例え話は理解を助ける?それとも妨げる?
この回は、つんさんの「例え話は理解を妨げる気がする」という問いかけから始まります。前回の説明学習の話を受けて、例え話を使うとわかりやすくなる一方で、わかった気になってしまうのではないか、というのがつんさんの違和感です。
(例え話は)理解を妨げる気がするな。要はわかった気になってしまう。
みやちゃんは、例え話がうまく働かないのは骨組みがしっかりしていない場合ではないか、と返します。構造化ができていれば、精緻化 ── 新しく学ぶ内容を、すでに知っている知識と結びつけて理解を深める学習方略。教育心理学でよく扱われる考え方ですとして例え話も役に立つはずだ、という見方です。
これに対してつんさんは、精緻化と例え話はイコールではないと考えます。つんさんにとっての精緻化は、自分の中ですでに構造化が終わっているものと新しく学ぶことを比べ、似ている点と違う点を見つけて理解を深める作業です。
すでに自分の中で構造化が終わっているものと、今新しく学ぶことを比べて、その構造の類似点と違うところを見つけて理解を深めるということが精緻化のような気がする。
一方で例え話にすると、つんさんの見立てでは、話のモチーフになった別の内容の構造に引きずられてしまいます。「こういうところが似てるよね」で終わってしまい、本当に大事なことが見つからないままになるのでは、という指摘です。
精緻化と例え話の違いを、つんさんの説明に沿って整理すると次のようになります。
構造化済みの知識と新しい内容を比べ、似ている点と違う点の両方から理解を深める
モチーフにした別の内容の構造に引きずられ、「似ている」で止まってしまいがち
この話を受けて、みやちゃんは冗談まじりに「例え話を禁止にして、例えばと言いそうになったらほっぺたを叩く」と提案します。つんさんも「例えば罰金で貯金していく」と乗っかり、二人で笑い合う場面もありました。
たとえ話をもう禁止にして。まず、例えばって言いそうになったら、もうほっぺたたくみたいな。
「抽出」でも「抽象化」でもない、根っこの見つけ方
みやちゃんは、つんさんが取り組んでいるのは、自分にとって本質的に大事な要素を「抽出」する作業なのか、と尋ねます。ところがつんさんは、そこが面白いところで、抽出という感覚ではないと答えます。
抽出ってその最後の具体化のところが軸足になってんねんな。
つんさんによれば、具体化されたものから内容を抽出すると、そのモチーフの構造に引っ張られてしまいます。だから順番は逆で、まず具体化をしない、例え話をしないと我慢したうえで「それは何なのか」を考えることが、構造化の始まりだといいます。
つんさんは同じ理由で、「抽象化」という言い方も正しくないかもしれないと話します。抽象化は具体的なものを抽象的にするという意味合いになり、やはり具体化されたものがスタートになってしまうからです。
つんさんの考える構造化の順番は、次のように整理できます。
では、この作業を何と呼べばいいのか。みやちゃんが「自分の内側にある根本的なものを掘り出す感覚か」「創造か」と探ると、つんさんはゼロから作るのではなく、もともとあるものだから「発見」だと答えます。
さらに二人は「探求」という言葉にたどり着きます。みやちゃんが探求学習 ── 学習者が自分で問いを立て、調べたり考えたりしながら答えを探っていく学び方。日本の学校教育でも「探究」として取り入れられていますを連想すると、つんさんも「探し求める、まさに」と応じました。
つんさんは、新しい知識を学ぶ場合と自分自身のことを考える場合では、構造化の具体的なやり方は変わると話します。それでも、自分の中を探すのか、文献を探すのか、出来事を観察するのかの違いだけで、結局はどれも探求なのだろう、と考えを整理していきます。
その探求の作業を最初にしないとねっていう話なのね。
「やりたいこと」の手前に何がある?
