マンネリは「飽き」か「スランプ」か、まず定義をそろえる
今回タナカさんが持ち込んだテーマは、日常のマンネリからどう脱出するかです。
マンネリを感じやすいタイプなのです。
タナカさんは、日常にいろいろな変化があるほうが嬉しいタイプだと話します。ただ、穏やかなルーティンを好む人もいれば刺激を求める人もいて、人によると前置きします。
日常の停滞を感じたことがないという人は、むしろ世の中には存在しないんじゃないかなと思っていて。
一方で、話を進める前にオカヤマさんは「停滞」という言葉の意味をそろえようと提案します。
(停滞というのは)うまく前に進めてないっていうスランプみたいな感じなのか、それとも単純に飽きちゃってるっていう状態なのか、どっちのイメージですか?
タナカさんの答えは「飽き」のほう。ここで、この回のマンネリは、スランプではなく「退屈」「飽き」の状態を指すと確認されます。
小学1年生からの「非日常好き」という原点
オカヤマさん自身は、瞬間的に退屈を感じることはあっても、大きく見ればそこまで退屈していないと言います。ではタナカさんはどういう時に停滞を感じるのか、その原点をたどります。
タナカさんが最初に自覚したのは、小学1年生の夏休みだったといいます。友達と遊ぶことや出かけることが楽しみで仕方なく、家にずっといることに退屈していたと振り返ります。
楽しいことが終わった後にすっごく辛くなったりとか、日常の中に帰るの泣いてたりするぐらいつらかったんですよ。
さらに保育園の頃には、家ではなく外にお弁当を持って食べに行くのが好きだったといいます。日常の行為を非日常の場所でやることへの好みは、今も変わらないと語ります。
日常じゃないところで日常のことをするみたいなのがすごく好きだったんですよ。
コップを変えてみたり、通る道を変えてみたりするのも、飽きているサインかもしれないとタナカさんは言います。ただしこれは、退屈を紛らわせる対処の話だと自ら整理します。
子供と大人で、退屈の質はどう違うのか
オカヤマさんは、子供の非日常好きは割とメジャーな感覚ではないかと指摘します。遠足を楽しみにしたり、授業を退屈に感じたりするのがむしろデフォルトだといいます。
タナカさんは、子供は自己選択がしづらく、非日常の機会が少ないからこそ、それを強く楽しみにするのではないかと考えます。
そもそも日常の中で非日常の機会は確かに少ないと思いますね。
では大人になると自分でいろいろ決められるぶん、退屈しづらいのか。オカヤマさんは、むしろ大人のほうが自分次第の部分が多いと返します。
子供は学校と家、あとは習い事くらいで、その習い事も親の意向で決まることが多い。自分の意思で「これをやりたい」と決めていることは少ない、というのがオカヤマさんの見立てです。
ここから、自発性とマンネリに関係があるのではないか、という問いが立ち上がります。大人は「まだ本気を出していない」「その気になればできる」と言いがちだ、とオカヤマさんは加えます。
「答えはわかっているのに動けない」大人のマンネリ
オカヤマさんは、大人のマンネリの厄介さを、仕事を例に説明します。会社に行くのがだるい、めんどくさいと感じるマンネリです。
大人だからやり方はわかってるんですよ。転職すればいいっていう。
ところが、やり方がわかっているからこそ、その一歩を踏み出せない。決断できない、物理的にできないといった事情が重なって、抜け出せなさが強い意味を持ってくる、とオカヤマさんは言います。
タナカさんはこれを受けて、問いの立て方そのものを組み替えます。人は人生を重ねるごとに脱出のカードを持っているのに、そこから抜け出せないハードルがある時にこそ、強く停滞するのではないか、と。
タナカさんは、答えを持っていればそこまで退屈しないはずだと整理します。だからこそ、退屈が極致に達した時に「こんなことなかったのに」と停滞感を覚えるのかもしれない、と語ります。
理由もなく訪れた停滞感と、その正体
タナカさんは、最近、生きることへのモチベーションが局所的に湧かなくなった時期があったと打ち明けます。今はそうではないと前置きしつつ、当時の戸惑いを振り返ります。
やることも満載で、一日の中のスケジュールもある程度決まってて。なのにモチベーションがないみたいなのが私初めてで。
オカヤマさんは、それはうつなのではないか、病院に行ったほうがいいのではと心配します。タナカさんは、今はそうではないので大丈夫だと応じつつ、あれは何だったのかと不思議がります。
この流れでオカヤマさんは、話の軸を「抜け出し方」から一歩手前に戻します。どういう時にマンネリに陥るのかを解き明かさないと、根本的な解決にはならない、という指摘です。
飽きは何によって引き起こされるのか
オカヤマさんは、そもそも飽きは何によって引き起こされるのかを問い直します。同じ仕事をしていても、嫌な人、飽きる人、自然に受け入れられる人がいると例を挙げます。
ここで満足と飽きの関係について、2人の見方が分かれます。タナカさんは満足したら飽きるのではと言い、オカヤマさんは満足しているから飽けないのではと返します。
満足すると、その先に飽きが来るのではないか
満足しているからこそ飽きない。多くの人は環境を手放すほうが怖い
オカヤマさんは、環境を離れることや飽きることよりも、その環境を手放すことのほうが怖い人が世の中には多いと言います。だからなかなか転職もしないのではないか、という見立てです。
タナカさんは、抜け出せない飽きや退屈の対象は、仕事、住まい、人間関係など、日常の中では割と限られているのではないかと整理します。
大前研一の3つと、取り組みやすい「時間配分」
ここでオカヤマさんが引くのが、大前研一の有名な言葉です。人が変わる方法を3つに絞ったものだと紹介します。
3つのうち、タナカさんが取り組みやすそうだと感じたのが時間配分です。煮詰まった時にむやみに早起きしてしまうことがある、と自分の例を挙げます。
煮詰まった時にとりあえず早く寝ようみたいなのはすごいいいんじゃない?
