取引先へ向かう電車で膨らんだ「怖さ」の相談
この回は、リスナーのキリマンジャロさんから届いたお便りを、いなけんさんが読み上げるところから始まります。相談のテーマは、仕事に向かうときに押し寄せる「怖さ」との付き合い方です。
ずっと怖さをなくしてもらおうと思ってました。この前取引先に向かう朝の電車の中で急に怖くなりました。その週、私はほとんど仕事を進められていなかったんです。「何も進んでないですね」と言われる場面を想像して、つり革を持つ手に汗をかいてしまいました。
キリマンジャロ さんから
でも実際に会ってみると誰も気にしていませんでした。そもそもそこまで期待されてなかったのかもしれません。ほっとした半面、少し寂しくもなりました。その時思ったんです。私が怖いのは批判されることなのか、無視されることなのか、誰にも気づかれないことなのか。
キリマンジャロ さんから
今は、独立して自分で仕事を作るなら怖いのは当たり前と思うようにしています。消す方法を探すより、一緒にいる方法を探した方がいいのかなと。お二人は怖さとどう付き合っていますか?怖さなら受け入れられるという線はどうやって引いてますか?
キリマンジャロ さんから
キリマンジャロさんの相談の中心は、恐れていた批判は起きなかったのに寂しさが残ったという体験と、自分が何を怖がっているのかわからないという戸惑いです。いなけんさんは読み終えたあと、相談の細部に首をかしげつつも、しもちゃんさんに話を振ります。
「恐怖って怖いですか?」という問い
お便りを受けたしもちゃんさんは、まず「恐怖って怖いですか?」という一見おかしな問いを投げかけます。いなけんさんは「頭痛って痛いですか?みたいな」と返しますが、しもちゃんさんはこの問いに手応えを感じていました。
その言葉の意味と自分の体の感覚をつなげすぎてないですか?っていうことを言いたいです。
しもちゃんさんが挙げた例は「死」という言葉です。「死ぬのって怖いですか?」と聞かれた瞬間、体がうわっと反応する感覚があるのではないか、というのです。
しもちゃんさんの考えでは、何が怖いのかを言葉から一つずつ考えていけば、本当に怖いことはそれほど多くありません。大体のことは対策できる、というのがしもちゃんさんの見立てです。
いなけんさんは自分を心配性でビビリだと認めたうえで、悪いシナリオをたくさん連想してしまうと話します。ただ、キリマンジャロさんと同じく、心配したことの大半は実際には起きないと経験的に学んできたといいます。
怖さのラインはギリギリを攻めて見つける
しもちゃんさんは、怖さの正体を「いけるという直感や感覚がない」状態だと捉えます。そのうえで、手っ取り早い解決法として極端な例えを持ち出しました。
(10メートルの高さから飛び込んで不安なら)その時も100メートルから飛んだらいいんすよ。
仕事に置き換えると、「この資料でいけるかな」と悩んでいるなら、一度あえて手をつけず、自分でもまずいと思う状態で持っていってみる、という提案です。そうすれば「さすがにこれは無理」という線がわかり、絶対に外せないラインを少しずつ改善していけるといいます。
いなけんさんはこれを「ギリギリのラインを攻めて、どこまでがボーダーかを定めてみる」ことだと受け止め、しもちゃんさんも同意します。しもちゃんさんはこれをネガティブアプローチと呼び、もう一つの方法も示しました。
あえて不十分な状態で持っていき、許される線と許されない線を実際に確かめる
残された時間でできる限りのことをやる。焦らず、できることだけに集中する
ポジティブアプローチについて、しもちゃんさんは「もう1時間しかないなら、これしかできないと決めて集中すればいい」と話しています。
恐怖を感じる人がいるのは群れの生存戦略?
いなけんさんは少し脱線と断りながら、別の角度から恐怖を考えます。同じ出来事でも恐怖を感じる人と感じない人がいて、ギリギリのラインも結局は人による、という指摘です。
いなけんさんがよく持ち出すのは、ホモ・サピエンスから考える発想です。群れの中では恐怖を感じずに突き進む人がマンモスのような獲物を倒せる一方、全員が恐れ知らずなら群れは絶滅してしまいます。
だからそっち行くと怖いかもしれないっていうアンテナが立つやつが一定数必要だったから。
いなけんさんは、進化の過程で恐怖や不安を感じやすい人と感じにくい人が一定の割合で生まれたのだとすれば、感じやすさには抗えない部分もあるのではないかと考えます。
さらにいなけんさんは、キリマンジャロさんの相談にあった「無視されること」への怖さにも注目します。共同体の中で無視されれば生き延びる確率が下がるかもしれず、根源的な心理と不安感がつながっているのでは、という見方です。
恐れ知らずの人
獲物を取ってこられるが、全員がそうだと群れは絶滅する
恐怖のアンテナ
危険を察知する人も一定数必要だった
現代の不安
無視される怖さも、共同体で生き延びる本能とつながっているのかもしれない
怖いのではなく「しんどい」だけでは?
