偏差値70で急に冷める人、体系化して満足する人
雑談は、リスナーのおさやさんから届いたお便りの紹介から始まります。以前のウィスパー系から方向性が変わったこの感じがさらに好きだという内容で、「偏差値70界隈」という括り方も添えられていました。
最高やんこいつ。もうこいつめっちゃ最高やん。嬉しすぎんねんけど。ありがとう。
この「偏差値70界隈」という言葉に、イナケンが反応します。イナケンは中学・高校の頃、やや学歴を気にする傾向があったと振り返ります。
六十後半と六十八と七十って、なんか二の差であってもだいぶ壁あるというか。俺ね、七十超えた時気持ちよかったな。模試とかで。
ただし、二人のその後の反応は対照的でした。イナケンは偏差値70を超えると下回らなくなり、「こんなもんなんだ」と自分の中で体系化されていったと話します。
一方でホストは、攻略法が見えた瞬間に興味を失うタイプだと語ります。同じゲームを解き続けることへの飽きが、勉強への苦手意識につながっているといいます。
七十以上取るゲームの攻略法がわかると、あ、こうやってクリアすればいいんだって再現性が自分の中に見えてくるから、その瞬間からマジで面白くなくなる。
ホストは、好奇心に従って行動するのは好きな一方で、答えがわかっている勉強は「なんでもう一回すんの?」と感じてしまうと話します。この飽きの感覚は、のちの選挙の話にもつながっていきます。
人生に向き合ったから、初めて投票に行った
話題は選挙へと移ります。ホストはこの回で、人生で初めて選挙に行ったと明かします。きっかけは、筋トレを始めて自分の人生に向き合うようになったことでした。
自分の人生に向き合おうと思ったから、ちゃんと地に足ついてるこの日本という国の意思決定に行こうって思って。
ホストは、知識がなくても選択という行動をすること自体が、当事者意識を持って生きることにつながると考えたと語ります。今回が人生で初めての投票でした。
これを聞いたイナケンは衝撃を受けたといいます。イナケンにとって、投票したことがない状態は軽視の対象ですらあったと打ち明けます。
票を投じたことない選挙童貞は、悪とまでは断じないけど、割と軽蔑の対象ではある。
イナケンがそう考える背景には、得意だった日本史があります。選挙で票を投じることは先人が紡いできた行為だと、勉強を通じて実感する瞬間があったといいます。
我々が選挙に票を投じるのも、先人たちが紡いだかけがえのない行為なんだよっていうことを、勉強をちゃんとしてればその琴線に触れる瞬間があると思ってて。
これに対しホストは、それはあくまで一つの解釈だと返します。自分がその意味に気づくまでは、投票は自分にとって必要のないものだったと語ります。
それを選択するかどうかすらも選択してほしいっていう意思もあったかもしれないじゃないですか。そっちの方が社会として健全だから。
なぜ今、初めての一票を投じたのか
イナケンは、ホストが投票という「ゼロが1になる瞬間」に触れたきっかけを深掘りしていきます。今までのまま投票せずに死んでいく人生もあり得たはずだ、という問いかけです。
イナケン自身は、選挙権が18歳に引き下げられたタイミングがちょうど18歳前後で、投票所も家のすぐ近くの小学校だったため、疑う余地もなく投票に行ったといいます。だからこそ、行かない人の感覚が理解しにくかったと話します。
(イナケンからホストへ)投票というゼロイチに触れた瞬間は何だったのか。
ホストの答えは、深掘りしてもしなくても同じでした。自分の人生に向き合うきっかけが、たまたまこのタイミングで来たから、というものです。
自分の人生に向き合うとは、僕は決断を下すことやと思うんですよ。
ホストは、いろいろなものを一気に捨てたことが転機になったと語ります。所属していた会社、愛想が尽きかけていた相手との関係、案件などです。
捨てるものが一気に多すぎたから、あ、俺何もいらんってなっちゃったんですよ。
一票の手触りのなさと、選挙との向き合い方
イナケンは、実際に投票してみての感想を尋ねます。視界が変わったのか、それとも「こんなものか」だったのか、という問いです。
ホストの答えは「こんなものか」でした。理由として、票の格差は構造的に発生しうる問題だと感じていることを挙げます。
