算数の神童が西八王子で食らった18点の衝撃
話は古川さんの小学生時代から始まります。遺伝で異常に算数ができて、山梨のどんな難しい問題を解いても解けないものがなかったといいます。
もっと難しい算数をやりたいって理由だけで、中学受験の塾に西八王子に通ったんですよ。
受験のためではなく、習い事の1つとして通い始めたのが西八王子の塾でした。ところが、そこで待っていたのは思いがけない結果でした。
最初、確か18点ぐらいしか取れなかったんですよ。
公立で教わる算数と、中学受験用の算数のレベルがあまりに違ったといいます。山梨で敵う相手がいなかった神童が、西八王子で18点を突きつけられたのです。
本当にショックだったんですけど、俺負けず嫌いだったのか、すっごい勉強してそこから。
受験まで半年もなかったものの、猛勉強の末、1校だけ受けた明大中野八王子中学に合格します。塾側が「1校は受けてほしい」と言うので受けただけの学校でした。
昼食代を削って毎日ジャケ買いした中古CD
中学受験は算数と国語で挑みましたが、中学から始まった英語だけはまったくできなかったといいます。田舎から出た八王子は、古川さんにとって刺激的な都会でした。
もう楽しすぎちゃって。
学校をサボってゲームセンターに行くこともあったといいます。母親も番組を聴いているため、当時のことはだいたいバレていると笑いながら語られます。
音楽好きは小学生時代のチャゲアスから始まり、スピッツやイエモンなどのJ-POP、母親がギタリストだった影響でヴァン・ヘイレンやツェッペリンといった洋楽も聴いていました。都会に出て中古CD屋に通えるようになったことが、大きな転機になります。
昼ご飯が学食で1日500円もらってたんですけど、160円のきしめんやうどんだけ食って300円浮かして、毎日中古CDの300円コーナーを漁って。
300円しか使えないということは、買いたいCDを買うのではなく、その値段のCDを買うということです。つまり毎日がジャケ買いでした。
それがこの今の多岐にわたる音楽の趣味に繋がるんですよ。
洋邦問わず未知の音楽を毎日1枚浴び続けたこの経験が、現在のりんご音楽祭のジャンルレスなブッキングへとつながっていきます。中学受験をしなければ、この環境自体がなかったことになります。
気絶するほど理不尽なスパルタサッカー部
中学ではサッカー部に入りますが、そこはなかなかのスパルタでした。毎日トラックの外周10周から始まる練習だったといいます。
一周何分を超えたらカウントされない。10周走った後にさらに早く走れるわけないじゃん。
走り終わったら坂ダッシュ100本が待っています。チームは同学年11人しかいない弱小でしたが、雨で体力勝負の試合が続いた大会で決勝まで進みました。決勝は東京都で一番強い南大沢に5対0ほどで大敗したそうです。
理不尽さを感じつつも、部活を辞めるという選択肢自体が頭になかったといいます。先輩からのいじめもあり、走っている最中にボールを頭に当てられたこともありました。
それで気絶して泡吹いたことあります。
それでも辞めなかったのは、部活はセットのようなもので、辞めている人が一人もいなかったからだと振り返ります。放課後の遊びが楽しすぎたことも大きな理由でした。
絶対君主の母と、繰り返された受験
明大中野八王子は中高一貫校で、そのまま明治大学まで進める道もありました。しかし古川さんは中学で一貫の道を終わらせられ、地元の高校へ戻されます。
一貫校行ったのに、親に戻されて。お前遊びすぎだからダメって。多分全部バレてて。
遊びすぎがバレていたため、中学受験・高校受験・大学受験と、3度の受験をすることになったのです。ここで話題は、家庭内の「絶対君主」である母親へと移ります。
母親が言ったことは誰もノーって言えない感じでしたね。
古川さんはそれを「母親という宗教のもと育った」と表現します。母親は本人のためを思って全て判断してくれていたものの、そこに本人の選択肢は入っていなかったといいます。
今思えば疑問に感じることもあるものの、当時は何の疑問もなく従っていたと語られます。
マークシートには答えが書いてある
遊んでばかりで英語もできないはずなのに、古川さんは本番にめっぽう強かったといいます。その真骨頂が大学受験のセンター試験でした。
大学のセンター試験ってマークシートじゃないですか。俺からしたら答え書いてある。正解が書いてあるんですよね。
極めつけは、漢文をレ点も知らずに満点で解いたという話です。その方法の根拠を、古川さんは自分の性格に求めます。
マークシートの問題を作る人って性格悪い人しか絶対作れない。俺も性格悪いからわかっちゃうんですよ。
筆記の英語では偏差値20台の点しか取れないのに、センターでは140点を取ったといいます。その鍵が「本文を一切読まない」という解き方でした。
答えだけでストーリーを作るとは、どういうことか。
藤原・百瀬 さんからの質問
本文には受験者を引っかけるエッセンスが散りばめられているため、本文を読むと不正解の選択肢が7〜8割正しく見えるように作られています。そこで本文の情報を入れず、選択肢だけを見て公平にストーリーを推測すると、五分五分の判断で選べるため、勉強した人より正解率が高くなるという理屈です。
4択のうち2つは明らかに間違いで、残り1つが正解、1つが引っかけとして並びます。本文を読まないことで、その2つを五分五分で選べるというのが古川さん独自のハックでした。
直前模試で全国一位、本番でまさかの0点
この解き方は模試で見事に的中しました。センター直前の模試で漢文満点を取り、全国一位になったといいます。
先生がお前本当に勘弁してもらえないかな。授業中ずっと寝てるしなお前な。なんで満点取った?
