12年を振り返って「近づいた」とは何か?
越陽二郎さんは2013年にタイでTalentExを創業し、資金難、創業メンバーの離脱、コロナでの全社員解雇を経験しながらも、一人で会社を立て直しました。2024年には上場企業へのM&Aを実現しますが、翌年にはその事業の終了が決まります。
やりきってすっきりしているのか、もう一度挑戦するつもりなのか。この問いに、越さんは「近づいた」という言葉で答えています。
一言で言うと近づいたっていう感じはあるかなと思って。やりきった感も一つあるし、でもじゃあもうチャレンジしないかっていうと、心に残ってるものもあるしっていう両面あったり。
越さんの「近づいた」の中身は、20代で海外に挑戦したいと思ったときの思いのとおりになった部分と、当時は見えていなかった幸せの方向が見えた部分、そして起業時に思っていた方向とは少し違うと感じる部分が混ざったものです。
MCが「紆余曲折あったけれど、求めていたものに近づいているということか」と確かめると、越さんはそうだと応じ、人は本当に求めているものを意外とわからずに生きている、と話を広げます。
海外で生きていることが幸せなのか、日本なのかとか、子供と会社と両方やってることが幸せなのかとか、でもそれを両方持つことってどういう日々なのかっていう実感とか。
越さんにとって十数年の起業は、幸せのかたちを頭で考えるのではなく、実践の中で確かめていく時間だったといえそうです。
黒字化の壁、月10万円を稼ぐ苦しさ
越さんは、勤めていたスマホ広告のスタートアップがKDDI系のMedibaに買収されたあと、タイ拠点の立ち上げのためにバンコクへ渡りました。そして2013年、会社を辞めてタイで起業します。
12年間で一番つらかった時期を尋ねられた越さんは、「気が狂ってたのはコロナの間かな」としつつ、山場は3つのフェーズに分かれると振り返っています。
越さんが最初に立ち上げたのは、タイのIT人材向けの求人サービスでした。エンジェル投資家 ── 創業間もないスタートアップに、個人の資金で出資する投資家のこと。ベンチャーキャピタルより早い段階で資金を出すことが多いですから3万ドルの出資を受け、1年ほどで月単位では黒字になりましたが、会社を回せる規模には届かず、最初の資金もほぼ尽きてしまいます。
僕の場合もやっぱり最初の3年ってそこ(黒字化の壁)だったと思うんですよね。ほんと毎月10万、15万稼ぐだけですごい大変だったので。
でもチームを維持するにはやっぱりもう一桁大きい。タイでさえやっぱり100万円とかそれ以上の金額が必要になる。
越さんは、スタートアップを潰すのは競合ではなく自分自身だという話に触れながら、起業家が辞めてしまうのは支払えないからというより、心が折れるからではないかと話します。
心さえ折れなければ、どっかからじゃあ借りてくるなのか、とにかく土下座して買ってもらうなのかとか、いろいろある。
食費もないような状況で「なんでここまでして俺はこれをやっているんだろう」と感じる惨めさが、起業家に「もうここまでにしよう」と思わせる、というのが越さんの見立てです。そうした辛さを一切感じないハートの強い人しか、昔は起業できなかったのではないかとも語っています。
契約直前の破談、3日で100万円を稼いだ日々
創業3年目、越さんは日本語を話すタイの人と日系企業をつなぐ求人サービス「ワクワク」を立ち上げます。のちに10年続き、最終的にポーターズへ売却されることになる事業です。
越さんは当初、ワクワクの事業だけを半年で売却し、その資金で時代が来ると考えていたSaaS ── Software as a Serviceの略。ソフトウェアを買い切りではなく、インターネット経由で月額などの利用料を払って使う提供形態のことですの、より大きな事業に挑戦しようと考えていました。ところが、契約書にサインする前日ほどの段階で、その話は破談になります。
それで資金が入らないイコール3日で1ヶ月分稼がなかったら、もう今月の給料払えないみたいな状況だったんですね。
当時の1か月分の稼ぎは100万円ほどでした。越さんは誰かに頭を下げれば借りられるだろうと考え、メンターの小林さんに「大丈夫です」と伝えますが、返ってきたのは借金を認めないという厳しい助言でした。
借金なしねと。そんなお金すぐ溶けるし、それで乗り越えられるんだったら、越君、今こういう状況になってないから。
小林さんの助言は、売上で乗り越えること、それができないなら起業をやめること、というものでした。越さんは今振り返って、すごいアドバイスだったと語っています。
当時のワクワクのパッケージは1つ10万円ほどで、普段は1か月かけて売っていました。越さんはそれを3日で売るために、採用予定がなくてもいいから1年契約を買ってほしいと頼んで回ります。
越さんのためだったらもうひと肌脱ぎますって、あの時言った言葉が嘘じゃないんだったら今すぐ払ってくれっていう、もう脅しに近い。
越さんはそれまで、さまざまな場面で周りに「ギブ」を重ねていました。その相手10人に頼み込み、8人が応じてくれたといいます。実際に土下座まではしていないものの、カフェで机に頭をつけたり、電話の向こうで土下座するような気持ちで頼んだりしたそうです。
心が折れなかった支えは何だったのか?
