無料で入れる企業ミュージアム
ヤマトグループの歴史を展示した『クロネコヤマトミュージアム』に行ってきました。いつもは四季報から仮説を立てて検証していますが、今回は少し離れて、その感想です。
品川駅から歩いて10分ほどで、なんと入場無料。実際にトラックがガンガン入ってくる営業所のような建物の中に、グループの歩みが展示されているんです。
「ヤマトグループ歴史館」というサブタイトルがついていて、中は基本的に撮影不可。写真を撮れるコーナーもいくつかあります。
創業の時代、多角化の時代、宅急便が発明された時代、そして2000年からの新たな価値創出の時代、と章立てになっています。3フロアほどをゆっくり下りながら見ていける作りでした。
創業はBtoBから始まった
ヤマトといえば、多くの人が思い浮かべるのは宅急便ですよね。ToCのビジネスのイメージが強いと思います。
でも創業は1919年で、始まりはToBだったんです。
創業者の小倉康臣さんは、八百屋で商売の基本を学びながら、ビジネスの種を探していたそうです。30歳になるちょっと前で、これから何をして暮らしていくのか、ずっと探していたんですね。
銀座の街中を自動車が行き交うようになったのを見て、自動車に目をつけて運送業を起こした、と説明されていました。資金を貯めながら、タイミングを計っていた訳です。
これは素晴らしいことだなと思いました。漫然と暮らしていると世間の変化についていけない、ということを地で行っているなと。
そこからフォードのトラックを買い、ロゴをつけてBtoBのビジネスを始めます。牛や馬が引いていた運送が、テクノロジーで進化していく。その第一人者になっていくんです。
国内にもそれほど多くなかったトラックのうち数台を買って、事業を起こしたんですよね。トラック4台からのスタートだったと書いてありました。ミニチュア模型も飾ってあって、やっぱりかっこよかったです。
三越の信頼と、制服というブランディング
試行錯誤の中で、『三越呉服店』(現在の三越)に評価されて、配送を任されるようになります。
スタートアップにとって、顧客基盤をどう確保するかは非常に重要ですよね。大手の顧客と二人三脚で、自分たちに何ができるのか、顧客のニーズは何なのかを測りながら成長していく。現代にも通じるストーリーだと思います。
身内だけで受注を取り合っていると、プロダクトのブラッシュアップが遅れる、という話もありますよね。きちんとプロの目にさらされながら新しいビジネスを起こしているのは、素晴らしいことだなと。
では、なぜ三越の信頼を得られたのか。私が一つ思ったのは、同じ頃に制服を作ってブランディングをしていたことです。
運転手に制服と制帽を採用したのは、当時は非常に珍しかったようで、これは意外でした。小倉康臣さんは、現場の従業員を会社の信用と品位を代表する顔と考え、誇りを持って働けるように制服を採用した、と書かれていました。
運送業の前身は、馬車などで荷物を運ぶ仕事だったと思います。そこで「品があるよね」「信用に足るよね」と感じてもらえるブランディングをしたのは、先見の明があるなと思いました。
ToBであっても、その先の消費者に対して、この人たちは世界にいい影響を及ぼしているんだと伝えられる。自主的に働いてもらったほうが接客品質も上がるでしょうし、ここで受注を広げて成長していった訳です。
同じ頃に、引っ越しや婚礼の荷物の業務も始めています。人生の節目節目に立ち会える事業者になるには、品質と信用が大事なんだと、しっかりわかってやっていたのかなと思いました。
積み上げ型の成長と、その先の停滞
1928年からは、関東一帯を巡る定期路線便を始めています。AからBへ直接運ぶだけでなく、A、B、C、Dをつないで利便性を高めつつ、品質の安定化も図っていったんですね。
貸切便だけでは難しい部分を、巡回するトラックでなるべく効率よく運ぶ形に変えていく。海外から構想を得て日本に持ち込み、「日本初の路線事業」と書かれていました。
トラックにはロゴが入っていて、取次店にも同じロゴの目印を配っていた。事業そのものが自分たちのPRにもなる、一石二鳥ですよね。今思えば当たり前かもしれませんが、そういうビジネスの基本を取りこぼさず、着実に積み上げていったのが創業期なのかなと思います。
勝手ながら、小倉康臣さんは積み上げ型の成長に長けた人だったんじゃないかなと感じました。先見の明で強固な顧客を獲得し、その中でブランドと品質を積み上げていく。
野球大会や運動会をやるなど、現場主義で従業員の交流を大切にしていた、という話も掲示されていました。ある種ウェットな関係性を保って、ここで働いたら嬉しいんだぞ、というのを大事にしていたのかなと。
一つ一つの施策は、比較的真似しやすいものだと思います。それでもカリスマ性で業界のトップとして切り開いてきた、起業家精神にあふれた人物だったのかなと。結構胸が熱くなりました。
その後1941年に太平洋戦争が始まりますが、完全には巻き込まれず、会社は潰れずに済んだと書かれていました。私も詳しくないので正しいかはわかりませんが、軍の部隊になっていたら終戦と同時に解体させられていたのでは、と思います。
戦後の1950年代は「輸送の総合デパート」を目指して、美術品や鉄道貨物輸送などに進出していきます。老舗だったことも、素早い立て直しにつながったんじゃないかなと考えています。