みやちゃんは、自分が根本的に何をしたいのかを探すのは、壮大で意外と難しいのではないか、と問いかけます。つんさんも簡単ではないと認め、その理由として言葉が増えすぎた時代になったことを挙げます。
つんさんがここで注目したのは、みやちゃんが口にした「やりたいこと」という言葉そのものです。つんさんによれば、やりたいことも根っこから少し派生したもので、その手前には興味関心があるはずだといいます。
他人に興味があるから会話がしたいとか。心に興味があるから心理学を学びたいとか。
つんさんの見方では、「なんとかしたい」は2番目に来る出来事です。みやちゃんも、理論的にも興味や関心が先にあって、それが内発的動機づけ ── 報酬や罰ではなく、活動そのものへの興味や楽しさから生まれるやる気のこと。教育心理学の動機づけ研究の中心的な概念ですになると補足します。
興味関心
他人や心など、何かに興味がある
やりたいこと
会話がしたい、心理学を学びたい、という形で現れる
つんさんは、構造の根っこは興味関心なのだろうとまとめつつ、それは大層なことではないと付け加えます。「何に興味がありますか」という話にすぎず、ものすごく硬いことでも深遠なことでもない、というのがつんさんの感覚です。
興味がたくさんある場合はどうなのか、というみやちゃんの問いに、つんさんは興味は1つではないけれど、共通していることはあると思う、と答えました。
研究テーマをきれいにまとめたくなる理由とは
みやちゃんは、研究者のプロフィールを例に自分の悩みを語ります。研究者のウェブサイトには、たいてい3つほどのコアになるプロジェクトがあり、その根本に先生の興味があるような作りになっているそうです。
みやちゃん自身の研究は、モチベーションの研究、説明学習の研究、ジェンダーや男女差の研究の3つ。ただ、その3つのつながりは実はあまり明確になっていない、とみやちゃんは話します。
なんかそこのつながりが明確になったら、もっとまあ傍から見て分かりやすいんだろうなとか。
みやちゃんは、3つに共通する大きなものがあれば「きれいに構造化される」のかもしれないと考えつつ、その「きれいに」という部分こそが邪魔なのだろうとも気づいています。考えすぎると、3つの丸に入るはずのものが別の言い方に変わってしまうこともある、といいます。
つんさんは、無理にまとめる意味がどれだけあるのか、と疑問を投げかけます。それでも「まとめたくなっちゃう」というみやちゃんの言葉に、つんさんはふと思いついたことを口にしました。
(みやちゃんは)構造化そのものに興味があるんじゃないか。
つんさんは、みやちゃんが構造化のことをすぱっと説明していたことを根拠に、説明学習よりも、構造化そのものが好きなのではと話します。つんさんの言う構造の「杭」、つまり根っこにあたる部分がそこかもしれない、というわけです。
「聞いてるだけで気持ち悪いな」と笑うみやちゃんに、つんさんは、興味関心って気持ち悪いものだと返します。つんさん自身も対話に興味があり、質問の中身や仕方ではなく「質問って何なんだろう」と考えてしまうそうで、よくよく聞けば気持ち悪いと話します。
みやちゃんが「哲学者ですね」と返すと、つんさんは「最終的にそうなんじゃないかな」と応じます。いやそうじゃない、と言いながら根っこを探求すること自体が好きで、「根っこに興味関心があること」が今のところ見えている自分の杭だ、とつんさんは自己分析しました。
つんさんは、この構造は入れ子やカスケードになっていて、年齢や人生のステージによって変わることもあると話します。それでも構造化の定義を理解したうえで構造化できれば、わかりやすいかどうかは別として、伝えたいことは伝えられる気がするそうです。
みやちゃんは「自分の中での理解も深まる」と付け加えます。つんさんはさらに、伝わることと理解されることは違うと指摘し、「よくわからないけど何か伝わってきた」という経験を挙げました。
それなんかちょっとエモーショナルな部分ですよね、その対話の。
つんさんはこれに同意し、エモーショナルな部分も含むことが大事なのだろう、と話しています。
「モチベーション」の一言が、身の上話で響いた理由は?
