高田馬場での一人暮らしと、100人が集まった餃子イベント
話は2009年にさかのぼります。エナジーズ株式会社を立ち上げたのと同じ日に離婚し、小野寺さんは高田馬場で一人暮らしを始めました。
夜ご飯は基本的に餃子。駅前の餃子の王将に毎日通い、食べた餃子をFacebookに載せ続けていたそうです。
そんな様子を見た友人から「餃子が好きなの?」と聞かれ、宇都宮から餃子を持ち帰ってみんなで焼こうという話に発展します。
渋谷のコワーキングスペースCOBAで開いたイベントには、なんと100人ほどが集まることになりました。
なんか集めたら100人ぐらい来ることになりまして、やばいやばいと。
当時は餃子を焼いた経験がほとんどなく、全国からお取り寄せした餃子を提供する形になりました。
本当にあの時もお客さんには今振り返ってみると申し訳ないんですけど、大した焼き方でもなく、美味しくもなかっただろうなと。
通販サイトごとに違う「餃子愛」への気づき
このイベントで、小野寺さんは世の中の人が想像以上に餃子好きだと知ります。中学生の頃から餃子を作る家庭もあると聞き、食文化としての深さに気づいたそうです。
さらに驚いたのが、お取り寄せの通販サイトごとに餃子への愛情表現がまったく違うことでした。
餃子が美味しそうに見えないサイトもあれば、我が子のように書かれているサイトもある。そして実際に食べると、愛情が伝わる店のほうが断然美味しかったといいます。
何度もお取り寄せするうちに、作り手から「うちの餃子はこう焼いてほしい」と電話が来るなど、密なやり取りが生まれるようになりました。
そこで小野寺さんは、作り手の強い愛情が世の中に伝わっていないというギャップを強く感じます。
当時すでに餃子の発信をしている人は多くいたため、自分は「お取り寄せ餃子」にフォーカスすることに決めます。
家庭で包む餃子の素晴らしさは認めつつ、プロが作り地域の特産品や小麦粉にこだわった餃子を、正しく焼いて食べる美味しさも伝えたい。そう考えて、2013年からお取り寄せ餃子を集めるイベントを始めました。
「餃子ジョッキー」と「行」のアイコンが生まれる
活動を続けるうちに、周囲の友人が面白がって肩書きを作ろうという話になります。
DJが世界中の音楽を集めて場に合わせて提供するように、全国の餃子をどう食べれば美味しいかを提案していく。その発想から「餃子ジョッキー」という名乗りが生まれました。発案は元コナミのヨシミさんだそうです。
もう一つ大きなインパクトを与えたのが、番組のカバー画像にもなっているアイコンです。
2015年、浅草のポップアップスタジオで戦国武将・直江兼続の甲冑を着て写真を撮り、Facebookに投稿しました。
すると電通で一緒に仕事をしていた大塚さんが、10分ほどで前立ての文字を「愛」から「行」に変えてくれたのです。
さらにデザイナーの太田さんが文字を調整し、今のアイコンの形になりました。以来10年ほど、このアイコンが目印として使われ続けています。
一般社団法人焼き餃子協会の設立
2016年頃には餃子の焼き方にも自信がつき、イベントを開くだけでは足りないと感じ始めます。活動をきちんと大きくするため、2018年に一般社団法人焼き餃子協会を立ち上げました。
協会のミッションは、美味しい餃子と、それを美味しく食べたい人をつなげること。そしてそれを世界へ広げていくことです。
日本の焼き餃子文化を世界に広めていくことによって、作っている人たちと美味しい餃子を食べたい人たちをつなげられるんじゃないか。
つなぐ役目として、餃子の焼き方を伝える人を増やすことも重視しています。協会は2018年から5年以上続いています。
なぜ宮崎の餃子に注目したのか
宮崎の餃子と本格的に関わり始めたのも2018年頃でした。2017年に神田で開いたソーシャル餃子フェスで、これから宮崎に移住するという恒吉さん、現在の宮崎支部長と出会ったことがきっかけです。
一緒に宮崎の餃子を盛り上げようという話になり、大切にしたのは、外部の人間だけで頑張るのではなく、宮崎市民自身が発信することでした。
2018年にはストリート餃子フェス宮崎を開催。餃子の馬渡さんや高鍋餃子さん、丸岡さんなど、地元の店に協力してもらいました。