ところが本番では思わぬ落とし穴が待っていました。選択肢だけからストーリーが2つできてしまい、選んだ方が外れて0点になったのです。
それでも勉強していないので悔しくないと語ります。実際に受験勉強を始めたのは、母親の誕生日である12月23日でした。本屋で参考書を1冊も持っていないことが発覚し、そこから2〜3週間の缶詰め生活が始まります。
古川さんはこの方法を本文を読まない前提の裏技だと考えており、本にすれば潰されるとまで言います。勉強していない友人にだけ伝えても、みな怖くて結局本文を読んでしまったそうです。
数学満点でわざと周りを崩した信州大学受験
最終的に古川さんは信州大学の数学科に合格します。数学は2科目とも満点で、トップ合格だったといいます。
母親からは国立か早慶上智しか許されず、数学しかできないため数学科しか選択肢がありませんでした。慶應SFCは数学だけで模試A判定が出たものの、小論文が全く歯が立たなかったといいます。
日本語だってことしかわかんなくて。難しすぎて文章が。
数学は独学というより遊びの領域でした。高校1年で東大理三の数学も解けてしまい、高校では自分で方程式を作っていたといいます。
信州大学の受験本番では、問題が簡単すぎて「数学科を受ける全員が満点だ」と危機感を持ち、英語が苦手な自分が落ちないよう、あえて周囲を崩す行動に出ます。
質問があります、とか言って。これでダメにしたんですよ。
その質問がきっかけで、本来控えているべき出題担当の教授が別室にいなかったことが発覚し、教授会の問題にまで発展したといいます。
努力ではなく遊びだった数学と、反抗のスイッチ
百瀬さんが「努力はどこでしたのか」と問うと、古川さんの答えは一貫していました。数学は努力ではなく遊びで、サッカーは嫌々の忍耐であり、後天的な努力は店やりんごボックスの運営で必要になってからだといいます。
自分が得意なこと以外をやるのがすっごい苦手で、すごい生きづらくて。
話題は、高校で先生に反抗したエピソードに移ります。「あなたたちの名前は覚えません」と言った先生に、古川さんは真っ向から反論しました。
間違えたら教えてならわかるけど、覚えませんっていうのは職務放棄なんで、俺も授業放棄しますって出てったことある。
百瀬さんは、この反抗が何に対するものなのかを掘り下げます。古川さんは、苦手なことを認めた上で努力する姿勢がなく、はじめから放棄を確定させている点に納得がいかなかったと語ります。
納得できないことを納得するまで諦められない。これが生きづらさであると同時に、現在の活動のエネルギーにもつながっていると振り返ります。
好きな音楽を好きな状態にするための諦めの悪さ
古川さんの諦めの悪さは、りんご音楽祭の立ち上げにも直結しています。フェスは好きだが「ここが納得いかない」という点を、変えられるはずだと考えて始めたのがりんご音楽祭でした。
大好きな音楽が大好きな状態じゃないっていうのに納得がいかなくて。
百瀬さんは、古川さんはそもそも「納得しないこと」自体が他人より少なく、いったん納得できないと諦めない性質だと整理します。多くの人は納得できないことを諦めて捨てていくところで、古川さんは自分を消して周りに合わせるムーブがほとんどないというのです。
他の人よりも明らかに諦めが悪いです。
藤原さんが解決策がある程度見えているのかと問うと、古川さんは「できなくはないだろう」と始めることが多いと答えます。ただし進めるうちに、予算の壁など「なぜそれが成り立たないのか」を思い知らされ、それこそがフェス運営で本当に苦労してきた点だと語られます。
多数派は妥協した少数派の集合体という哲学
番組後半、古川さん独自の社会考察が展開されます。出発点にあるのは「多数決はずっと間違ってきた」という歴史観です。
多数決はずっと間違ってたって俺はそこから学んだ。
そこから導かれるのが、マイノリティ・マジョリティ論です。古川さんは、本質的な多数派は存在しないと考えています。
少数派だって思われたくない人の団体が多数派なんですよ。