しもちゃんさんは恐怖そのものは肯定してよいとしつつ、やはり「本当に怖いですか」と問いたいと話します。無視されることは、本当に怖いことなのか、という問いです。
いなけんさんは、出来事を感覚として受け取ることと、情報として頭で処理することは別だと整理します。無視されて一瞬ざわっとしても、本当に怖いことかを頭で考え直せば、怖くないと切り替えられるという見方です。
しもちゃんさんの答えは、もっとシンプルでした。しもちゃんさんが恐怖のようなものを感じるのは、自分に矢印が向くときだといいます。
自分の思考、自分の価値観、自分の考え方、自分の体がおかしいんじゃないかなっていう風に自分に矢印向く時が一番しんどくないですか?
でもこれもしんどいなんですよ。別に怖くはない。
たとえば会議で発言して無視されたとき、「自分の言い方が悪かったのか」と考え込むのが一番気持ち悪い、としもちゃんさんは話します。それはしんどさであって恐怖ではない、だから「恐怖って本当にありますか?」というのがしもちゃんさんの問いです。
コントロールできないものへの恐怖と「生きたい」の罠
いなけんさんにとって恐怖という言葉は強く、命の危険を伴うような場面を連想させます。刃物を持った不審者と目が合う場面や、巨大地震のような災害がその例です。
しもちゃんさんはそれを「自分ではコントロールできないもの」と言い換え、いなけんさんも同意します。刺してくるかどうかの主導権が相手にある、という点が恐怖の核だというわけです。
これに対し、しもちゃんさんは「この世に生きたいと思いすぎでしょ」と踏み込みます。いなけんさんは、平均寿命ぐらいの年齢なら同じ恐怖は生まれないかもしれないが、今は生きたいし死にたくない、と率直に返しました。
前提にあるからこそ、死にたくないとか生きたいとかって、やっぱりその場をちゃんと見る自分の目を濁らせるから。
しもちゃんさんが例に出したのは格闘家です。0コンマ1秒の世界で殴り合う格闘家が「お腹が痛いな」と考えながら戦っていたら負ける、という話でした。
銃乱射の場面でも、みんなが机のバリケードに隠れているのに一人で入り口へ走る人が真っ先に危険にさらされる、としもちゃんさんは続けます。冷静に周りを見て、鎮圧か逃走かという目的に集中したほうが生存確率は上がる、という主張です。
いなけんさんは、ここで二人の結論は同じだと気づきます。怖い場面では一瞬体が固まることは必ずあるけれど、その後どう切り替え、生き延びるための最適解に集中するかが大事だ、という点で一致しました。
生きることを手段にした人が強い
話はさらに仕事へと広がります。しもちゃんさんは、生きることが目的になった瞬間に人は弱くなると今は考えている、と話しました。
しもちゃんさんがあくまで仮説として挙げたのは、スタートアップの社長です。自分の人生すら投資対象と見なし、会社を通して社会に価値を届けるために生きている状態が強い、という考えです。
しもちゃんさんによれば、そうした人は「自分がこうしたい」という部分がゼロに近くなり、物事を俯瞰して見られるため人もついてきます。逆に生きることが目的の人の多くは、生活のためのライスワークをする人であり、自分にできることばかりやっている、という見方です。
生きられればいいに近く、自分にできることばかりやりがち。しぶとさが加わる場合もあるが少数
自分の体や思考さえリソースと見なし、目的のために使う。俯瞰でき、人もついてくる
いなけんさんは、自分のためだけに人生を使う人はダサいと感じる部分には共感します。一方で、誰もがそうなれるわけではなく、そうならない人生も素敵ではないかと返しました。
しもちゃんさんはその価値観を認めたうえで、自分は素敵だと思わないから選ばないと話し、どちらを選ぶかは自分で決めればいいと締めくくりました。
怖さは全部受け入れるしかない
二人はここでお便りの問いに戻ります。怖さとどう付き合うか、受け入れる線をどう引くか、という問いに対し、しもちゃんさんの答えは明快でした。
いやいや、怖さなんか全部受け入れやな。無理やん、そもそも。受け入れられへんってなった瞬間に、いやそれはもっと辛くなるじゃないですか。
