町中華は北尾トロさんの造語ではなかった?
餃子を語るときに必ず出てくる「町中華」という言葉は、具体的に何を指すのか。小野寺さんは、意外と考える機会が少ないこのテーマを特集すると切り出します。
町中華という言葉を広めたのは、ノンフィクション作家の北尾トロさんです。きっかけは2013年の終わり、北尾さんが学生時代から通っていた中華屋さんが閉店していたことでした。
北尾さんは「こういう町中華はどんどんなくなっていくんだろうね」と口にし、それが始まりだったと語っているそうです。ただし北尾さん本人は、町中華は自分の造語ではなく、以前から使われていた呼び方だとしています。
小野寺さんの見立てでは、町中華という言葉の新しさは、それまで大衆中華、ラーメン屋、中華屋さんなどバラバラだった呼び方を、一つのジャンルとしてまとめた点にあります。名前がつくことで、人々は町中華とは何か、どんな店がそうなのかを考え、探し始めるようになったといいます。
北尾さんは下関マグロさんと町中華探検隊を結成しました。北尾さんが初代隊長、下関マグロさんが2代目で現在の隊長です。
町中華探検隊の目的は、消えゆく昭和の食文化を記憶し、記録することです。隊員は今では100名を超えているそうです。
小野寺さん自身も町中華探検隊の一員として、去年11月に出た学研のムック本『町中華名店大百科 首都圏版』で、餃子の紹介を一部担当しています。
創業年より大事な町中華の「スタイル」
町中華がどんな店なのかについて、実は決まった定義はないそうです。よく言われる目安は、戦後に生まれて高度経済成長期に広がった、個人経営で大衆向けの中華料理店というものです。
町中華は気軽に入れて、1,000円以内でお腹いっぱいになれる店とされます。「安い、うまい、早い」がキャッチフレーズのように語られることも多いと小野寺さんは紹介します。
町中華のメニューには、餃子、ラーメン、チャーハン、野菜炒めが並びます。さらにカレー、カツ丼、オムライスがあることもあり、昼は定食屋、夜は居酒屋として「街の台所」のように愛されてきました。
北尾トロさんは町中華の特徴として、次のような点も挙げているそうです。
- 店主は高齢で口数が少ない
- 常連さんが多い
- 外観や店の雰囲気に年季が入っている
- 接客マニュアルがない
- 味は店ごとに全部違う
小野寺さんによれば、町中華にとって昭和に創業したかどうかは特に大事ではないそうです。平成生まれの店でも、昔ながらの味と空気があれば町中華と呼ばれるといいます。
中国料理と中華料理、NHKの答えは「違いはない」
小野寺さんは冒頭で投げかけた「中国料理と中華料理は何が違うのか」という問いに戻ります。先に答えを言うと、NHKによれば両者に違いはないそうです。
一方で、小野寺さん自身の認識としては使い分けがあります。中国料理は四川料理、広東料理、北京料理、上海料理など、中国で食べられている本場の料理です。
中華料理は、それが日本にやってきて日本人の口に合うようにアレンジされた、日本の中国風の料理だと小野寺さんは捉えています。店の構え方なども中国風になっているところが中華料理だという認識です。
中国で食べられている本場の料理。四川・広東・北京・上海など
日本人の口に合うようアレンジされた、日本の中国風の料理
メニューで見ると、天津飯、中華丼、冷やし中華は「中華」と付いていても日本で生まれた料理で、中国にはないと言われています。小野寺さんは余談として、ナポリタンや台湾ラーメンのように海外の地名がついた日本生まれの料理も挙げ、日本人はこうした料理を作るのが得意なのではないかと話します。
NHKの区別は、NHKことばのハンドブック ── NHKが放送で使う言葉の表記や言い方の目安をまとめた手引き書。アナウンサーや記者が用語の扱いを確認するのに使われます第2版の132ページに載っているそうです。放送では中国料理と中華料理のどちらを使ってもよく、高級で本格的なものを中国料理、庶民的で日本式にアレンジしたものを中華料理と呼ぶ使い分けもあるが、必ずしも従う必要はないとされています。
いや、ちょっと解せない感じもちょっと心の中あるんですけど、NHKさんがそうおっしゃるんであればそうなんでしょうということですね。
呼び名の歴史についても、小野寺さんは研究を紹介します。明治から戦前の料理本では「支那料理」と呼ばれ、戦後から中華料理と呼ばれ始めました。
1950年代には中華料理と中国料理の呼び方が混在し、1960年以降の料理本では中国料理に統一されていたという研究もあるそうです。小野寺さんは結局「要するにどっちでもいい」とまとめています。
焼き餃子は「日本の中華料理」なのか?
