マラソン練習中に出くわした、猪と箒のオッサン
番組冒頭は、ビールで乾杯するところから始まります。ホスト2が最近の出来事として、参加したマラソン大会の練習の話を切り出します。
話に出てきたのは北九州マラソン2025です。ホスト1によれば、参加者は1万人ほど、沿道には30万人がいたといい、本人はボランティアリーダーを務めたと補足しています。
ホスト2はその大会に向けて、普段から5キロほど走っていたそうです。走る場所は田舎で、ホスト1いわく門司港の果ての白野江のあたりだといいます。
その練習中に、事件は起きます。前方に大きめの犬がいると思ったら、それが猪だったというのです。
で、なんか犬、ちょっと大きめの犬が前にいるなと思ったら、あ、イノシシだと思って。
逃げたほうがいいかと迷いつつ、ホスト2はそのまままっすぐ走り続けます。すると猪のほうが別の方向へ逃げ始めました。
さらに、その猪を追いかける人物が現れます。箒を持った60代くらいのおじさんでした。畑を荒らされないように追い払っていたのだろう、とホスト2は推測します。
そのイノシシの後ろを、なんか60代ぐらいのおじさんが追いかけてて、箒持って。
ホスト1は、この辺りは猪やハクビシン ── ジャコウネコ科の哺乳類。農作物を食い荒らす害獣として扱われることが多い。の被害が多いと応じます。田舎ならではの光景に、ホスト2は笑いながら走ったと話しています。
狩猟して、カレーにして出す。害獣駆除とジビエの話
猪のおじさんの話から、ホスト2は別の知り合いの話につなげます。最近、狩猟をやっている人がいると聞いたというのです。
その人物は、門司駅裏のカフェのオーナーでした。狩猟は代々のもので、高齢になった父から引き継いでやっているといいます。
ホスト2は、狩猟には2つの側面があると整理します。1つは、北九州市が出している害獣駆除 ── 農作物などへの被害を防ぐため、自治体が猪などの捕獲を依頼する取り組み。捕獲数に応じて報奨金が支払われることがある。の依頼です。
猪を捕まえると市から一頭あたりの金額が支払われ、捕った個体は売っても食べても自由だといいます。そのオーナーは部位に分け、業者に卸したり自分の店でカレーにしたりしているそうです。
市が駆除依頼
被害が多いため、北九州市が猪の捕獲を依頼する
狩猟して捕獲
依頼を受けた人が猪を捕り、一頭あたりの金額を受け取る
部位に分ける
捕った個体を部位ごとに解体する
料理・販売
業者に卸したり、自分の店でカレーにして出したりする
ホスト1は、西小倉の有名なご飯屋さんもジビエの会をやっていると話を重ねます。狩猟から料理までのつながりに、2人とも面白さを感じている様子です。
命を殺すからこそ湧く、「生きてる実感」という言葉
ホスト2が面白いと感じたのは、その狩猟をしている人の言葉でした。淡々としながらも、印象的なことを話していたといいます。
結局、命を殺すわけじゃないですか。すごくなんか生きてる実感があるみたいな話をして、淡々としてて。
猪を捕るということは、殺しに行くことでもあり、場合によっては自分が殺される可能性もあります。ホスト2は、それを踏まえてレアな経験だと受け止め、興味が湧いたと話します。
ここから「生きてる実感」というキーワードが、この回を貫くテーマとして浮かび上がってきます。ホスト2は自分もそれが欲しいと口にします。
生きてる実感欲しいですよね。
ホスト1も、生きてる実感を感じる機会はあまりないかもしれないと応じます。ただ、この話はいったん脇に置き、別の話へと展開していきます。
ブランディングの限界と、「自然であること」をめぐる話
ホスト1は話題を変え、最近考えているというマーケティングやブランディングの限界について語り始めます。自身が営むカフェ「四稀」での実感がもとになっています。
狩猟して、それをカレーにして出すという流れには、無理のない自然さがあるとホスト1は言います。それに対して、店づくりで無理にマーケティングやブランディングをすることには限界を感じるようになったそうです。
自分らしく、自然なところを大切にしないと続けられないし、嘘になってしまう。ホスト1はそう話し、素でやらないと意味がないという考えにたどり着きます。
ここでホスト2が「自然」の意味を問い直します。ネイチャーの自然なのか、それとも自分の軸としての自然なのか、という質問です。
だから自然っていうのはネイチャーの話なのか、素の自分とか言ってる素の話なのか、どっちですか?
