リンゴといえば椎名林檎か、りんご音楽祭
番組はいつもの寸劇から始まります。北爪さんが椎名林檎の歌を口ずさむものの、藤原さんには誰の歌かまったく伝わりません。
ネタばらしをすると、北爪さんはAIのGeminiGeminiGoogleが開発した対話型AI。質問に対して文章で回答を返す生成AIサービス。に「音楽界隈でリンゴといえば」と聞き、返ってきた答えを準備してきたのだといいます。
音楽界隈でリンゴといえばって言ったら、椎名林檎さんかりんご音楽祭ですって出てきたから、じゃあもう椎名林檎のカラオケで行こうと思った。
そんな導入から、ゲストのりんご音楽祭主催者・古川陽介さんが紹介されます。
どのタイミングで喋っていいのかちょっとわかんなくて無言でいました。
実は古川さんは、この番組のヘビーリスナーでした。フジロックへ向かう車中でも、知人に聞かせるほど気に入っている回があるといいます。
わさび農園の回が本当に神回すぎて、このラジオを説明する時にみんなに聞かせるんですけど、面白すぎてフルで聞いちゃう。
毎週100万円の支払いと、totoBIG当選の顛末
古川さんは、最近の悩みはお金の一点に尽きると打ち明けます。DJ歴24年、松本で店を5つ運営し、りんご音楽祭も主催する立場です。
お金だけついてこない。お金の悩み以外最近ないから。
そんな古川さんは、totoBIGtotoBIGスポーツ振興くじの一種。試合結果をコンピューターがランダムに選び、的中させると配当が得られる。最高当せん金は高額になることで知られる。を毎週10口ずつ買っているそうです。前日、1等が出た回で「当たり」の通知が届き、期待したものの結果は6等780円でした。
一等出て当たり?えええ?と思って。で、詳細をピッて打ったら六等780円。
10口で3000円を使っているため、収支はマイナスです。冗談まじりに語られますが、経営の現実は重くのしかかっています。
楽なフェスがあってもいい。りんご音楽祭の設計思想
話題は、放送の約1ヶ月後に開催されるりんご音楽祭へ移ります。北爪さんは毎年、行く行かないにかかわらず通し券を買う常連です。
行くも行かないもとにかく通し券を買うっていう。
古川さんは、無料エリアを去年から充実させていると話します。今年はさらに拡充し、アスレチックや、これまで音が被ってできなかったアンビエントのステージも新設したそうです。
駅前の大箱の飲食店を引き継いだことで、ダンスやスケボーなど音楽以外の人と接する機会が増えたことが、この変化のきっかけになったといいます。
スポーツ中心の「ぶどうステージ」とアンビエントの「スイカステージ」を去年から始め、今年はTRFのダンスメンバーによるワークショップも予定されているそうです。
北爪さんは、20年ぶりに行ったフジロックは子連れにはハードだったと振り返ります。一方、りんご音楽祭は行きやすいと感じているようです。
古川さんによれば、その行きやすさは設計の一部だといいます。
タモリさんに安産祈願された男の生い立ち
ここから話は古川さんの生い立ちへ。生まれは川崎市柿生で、妹と弟がいる3人きょうだいの長男です。当時は2DKのアパートに家族4人で暮らす、貧しい生活だったといいます。
親戚が来るけど、今日の米がない、どうしようみたいなのはうっすら覚えてる。
4歳ごろ、山梨県大月市へ引っ越します。古川さんの両親は、かつて新宿アルタで「笑っていいとも!」のスタッフをしていました。
芸能界には、子どもが生まれるとタモリさんに「安産」のサインを書いてもらう習わしがあったそうで、長男の古川さんにもそれがあるといいます。
タモさんに祈願された男?
