やりたいことがあるのに、始める前に冷めてしまうのはなぜ?
今回しゅうへいさんが持ってきたのは、哲学者の国分功一郎さんの著書『目的への抵抗』です。しゅうへいさんがこの番組で国分さんの本を紹介するのは3冊目で、『暇と退屈の倫理学』などに続く一冊になります。
しゅうへいさんは、やりたいことがわからないという悩みはとても多いと話します。自身もモヤモヤした20代を過ごし、30代になっても「今やっていることをやっていいのか」と定期的に迷走してきたそうです。
小説を書いてみたい、ギターを始めたい、今だったらAIでアプリを作ってみたいとかってあるけど、そう思った瞬間にうまくやってる人がもう目に入っちゃう。
さっきまでちょっとやろうと思ったのに、なぜか始める前から冷めてしまうということって結構ないですか?
始める前に冷めてしまうと、「自分にはやりたいことがない」と感じて、またやりたいこと探しに戻ってしまいます。やりたいことを次々に実現している人を見ると、できていない自分がダメに思えてくる。しゅうへいさんは、こうしたループにはまる人は多いと考えています。
思いつく
ギターやアプリなど、やってみたいことが浮かぶ
他人が目に入る
すでにうまくやっている人を見てしまう
冷める
今さらやっても意味がないと感じ、始める前にやめる
探し直す
やりたいことがないと思い、また探しに戻る
しゅうへいさんによれば、このループの背後で邪魔をしているのが「目的」という概念です。この本は、国分さんが目的に抵抗してみるという挑戦をしている一冊だといいます。
しゅうへいさんがまとめる本書のワンメッセージは、やりたいことを見つけるには目的を捨てなさいというものです。ただし「何も考えずに始めろ」という意味ではなく、その中身を3つのポイントで紹介していきます。
「目当て」から始まった、目的への刷り込み
1つ目のポイントは、私たちが目的というものを盲信している、ということです。しゅうへいさんが「目的を立てるなと怒られたことはあるか」と尋ねると、幸あれこさんは逆に「目的を立ててないからダメなんだ」と言われた経験を挙げます。
そこで幸あれこさんが思い出したのが、小学校のノートの最初に書いていた「めあて」です。
なんかさ、今思い出したんだけど、小学校でもノートの初め(に)目当てって書かなかった?
あれ(めあて)を可愛くするのにすごい時間かけてた。
しゅうへいさんは、この「めあて」のように、私たちは学校教育の頃から目的を持つことを刷り込まれていると指摘します。目標を持とう、人生の目的を見つけよう、ゴールを明確にしよう。それを当たり前と思っているのに、持ったからといって人生が変わってはいない、というのが問題提起です。
しゅうへいさん自身も、SNSやAIで何かやりたいという相談を受けると、つい「ゴールは何か」「いつまでに何を達成するか」と聞いてしまうといいます。目的を聞くことは便利ですが、必ずしも助けになるとは限りません。
弾いてみたいという気持ちよりも、弾いた先に何が得られるのかが結局目的のところに戻ってきちゃうのね。
しゅうへいさんによれば、国分さん自身も、哲学に目的という概念を疑う議論があることを知っていながら、以前はその意味が理解できなかったと本の序盤で書いているそうです。
目的は悪者なのか?コーチング的な視点と国分さんの経歴
しゅうへいさんは、目的はOSのように仕事や生活に深く入り込んでいて、目的がなければ何もできないと感じるほど当たり前になっていると話します。だからこそ疑うことすらしない、というわけです。
一方で、コーチングもしている幸あれこさんは、目的には意味があるという立場から応じます。
もし達成したいものがあるなら、その目標を明確にした方が、できるだけ回り道せずにたどり着けるっていう理論はあるよね。
しゅうへいさんもこの点には同意し、目的そのものが悪いわけでは決してないと確認します。そのうえで、目的が引っかかりになっている場合もある、というのが本書の視点です。
しゅうへいさんは、国分さんの経歴にも触れます。国分さんはもともと哲学専攻ではなく、しゅうへいさんの記憶では政治系だったそうです。しっくりこないなかで仲間と古典を読み合ううちに哲学に目覚め、哲学者になったといいます。
しゅうへいさんは、自分たちの経験を振り返っても、目的からずれたところで何かを達成していることがあると話し、まず目的を疑っていないことに気づくことを1つ目のポイントとしてまとめます。
コロナ禍にアガンベンは何を問うたのか?
