下流の安城市が上流の森を守る、明治から続く矢作川の約束
長野県根羽村は、環境省の地域循環共生圏事業に採択された村です。前回の話によれば、申請を出したのはマギーさんではなく根羽村の役場の人たちで、マギーさんが村に入ってまもないタイミングで事業が決まっていました。
清水は、役場がどこから情報を得て申請したのかを不思議がります。江口はその答えにつながる話として、根羽村の特徴的な流域の取り組みを紹介しました。
根羽村には、下流域にある愛知県安城市と根羽村が共同で管理している「矢作川水源の森」があります。その歴史は明治時代から続いているそうです。
(安城市は)矢作川の用水を引っ張ってきて、その水で栄えたっていう時に、用水の管理者の方が「使うものは作るべし」っていう言葉を残して。
安城市は農業で栄えた土地です。用水の管理者が残したこの言葉をきっかけに、上流の森を購入し、今も共同管理が続いているとマギーさんは説明します。
矢作川流域には、昔から流域懇談会という会もあり、流域単位で何かに取り組むことが盛んな地域です。環境省の事業が掲げる「都市側と田舎側の連携」は、根羽村ではすでに素地があったといえます。
用水で栄える
下流の安城市が矢作川の用水を引き、農業で発展した
言葉が残る
用水の管理者が「使うものは作るべし」と残した
森を共同管理
上流の根羽村にある矢作川水源の森を、明治時代から共同で管理してきた
共生圏事業へ
都市と田舎が連携する素地があるなかで、根羽村が環境省の事業に採択された
安城市の子どもはなぜ根羽村を知っているのか
江口によると、数年前まで環境省の地域循環共生圏推進室に安城市から職員が出向していたといいます。そこで根羽村の話が出たのかもしれないと推測しています。
安城市と根羽村のつながりは行政の間だけではありません。安城市の人は小学生のころに根羽村を訪れるといい、清水はこれを「脈々と受け継がれしマインドセット」と表現しました。
滋賀県でいう琵琶湖みたいなノリですね。
マギーさんによると、安城市では小学4、5年生の義務教育の中でもこのテーマを扱っています。県をまたいでいることも含めて、清水さんは驚きを隠しません。
安城市民の方がもしかしたらその川に対する意識が高いんじゃないかって思うこともあります。
源流側に住んでいる人にとって、川や森は当たり前になりすぎてしまう面があります。下流の人のほうが川への意識が高いかもしれない、という見方はこの回の流域論の出発点にもなっています。
流域の話なのに、なぜ「人」に戻っていくのか
清水が感心したのは、流域という大きな枠組みを持ちながら、根羽村の取り組みが住民調査のような「人」の話へ戻っていく点でした。前回、根羽村では住民全員を対象にした調査を行った話が出ています。
流域にすごいほんまに囚われすぎて、なんか人を置いといて自然とかに行きがちやのに。
(「使うものは作るべし」も含めて、)やっぱ結局人に戻ってて、住民の調査じゃね?みたいなのは相当すごい解釈やな。
清水は、外から聞けば当たり前に思える話でも、当事者が内側にいながらその解釈にたどり着くのは難しいと指摘します。中にいると自分たちのことが見えなくなるからです。
これに対してマギーさんは、根羽村の役場にはいろいろな人が出入りしていて、官民連携が盛んだと話します。「変な民間の人たち」を受け入れてくれる役場の職員に、マギーさんは繰り返し感謝を口にしました。
全国の自治体の人にも聞いてもらいたい話。
「机上の空論」に見えた地域循環共生圏を、マギーさんはどう読み替えたか
江口は、マギーさんが地域循環共生圏という概念をどう解釈し、地域の中間組織の立ち上げに至ったのかを尋ねます。
マギーさんが事業を知ったのは2019年ごろです。もともと環境活動に関心があったわけではなく、最初は戸惑ったといいます。
このなんか机上の空論みたいなやつなんだこれみたいな。アウトプットに曼荼羅。なんだ曼荼羅ってみたいな。
それでも調べていくうちに、民間出身のマギーさんは2つの問題に気づきます。1つ目は、流域の取り組みが助成金頼み、NPO的、ボランティア的な形で行われていて、持続的ではないことでした。
2つ目は、専門的にわかる人たちだけで集まる場になってしまい、広がらないことです。マギーさんは、それでは課題は解決されないと考えました。
もっといろんな人たちが混ざり合っていくような状態の、なんかこう、綺麗じゃない共生圏がすごい大事だと思った。カオスな。
都会と田舎が綺麗に分かれるのではなく、入り乱れてごちゃ混ぜになる状態をつくるには、窓口が1つでは足りません。マギーさんは、特に上流の根羽村側こそが「混ぜる側」になる必要があると考えました。
助成金やボランティアに頼り、専門家だけが集まる。窓口が1つで広がらない
いろいろな人が窓口になり混ざり合う「綺麗じゃない」共生圏。上流側が混ぜる役を担う
マギーさんはさらに、あえて尖った意見として、田舎側があぐらをかいている面もあると話します。