ホストにとって、投票所に行って票を投じ、意思表明をすること自体がゴールでした。結果はコントロールできる領域ではないため、投票した瞬間に「これでいい」と思えるといいます。
結果は自分がコントロールできるところじゃないので、僕は投票した瞬間にこれでいいんだって風に思ってます。
イナケンも、民主主義と選挙の仕組みには手触りのなさがあると同意します。自分の一票が何かに反映されている感覚が持ちにくいという課題感です。
その他大勢によって決められてるわけだから、自分の価値って相対的に薄まってるよなっていう感覚がすげえ俺はある。
『チ。』の作者と、漫画から学ぶこと
話は脱線し、二人が好きな漫画の話へと広がります。ホストは、映画『インターステラー』から愛を、Netflixで配信された『【推しの子】』ならぬ格闘漫画『ハンマー・トゥ・フォール』から恐怖との向き合い方を学んだと語ります。
イナケンは、話題作『ハンマー・トゥ・フォール』の作者と『チ。―地球の運動について―』の作者が同じであることに触れます。この作者はマーケティング思考で漫画を描いていると、ポッドキャストで語っていたと紹介します。
どうやったらこの自分の作品が世に触れるかみたいなのをめっちゃ考えて作りましたみたいな。で、行動しましたみたいな。
ホストは『バクマン。』の作者に話を広げ、『DEATH NOTE』のルール設計のうまさに感心します。世の中を抽象化して、最も面白いルールを作っていると評します。
さらに二人は、『DEATH NOTE』が12巻ほどにあれだけのストーリーを詰め込んでいる情報密度の絶妙さを語り合い、漫画談義で盛り上がります。
衆院選で見えた、票の分布と分断
話題は再び衆院選へ戻ります。ホストが目にしたネガティブな話題として、政党「チーム未来」の裏に誰かがいるのではないかという疑いの声を挙げます。
イナケンは、まさにその点を語りたかったといいます。投開票のデータを地域別に並べると、チーム未来が票を集めたエリアが、年収の高い人が多く住むであろう土地とほぼ完全に重なっていたというのです。
明らかにチーム未来が票を投じた人の数が多かったエリアが、年収が高い人が多く住むであろう土地とほぼ完全にリンクしてるんよ。
イナケンは、チーム未来を批判する人たちの間では「応援しているやつなんて周りにいない」という燃え方をしていたと話します。一方で、イナケン自身の周りにはチーム未来を応援する人しかいませんでした。
イナケンの職場には、もともと一緒に働いていた人や上司・後輩だった人が、チーム未来側に多くいたといいます。だからこそ、見えている世界がまったく違うと痛感したと語ります。
フィルターバブルと『ようこそ、ファクトへ』
イナケンは、この分断を東京都の地図で可視化したデータについて話します。都心に近いほどチーム未来への投票が濃く、周辺にいくほど薄まっていたといいます。神奈川の武蔵小杉や千葉のタワマンエリアも濃く出ていたそうです。
イナケンは、この分断を強めているのがSNSのフィルターバブルやエコーチェンバーだと指摘します。互いに住む世界が違い、相手側の存在そのものが見えなくなっているといいます。
ここでイナケンは、魚豊の作品『ようこそ、ファクトへ』を挙げます。陰謀論にはまる人を描いた作品で、その登場人物とそっくりな行動を取る人たちが、実際にチーム未来を批判していると感じたそうです。
ようこそファクトへに出てくる登場人物、主人公とまんまそっくり同じ行動を取ってる人たちが、チーム未来を批判してるなというのは俺の目に見えて。
イナケンは、閉じた視野の中にアイデンティティが確立しているために、異なる意見が自己否定のように感じられ、攻撃的になるのではないかと考察します。
その閉じた視野の中にアイデンティティが確立してるから、なんか自分が自己否定された感覚になるんだろうな。
敵を作らず、仲良くする方がいいという単純な話
イナケンは、国という単位で外に敵を作ることにも触れつつ、みんな同じホモサピエンスではないかと語ります。日本人という属性も、数あるタグの一つにすぎないという見方です。
日本人っていう属性って、そのタグの中の一個でしかないなってすげえ思ってて。
イナケンは、普通に考えてみんな仲がいい方がいいのではないか、という単純な思いも口にします。ホストもこれに同意します。
仲いいやつ、知れば知るほど自分と違うじゃないですか。だから違うことって前提であって、普通に考えて争わん方がいいじゃないですか。