ここでみやちゃんは、ずっと考えていたというエピソードを話し始めます。みやちゃんは一時期、教授選にたくさん出ていて、そもそも教授とは何なのか、教授は幸せなのかを深く考えていたそうです。
そこでみやちゃんは、いろいろな教授に「なぜ教授になったのか」「教授になって良かったか」「生まれ変わったらもう一回教授になるか」という質問をしてまわりました。
ところが、みやちゃんの所属先の教授の答えは、年金がけっこうもらえる、自由に生活できる、といった「職業としての教授」の話でした。研究について聞きたかったみやちゃんには、その答えが薄っぺらく感じられたといいます。
私は研究者になりたくて研究者になって。で、そこに教授っていうものが出てきたから、なんか研究者としての教授っていうのを目指しているので。
その違和感を同僚に話すと、今度は「じゃあ愛はどうなんだ」と聞き返されます。みやちゃんが「モチベーションに興味がある」と答えたところ、同僚の反応は冷ややかでした。
モチベーションなんて、もう世界中にモチベーション研究してる人山ほどいるしみたいな。全然響かないんだけどみたいなことを言われて。
そこでみやちゃんは、なぜモチベーションに興味を持ったのかという個人的なストーリーを話します。日本の高校で不登校になったこと、カナダに行って環境が変わり、モチベーションも成績も上がったこと。環境が変わるだけで同じ人がこんなに変わるのか、という驚きが興味の出発点でした。
どんな環境が人のモチベーションを高くして、どんな環境が人のモチベーションを低くするんだろうなぁみたいな、そういうことに興味があるなぁみたいな。
みやちゃん自身は「後付けと言えば後付けかもしれない」と話しつつも、この話をしたとたんに同僚は感動し、「研究者になるべくしてなった人だね」「君みたいな人は教授になるべきだよ」とまで言ってくれたそうです。
同じ「モチベーション」という言葉が、話し方によってまったく違って受け止められた。その前後の変化を並べると、次のようになります。
構造化した結果として「モチベーション」とだけ伝えると、薄っぺらいと言われた
約5分の身の上話を添えて「モチベーション」と伝えると、教授になるべきだと言われた
え?みたいな、そんなことで?みたいな。
人が「深み」を感じる瞬間とは
みやちゃんがこの体験から学んだのは、言いたいことそのものは同じでも、「なぜ」をエモーショナルに添えると伝わり方が変わる、ということでした。みやちゃんは、これはアメリカの人がとても得意なやり方だとも話しています。
みやちゃんによれば、一番大事なものの手前に自分のストーリーを出すと、急にそこに深みや厚みが生まれます。感情的に訴えるものが生まれることで、伝わりやすく、納得されやすく、好まれやすくなる、という気づきです。
みやちゃんは、今回話してきたこととは少し違うけれど関連している部分もある、と締めくくります。つんさんは、エピソードとしてとても特徴的だと受け止めていました。
つんさんが前半で話した「伝わることと理解されることは違う」「エモーショナルな部分も含むことが大事」という話と、みやちゃんの体験は、ちょうど響き合っているように見えますよね。
まとめ
この回は、例え話に頼ると本質を見失うという問いから始まり、自分の根っこは具体例から抽出するのではなく探求して発見するもの、そしてその根っこは意外と大層ではない興味関心だ、という話へ進みました。最後は、根っこの言葉に身の上話を添えることで深みが生まれた、みやちゃんの体験で締めくくられています。
- つんさんは、例え話はモチーフの構造に引きずられ、わかった気になりやすいと考えている
- 根っこを見つけるには、具体化を我慢して「何にも例えなかったら何か」を問う探求が必要だと話されている
- やりたいことの手前には興味関心があり、それは大層ではなく、ときに「気持ち悪い」ものかもしれない
- みやちゃんは、同じ「モチベーション」でも身の上話を添えると深みが生まれ、伝わり方が大きく変わると体験した