開催時、餃子の馬渡社長からは「本来我々がやらなきゃいけなかったイベントだ」という言葉があったといいます。外部の提案をきっかけに、地元の作り手自身が動き出したのです。
宮崎に注目した理由もはっきりしています。宇都宮と浜松が二強で有名な一方、宮崎は京都と三番手を争う位置にあり、なかなか注目されにくかったからです。
宮崎の餃子は宇都宮や浜松と同じく戦後からの歴史があり、味にも自信がある。ただ、それが伝わっていないだけだと小野寺さんは考えます。
現状
宇都宮と浜松の二強体制
第三極づくり
宮崎を押し上げて三強体制にする
戦国時代へ
地域ごとの特色が競い合い、餃子文化が広がる
仕掛け株式会社と焼き餃子協会の二枚の名刺
餃子の活動資金を支えているのが、仕掛け株式会社です。もとはエナジーズ株式会社でしたが、2016年に社名を変更しました。
クラウドコンピューティング導入支援というミッションから、より大きく「新しい世の中の仕掛けを作る」枠組みへと広げたのです。ひらがなの「仕掛け」が可愛いという理由も込められています。
焼き餃子協会は非営利法人で、お金を動かせません。そこで仕掛け株式会社が事務局として土台を作り、協会の看板を載せて活動する仕組みになっています。
名刺も2枚ありますけど、どっちも裏表みたいな状態ですね。
仕掛け株式会社のメンバーは全員、何かしら食に関わる仕事をしています。生肉やレトルトフードなど、それぞれの分野を持っているそうです。
小野寺さんにとって食はエンターテインメントです。お腹を満たすだけでなく、食べることで心が動き、喜びが生まれる。それも一つの仕掛けだと考えています。
これからの使命と「餃子文化を世界に」
焼き餃子協会のミッションはまだ半ばだと小野寺さんは話します。最近は百年フードに宇都宮や福島、津餃子などが認められ始めていますが、全国にはまだ知られていない餃子文化が多く残っています。
店単体でやっている地域を団体としてまとめたいという人がいても、一人では動かしにくい。そこに第三極として関わり、立ち上げの手のかかる部分を一緒に担いたいといいます。
前編でも語られたように、小野寺さんはスタートレックで育った人間で、テクノロジーだけでなく人間関係やコミュニティの力を重視しています。
目指すのは、日本の焼き餃子文化を世界に広めること。餃子そのものは加工肉の関係で輸出が難しくても、焼くという文化なら輸出できるのではないかと考えています。
世界には小麦粉で肉や野菜を包む料理は多くありますが、それを焼く文化はあまりありません。焼くことで生まれる美味しさを伝えていきたいそうです。
近年は餃子を食べたい外国人観光客も増えており、どの店に行けばよいかを案内する必要もあると感じています。そのため昨年、国内旅行業取扱管理者試験に合格しました。
決算の都合で旅行業そのものはまだですが、旅行サービス手配業として登録し、日本旅行業協会にも加入。全国の餃子を巡る旅を多くの人に楽しんでもらうことを目指しています。
一方で、餃子を真剣に作る人がいるのに、無関係な業種がイベントで餃子を出すような動きも増えてきたと指摘します。
最後に小野寺さんは、このポッドキャストを聴いてくれた人への感謝を語りました。
もう聞いていただいたあなた、私の親友だと思いたいぐらい、僕のことをあまりこう外でここまで開けっ広げに話すことはないです。
まとめ
偶然の一人暮らしから始まった餃子との縁は、作り手と食べ手のギャップを埋める使命へと育ちました。餃子ジョッキーとして、また焼き餃子協会の代表として、小野寺さんは餃子文化を世界へ広げようとしています。
- 高田馬場での餃子生活と100人規模のイベントが、餃子への使命感の出発点になった
- 通販サイトごとに異なる「餃子愛」への気づきが、作り手と食べ手をつなぐ活動につながった
- 2018年に焼き餃子協会を設立し、宮崎を第三極として押し上げる活動を続けている
- 非営利の協会を仕掛け株式会社が資金面で支える二枚の名刺の仕組みで運営している
- 今後は旅行業やイベントを通じ、日本の焼き餃子文化を世界に広げることを目指している