その後、両親は撮影会社として独立します。結婚式の撮影が式場とセットで高額に売られていた時代に、持ち込みの撮影が広まり始めた時期をとらえ、事業は当たりました。
大月は特急あずさや高速バスで新宿に通える立地でした。ただ、古川さんが育ったのは山を切り開いた新興住宅街で、田舎の自然の良さはなかったといいます。
母のリベンジと化した怒涛の習い事ラッシュ
会社が当たったことで、古川さんは数多くの習い事をさせられます。ピアノ、絵、陶芸、乗馬など、その多くはお金のかかるものでした。
背景には、母親自身の経験がありました。貧しく、女性が習い事をすることも当たり前でなかった時代に育ち、やりたかったことができなかったのだといいます。
お母さんがちっちゃい頃にやりたかった習い事を、全部長男の俺がやらされる。
当時の古川さんにとっては、やりたくないことの連続でした。特にピアノは嫌だったと振り返ります。皮肉なことに、音楽の仕事をする今、ピアノとの相性の良さを感じつつも、幼少期の記憶がよみがえってどうしても触れられないそうです。
ピアノ明らかに圧倒的相性がいいんですよ。でも小さい頃にやらされたっていうのが脳裏にあって、どうしても無理なんですよ。
「私はちっちゃい頃やりたくてもできなかった」という母の言葉には、感謝を求める空気があったと古川さんは語ります。北爪さんも、習字をサボり続けた末に嘘がバレた自身の経験を重ねます。
耳鼻科行くって嘘ついて、八枚書くの四枚でずっと過ごしてて。そしたら習字の先生と親がばったり会って、全部バレた。
この経験から、古川さんは「やりたい」と言ったことを一生続けなければならない、という教育の危うさを指摘します。
嫌だと言って木の上まで逃げた少年
古川さんは、やりたくないことをやる耐性が人より弱かったと振り返ります。義務教育時代に良い思い出はほとんどないといいます。
象徴的なのが、みんなでダンスをする授業を「踊りたくない」と拒んだ場面です。嫌だと言うだけなのに先生が近づいてくるため逃げ続け、ついには木の上まで登ってしまいました。
嫌だって言ってるだけなのに、ダメですってどんどん近づいてくるからずっと逃げるわけですよ。だから逃げるとこなくなって木の上まで逃げた。
結果、みんなを騒がせた問題児として親が呼ばれます。古川さんの側からすれば、ただ嫌だと表明していただけでした。
絵の授業でも似たことが起きます。色を作る作業に没頭するあまり、45分の授業を白紙のまま終えてしまい、先生を侮辱したと受け取られたのです。
このとき母親は、事情を聞いた上で先生を逆に説き伏せました。古川さんは今もその場面を覚えているといいます。
陽介は色を作ってたって先生にも説明したのに、それをちゃんと評価もせず、なんでそんな感じで親呼んでんだ、と母親が先生を説教してくれたのを今でも覚えてる。
古川さんの絵は賞を取るほどでした。それでも学校では要注意人物のように扱われたと感じています。思ったことを口に出す性格は、今も変わらないといいます。
同じ内容でも「結果」が違う。高校で学んだこと
一方で古川さんは、団体行動の中で学んだこともあると語ります。手を動かす創作は一人でやるものが多かった中、サッカーだけは唯一好きな団体競技で、今もフットサルやゲームで続いているそうです。
象徴的なのが高校の修学旅行のエピソードです。行き先が毎年京都で、しかも中学でも京都に行っていたため、古川さんはみんなに働きかけ、沖縄か北海道の二択にする案をまとめ、実際に北海道へ変わりました。
言っている内容は、かつて一人で「嫌だ」と主張していた頃と同じです。しかし今度は孤立せず、結果も出ました。古川さんはその違いをここで学んだといいます。
結果が出てないバージョンと出てるバージョン、孤立バージョンと孤立しないバージョン。内容は一緒なんだけど、結果が全然違う。
ただし、それは達観したわけではなく、思っている人がいるのに手を挙げてくれない悔しさの裏返しでもありました。
いい思い出はないと言いつつ、古川さんは強制的な団体行動を今は肯定的にとらえています。子どもには部活を強制してほしいとまで語ります。
第1話は小学校時代までで幕を閉じます。最後に古川さんから、りんご音楽祭の告知がありました。
今年で18年目のりんご音楽祭。9月26、27日に、この近くの丸の内公園でやりますので、ぜひ皆さん来てください。
まとめ
集団行動が苦手でこだわりの強かった少年が、りんご音楽祭を創る主催者になるまで。第1話では、その原点にある生い立ちと、理不尽さへの反発、そしてそれを乗り越える力の芽生えがたどられました。
- 古川陽介さんは番組のヘビーリスナーで、りんご音楽祭主催者兼dj sleeperとして松本で5店舗を運営している
- 今年のりんご音楽祭は9月26・27日に丸の内公園で開催。無料エリアの拡充やTRFメンバーのダンスワークショップも予定されている
- 川崎の貧しい家庭に生まれ、両親は「笑っていいとも!」のスタッフを経て撮影会社を興し、事業を当てた
- 母親が幼少期にできなかった習い事を長男が一手に引き受け、ピアノなど「やらされた」記憶が今も影を落としている
- 「嫌だ」と言って木の上まで逃げた少年時代の反発心が、同じ主張でも結果を出す高校での経験を経て、フェスを創る力へとつながっていく




