いったん物語から退場させられた感覚があると言います。そして今は、クラピカにスポットライトが当たっていると見ています。
これを、他作品と比べて説明します。ドラゴンボールは一貫して悟空、ワンピースはルフィと軸が変わらないのに対し、ハンターハンターは主人公が流動的だという違いです。
さらにイナケンさんは、この構造をキルアという人物にも転用しているのではないか、と踏み込みます。パーソナリティはこの見立てに同意しました。
ジブリにも通じる「視点を固定しない」描き方
パーソナリティは、この「主人公を固定しない構造」がジブリにも共通していると話します。例に挙げたのは『君たちはどう生きるか』です。
パーソナリティによれば、ジブリの描き方は誰かの主観に寄らず、そこにある世界を切り取るように描くため、誰の視点でも見られるという特徴があります。
結局なんか照らし方の話で、ほんまにそこにある世界を切り取るかのように絵描く。誰の主観にもよってない。
だからこそ、子供はゴンの視点でしか見られない一方、いろいろな喜怒哀楽を経験してきた人ほど、脇役の心情まで共感できるようになる、というのがパーソナリティの見立てです。
パーソナリティは、これは作者である冨樫さん自身が、つらさも楽しさも経験したからこそ、苦しみのキャラと喜びのキャラを描き分けられているのだと考えています。だから構造が綺麗で共感できるのだ、と話します。
ドラゴンボールの「復活」と、作品ごとのロジック
話題はドラゴンボールに移ります。イナケンさんは、死んでも復活できる設定を、ストーリー構成として「チート」ではないかと感じてきたと言います。
あのドラゴンボールのさ、あの、復活するじゃん、死んでも。あれストーリーの構成としてチートだなっていう気がしてて。
パーソナリティは、この指摘から気づきを得ます。漫画の「チート」的な仕掛けをどれだけ少なくできるかは、作者の力量に関わるのではないか、というものです。
ただし、と補足します。復活のような設定は、その作品ならではのロジックとして機能する場合がある。ドラゴンボールで死んで生き返るのは、その世界の中では成立するルールなのだと整理します。
そこがロジックエラーを起こせる、その作品ならではのロジックになるんですよ。
イナケンさんは、ドラゴンボールも後から矛盾を補填した感があると付け加えます。生き返れる回数に制限をかけ、インフレしないよう調整した形跡がある、という見立てです。
一回死んでもう一回死んで生き返れるけど、3回目は本当に死んじゃうみたいな。でも確かそれ後付けだった気するんだよな。
桁違いだった『進撃の巨人』の構想力
パーソナリティが「レベチ」だと評したのが『進撃の巨人』です。イナケンさんは、作者が連載開始時に22、23歳ほどだったはずだと言い添えます。
連載期間はおよそ10年ちょっと。20歳前後で連載していたことを考えると、構想はもっと若い頃からあったはずだ、とイナケンさんは推測します。最初からゴールを描いて描いていた点に舌を巻きます。
(作者は)最初から多分描いてるわけじゃん。化け物よな。何食ったらあんなんだろうっていう。
パーソナリティは、そこまでの作品を作れた背景に関心を寄せます。歪みなく登り詰めたのか、一度歪んでから花開いたのか。想像するだけでも壮絶な人生だったのではないか、と話します。
だからまあ安易に俺が描きたいとは言えないですよ、あれ。
なお、作者の性格や人生については、話者2人とも「あくまで予想でしかない」と断ったうえでの推測にとどめています。
物語の深みは、言語の壁を越える
イナケンさんは、進撃の巨人もワンパンマンも、連載初期は絵がうまいとは言えなかったが、ストーリーが抜群に面白かったと振り返ります。そこから若い頃に1つの確信を得たと言います。
物語の深み極めたらさ、なんか人の脳をバグらせられるんだなって俺はそん時すごい思って。
さらにイナケンさんは、物語を作る能力を、ホモサピエンスの特殊スキルのようなものだと表現します。進撃の巨人が世界で受けているのも、共通のOSを揺さぶる構造があるからではないか、という見立てです。
物語を作る能力って、なんかホモサピエンスのさ、なんか特殊スキルな気がしてて。
パーソナリティは、この構造を抽象化しようと試みます。ポイントは、その物語に共感できる人がどれだけ多いか、だと考えます。
鬼滅の刃と進撃の巨人、共感の裾野の違い
パーソナリティは、鬼滅の刃を例に、共感の裾野の話を展開します。鬼滅は日本文化に強く根ざしているため、日本文化に関心のある層でないとロジックがつかみにくいのではないか、という見立てです。
鬼滅の刃ってごりごり日本文化やから。日本文化が好きとか関心があるやつらしか、もう見ても何もわからない。
パーソナリティによれば、日本人は明示的に描かれていない場面のロジックも想像で補える。カットの切り替わりや、置かれた物からその間に何があったかを読み取れるが、前提が違う海外ではそれが難しいと言います。
一方でイナケンさんは、その鬼滅がアメリカや北米で映画も含めてヒットした事実を指摘し、パーソナリティの見立てに疑問を投げかけます。
めっちゃアメリカとか北米でヒットしたけどな。映画も含めて。
そのうえでイナケンさんは、ハリーポッターを例に、小説を全部読んだ人より映画を全部見た人のほうが多いはずだと言います。人間の認知コストとしては、映像やイラストのほうが低く、言語の壁を越えやすいという指摘です。