多数派の人も辛さを抱え、妥協している。妥協している時点で本質的には多数派ではなく、少数派になりたくない人の集まりが多数派だという理屈です。
古川さんの体感では、世の中の9割は浮動票です。少数派に入れられる生きづらさを幼い頃から浴び続けた結果、妥協して多数派にいることに気づかない人がほとんどだと語ります。
ただし、目指すのは「生きやすい社会を作ること」ではないと明言します。自分が真剣に考えて出した意見は、表現していないだけで同じ思いの人が何十倍もいると直感しているというのです。
世の中に見えるぐらい具現化されるものは、その何十倍も思ってる人がいる。
その例として、マトリックスを観たときに「自分が思っていたことだ」と感じた体験が挙げられます。仮想空間の発想を自分も持っていたからこそ、可視化された意見の背後にいる大勢を想像できるといいます。
多様性より、Yes/Noを分けるバランサー
多様性やジェンダーレスといった潮流に対しても、古川さんは独自の見方を示します。本質的には逆のことをやっているのではないか、というのです。
誰もが楽しく生きる世の中にすれば全部解決するんですよ。でもそうならない。
多様性という言葉で全員にフェアだという体を取ると、実際には誰も満たされない。むしろ「今回は1番、次は2番」とYes/Noを明確に分け、順番に満たしていくバランサーがいた方がやりやすいというのが古川さんの主張です。
これに藤原さんが、統計的なクラスタリングの話で応じます。本来グラデーションで違うものを、まとまりを作りたいから恣意的に線を引いて分けているにすぎないという指摘です。
百瀬さんは、そもそもバランスや秩序自体が古川さんの信じるところと違うのではないかと問いかけます。無秩序こそが自然だという感覚があるのではないか、というのです。
本能のままみんなが動くのが一番みんなが納得できる世界になると思うんですよね。
警備員を置かないフェス設計の思想
古川さんは、りんご音楽祭をルールではなく空気で運営していると語ります。象徴的なのが、警備員を会場内に置かないという設計です。
うち多分世界で唯一警備員が中にいないフェスだと思う。
その理屈は「ダメと言われるとやりたくなるのが人間だ」という人間観にあります。警備員がいると、その目を盗んで危険な場所に入りたくなる。だからあえて置かず、自分の身は自分で守る前提にしているのです。
自分のことは自分で守らないとバランス取れないですよね。
交通量の多い横断歩道を目をつぶって渡る人はいない。つまり人は自然状態でも自衛できる、というのが古川さんの考えです。警備員に頼りすぎると、人は考えなくなり進化しないとも語ります。
一方で、この設計は裏方にとって大変な面もあります。
- 小さな事故でも「警備員がいれば止められた」と言われてしまう
- 警備員がいないぶん、責任の所在を本人に納得してもらう必要がある
- 完璧は無理だという前提を、空気として共有してもらわなければならない
それでも、この方針でいまだ大事故が起きていないことを、古川さんは誇りに思っていると話します。今の世の中は「これだけ集まればこの程度は起きる」という当然を許さなくなっている、という現状認識も添えられました。
まとめ
算数の神童だった少年が、CDのジャケ買い、読まない受験術、そして母という絶対君主への抵抗を経て、独自の哲学にたどり着くまでの回でした。その核にあるのは、納得できないことを諦めないという一貫した性質です。
- 遺伝的に算数が得意だった古川さんは、西八王子の塾で18点を取ったことをきっかけに猛勉強し、明大中野八王子中学に合格した
- 昼食代を削って毎日300円の中古CDをジャケ買いした経験が、りんご音楽祭のジャンルレスなブッキングにつながっている
- 本文を読まず選択肢だけでストーリーを推測する受験ハックで模試全国一位を取ったが、本番の漢文では2択を外し0点だった
- 信州大学は数学満点でトップ合格し、あえて周囲を崩す質問で教授の不在まで発覚させた
- 「多数派は少数派に扱われたくない人の集合」という哲学が、警備員を置かないなどのフェス設計思想の根底にある