ショートスリーパーに見る、極端な時間配分
時間配分の極端な例として、オカヤマさんはショートスリーパーを名乗る人物の話を持ち出します。17年間、1日わずか30分ほどしか寝ていないと主張する人だといいます。
その真偽をみんなに疑われ、それに強く言い返すことが一種のルーティンになっている、とオカヤマさんは笑いながら紹介します。
時間配分で人生変えてる。すごい極端な例ですよね。
この話から、時間配分には1日単位のものだけでなく、人生単位のものもあるという論点が出てきます。同時に、体に良くない生き方を引き起こしかねない極端さも指摘されます。
脱線しつつも、オカヤマさんは睡眠の大切さをあらためて実感したと話します。寝ていないから怒りっぽくなっているのではないか、という見方です。
マンネリの正体は「意味への不安」ではないか
話が戻り、タナカさんは自分のマンネリの理由を思い出します。あの停滞感の引き金は、AIだったといいます。
タナカさんは、停滞感を感じる直前にAIの使い方を大きく変えていました。GPTとの接続の仕方などを見直し、AIにお願いする作業が極端に増えたといいます。
だからそれってつまり自分の時間の拡張が起きてるけれども、これまでやってた時間配分や熱量や思考がちぐはぐになってたんかなみたいな。
オカヤマさんはこの話に気づかされたと応じ、核心を言い当てます。自分がやっていたことが簡単に代替され、意味がぽっかり空いてしまう状態だ、と。
AIはそれが急に起きる象徴的な例だが、普通のマンネリはもっとじわじわ来る、とオカヤマさんは続けます。毎日の仕事の中で「これは誰の役に立っているのか」とふと気づく瞬間だといいます。
タナカさんは、以前オカヤマさんが話したコロナ禍のバーンアウトの話とも重なるのではないかと問います。役割がなくなることによる停滞ではないか、という見立てです。
オカヤマさんは、住む場所も含めて何かが当たり前になりすぎた時に、「これって意味あるんだっけ」と感じる、それが意味への不安ではないかと語ります。
対象を変えるか、意味付けをし直すか
タナカさんは、ここまでの話を2つの脱出方法にまとめます。意味付けしている対象そのものを変えるか、意味付けをし直すか、です。
意味を見出すことができれば、そのマンネリとか停滞感から抜け出せる可能性はあると思う。
オカヤマさんは、自分がお風呂にマンネリを感じていると打ち明けます。清潔さを大事にしているから入るものの、面倒くさいという感覚です。
生きていくために必要なこと全部飽きてますよ。それで言ったらマンネリ。
その打破の工夫として挙げるのが、家で水シャワーと熱い浴槽を使った交代浴です。サウナに近い感覚が味わえるので、お風呂に入る理由ができ、マンネリを打破できるといいます。
同じことは歯磨きにも言えます。生活に必ず必要なことは代替できないので、中身を少し変えるか、意味付けを変えるかのどちらかになる、とタナカさんは整理します。
オカヤマさんは、時々左手で歯磨きをすると脳が活性化されるらしいと紹介します。「これは脳の活性化のためのアクションだ」と捉え直すことで、マンネリせずに済むという例です。
対象を変える
仕事・住む場所・付き合う人など、意味付けの対象そのものを入れ替える
意味付けをし直す
同じ行為でも「脳の活性化のため」などと捉え直し、新しい意味を見出す
自分で変えられないマンネリと、次回への宿題
一連の脱出方法に満足しつつ、オカヤマさんは次の論点を投げかけます。今の方法は簡単にできるぶん、劇的な変化を望めないという諦めが前提にあるものだ、と指摘します。
お風呂も歯磨きも睡眠もやらざるを得ないので、そこへの変化はたかが知れている。では、諦めざるを得ないわけではないマンネリには、どんな脱出方法があるのか、というのが次の問いです。
タナカさんは、自分で変えづらい人間関係のマンネリが厄介そうだと応じます。転職すればいいと言っても、そう簡単にはいかない人のほうが多い、とオカヤマさんも重ねます。
さらにタナカさんは、別の観点も提示します。没頭したくもないのにTikTokなどで時間が溶けてしまう状態は、マンネリと言えるのではないか、というものです。
マンネリから脱出するために別のマンネリに陥っているみたいな。
いろいろな観点が出てきたところで、この続きは次回に持ち越すことになりました。マンネリから脱出するには、その第2回で話を深めていくと締めくくられます。
まとめ
日常のマンネリや退屈を、行動の「意味」という視点から掘り下げた対話回でした。飽きの正体を「意味への不安」と捉え直し、脱出の糸口を探る流れが印象的です。
- この回のマンネリは、スランプではなく「飽き・退屈」を指すと定義された
- 大人のマンネリは「答えはわかっているのに動けない」状態として厄介になる
- マンネリの正体は、当たり前になりすぎた行為への「意味への不安」ではないかと語られた
- 脱出の道は「意味付けの対象を変える」か「意味付けをし直す」かの2つに整理された
- 自分では変えづらい人間関係のマンネリなどは、次回さらに掘り下げられる