ビデオポッドキャストとYouTubeの関係
ここから、話題は自分たちのメディア戦略へ移ります。パーソナリティは、ビデオポッドキャストが来ていると言われても、結局YouTubeのほうがよいのではないか、と疑問を口にします。
来る、来るっすか?そのYouTubeの方が良くないですか?と思って。
イナケンさんは、ビデオポッドキャストもYouTubeも、媒体をどう咀嚼するかという点では同じ話だと整理します。受け手が音声で受け取るか映像で受け取るかは、手段の選択にすぎないという見方です。
そのうえでイナケンさんは、動画と音声で同じものを流す理由として「切り抜き」を挙げます。アメリカで先行し、日本があとから追う流れだと説明します。
長尺回して、YouTubeでも回るし、切り抜きができるから、そこからの流入が取れる。
切り抜き前提のチャネル戦略
イナケンさんは、音声だけだと切り抜き動画が作りにくいと指摘します。今はTikTokやYouTubeショート、リールなど、短尺で刺激を受け取るコンテンツにアテンションが向いている構造だからです。
音声だけでやってたらさ、音声の切り抜きなんてさ、むずくない?って話でさ。
そのうえでイナケンさんは、入り口の戦略を整理します。1時間の長尺をいきなり聞いてもらうのは難しいので、ハイライトをショート動画で回し、興味を持った層を長尺へ流入させる、というチャネル戦略です。
長尺コンテンツを収録
ビデオポッドキャストとして1時間規模の本編を作る
ハイライトをショート動画化
TikTok・YouTubeショート・リールなど短尺で拡散する
本編へ流入
興味を持った一部の視聴者が長尺本編に流れてくる
結局、入ってしまえば音声で受け取るか映像で受け取るかは受け手次第だが、同じものを動画でも音声でも流す理由は、この切り抜きによる入り口づくりにある、というのがイナケンさんの整理です。
パーソナリティは、これを踏まえて、投稿できないフォーマットがないYouTubeの強さに行き着きます。人を先に集めており、Google傘下である点も含めて強いと評価します。
YouTube第一世代としての実感
イナケンさんは、自分たちの世代が、日本でYouTubeを最初から体験してきた第一世代ではないかと話します。2007年前後がスタート地点だという感覚です。
俺らが多分YouTubeという動画コンテンツを、その芯から最初から日本で体験してる、なんか第一世代な気がしてて。
当時のYouTubeは、大人に隠れて見るような、いかがわしいものが載っているサービスというイメージだったと振り返ります。それが職業としてのYouTuberが成立する今に至った変化に、イナケンさんは驚きを口にします。
パーソナリティはこれを「テレビの構造と全く同じ」だと受けます。みんなで見られる何かが流行る風潮が、また繰り返し起きているという見立てです。
これテレビの頃と全く一緒。またまたまたみんなで見れるような何かが流行るような風潮が今あるんですよね。
令和ロマンの勝ち方を、ポッドキャストへ転用する
最後に話題は、お笑いの世界へと飛びます。パーソナリティは、テレビや芸人の世界が今どうなっているかをイナケンさんに問いかけます。
M1とかさ、競技化してるというかさ、正解のフレームワークというかさ。そこを目指してる感はあるよね。
パーソナリティは、令和ロマンがM-1での勝ち方に再現性を持たせた最初の発見者だと見ています。その勝ち方を真似れば自分たちもいけるのではないか、という発想です。
令和ロマンの勝ち方をすれば僕らもいけるっていう話で。
パーソナリティによれば、令和ロマンは、それまで自分だけのものにしようとされてきた勝ち方を、あえて発信して広めた存在です。そのうえで、次の波であるポッドキャストで同じ戦略をやればよい、と考えます。
ただしイナケンさんは、その主張の「ブリッジが弱かった」と率直に指摘します。令和ロマンの戦略が具体的にどう転用できるのか、そのつなぎが飛んでいるという指摘です。
じゃあ止まるところどういうことっていう、なんか(ブリッジが弱かった)。
パーソナリティは、その「ハウ」はまだ分からず、そういうことだろうという予感の段階だと認めます。この続きとして、次回に令和ロマンの戦略を掘り下げると予告し、この回を締めくくりました。
令和ロマンの戦略をそのままパクったら僕ら上に上がれるんじゃないかなと思って。
まとめ
組織論から物語構造、メディア戦略、お笑いまで話が飛びましたが、通底していたのは「なぜそれが機能するのか」という構造への関心でした。幻影旅団のルールも、進撃の巨人の構想力も、切り抜き戦略も、同じ視点で語られています。
- リーダーも役割の1つとし、揉めたらコインのように最低限のルールで組織を回す考え方
- 幻影旅団が「かっこいい」のは、自分ではなく組織という社会のために戦っているから
- ハンターハンターは主人公が流動的で、敵役も魅力的という構造が特徴だという見立て
- 映像やイラストは認知コストが低く、言語の壁を越えやすいというメディア論
- 長尺を切り抜いてショートで拡散し、本編へ流入させるチャネル戦略と、令和ロマンの勝ち方の転用という次回への布石