あなたたちその上流側は、じゃあ下流域側にどんな価値を提供できるんですか?っていうところに対しても、やっぱこうシビアに向き合っていかないといけない。
清水は、この考え方が自分の普段の主張に近いと共感を示しました。
「共生圏について話そう」と言わないワークショップ
マギーさんたちは最初、ワークショップの形で場を開きました。マギーさん自身がそうだったように、事業をよくわかっていない人が入って話し、「こうだったら面白い」という幅を広げながら、取り組みの輪郭を描いていったといいます。
清水が、参加した住民は地域循環共生圏を理解していたのかと尋ねると、マギーさんの答えははっきりしていました。
(共生圏を理解は)してないです。する必要ないと思ってます。
なんか別に地域循環共生圏について話そうよって言って超つまらなそうじゃないですか。
事業の存在は冒頭で説明するものの、テーマとして掲げることはしませんでした。背景には、当時の根羽村の状況があります。杉山さんが来たころの村は、できないことがどんどん増える「絶望的」な状態だったといいます。
立場の役回りで開かれる体裁の整った会議はあっても、特に若手世代が本音を出し合う機会は少なかったそうです。共生圏事業の予算でファシリテーターを呼び、外から人が来る非日常の場を演出して、声をかけられる人に集まってもらったのが始まりでした。
(普段は違うところで働いている人たちが)机で顔を寄せ合って、もっとこうなったら面白いんじゃないか、こういうとこが課題だよねみたいなことを共有し合う場、その時間が一番価値だったなと思いますね。
マギーさんにとって、何が話されたか、どんなアイデアが出たかよりも、場が生まれたこと自体が地域にとっての価値でした。
村に戻った若手たちが、場をつなぐハブになる
最初の参加者は一本釣りで声をかけて集めました。当時のマギーさんには地域の人脈がなかったため、地元出身で地域を良くしたいと考えていた同世代の5、6人がハブになり、いろいろな人に声をかけてくれたといいます。
清水が、その人たちは根羽村が好きで残っているのかと尋ねると、マギーさんは「そんなこともなかった」と答えます。長男だから、子育ての環境のため、など、それぞれが事情を抱えて村にいるのだそうです。
本当に。なんかそれぞれがいろんなことを抱えてるんですよ。それがまた素敵なんですよ。
根羽村には高校がないため、若者は高校進学でいったん村を出ます。戻ってくる人は圧倒的に少ないものの、最近は毎年1人はUターンがあり、最初から戻るつもりで帰ってくる人も増えたといいます。
マギーさんは、根羽村で育った人たちは村のことが大好きだと話します。その背景には、川遊びや、「あそこで肉まん食ったよな」といった、小さな村で青春を過ごした思い出の数々があるそうです。
2019年の盆踊り復活が残した「共通の成功体験」
清水が原体験の共通項を尋ねると、マギーさんはお祭りを挙げます。ただ、お祭りは元から元気だったわけではなく、2019年に廃れていた盆踊りをみんなで元気にしたのだといいます。
盆踊りの実行委員には、ワークショップで話し合ったメンバーも加わっていました。きっかけは、子どものころから好きだった盆踊りが廃れていくのが悲しい、という地元の一人の声でした。
村に来て日の浅いマギーさんにも相談があり、イベントづくりが得意だったマギーさんは、面白いイベントの考え方や作り方を伝えながら一緒に作り上げました。
なんかみんなで力を合わせればこんだけ面白いものができるんだっていう共通の成功体験は、2019年の盆踊りが初めてで。
盆踊りはその後も形を変えながら続き、参加者は当時の倍になりました。マギーさんは、帰省者が帰ってきたくなる盆踊りが作れたと振り返ります。
地域の力以上の人は巻き込めない
清水は、盆踊りのような地域との関わりが共生圏の取り組みとどう交わるのかを尋ねます。マギーさんは、すべてつながっていると答えました。
マギーさんによれば、共生圏を実現するいちばんの近道は、地域が自ら力をつけることです。そのうえで外との「交わりしろ」を増やし、新しいプロジェクトに挑むことでまた新しい力がつく。この循環が回るほど広がりが増えていくといいます。
地域が力をつける
まず自分たちの地域の力を高める
交わりしろを増やす
外の人や組織と交われる余地を広げる
新しいプロジェクト
交わりから生まれた取り組みに挑戦する
新しい力がつく
挑戦によって地域に力がつき、最初に戻って循環が回る
柔軟な助成金が「根っこを強くする活動」を支えた
清水は、こうした考えが言語化されたのは共生圏事業に関わったからなのかと尋ねます。マギーんは、当時の地域循環共生圏の助成金はかなり柔軟に使えたと振り返ります。
(助成金で)自分たちの根っこを強くする活動に投資をできたっていうのはなかなかできないじゃないですか。