ホスト1は、自然という言葉が自然(ネイチャー)から来ていることに触れ、ありのままが自然である、という語源的な発想からどちらでもあると答えようとします。
最終的には、ホスト2の問いに沿って「素の自分」の話だと整理されます。素の自分で自然にいかないと厳しいのではないか、というのがホスト1の言いたかったことでした。
素でいることの難しさと、社会からの圧
話は「素の自分とは何か」へと進みます。ホスト2は、素でいること自体が難しいと指摘します。
社会のいろんな影響や圧を受けて、自分に嘘をついて社会で必死に生きてるんで。
一方でホスト1は、自分はわりと素で生きている感覚があると返します。それに対してホスト2は、生きてはいるものの、気を抜くと素でなくなると答えます。
ちょっとでも気を抜くと素じゃなくなる。いい顔しようとしてしまうじゃないですか。社会に対して。
気を抜かず、素でいられるように足掻いている。ホスト2はそう表現します。ホスト1は「足掻いていきましょう」と受け、この難しさを2人で共有します。
カフェ「四稀」で、素を出せているのは何パーセントか
ホスト2は、その素をお店にも反映していきたいのかとホスト1に尋ねます。ホスト1は、そうしないと何のためにやっているのかがわからなくなる、と答えます。
ホスト1のカフェ「四稀」は、合計で5年ほどになるといいます。アルバイトのスタッフが入っていた時期を経て、彼らが辞めたことをきっかけに、改めて自分でやろうと考えたそうです。
ここでホスト2が具体的な数字を問います。今のお店で素の自分を出せている率は何パーセントか、という質問です。
自分でこのイメージでっていうので作ってるから、全部出せてると言えば出せてるんだよね。だからその、要は舞台としては出せてる。
ホスト1は、店を「ハード面」と「ソフト面」に分けて説明します。空間などのハード面は出せているものの、ソフト面ではスタッフに合わせ、マーケティングやブランディングの視点で考えてきたため、自分を出せていなかったといいます。
ハードもソフトもコンセプトも全部合わせると何パーセントか。改めて問われたホスト1は、55パーセントくらいと答えます。ホスト2は「低いな」と驚きます。
低い。伸びしろしかない。
残りの45パーセントはソフト面で埋まる、とホスト1は言います。ただしソフト面には商品だけでなく、店の雰囲気や光の入り方、その場にいる人も含まれる、という認識の違いも語られます。
ホスト2は、やることが決まっているなら、あとは埋めていくだけだと背中を押します。ホスト1も、今が勝負の時であり、ついに本気を出す時が来たと応じます。
マーケの仕事より、目の前の人を喜ばせる充実感
ホスト1は、最近ケーキを自分でちゃんと作り始めていると話します。忙しさからついウェブ制作 ── ウェブサイトの企画・デザイン・実装を行う仕事。ここではホストのマーケティング関連業務のひとつとして挙げられている。やウェブ広告といったマーケの仕事に時間をかけてしまうといいます。
それでも、目の前の人を喜ばせるような時間には、大きな充実感があるとホスト1は語ります。作っている最中は忙しくても、その手応えは別物のようです。
目の前の人を喜ばせるとか、なんかそういうのをやる時間みたいなのはすごい充実感があります。
番組の趣旨から外れているのではと気にするホスト1に、ホスト2は「知らん」と返します。話したいことを話すのがこの番組だ、という空気のまま雑談は続いていきます。
経験を重ねると波風が立たない、感度の話
話は「生きてる実感」へと戻ります。器用に生きていて飽きてしまっている、という状態についての話です。
ホスト2は、いろんなことを経験するほど驚くことが少なくなると語ります。例に挙げるのは海外旅行です。
海外初めて行った時とかってもう見るもの食べるもの、あらゆる全てが初めてで、サプライズだと思うんですけど。
それも3回、4回と繰り返すうちに「はいはい、こんな感じね」となり、感情に波風が立たなくなる、とホスト2は言います。
何も波風立たないですよね。感情にも。
ホスト1は、それはいわゆる感度が低い状態ではないかと指摘し、感度は開発していけるのではと問いかけます。この対比が、2人の感覚の違いをあらわにしていきます。
経験を重ねると波風が立たない。感度が下がっているのを感じている
自分はわりと素でハッピーに生きている感覚がある。波風の話にはピンとこない
フィリピンで携帯をひったくられて、ワクワクした話
ホスト2は、アクシデントが起きるとちょっと嬉しく、ワクワクすると打ち明けます。ただし、悪いアクシデントは嫌だとも付け加えます。
その具体例として語られるのが、数年前のフィリピン旅行です。セブのコンビニ前で喫煙しながら携帯をいじっていたところ、原付に乗った二人組に携帯をひったくられたといいます。
携帯ひったくられて、原付に乗った二人組。着いてまだ2時間ぐらいですよ。
大パニックになり、警察に行ったりロックをかけたりと対応に追われます。それでも、この先まだ1週間ほど旅程が残っているという状況に、ホスト2はワクワクしている自分に気づいたといいます。
って思いながらちょっとワクワクしてる自分。キモいでしょ。