小野寺さんの観点では、焼き餃子や天津飯のような日本生まれの料理がある店が中華料理の店です。水餃子しかない店や、中国の伝統的な宮廷料理のようなものを出す店は中国料理の店だと認識しているといいます。
そもそも中国で餃子といえば水餃子が主流です。焼き餃子は日本で独自に進化した食べ方と料理なので、小野寺さんは焼き餃子を中国料理というより「日本の中華料理」だと捉えています。
とはいえ、中国料理の店にも焼き餃子はあります。中国料理の店は水餃子と蒸し餃子を出すところが多いものの、中国の中でも北と南で餃子の傾向が分かれると小野寺さんは説明します。
小麦粉文化。小麦を練った皮の餃子
米食文化。おかずとしての蒸し餃子が多く、米粉の皮のものもある
中国人が日本で営む中国料理の店はガチ中華 ── 日本在住の中国人などが、日本人向けにアレンジせず本場の味で提供する中華料理店を指す俗称。2020年前後から注目が高まりましたと呼ばれることもあります。ガチ中華を含む中国の店では、家庭料理として小麦を自分で練って伸ばすため、餃子の皮が自家製なのが当たり前だそうです。
そうした自家製の皮を使うので、小野寺さんは中国人が営む店の水餃子はとにかく美味しいと話します。日本人に合わせて焼き餃子を出す店もあり、それはそれでおいしいものの、個人的には水餃子のほうがうまいと感じるといいます。
焼き餃子はね、焼き餃子ならではのね、作り方がある。あの小麦粉のグルテンの出し方とか、そういったところで、やっぱりちょっと焼き餃子用にしてほしいなっていう部分もあるんですが。
小野寺さんは、水餃子は焼くだけではダメだと感じる一方、水餃子をベースにした焼き餃子もあると補足しています。
満州からの引き揚げが日本各地の焼き餃子を生んだ
戦後の日本で焼き餃子が流行った背景には、戦時中に多くの日本人が満州に渡っていたことがあります。仕事で行った人もいれば、軍人として行った人もいました。
満州では、中国人が自家製の水餃子を日本人向けに屋台のフライパンで焼いて出しており、それが日本に入ってきたのが日本の焼き餃子のルーツだとも言われます。小野寺さんは、その味はガチ中華で食べられる焼き餃子のようなものだったのだろうと想像しています。
満州へ
戦時中、多くの日本人が仕事や軍務で満州に渡る
屋台の焼き餃子
中国人が自家製の水餃子を日本人向けにフライパンで焼く
引き揚げ
満州から引き揚げた人々がレシピや記憶をもとに餃子を作る
各地の店へ
日本全国に餃子をメインにした店が生まれ、味が店ごとに違う
戦前の日本でも餃子は知られていました。大正13年、14年の雑誌『婦人之友』では、素人にできる支那料理として水餃子、蒸し餃子、焼き餃子が紹介されており、国立国会図書館で誰でも見ることができます。
ただし小野寺さんによれば、その記述の一部は「焼き餃子」なのか「シュウマイ」なのかはっきりしないそうです。
日本で戦後に広まった餃子は、中国東北部の満州から引き揚げた人たちが作ったと言われます。屋台でレシピを教わった人もいれば、食べた味を思い出して作った人もいて、ルーツがさまざまなので、日本各地の餃子は店ごとに味が全部違うのだと小野寺さんは説明します。
宇都宮では、満州に駐屯していた陸軍第14師団の人たちが引き揚げて始めたことがルーツの一つと言われています。野毛の萬里万里や飯田橋のおけ以お景も、満州から引き揚げた人たちが創業した店だとされます。
餃子の満洲は名前に満州が入っていますが、満州から引き揚げたのは創業者のお兄さんで、その話を聞いて創業者が餃子を作ったそうです。今は亡き神保町のスヰートポーヅスイートポーズ、大分の湖月、神戸の元祖ぎょうざ苑元祖餃子苑なども、創業者が満州で餃子の作り方を学んで店を開いたといいます。
こうした例を踏まえ、小野寺さんは日本の焼き餃子のルーツは満州にあると言えるのではないかと話しています。
お取り寄せは引き揚げの歴史を持つ静岡の「福満餃子」
今週のお取り寄せ餃子は、まさに引き揚げの歴史を持つ静岡県静岡市の餃子の福満さんの「福満餃子」です。福満さんは焼き餃子協会の法人賛助会員でもあります。