マギーさんは、KPIや費用対効果に指標を置かれると、共生圏はつくりづらくなると話します。
その打ち上げ花火はできますよね。でもそのやっぱ単発型は一番意味がないので。
2019年から関わっているファシリテーターは、今では村の予算で通い続けていて、今年で8年目になるそうです。清水は、これこそ「血の通う政策」だと評価しました。
清水は、環境は儲からない、環境省だからできないと見られがちな現状に触れ、関わる人がいるのに環境省側が諦めるなと語ります。番組を持っているのも、そうした思いからだといいます。
そうやって言ってる関わってるやつがおるのに、環境省側が諦めんなよって言いたいんですよ、僕は。
申請書に書けないものこそ、地域の言葉になる
江口は、都市と地方というステレオタイプでは分けられない、ごちゃ混ぜの中でこそ見えてくるものは、申請書とはまったく違うところに表れると話します。
申請書に全部書けたら申請する必要ないですもんね。
清水は、予算が切れたから関わりを終えるのはおかしく、他の方法でも関わり続けたくなる取り組みであるべきだと強調します。マギーさんも、地域側が自分たちのお金を使ってでも取り組みたくなるテーマを見つけられるかが大事だと応じました。
その地域にとってのとか、その担当者にとっての地域循環共生圏って何なんだろうっていうところを、なんか自分なりの言葉が見つけられると、それが続いていくんだろうと思ってて。
根羽村にとっては、柔軟でいろいろな人がごちゃ混ぜになれる役場や存在になっていくことが、自分たちにとっての共生圏のあり方だったとマギーさんは語ります。
江口は、地域ごとに言葉や見え方は違っても、元の概念としての共生圏には手応えを感じるといいます。そのうえで、共生圏という言葉をそのまま使ってくれとは「口が裂けても言えない」と本音を漏らしました。
インド・デリーの中学生が根羽村の森と川を歩く
事業開始から6、7年がたち、根羽村では想像していなかったことがたくさん起きているとマギーさんは話します。今年は、インドのデリーの中学生を受け入れ、一緒に森を歩いて川を見せたそうです。
きっかけは、長野県の職員で今は休職して大学院に通っている人のつながりでした。長野県で受け入れ先を探していたところ、田舎の案内ができて英語が話せるマギーさんに声がかかりました。
受け入れたのはインドの子ども5人です。杉山さんは、デリーという都会の子と日本の田舎の交流を「グローバルを超えた都会と田舎の交流」と表現します。
ラーメンがめっちゃ美味しかったって言ってました。BestラーメンEverって言って帰ってきましたけど。
インドの子どもたちがいちばん嬉しそうだったのは、根羽村の子どもたちとの交流でした。一緒にカバディ ── インド発祥とされる団体競技。攻撃側が「カバディ」と唱え続けながら相手陣地に入り、相手にタッチして戻ると得点になりますをしたり、根羽村の遊びに巻き込んだり、ノートに日本語を書いてもらったりしたそうです。
流しそうめんや竹の水鉄砲づくりもしました。水鉄砲は持ち帰りたそうでしたが、空港で引っかかりそうであきらめたといいます。根羽村の子どもたちの、国際交流ができる意外な一面も見られたそうです。
やっぱ人と人のつながりが一番嬉しそうでしたね。
流域の企業・大学とつながり、次回は「流域経済圏」へ
マギーさんによると、根羽村では流域沿いの子どもたちの受け入れも毎年行っています。さらに流域沿いの企業や大学とも新しいつながりが増え、どんなスタンスで取り組めばよいかが見えてきたといいます。
その一例が、下流域の西尾市、岡崎市、安城市の人たちなどが集まって開いたクロストークです。「流域」という言葉から何を思い描くかを、海側の人と農業の人などが語り合ったセッションは、とても面白かったそうです。
江口は、マギーさんたちが「流域経済圏」という表現も使っていることに触れ、この話は次回に掘り下げると予告しました。清水は「字面だけで最高」と期待を寄せています。
まとめ
根羽村の取り組みは、安城市との明治時代からの共同森林管理という流域の素地のうえに成り立っています。そのうえで杉山泰彦さんは、地域循環共生圏を難しい言葉として掲げるのではなく、住民が顔を合わせて面白がれる場づくりから始め、地域の力を高める循環として実装してきました。
- 安城市の先人が残した「使うものは作るべし」の言葉から、下流と上流が森を共同管理する関係が続いている
- 杉山さんは、専門家だけの綺麗な共生圏ではなく、いろいろな人が混ざり合う「カオスな」共生圏が必要だと考えた
- 住民に共生圏の理解は求めず、本音を出し合える非日常の場をつくること自体を価値とした
- 2019年の盆踊り復活は、村の若手にとって初めての共通の成功体験となり、参加者は倍に増えた
- 地域の力以上の人は巻き込めないという考えのもと、柔軟な助成金を根っこを強くする活動に使い、デリーの中学生の受け入れなどへ広がっている