2つ目のポイントは、目的があると手段や我慢を正当化してしまう、ということです。ここで登場するのが、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベン ── 1942年生まれのイタリアの哲学者。権力と生の関係を論じた「ホモ・サケル」シリーズで知られ、コロナ禍の行動制限を批判する論考で議論を呼びましたです。
しゅうへいさんの説明によれば、アガンベンはコロナ禍に、感染を止めるために移動の自由などが制限され、人々がそれをすんなり受け入れている状況に警鐘を鳴らし、ネット上で激しく批判されたそうです。
国分さんはこの出来事から論考を始めていて、コロナ禍に盛んに使われた「不要不急」という言葉にも目を向けています。命を守るためなら、人が大切にしてきたものをどこまで諦めてよいのか、という問いです。
しゅうへいさんは具体例として、志村けんさんの家族が最期に会えなかったことや、移動の制限を挙げます。アガンベンが問題にしたのは、生存を最優先にするなかで、こうしたものを簡単に手放してしまう社会だといいます。
そこでアガンベンが使う言葉が「むき出しの生」です。文化的な営みや不要不急のものをすべて外し、ただ生存のためだけにある生のあり方を指しています。
スカーフがなくても不要不急じゃん、スカーフ。
これ(スカーフ)文化的活動なの。
スカーフひとつをとっても、生存には不要でも文化的には意味があります。むき出しの生だけでいいのか、言われたからといってすんなり受け入れていいのか、というのがアガンベンの問いだったとしゅうへいさんは紹介します。
コロナ禍のイライラと、四角い枠に立ち続ける男
しゅうへいさんは、コロナ禍に自身が感じていた苛立ちも率直に語ります。山手線でマスクをしていないとジロジロ見られたこと、ホテルのビュッフェで毎回手袋をつけ、席ではマスクを外して食べ、また付けて取りに行くことへの違和感などです。
結局なんか大丈夫ってなってさ。今もなんかコロナ(が)増えてたインフルがすごい冬ってでしょ?誰も気にしてないじゃんか。
しゅうへいさんは、ルールを守ること自体は大事だとしつつ、それをすんなり受け入れてしまうことには危うさがあり、アガンベンの発言は大事な抵抗だったと考えています。
続いてしゅうへいさんは、ある映像作品のたとえ話を紹介します。若者がおじさんから「お金をあげるから四角い枠の中に立ち続けてほしい」と頼まれ、毎日引き受けているうちに40年が経ってしまう、という話です。
しゅうへいさんは、この話を会社勤めに重ねます。辞めたいと思いながら、毎月の給料のために席を守り続ける人は多い。公園の枠に立ち続ける人には疑問を持つのに、会社のことならすんなり受け入れるのはなぜか、という問いです。
お金がもらえるから立ち続ける。見る人は「離れればいいのに」と疑問に思う
生活費がもらえるから通い続ける。「生活のため」という目的があるので当たり前だと受け入れられる
目的はまさに手段をただ正当化する、我慢を正当化するものでしかないんですよ。目的、そんな高尚なものではないかもしれないんですよね。
「目的は手段を正当化する」とアーレントは言った
しゅうへいさんは、ここで別の哲学者ハンナ・アーレント ── ドイツ出身でアメリカに亡命した政治哲学者。『全体主義の起原』や『人間の条件』などで知られ、人間の活動のあり方を論じましたを紹介します。アーレントは著書『人間の条件』のなかで、目的は手段を正当化すると指摘しているそうです。
しゅうへいさんの説明では、お金を得るためだから枠に立ち続ける、安全のためだから移動の自由を制限する、というように、目的があると「そのためならこの我慢は必要だ」と納得してしまう、ということです。
さらにしゅうへいさんは、ドイツのメルケル首相がコロナ禍の移動制限について話したエピソードにも触れます。東西に分かれていたドイツでようやく手に入れた移動の自由を制限しなければならないことを、根源的な権利への制限だとわかったうえで語ったらしい、と紹介しています。
しゅうへいさんは、移動の自由は当たり前ではないということを、私たちはわかっておかなければならないと締めくくります。
目的からはみ出した楽しさは、続けていい
3つ目のポイントは、目的からはみ出した楽しさを続けていい、ということです。しゅうへいさんは、これは自分なりの回答も含んでいると断ったうえで、そもそも目的はあってよいと話します。