越さんは、心が折れずに続けてこられた理由を問われ、ポキッといかなかっただけで、180度ぐらい曲がっていた時期はあったと前置きします。そのうえで挙げたのが、家族と投資家を背負っているという責任感でした。
多分自分一人だったらもう辞めようっていう風に多分なってたんですけど、起業するっていろんな人を巻き込むので。
人を雇う、家族がいる中で起業する、誰かからお金や信用を預かる。越さんは、そうして応援を頼んで起業したからには「ここで辞められない」という思いが強かったといいます。
創業3年目に共同創業者が全員去り、一人になったときにも、越さんは辞めようと思った瞬間がありました。そのとき越さんを引き止めたのは、妻の一言です。
でも妻に「でもまだやりきってないんでしょ」っていうふうに一言言われて。
越さんの妻は幼稚園の先生や専業主婦として過ごしてきた人で、越さんの事業内容もよく理解していたわけではなかったそうです。それでも「ここで辞めていいの?」という問いが、つらいから辞めるのは違う、と越さんに思い直させました。
起業当初の越さんは、タイに住んで1年ほどで、家のソファーで一人パソコンを叩く日々を送っていました。応援してくれる人はほとんどいなかったものの、自分が一歩踏み出せば助けてくれる人が現実に周りにいたことも、もう1つの支えだったと話しています。
コロナ直前に始まったコシクロ
TalentExは4期目で初めて通年の黒字になります。2018年にはロシアでも事業を始め、2019年には会社全体の売上が前年の2倍になりました。そして2020年、コロナがやってきます。
ちょうどその直前、越さんはオンラインコミュニティ「コシクロ」を始めていました。コシクロの開始は2020年3月で、日本とタイでロックダウンが本格化した4月の直前だったといいます。
いざいざ船出だ、ドーンとやったら無風みたいな、なんか全てが世界止まってるみたいな感じで。
人材事業の売上は9割9分ゼロに近い状態になり、越さんは息ができないほど苦しい日々を送ります。その中でコシクロの仲間に状況を伝えて対話できたことが、越さんの気持ちの支えになりました。
皆さんからコシクロで払っていただいてたお金だけは入ってたので、なんかいろんな意味で救われたなと思うので。
全社員の解雇は、もっと早く決めるべきだった?