ひったくった相手に大ブチギレし、どうしようと焦りながらも、その中にワクワクしている自分がいる。ホスト2はそう語ります。ただし、それが連続すると辛いので望んではいない、とも補足します。
ホスト1は、気持ち悪いとは思わないとしつつ、自分とは感覚が違うと素直に認めます。同じ状況でワクワクする自分には気づかないだろう、というのです。
波風は、自ら機会を作り出して起こすもの
話は仕事へと移ります。ホスト2は32歳で、10年ほど仕事をしてきたといいます。ホスト1は、仕事は3、4年で一周するといわれる、と話を広げます。
ホスト2は、今の会社に4、5年いて業態も大きくは変わっていないため、波風が立っていないと言います。関わる人の変更が少ないことも大きいそうです。
一方で、自ら波風のあるほうへ動いていく面もあるとホスト2は認めます。仕事が好きで、そこからやりがいや生きがいを得ているのも事実だといいます。
仕事からそのやりがいとか生きがいみたいな得てるのも事実なので。そこを何か変えていったら楽しいかもなって思ってますよね。
ここでホスト1が、最近好きだという言葉を持ち出します。江副浩正 ── リクルートの創業者。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉で知られる。の言葉です。
自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えようって。
機会は自分で作りに行くもの。ホスト1は、この言葉で最近の自分を納得させていると語ります。仕事においては、自ら機会を作り出せるのではないか、という受け止めです。
そもそも生きてる実感は必要なのか
ここでホスト2が、話の前提そのものをひっくり返す問いを投げます。生きてる実感は、そもそもないといけないのか、というものです。
そもそも生きてる実感ってないといけないのかっていう話。
ホスト1は、この回の話は生きてる実感が必要という前提でスタートしたはずだと戸惑います。ホスト2は、あった方がいい気はするが、そもそも必要なのかと問い直します。
そもそも生きてる実感を求めてる時点でハッピーではないんじゃないかと。
ホスト1は、この問いを「いい問いですね」と受け止めます。生きてる実感を求めること自体が、今ハッピーでない証なのではないか、という視点です。
そこでホスト1がホスト2に「今ハッピーか」と尋ねます。ホスト1自身は大体ハッピーだと即答しますが、ホスト2の答えは違いました。
いや、わからない。正直わからない。ハッピーといえばハッピーだし、退屈っちゃ退屈だな。
2人は、この違いが性格というより性質、あるいは家庭環境や親の性格に由来するのではないかと話します。冗談まじりに、次回は親をゲストに呼ぼうという流れにもなります。
たまたまの積み重ねと、生きてるだけで偉いという話
ホスト1は、自分がハッピーでいられるのは酒の作用も大きいと話します。ビールを飲めば、大変な一日でも「まあいいか」となるといいます。
一方でホスト2は、あまり酒を飲まないため、そこに幸福度をあまり感じないかもしれないと語ります。酒による作用は人によって違い、自分の感覚は他人には通用しない、とホスト1も認めます。
ここでホスト1は、生きづらい人が世の中に多いのではと問いかけます。ホスト2も、それは多いだろうと同意します。
ホスト2は前日、同い年で定期的にオーバードーズ ── 薬を過剰に摂取すること。ここではメンタルの不調を抱える人の状態として語られている。をしている人と話していたと明かします。メンタル的にきつい、という現実です。
ホスト1は、仕事のスキルを身につけられるかどうかは、若い頃にいい上司に巡り合えたかなど、たまたまの要素が大きいと語ります。そこでつまずくと社会で立ち行かなくなり、きつくなる、というのです。
ホスト2は、その友人と「生きてるだけ偉い」という話を散々したと振り返ります。生きている上に仕事までしているのだから、相当偉い、という結論です。
最後は、収録の残り時間を気にしながらの慌ただしいやり取りで幕を閉じます。まとまった結論に着地するというより、話したいことを話しきった初回らしい終わり方でした。
まとめ
初回の「門司のスネアテ」は、田舎で見た猪と箒のオッサンという小さな出来事から、狩猟の「生きてる実感」、素の自分、店づくり、そして幸せとは何かへと話が広がっていきました。結論を出すというより、2人の感覚の違いをそのまま楽しむ雑談回でした。
- マラソン練習中に見た「猪を箒で追うオッサン」から、狩猟とジビエ、そして「生きてる実感」というこの回のテーマが生まれた
- ホスト1は、店づくりで無理なマーケティングやブランディングに限界を感じ、素の自分で自然にやることを大切にしたいと語った
- カフェ「四稀」で素を出せているのは55パーセントで、残りはソフト面や雰囲気で埋めていくと本気を宣言した
- ホスト2は経験を重ねて波風が立ちにくくなる一方、フィリピンでの携帯ひったくりのようなアクシデントにワクワクする感覚を持つ
- 「そもそも生きてる実感は必要なのか」「生きてるだけで偉い」という問いにたどり着き、幸せは性質やたまたまの積み重ねだという話で締めくくられた