国分さん自身も、目的をきっかけに始まった活動が、やっているうちに目的を超えて遊びになっていくと説明しているそうです。しゅうへいさんが挙げる例は文化祭の準備です。
最初はさ、先生から言われて、はい、文化祭あるからやっといてねみたいな。班決めてんだけど、やってるうちにさ、なんかみんな楽しくなっちゃって。
ここでしゅうへいさんは、ブログを長く書いてきたイケハヤさんに、最初に目的はあったのかと尋ねます。イケハヤさんの答えは、書くのが好きでやっていたので自己完結している、というものでした。
やっぱりなんかインターネットっていうものに触れたかったぐらいじゃないかな。最初に。
イケハヤさんがパソコンを買ってもらった当時は、HTMLとCSSを学んで自分のホームページを作る文化があったそうです。インターネットに触れたいという小さなきっかけからホームページを作り、やがて書くことが好きだと気づいていったといいます。
最初は別にね、ブログ書こうなんて当然思ってないよね。
幸あれこさんとしゅうへいさんに見る「目的の超え方」
幸あれこさんも、今のポッドキャストや発信は最初から目的としてやっていたことではないと話します。仕事でなければSNSは使わない派だそうです。
テレビリポーターはなりたくてなった仕事でしたが、ラジオパーソナリティは一度も目指したことがなかったといいます。最初にお世話になった番組を降板してどん底だったときに、たまたまオーディションに受かったのがラジオでした。
自分に合ってるっていうのを初めて気づかせてもらった。
しゅうへいさん自身の経験は、さらに振り幅が大きいものです。アコムなどの借金500万円を返すために始めたブログは、最初の1か月の収益が26円、10か月続けても1500円ほどだったそうです。
それでも書き続け、やがて会社を辞めてブログで借金を返せるようになりました。ところが結果として、今はコワーキングスペースを建てて借金が6000万円になっているといいます。
当初の目的みたいな感じだね。どこに行ったの?目的は。
借金500万円をブログで返すことが目的。最初の収益は26円
借金はほぼ返したが、コワーキングスペースを建てて借金は6000万円に。発信そのものが楽しみになった
しゅうへいさんは、毎日のポッドキャストも、イケハヤさんたちの音声配信に勇気をもらい、ただ話してみたいと思ったところからキャリアになったと振り返ります。
高尚な目的より、動ける目的でいい
しゅうへいさんは、入り口の目的は何でもいいと強調します。モテたい、見返したいといった、褒められたものではない目的でもかまわないという考えです。
一番最初ブログを発信した時は、島を活性化したいっていう高尚な理由を掲げてブログを書いてて、全く続かなかった。
それ(島の活性化)思ってないから。
借金を会社に行かずにブログで返せたら嬉しい、という本音の目的に切り替えたことで、しゅうへいさんは動けるようになりました。そして書くこと自体が楽しくなり、お金をもらわなくてもやる遊びに変わっていったといいます。
しゅうへいさんがこの番組も遊びの一部ではないかと問うと、イケハヤさんは「遊びですからね」と応じます。一方で幸あれこさんは、仕事の面もあり、本を読めるようになることや学んだことのアウトプット、誰かのヒントになればという思いも続ける理由だと話します。
こう自分が出したもので、誰かがなんかいい方向に行くヒントになったらいいなとか。
しゅうへいさんは、それが幸あれこさんにとっての報酬になっているのだとまとめます。
「チェスのためにチェスをやればいい」の意味
イケハヤさんは、アーレントの「チェスのためにチェスをやればいい」という言葉に強く共感します。いまゲームを作っているイケハヤさんは、理由を聞かれても「作りたいから作っている」としか答えようがないといいます。
僕今ゲーム作ってるけど、ゲーム作りたいからゲーム作ってる。
普通に作りたいから作ってるのが一番それが強くて。まあでも頑張ればお金につながるかもねぐらい。
聞く側はそれがお金になるのかを知りたがるため、温度感の差を感じることが多いとイケハヤさんは話します。1日4時間ほど格闘ゲームをしていたときも、理由を聞かれて困ったそうです。
しゅうへいさんは、子どもの頃は「ゲームをやりたいからやる」が成立していたのに、大人になると成立しないと信じ込んでしまう点を難しさとして挙げます。
哲学書を手に取るきっかけは「耳が空いていたから」
しゅうへいさんは、自分が哲学の本を読むようになったこと自体も、目的からはみ出した結果だと話します。以前は、書店で分厚い哲学書を手に取ることなど考えもせず、インテリがやることだと思っていたそうです。