ただ、そこから20年ほどかけて、事業は徐々に後れを取っていきます。競合の動きが活発だったことに加えて、関東圏の品質向上にこだわりすぎたのでは、と書かれていました。
これは、いわゆるイノベーションのジレンマ ── 業界で優位にある企業ほど、既存事業を大切にするあまり、破壊的な新技術や新市場への対応が遅れてしまうという考え方のような状態だったのかなと想像しました。一定のポジションがあるからこそ、新しいプロダクトに完全にベットするのはカロリーがかかる。新規領域の探索が難しくなっていたんだと思います。
宅急便の誕生と、手書きのマニュアル
1971年、小倉康臣さんの息子の小倉正雄さんが社長に就任し、社運をかけた取り組みが始まります。同族での承継となると反発を持つ人もいるでしょうし、再建は非常に大変ですよね。
ある日、正雄さんが息子のお古の服を親戚に送ろうとして、不便さに直面します。家庭から家庭へ送る手軽な手段がなかったんです。
CtoCの荷物を運ぶ手段がないことに、日常の生活の中で気づいた訳です。そこで、何でも運べる宅急便を思いつき、ToBではなく家庭に業態を絞り込もうと決心したそうです。
当時の経営陣は非常に反対したそうです。そりゃそうですよね。1日に何個運べば黒字化するのか、どういうオペレーションを組むのか、本当に需要があるのか。やってみないとわからないことばかりです。
それでも従来のビジネスが低迷していたこともあり、会社の未来をかけて説明を続けた。おそらく説明を繰り返すうちに必要な材料を揃え、アイデアをブラッシュアップし続けたんじゃないかなと思っています。
反対意見も取り込みながら深掘りしていくのは、地味ですが意外とできないことですよね。数字のファクトや市場環境、実務で何をしなきゃいけないかは、現場の人が一番知っていたりします。夢物語ではなく、実現するために情報を集め続けたところが非常に素晴らしいと思いました。
そして、ミュージアムでぜひ本物を見てほしいものが一つあります。宅急便のサービス概要や伝票の作り方をまとめた、手書きの資料です。
これが、めちゃめちゃ面白かったんです。誰に何を届けるからどんな価値が生まれるのか、何をやって何をやらないのかが、簡潔に単純明快に書いてありました。
最初から洗練され尽くしたオペレーションではなかったと思います。でも根本のやる・やらないがマニュアル化されていたことは、全国に広げていくうえでの秘伝のタレのようなものだったんじゃないかなと。これは絶対成功させるんだ、という熱量を感じて、かなり感動しました。
サービスが先、利益が後
宅急便は、最初はそれほど大きく跳ねず、黒字化まで数年かかったそうです。それでも需要を柔軟に汲み取って、自分たちのケイパビリティ ── 企業が持っている組織的な能力や強みのことに乗せていきます。
こういうものも運べるんじゃないか、というアイデアが従業員から出てきて、スキー、ゴルフ、クール便、小さいサイズなどをどんどん載せていった。サービスが先、利益が後という考え方です。
小さく試すのは新規事業でよく語られることですが、まさにその通りの動かし方だなと思います。それができたのは、秘伝のタレで全国にしっかりした配送網を作っていたから、上物を載せていけた訳です。
ただ、それだけじゃないはずなんです。従業員からしたら、やれと言われても面倒だし、変な形のものも運びたくないじゃないですか。従業員の理解を得ながら実行できているから、新しいものが生まれていくんですよね。
スキーは、長野支店で冬にスキー板を担いで山に登っていく人を見て思いついた、というエピソードもありました。現場の肌感を大事にした経営が一貫していて、非常に面白かったです。
ミュージアム特有の感動なのかもしれませんが、、ToCの魅力は顧客から直接感謝されることで、それが従業員の「会社についていこう」という気持ちにつながったのでは、とも書かれていました。どの程度寄与したかはわかりませんが、一定はあったのかなと付け加えておきます。
その後、システムを組んだり、宅急便向けのトラックを一から作ったりしながら、働きやすく、効率よく、安全に運べる仕組みをブラッシュアップして、今につながっていきます。
どれも基本に忠実で、はたから見たらこうするよね、というものが多いと思うんです。でも、それを人を活かしながら進めるのは簡単じゃないはずです。実行力、やりきる力、考え抜く力を発揮した結果、これほど大きな企業になった。私は結構感銘を受けました。
品川駅から10分ほど歩いたところで、無料で見られるので、暇な方は行ってみると楽しいんじゃなかろうかと思います。品川駅の近くには物流博物館もあるようなので、合わせて見ると、物流業界の企業の努力や苦悩がまた違った角度からわかるんじゃないかなと思っています。
まとめ
ヤマトは、創業期の積み上げ型の成長と、宅急便という大きな転換の両方で、基本に忠実な戦略をやりきってきた会社だと私は感じました。
- 創業はBtoBで、三越の信頼と制服によるブランディングで品質と信用を積み上げた
- 戦後は関東圏の品質へのこだわりもあり、イノベーションのジレンマのような停滞に陥った
- 小倉正雄さんは反対を受けながら説明を重ね、家庭向けの宅急便を立ち上げた
- 手書きのマニュアルという土台と現場の声で、サービスを広げていった