餃子の福満さんの創業は1954年、昭和29年です。満州から引き揚げた初代が静岡で始めた店で、小野寺さんは飯田橋の店と同じ年代だと話します。
現在は2代目の矢部繁孝さんが朝6時から仕込みに入っています。実際に訪れた小野寺さんは、家庭的な店だったと振り返ります。
浜松の名店・福みつ福光の創業者も、静岡の福満さんで修業していたそうです。小野寺さんは、店名に「福」が共通していることにリスペクトがあるのかもしれないと話しています。
福満餃子の皮は公式サイトでは市販より厚めとされますが、小野寺さんの感想ではそれほど厚くなく、口溶けもよく、思ったより薄めに感じるほどのノーマルサイズです。むしろ餡の味がしっかりしていると評しています。
福満餃子の餡は牛・豚・鶏の3種類の肉を使い、隠し味にすりごまが入っています。小野寺さんは、ご飯やお酒が欲しくなる味だと紹介し、パッケージも中華らしいシルエットだと添えています。
ラーメンの原点・浅草來々軒が約50年ぶりに復活
町中華といえばラーメンで、そのラーメンの原点と言われる店が浅草來々軒です。創業は1910年、明治43年。横浜の中華街から広東の料理人を招き、その麺料理に日本人の口に合うよう醤油などを足して改良していきました。
浅草來々軒は大人気となり、日本で最初のラーメンブームを起こしたと言われています。天津飯のルーツも浅草來々軒だとされ、「何々軒」という屋号が広がったのも来々軒の影響だと言われているそうです。
ところが浅草來々軒は後継者がおらず、1976年に閉店しました。その後、新横浜ラーメン博物館が当時使われていた小麦粉などを研究し、期間限定で復元しています。
そして今年7月、創業者の玄孫にあたる高橋祐作さんが浅草で約50年ぶりに店を復活させました。新しい浅草來々軒は、かつて太陽という餃子の店があった跡を使っており、小野寺さんは縁を感じると話しています。
ブームの裏で中華料理店の倒産が増えている理由
町中華には復活の兆しが見える一方で、厳しい現実もあります。東京商工リサーチによると、2026年1月から7月の中華料理店の倒産は22件で、前年同期より約7割増え、2012年以降の同じ期間で最多だそうです。
2025年の中華料理店の休業・廃業・解散は99件ありました。町中華を含む中華料理店の閉鎖が増えていると小野寺さんは伝えます。
閉店が増える理由は、肉や油などの原材料の値上がりと光熱費の上昇です。中華料理はカロリーの高い料理なので、コストも高くなります。
大手チェーンなら大量仕入れで値上げを抑えられますが、個人の店では難しいと小野寺さんは指摘します。少しずつ値上げしてきたものの限界があり、ギブアップする店が増えているそうです。
そこに店主の高齢化が重なります。戦後からずっと店を続けてきたものの後継者がおらず、体力もなくなって、やむなく閉店する店が増えているといいます。
大手チェーンが作る「新しい町中華」
一方で、町中華に魅力を感じて新しい町中華を作る人たちもいて、特に大手チェーンの動きが目立つそうです。その例が、番組の♯129でも紹介した恵比寿の大龍軒です。
恵比寿の大龍軒は黄色い大きな看板に赤いテーブル、コの字型のカウンターという、いかにも町中華らしい店です。チェーン店には見えませんが、実は大阪王将を運営するイートアンドの系列が手がけています。
御茶ノ水の満龍や大塚の興龍軒も、同じく大阪王将のグループ会社が運営しているそうです。小野寺さんによると、これらの店は店ごとにオリジナルメニューを手作りしており、全部同じメニューではなく、しかもきちんと町中華の味になっています。
素材の仕入れでは大阪王将グループの力を生かし、低コストで品質を安定させているため、値段も手頃です。さらに、大龍軒や満龍、興龍軒で人気になったメニューが本家の大阪王将に取り入れられる循環もあるといいます。
仕入れ
グループの力で低コスト・安定品質の素材を調達
各店
大龍軒・満龍・興龍軒が店ごとのオリジナルメニューを手作り
本家へ
人気メニューが大阪王将に取り入れられる
大阪王将のほかにも、かっぱ寿司、牛角、大戸屋などを展開するコロワイドグループが、居酒屋の甘太郎から生まれた「甘太郎食堂」という町中華の店を今年横浜で始めています。居酒屋が業態を変えて町中華風の店にするケースも増えているそうです。