一方でイナケンは、人間の属性として、敵を作った方が仲間の線引きをしやすいという側面も認めます。究極的には宇宙人を敵にした方がいいのではないか、と最近読んだ本に影響された考えも紹介します。
これに対しホストは、そもそも「敵だから攻撃する」という考え方をやめればいいと返します。自分のビジョンや夢があるなら、他者と協力した方が早く高く行けると語ります。
攻撃的な人ほど弱い、だから筋トレ
イナケンは、攻撃的で顔の見えない相手に思いを馳せてしまうと話し、ホストの解釈を尋ねます。ホストの答えは「何も思わない」でした。
ホストは、目の前にいる友達には具体的にどうしたら良くなるかを考えられる一方で、顔の見えない相手にはそこまで思いを馳せられないと語ります。ただし、苦しんで助けを求めている人や、対話する気のある人には手を差し伸べたいといいます。
攻撃から入ってくる人って僕と対話する気はないじゃないですか。だから対話する気ある人やったら僕は手を差し伸べたい。
二人は、攻撃的で暴力的になる人ほど弱いのではないかという見方を共有します。したたかさの裏返しとしての弱さだといいます。
そしてイナケンは、筋トレで強くなれば、逆に人に優しくなれるのではないかと語ります。ホストも、強くなったと思い込むだけでも効果があると同意します。
結局筋トレしたら強くなったら逆になんか人に優しくなれると思うんだよね。
イナケンは、オスとして非力だと感じるほど、言葉や感情の攻撃性を上げないと生存本能が脅かされるのではないかと考察します。強い人であれば揺らがない、という見立てです。
ただし二人は、マッチョであることだけが答えではないとも確認します。ホストは、ガンジーのように身体的に強くなくても揺らがなかった例を挙げます。
遺伝と人生の「コントロールしてる感」
最後の話題は、イナケンが本気で思っているという、やや壮大に聞こえる話です。体を鍛える人生と鍛えない人生なら、鍛える人生の方がいいと思ったきっかけを語ります。
そのきっかけは大谷翔平でした。自分がフィジカルモンスターになれば、将来子供から大谷翔平のような存在が現れる確率を少しでも上げられるのではないか、という発想です。
自分がフィジカルモンスターになれば、自分の子供から大谷翔平が現れる確率を少しでも上げられるんじゃないかなと思って。
イナケンは、大谷翔平のような外れ値は今の延長線上には現れないため、自分自身が外れ値に近づくしかないと考えます。子供が面白い存在である方が、自分の人生も面白くなるという理論です。
ここでホストが、話の核心につながる言葉を返します。自分の過去を超えていかなければ、想像以上のものは出てこない、というものです。
さらに二人は、これが子供を強制するという意味ではなく、自分の人生の方向性を自分で決めている感'を持ちたいという「コントロールしてる感」の話だと整理します。
どうせ人生なんて解釈やから、コントロールできてると思った瞬間に全部可変になるし、コントロールできひんと思った瞬間に全部不可変のものになる。
二人は、夢中な時間と辛い時間では同じ1分でも密度が違うと語り合います。脳の受け取り方を変えれば、時間さえも可変にできるという話です。
同じ百歳生きてても、なんか密度違うというか。てか俺ら同世代でも、なんか顔見てわかる感じしない?
最後は、時間の過ごし方や傷つき方が顔・姿勢・歩き方に出るという話で締めくくられます。それはあくまで自分と価値観が合うかどうかの話だと確認し、雑談は終わります。
まとめ
初めての投票という一つの体験から、選挙、SNSの分断、攻撃性と弱さ、そして遺伝と人生のコントロールへと話が広がった回でした。通底していたのは、人生に向き合い、自分で決めている感覚を持つことの大切さです。
- 偏差値70で冷めるか体系化するかの違いのように、二人は同じ物事への向き合い方が対照的だった
- ホストにとって投票は結果ではなく、意思表明という行動自体がゴールだった
- SNSのフィルターバブルが「見えている世界の違い」を生み、分断を強めているとイナケンは指摘した
- 攻撃的な人ほど弱いという見方から、筋トレで強くなれば人に優しくなれるという話につながった
- 人生は解釈であり、コントロールできていると思えるかどうかで世界の可変性が変わる