いなけんさんは、受け入れるか受け入れないかの二項対立ではなく、全部受け止めるのがここまでの結論だとまとめます。ただ、自分の頭では対処しきれないキャパオーバーな出来事もあるのではないかと問い返しました。
しもちゃんさんはそうした出来事もあると認めたうえで、どのみち結果的には受け入れることになる、そうでないと人生が進まないから、と答えています。
時間は何も解決してくれない
いなけんさんが「時間軸の問題もあるよね」と口にすると、しもちゃんさんはそこをはっきり否定させてほしいと切り出します。最近ちょうど、時間について考えていたといいます。
時間は何も解決してくれないですよ。
しもちゃんさんの考えでは、時間とは変化の累積を人が観測して当てはめた概念にすぎません。実際に起きているのは、向き合う回数や行動といった変化の積み重ねだ、という主張です。
しもちゃんさんが例に出したのは植物です。1年経っても全く変化しない植物を見て、時間が経ったと直感的に思えるかと問われ、いなけんさんは「考えられないね」と答えました。
いなけんさんは自分の言いたかったことを整理します。キャパオーバーではない刺激は経験則から瞬時に「怖くない」と判断できるが、初めての巨大な刺激を受け入れられるようになるのは時間を伸ばした先ではないか、という見方です。
時間が経てば、受け入れられなかった出来事も受け入れられるようになる
時間ではなく、向き合う回数や行動などの変化の累積が受け入れを可能にする
しもちゃんさんは、議論の中では「時間」と言ったほうが理解しやすいことには完全に合意したうえで、細かく言えばそういうことだと補足しています。
『インターステラー』と、顔に出る経験
時間の話の途中で、いなけんさんはしもちゃんさんに勧められて映画インターステラー ── クリストファー・ノーラン監督による2014年公開のSF映画。ブラックホールや相対性理論による時間の進み方の違いが物語の重要な要素になっていますを最近見たと明かします。以前にも見ていたはずですが、ほぼまっさらな気持ちで「面白い映画だな」と受け止めたそうです。
いなけんさんは、映画の終盤に出てくる時間の概念が今の話に近いと感じましたが、しもちゃんさんはその部分を忘れてしまったと答えます。いなけんさんは「時間は存在しない」といった趣旨の本が流行っていたことにも触れました。
さらにいなけんさんは、同じ年齢でもしんどい経験を積み重ねてきた人は顔やオーラに出る、という話をします。しもちゃんさんはそれを「家畜として育ったか、自然の中で育ったか」と極端に言い換え、いなけんさんに「もうちょっと例えあったろうけどな」と返されました。
いなけんさんは、年齢のわりに若く見える人と老けて見える人がいるのも、内臓や体の構造、外からの刺激の大きさの違いではないかと続けます。しもちゃんさんはこの話題に食いつきました。
内臓から原子へ、自分を動かしているのは誰か
しもちゃんさんは、見た目に表れる時間の経ち方は人によって違うと考え、その理由を掘り下げます。内臓は細胞でできていて、細胞は原子でできている、では原子は何でできているのか、という問いです。
いなけんさんは自分には話せる種がないとして話を戻し、ジャンクフードを食べ続けて顔の表情が変わるという実験を何かで見た記憶を紹介します。体に入れる物質に、体にいい悪いという軸はあるのではないか、という指摘です。
しもちゃんさんはそれを認めつつ、原子の集合体である体に「手を動かせ」と指示しているのは何か、と問いを返しました。
いなけんさんが思い出したのは、収録前に見たハリガネムシ ── カマキリなどの昆虫に寄生する細長い生物。成熟すると宿主を水辺へ向かわせ、水に飛び込ませる行動が知られていますの投稿です。寄生された虫が水辺へ向かうように、体は本能とは別に操作されることがあります。
果たして自分がやりたいと思ってる行動は自分の意志なのか、なんか体内にいる何かによっての意志なのかって、これわかんないよなみたいな。
自分と外に境界線はあるのか
いなけんさんの「自分は自分で動いているのか」という問いに、しもちゃんさんは「動いてないっすよ」と即答します。体内の細菌は自分の領域から除かれるのか、爪は自分の一部なのかと考えると、答えは曖昧になるからです。
結局どっからが自分の外でどっからが自分の内なんて境界なんてないと思うんですよ。