メニューや内装を中国っぽい雰囲気にしたネオ中華 ── 伝統的な町中華や本場の中国料理とは異なり、内装やメニューに現代的なアレンジを加えた新しいスタイルの中華料理店を指す呼び方と呼ばれるスタイルも増えています。小野寺さんは、ガチのストロングスタイルの町中華は減りつつあっても、町中華のDNAが形を変えて受け継がれていくことが嬉しいと話しています。
この秋に読みたい『ニッポン中華街探訪』
小野寺さんは、11月13日発売の本『ニッポン中華街探訪』(産業編集センター)を紹介します。著者は「中華三兄弟」と呼ばれる3人の中華の研究家です。
3人は、東京餃子通信の編集長でジャパン餃子大賞の審査員も務める塚田僚一さん、焼きそば研究家の塩崎翔吾さん、日本シュウマイ協会代表理事のシュウマイ潤さんです。全国各地の中華を食べ歩いてきた3人だといいます。
『ニッポン中華街探訪』は、日本三大中華街の横浜・神戸・長崎と、ネオ中華街と呼ばれる埼玉の西川口を舞台に、食べて飲んで語りながら日本の中華の奥深さを紐解く一冊だそうです。
小野寺さんは、各地の中華街は戦前から中国の料理が日本に入ってきた玄関口であり、それが町中華という形で日本中の街に広がり根付いたと話します。内容はまだ知らないもののAmazonで予約済みで、届くのが楽しみだといいます。
美味しい餃子が食べられれば、スタイルは何でもいい
エンディングで小野寺さんは、町中華には「安い、うまい、早い」をモットーに頑張ってきたストロングスタイルの店もあれば、モダンなネオ中華も生まれ、日本らしい形に進化していると振り返ります。
で、私個人にはね、どんなスタイルでもいい、美味しい餃子が食べられれば何でもOKです。
小野寺さんは、リスナーの周りにある町中華や「この店は行っておけ」という情報があれば教えてほしいと呼びかけています。
広島で試した「町中華」という言葉の響き方
一言本音のコーナーで小野寺さんは、町中華探検隊から派遣されて広島に行った話をします。10月17日と18日に開催された音楽イベント「HIROSHIMAじゃズ2026」のフードエリアに中華エリアがあり、浅草來々軒と西荻窪の金菜亭が出店しました。
小野寺さんは2店の集客のために現地で動きました。來々軒は店で出していないチャーシュー焼きそば、金菜亭は普段のメニューをイベント版にした油ちゃんぽんを用意したそうです。
その場で小野寺さんは、どんな言葉がお客さんに響くのかをテストしました。結果は、単に町中華と打ち出すより、町中華を文脈やエッセンスとして使うほうが効いたといいます。
「町中華ですよ」と言うだけでは、ピンとこず響かない
「美味しいメニューを町中華のエッセンスで」と文脈に使うと、美味しそうに感じる人が多い
こういった日本って世界中の料理を日本風にね、普段使いの料理に落とし込んでいくってのがね、やっぱ超得意ですよ。
小野寺さんは、その一つが町中華であり、そこからアレンジして新しい料理が生まれるのも日本らしいと話します。餃子からも新しい料理が生まれることを期待しつつ、まだそこまでは至っていないとしています。
まとめ
町中華は定義のない、店ごとに味も空気も違うスタイルとして語られています。焼き餃子はその町中華を代表する「日本の中華料理」であり、満州からの引き揚げを経て各地に根付きました。個人店の閉店が増える一方で、大手チェーンやネオ中華など新しい担い手によって、町中華のDNAは形を変えて受け継がれようとしています。
- 町中華は北尾トロさんの造語ではなく、バラバラだった呼び方を一つのジャンルにまとめたことに意味があった
- NHKは中国料理と中華料理を区別しないが、小野寺さんは焼き餃子を日本生まれの中華料理と捉えている
- 日本の焼き餃子のルーツは満州にあり、引き揚げた人々によって店ごとに違う味が各地に広がった
- 原材料高と後継者不足で中華料理店の倒産が増える一方、大阪王将グループなどが新しい町中華を作っている
- 広島のイベントでは、町中華を前面に出すより、エッセンスとして文脈に使うほうが響いた







