3行のメールに、なぜか超長文が返ってきた
今回のみやちゃんのモヤモヤは、メールのやり取りから始まりました。自分では悪気なく送った言葉が、相手にネガティブに受け取られてしまう、という経験です。
意図してない言葉を、ネガティブに解釈されてしまうことがあったりして。「私、全然そういうつもりで言ったんじゃないのに」みたいなことがあって。
みやちゃんによると、実際に会ってミーティングをするときは、とても仲良く話せるのだそうです。ところが、メールでのやり取りになると様子が変わります。
私のメールって基本2、3行で終わっちゃうんですよ。そう書いたりすると、2、3ページぐらいの文章がワーって送られてきて。
「え!?」みたいな。「そんなつもりで言ったんじゃないのに」みたいな。
3行のつもりが、相手からは2、3ページ分。この温度差はどこから生まれているのでしょうか。つんさんは、コミュニケーションの根っこにある考え方から説明していきます。
言葉の意味は「受け取られた瞬間」に生まれる
つんさんがまず示したのは、言葉そのものには意味がない、という見方です。意味が生まれる場所は、送り手の側ではないと言います。
言葉そのものに意味はないし、発した瞬間にも意味は生まれない。言葉の意味が生まれるのは、受け取られたタイミング。
要は、届いた相手の中にしか意味はなくなってしまう。
だからこそ、送り手の「こういうつもりだった」は、口から出したり送信したりした瞬間に消えてしまう、というのがつんさんの整理です。
つんさんは、ここがコミュニケーションのいちばんの肝だと話します。言葉の意味は、届いた相手の中にしか生まれないという前提を理解しているかどうかで、伝え方そのものが変わってくるからです。
相手の脳内を予測する「デコードのアルゴリズム」
では、意味が受け手の中で生まれるとしたら、送り手にできることは何でしょうか。つんさんは「相手の中で自分の言葉がどう変換されるか」を考えることだと言います。
届いた段階で、自分のつもりがどれぐらい正確に、解像度高くデコードされるのかを考えて言葉を作ることになる。
つんさんは、その「デコードのされ方」を、いくつかのパターンとして自分の中に持っておくといい、と続けます。
自分がこんなこと言われたら嫌な気になるかも、というのを数パターン持っておけば。
(相手が嫌だと思う言い方を)避けて避けて避けて、ピンポイントで針を刺すみたいなことが、だんだんできるようになってくる。
つまり、相手が嫌がりそうな受け取り方をあらかじめ想像し、それを避けながら言葉を選ぶ、というイメージです。
これを聞いたみやちゃんは、自分にはそのパターンが乏しいかもしれない、と気づきます。
私、あんまり何言われても全然気にしないタイプだから、そこへの想像力が乏しいのかもしれないです。パターンが何もないです。
「言葉を言葉通りに受け取る人」の落とし穴
つんさんは、みやちゃんのようなタイプを「許容範囲が広い人」とは少し違う、と言います。我慢しているわけではないからです。
許容範囲というのは、嫌だけど我慢するが許容範囲。(みやちゃんの場合は)そもそも嫌と思わない。
つんさんの見立てでは、こうしたタイプは言葉を言葉通りに受け取っているのだと言います。だからこそ、ある落とし穴が生まれます。
言葉を言葉通り受け取る人は、言葉の裏に生まれる感情というものが、そもそも発想の中にない。だから相手もそうだと思い込んでしまう。
自分の言葉に込めていないものは、相手の中にも生まれないだろう。そう思うからこそ、メールも3行で済んでしまう、という説明です。
ところが受け手の側では、その3行から2スクロール分もの感情や発想が生まれ、それが長文となって返ってくる。だから本当は3行では絶対に足りないはずなのだ、とつんさんは指摘します。
そして大事なのは、そのすれ違いをどう受け止めるかです。
こう言ったらこんな風に返ってきたというパターンを受けて、「この言葉にはこういう解釈が生まれうるんだな」という学習がそこでなされる。
ここで「なんでなんだろう」で終わったら学習にならない。
すれ違いを「なぜ?」で終わらせず、次の言葉選びに活かせるかどうかが分かれ目、というわけです。
一方のみやちゃんは、長文が返ってきたことへの対処として、思い切り短くする作戦を考えていたそうです。
3行でものすごい量が返ってきたので、今度はもう一行で「わかった」だけ送ろうかなって思ってたんです。
「ミーティングを楽しみにしています。以上」みたいな。ミーティングの前は何も言わない。
つんさんは、反応しないことも一つの手ではある、と一定の理解を示します。ただし、それが万能というわけではないと付け加えます。
反応しないというのも、ネガティブな反応を拡大させない有効な手段の時もある。でも必ずそうというわけじゃなくて、時と場合による。
あなたの言葉は「伝達」か、「交流」か
話の後半で、つんさんはコミュニケーションを2つのモードに分けて整理します。それが「伝達」と「交流」です。
コミュニケーションって、キャッチボールなのよね。だから交流なのか伝達なのかで、内容が変わってくる。
つんさんによれば、この2つに明確な境界はありません。同じくらいの立場の仕事仲間どうしなら、用件だけの伝達で済むこともあります。
用件や連絡を届けること。同じ立場の仕事仲間どうしなら、短くても済む場面がある
人間関係のやり取り。相手が私的なつながりと感じていれば、短い言葉は物足りなく感じられる
問題は、送り手と受け手で、同じやり取りを別のモードとして捉えているときです。つんさんは、学生と先生の関係を例に挙げます。
学生さんは、学校に行ってるけどプライベートの延長というか一部。だから先生とのやりとりも、感覚としては私的なものになる。
一方で先生の側は、そのやり取りを仕事の一部として扱っています。つまり、同じメールでも立場によって意味づけが変わるのです。
先生側としては仕事の一部なので伝達、連絡だったりするけど、学生さんからしたら交流の一部だったりする。
そこのギャップが、3行と20行の違いを生むというのが、つんさんのたどり着いた見立てです。片方は伝達のつもり、もう片方は交流のつもり。その温度差が、返信の長さのすれ違いになって表れる、というわけですね。
なるほど、勉強になります。
まとめ
悪気がないのに相手を怒らせてしまうのは、言葉の意味が「受け取られた瞬間」に相手の中で生まれるから。自分のつもりが正確に届くとは限らないという前提に立つと、伝え方が変わってきそうです。
- 言葉そのものに意味はなく、意味は受け取られたタイミングで相手の中に生まれる
- 相手の脳内でどう解釈されるか(デコード)を数パターン想像して言葉を選ぶと、すれ違いを減らせる
- 言葉を言葉通りに受け取る人は、言葉の裏の感情を発想しにくく、メールも短くなりがち
- すれ違いを「なぜ?」で終わらせず、「この言葉にはこういう解釈が生まれうる」と学習に変えることが大切
- 同じやり取りでも「伝達」と「交流」で捉え方が分かれ、そのギャップが3行と20行の差を生む