きっかけは、車の中で耳が空いていたからとAudible ── Amazonが提供するオーディオブックのサービス。本の朗読を音声で聴くことができますで聴き始めた『暇と退屈の倫理学』でした。面白くなって紙の本でも読み、そこで残った問いに答える次の本として『目的への抵抗』にたどり着いたといいます。
そこの目的は今耳が空いてるから耳を埋めようという目的から始まったの。
しゅうへいさんは、最初はお金のためでも暇つぶしでもいいとしたうえで、出てきた楽しさまで捨てなくてもいいと語ります。目的を捨てればやりたいことが見つかり、続けていけるようになる、というのがしゅうへいさんの読み方です。
3つのポイントの振り返りと、続編『手段からの解放』
しゅうへいさんは、冒頭の「やりたいことがわからない」という悩みに戻ります。何も浮かんでいないのではなく、気になったものに「それ何になるの?」と問い続け、出会う前に閉じてしまっている可能性がある、という指摘です。
何をやりたいか最初から綺麗に説明できなくていい。ひょんなきっかけでやりたいことが入ってくる世界が広がっている、と見方を変えておくことにつながる一冊だとしゅうへいさんは紹介します。
さらに本書には続編『手段からの解放』があり、楽しむとはそもそもどういうことかを国分さんが考えているそうです。幸あれこさんに「推し活になってる」とからかわれながらも、しゅうへいさんは、たまたま知った本を読んでみることもやりたいことをやるためのトレーニングだと話します。
やりたいならやればいい人と、目的を考えてしまう人のすれ違い
イケハヤさんは、以前から「やりたいと言っているのにやらない人」がよくわからなかったといいます。今回の話で、自分には目的というステップがなく、多くの人は目的を考えてしまうのだと気づかされたそうです。
目的っていうステップがないよね。多分それを外していく訓練が多分必要で。
幸あれこさんは、お金を稼げるようにならなければ、利益をもたらさなければ、と考えたら手を出せず、広がりようがないと応じます。
しゅうへいさんは、やりたいことをやることと、それで食べていけるようにすることは、つながっているようで別のフェーズだと話します。イケハヤさんも作りたいからゲームを作り、マネタイズはその次に考えているのに、多くの人はマネタイズを先に考えてしまうという指摘です。
やりたいからやる。そのうえで、どうマネタイズするかを次のフェーズで考える
どう稼いで生きていくのかが先に来て、やりたいことに手を出せなくなる
目的なしのベトナム語学習が続く理由
幸あれこさんは、仕事にする気もなく語学を勉強していて、「なんでベトナム語なんですか?」とよく聞かれるそうです。きっかけは、ベトナムの人と交流する機会があり、返事だけでもできればと思ったことでした。
今日1単語覚えたみたいな感覚が面白いからやってるだけど、これは別に目的がないんですよね。
しゅうへいさんの家でも、妻が入浴中に語学アプリで中国語を学んでいるそうです。幸あれこさんは、目的がないからこそ続けられるのかもしれないと気づいたといいます。
イケハヤさんは、語学は何かのために学ぶのが一般的なので、自分もつい「何のために?」と引っ張られたと笑います。幸あれこさんが「ゲームと一緒で、やりたいだけ」と返すと、イケハヤさんも納得した様子でした。
面白いね、この目的っていうたったね、この1つの単語でこんな面白い世界になって。
最後に幸あれこさんは、次回紹介する本もこの話につながると予告し、リスナーに「その目的、捨てられそうですか?」と問いかけて回を締めくくりました。
まとめ
国分功一郎さんの『目的への抵抗』を手がかりに、やりたいことが見つからない原因を「目的」への盲信に見出す回でした。目的を入り口にしつつも、そこからはみ出した楽しさを捨てずに続けることが、やりたいことにつながると語られています。
- 学校の「めあて」から始まり、目的を持つことは疑われないほど当たり前になっている
- アガンベンやアーレントの議論を通じ、目的は手段や我慢を正当化してしまうと紹介された
- イケハヤさんのブログ、幸あれこさんのラジオ、しゅうへいさんの借金返済ブログは、どれも当初の目的を超えて続いている
- 「チェスのためにチェスをやる」ように、やりたいからやることが強いモチベーションになる
- やりたいことをやることと、それで食べていくことは別のフェーズとして考えられる




