Instagramで見えた「餃子への愛情」
番組の冒頭で、小野寺さんはマダラの餃子を知ったきっかけを語ります。Instagramで見た写真に、強いこだわりを感じたといいます。
餃子の皮を手作りしていること、細かいひだをつけて手包みしていること。その写真の撮り方から、餃子への愛情が推し量れると話します。
写真の撮り方で、だいたい餃子への愛情というのが推し量れちゃうものなんですけれども、まさにマダラさんは愛情がすごく見えちゃうパターンでして。
さらに、イタリアンレストランのソムリエから独立し、それも宇都宮で餃子屋を始めたというプロフィールに興味を持ったといいます。
飯塚さんは去年4月、自宅の敷地に建てた4畳半のプレハブで、スモールビジネスとして小さく事業を立ち上げました。
駐車場だったところにプレハブを置きまして、通勤0時間にしちゃいまして、スモールビジネスで小さく小さく、去年の4月に立ち上げました。
店名「彪」に込めた母への思い
まず気になるのが、マダラという店名の由来です。漢字では「彪」と書き、音読みで「ヒョウ」と読むこともある漢字だといいます。
飯塚さんの母親は1950年生まれの寅年で、家には虎の置物が多くありました。小さい頃から虎という動物を身近に感じて育ったといいます。
保育園の頃の写真を見ると、阪神タイガースのセーターを着せられてたりとか、気づけば阪神タイガースの帽子を被ってたりしてたんですね。
母親は秋田県の稲庭うどんの店で25年ほど勤めた飲食のプロでした。その姿をリスペクトしていた飯塚さんは、母の思いを継承しようと、寅年だった母の干支を店名にしたと語ります。
ただし店名は「寅」ではなく「彪」です。この漢字には、虎の毛皮の美しい模様という意味が込められているといいます。
私が手がける餃子も、お客様が手にした時に綺麗だな、美しいなって思ってもらえるような商品にしたい。その思いも込めて、この名前にしました。
大手にはできない、手作りへのこだわり
マダラの餃子は、皮まで手作りされています。小野寺さんは、大きなメーカーにはできないことをあえて全部やる勢いを感じると指摘します。
あえて小さいからこそできることにチャレンジしようと。工業的に作るよりは、本当に手作りでできる限り手作業の仕事をしたいなっていうところで。
皮から手作りすることで、天然の色素で皮に色をつけることもできると飯塚さんは説明します。それが商品の差別化につながるといいます。
一方で、その道は決して楽ではありません。飯塚さん自身、なぜこの苦行のような道を選んでしまうのかと語ります。
包み方も、麦の穂の形をした細かいものです。一般的な餃子の形の方が生産性は上がりますが、あえてそこではない部分に価値を見出そうとしています。
家族を失い、宇都宮へ戻った転機
なぜソムリエから餃子作りの道に進んだのか。小野寺さんが尋ねると、飯塚さんは2019年が大きな分岐点だったと語ります。
2019年6月に長女が誕生します。しかしその3ヶ月後の9月に父親が、翌月には母親が相次いで他界しました。
家族が生まれてくるばっかりの家族構成の変化ではなくて、失ってしまう家族構成という中で。
当時、飯塚さんは阿佐ヶ谷に住んでいました。宇都宮の実家が急に空き家になり、子どもも生まれたことで、生活の場をどうするかが大きなテーマになったといいます。
妻が宇都宮で生活してもいいと言ってくれたことがきっかけで、2022年に宇都宮へ戻ります。それでも仕事は阿佐ヶ谷のままでした。
宇都宮から阿佐ヶ谷まで、片道2時間半。往復5時間かけて、2年間ディナー専属として通い続けたといいます。
子どもとの時間と、餃子の英才教育
宇都宮で餃子を作ろうと思った理由には、子どもと一緒にいる時間を増やしたいという思いがありました。
通勤していた2年間は、妻がほぼワンオペで、飯塚さんは寝に帰ってくるような状況だったといいます。退職後は、何かあればすぐ子どものお迎えに行ける環境を作りたかったと語ります。
今では、娘たちが工房の扉を開けて「ただいま」と声をかけてくれます。皮をねだられ、遊び道具として渡すこともあるといいます。
パパ、コネコネちょうだいって言って、皮を取っといてあげて渡してあげると、それを持って家の中に入っていって、コネコネして遊んでるんですけど。
5歳の長女は、実際に餃子を包んでくれたこともあるといいます。独創的な包み方をするその姿に、子どもならではの発想の楽しみ方を感じると話します。
キッチンに一緒に立って食べ物を一緒に手がけるっていうのは、娘たちにとっても思い出として記憶に残ってくれたら嬉しいなって。
独立への迷いと、妻の後押し