しもちゃんさんは、目の前のいなけんさんとの間にも境界線はないと話し、最近調べていた宇宙の話につなげます。宇宙飛行士が地球を見て「僕たちは一つだった」と感じる、ワンネスと呼ばれる体験があるそうです。
しもちゃんさんの頭に浮かんだのは、原子と地球を重ねるイメージでした。銀河レベルの観測者から見れば地球は原子のようなちっぽけな存在で、見る側の規模によって同じ構造に見えるのではないか、という発想です。
人間が顕微鏡で体を細かく見ると、小さな原子の集まりが見える
巨大な観測者が見れば、地球も原子のような一粒で「お前ら全員一緒やんけ」と見える
しもちゃんさんは、科学がどれだけ細かく解き明かしても、そこにあるのは全部つながっているということだと話します。量子力学などの世界観も、その結論に近いのではないか、という見方です。
運命思考と、二人がシンクロしてきた1年
いなけんさんは、ストレングスファインダー ── 米ギャラップ社が開発した、自分の強みを34の資質から診断するツール。「運命思考」はその資質の一つで、物事のつながりを信じる傾向を表しますで運命思考が上位に出ることに触れます。物事はなるようになるという諦めと、それを受け入れて自分でサバイブする思考の両方が自分の中にあると感じていたそうです。
しもちゃんさんの話を聞いて、いなけんさんは引きで見れば自分の生き様も体内の原子の動きとほぼ同じだと感じ、受け入れて前に進むものなのだと納得したといいます。
我々はこの約1年弱、このなんかコムズカしい話をしてきたが故に、なんかシンクロし出してるっていう。
二人はこの一言で大笑いし、しもちゃんさんは「俺じゃあスピってるやつみたいやんけ」とツッコミを入れました。
いなけんさんはさらに、中国のSF小説『三体』を数年積読したあと最近読み始めたことや、子どもの頃に宇宙の本を夢中で読んでいたことを思い出します。祖母が定期的にくれた図書カードで、ホーキング博士が書いた児童向けの宇宙の本を読み、理系の博士を一瞬志しかけたこともあったそうです。
意志は周りの環境が生み出す
しもちゃんさんは意志の話に戻り、他者が全く存在しない世界を想像してほしいと語ります。今住んでいる街に自分一人きりで、お腹も減らない状態が続いたら、意志は湧いてくるのか、という思考実験です。
意志ってなくなってくるんですよね。それは僕仮説ですけど、意志っていうのは周りの環境とかが生み出すもの。
しもちゃんさんによれば、山や川すらない真っ暗な世界では「これがしたい」「これはしたくない」という意志は生まれません。他者や建造物といった外部があるから意志が生まれる、という考えです。
だからこそ利己的になることは、全部つながっているという結論に反していて気持ち悪い、としもちゃんさんは話します。いなけんさんも、自分の利のために他者に危害を与える人は見ているスコープが狭いと感じると応じました。
ただしもちゃんさんは、そうした利己的な振る舞いもその人の変化の一部であり、自分にも全くないわけではないと付け加えます。違いはそれが表に出ている長さだけではないか、と「知らんけど」を添えて話を終えました。
締めくくりに、しもちゃんさんは『インターステラー』と、地球からどんどん離れていくYouTube動画を勧めます。その動画を見た体験と原子の話がつながり、地球も原子のようなものだと感じたことが、この回の発想の源だったといいます。
まとめ
キリマンジャロさんの「怖さとどう付き合うか」という相談は、恐怖という言葉を問い直すところから始まり、時間、自分の境界、意志の出どころへと広がりました。二人の結論は、怖さは全部受け止め、生きることそのものに囚われすぎず、目の前の目的に集中することにあると言えそうです。
- 「恐怖」という言葉と体の感覚を切り離して、何が怖いのかを考えると、多くは対策できる
- 怖さのラインは、あえてギリギリを攻めて確かめるか、限られた時間でできることに集中して見つける
- 怖さは受け入れるかどうかを選ぶものではなく、結局は全部受け止めるしかない
- 時間が解決するのではなく、向き合う回数や行動といった変化の累積が受け入れを可能にする
- 自分と外の境界は曖昧で、意志さえも周りの環境が生み出すものかもしれない