独立にあたって家族の反対はなかったのか。小野寺さんの問いに、飯塚さんは意外な答えを返します。飲食業を長く続けてきたものの、独立願望は一度もなかったというのです。
本当に性格がビビリなんで、自分で何か始めようって思ったことは一度もなかったというか。
飯塚さんは自分を、トップに立つより、トップをそばで支える仕事が向いているタイプだと分析します。それでも、家族の生活を守るために動く必要がありました。
そんな迷いの中で、妻の方から「いい機会だからやってみたら」と背中を押されたといいます。
実店舗は持たず、家にいながらできる形を模索した結果が、今の工房のスタイルです。販売はECサイトのほか、宇都宮市と隣町の直売所、通っている美容室の冷蔵庫での委託販売で行っています。
餃子は「一品料理」であり「完全食」
将来はお店もやりたいのか。飯塚さんは、ソムリエとしてお客様と対峙する仕事に自分の力が発揮できると考えており、いつかは対面の店を持つことを夢に描いています。
バイオーダーで餃子が作られて、見られながら、エンターテイメント性を持たせたお店。小さくてもいいんです。
ここから話は、二人が共有する餃子観へと広がります。餃子がラーメン屋のサイドメニュー的存在であることに、飯塚さんは納得がいかないといいます。
皮から手作りするのも、皮そのものを味わってほしいという思いからです。飯塚さんは餃子を、パスタと同じ麺料理として捉えています。
パスタにロングパスタだけでなく詰め物パスタがあるように、餃子も皮のモチモチ感や小麦の風味を楽しむ料理だと語ります。だからこそ、出来たてを食べてほしいといいます。
餃子だけで勝負するお店っていうのができたら嬉しいなっていうのを。
味わいと、お客様の手で仕上げる楽しみ
小野寺さんは、マダラの餃子を食べた第一印象を「優しさ」と表現します。噛むほどに旨味が深く出てきて、表情が変わっていく餃子だと語ります。
飯塚さんにとって餃子は、それだけを食べ続ける完全食です。子どもの頃から、ご飯と一緒に食べるのは邪道だと思っていたといいます。
さらに、まずタレをつけずに食べてほしいと話します。作り手がどんな思いで味付けをしたのかが、そのまま食べることで一番ダイレクトに伝わるからです。
全部食べ終わった時に口の中が餃子で満足している状況、またはちょっと足りなかったかなぐらいの気持ちで、もうちょっと買っとけばよかったって思ってもらえるような。
一方で、飯塚さんは自分の手元で完成した状態を100点とは考えていません。
私が送った餃子が70点、80点の状態で仕上げているものを、お客様の手元でお客様の味で仕上げてもらって楽しんでいただくことが一番楽しい食べ方。
ご当地の調味料でアレンジするなど、お客様の味で仕上げてもらうこと。それが一番楽しい食べ方だと語ります。
餃子屋同士のつながりと「彪」の目指す味
開業にあたり参考にした店を尋ねると、飯塚さんは東京の手作り餃子店に足を運んだと答えます。さらに、滋賀県の餃子屋はまだ、横浜の妙和亭とInstagramで交流があり、丁寧に相談に乗ってもらったといいます。
発送先を日本地図に塗っていく取り組みも、妙和亭を真似たものだと明かします。小野寺さんは、餃子屋にはライバル意識より、みんなで広げていこうという気持ちが強い人が多いと語ります。
餃子の餃という字は、食で交わると書くんですが、食べるだけじゃなくて、作る人たちも交わって成長していっている産業な気がするんですよね。
最後に飯塚さんは、リスナーへの思いを語ります。15年続けたソムリエの経験から、餃子と発酵という接点を大切にしているといいます。
栃木県矢板市の生の米麹を使い、化学調味料に頼らず味を整えています。麹は日本にしか存在しない国菌であり、その旨味を餃子に落とし込みたいと話します。
まだ手にしていないお客様がおりましたら、一度ぜひ騙されたと思って食べていただければ。そして全国に広がっていくことを私自身望んでいます。
まとめ
ソムリエから餃子屋へ転身した飯塚さんの「彪 madara」には、母への思い、家族との時間、そして餃子を一品料理として届けたいという願いが詰まっています。手作りにこだわる小さな工房から、餃子の新しい楽しみ方が広がっていきそうです。
- 店名「彪」は寅年の母への思いと、餃子の美しさへの願いを込めたもの
- 家族を相次いで失い宇都宮に戻ったことが、餃子屋を始める転機になった
- 皮から手作りし、麦の穂の形に包むなど、大手にはできない手作りにこだわる
- 餃子は一品料理であり完全食という信念のもと、まずタレをつけず食べてほしいと語る
- 米麹など発酵調味料を活かし、お客様が自分の味で仕上げる楽しみを大切にしている