2021年、越さんは全社員を解雇し、すべての拠点を閉じます。この決断はもっと早くてもよかったのか、という問いに、越さんは「一瞬でも早く判断することが本質であり基本」と答えました。
越さんはナナピの憲世さんの考え方を引き、決断しないことは「現状を変えない」という意思決定をしているのと同じだと説明します。
それが僕の中ではリストラをしないイコール、来月も200万円、ただ溶けるのを待つとか、3ヶ月で600万円、それはなくなっていくみたいなことを。
当時のTalentExは、毎月の売上をそのままコストに回す自転車操業に近い状態でした。2500万円のコロナ融資を受けたものの、固定費が毎月200万円ほどかかり、1年でなくなる計算だったといいます。
越さんは、新しい売上が作れずにお金だけが溶けていった当時を振り返り、3〜6か月の段階でやめる判断をしていれば、社員に渡せるものがあったと考えています。
来月の給料が払えなくなってから全社員の解雇を決めた。それまではその選択肢すら想定していなかった
3〜6か月の段階で決めていれば、3か月分ほどの退職金と、身の振り方を考える時間を社員に渡せた
社員には20代が多く、時間さえあれば会社がなくなっても路頭に迷うことは少ないはずだった、と越さんは話します。転職を考えるときによく言われる3か月ほどの時間を与えられていれば、違う関係を続けられたかもしれないという思いがあるようです。
なんかそれはイコールもう会社辞めることであり、なんか人生が終わることであり、なんかそこまでやってきた全てがパーになるっていうことだと思ってたので。
越さんにとって、全社員を解雇したうえで会社と自分、そして家族と株主が残って続けていく道は、当時は想像の外にありました。もっと早く決められていれば、みんなにとってもっと良かったというのが、越さんの率直な振り返りです。
海外で起業する前に、日本で何を準備するか
ここからは、越さんの12年の経験をもとにした、海外で起業する人へのヒントです。越さんが日本から海外に挑戦する人に必ず伝えているのは、いきなり海外に飛んで何かを始めるのではなく、日本で会社を作ってから行くという順番です。
日本で会社作って、日本で得られるだけのお金と協力を得てから海外に行きましょうっていう話をしていて。
越さんによれば、タイで仲間を集めて開発し、資金調達や銀行からの借入を試みても、特にお金の面ではどれも難しいといいます。海外で創業したばかりの日本人に貸してくれる銀行は、ほぼないそうです。
越さんは、これは日本が特別なのではなく「自国かどうか」の問題だと説明します。外国人として海外にいる状態と、日本人として日本政府のさまざまなサポートを受けられる状態とでは、条件がまったく違うということです。
現地で仲間集め・開発・資金調達・借入を試みるが、特にお金の面では難しい
日本で得られる資金と協力を確保してから海外へ。成功確率が圧倒的に高い
最初のお客さんのつかみ方について、越さんがまず挙げたのは現地の人と組むことです。越さんの場合、前職で採用していたタイ人の女性が共同創業者として加わり、営業や企業のリストアップを担ってくれました。
ドアノックは外国人の方が開きやすかったんですね。
越さんの経験では、タイでは日本人が訪ねると、とりあえず話を聞いてもらえることが多かったそうです。一方で、サービスを買うかどうかという深い話になると、相手の状況を汲み取って対話できる現地の仲間がいるかどうかが大きく効いてくる、と話しています。
もう1つのヒントは、起業前やプロダクト完成前にお客さんを確保しておくことです。越さん自身の実践ではないとしつつ、資料と口頭とパッションで契約書にサインしてもらってからローンチするというスタートアップの考え方を紹介しています。
それがない状態で説明しても買ってくれないんだったら、多分できて持ってっても買ってくれないって話なんで。
M&Aの相手は、意外と身近にいる
全社員を解雇したあと、越さんは一人で人材以外の仕事も引き受けて会社を立て直しました。2022年に家族が日本へ帰り、その後越さん自身も事故でICUに運ばれます。それもきっかけになってM&Aを考え始め、2024年にTalentExのタイ法人を上場企業のポーターズに売却しました。
買収する相手は元々知ってる会社であることの方がお互いに成功確率は高いんだろうなと思っていて。
越さんはM&Aのサイトや知人に声をかけ、十数社と話をしていました。結局は元々つながりのあった先とほぼ話がまとまっていたものの、その段階でたまたま出会ったポーターズと一緒になることを決めたといいます。
越さん自身は「のっけから話が違う」と笑いつつも、自分を元々知っている相手のほうが、値付けや条件の折り合い、そして統合後に買い手が売り手を生かしてくれるかどうかの面でうまくいきやすいと考えています。業界つながりや経営者仲間など、相手は意外と身近にいることが多いかもしれない、というのが越さんの見方です。
売り手の期待値をどう合わせるか?
越さんが売る側としてずっと伝えたいと思っているのは、売り手の経営者が自分の期待値をコントロールすることの大切さです。越さんによれば、売りたい金額や条件と買い手の希望には、多くの場合、倍から数倍の差があります。
その差が生まれるのは、双方の値付けの理由が違うからです。買い手は財務的に合理的かどうかで考え、売り手は株主に返す額や自分が受け取る対価で考えるため、相手から見ると合理的でない理由になりがちだといいます。
越さんの場合、M&Aが成り立たなければ会社を畳み、経営者保証の付いた借金の数百万円を、就職して毎月の給料から何年も返すことになる状況でした。その2つのケースを比べる中で、越さんは期待値を合わせに行きます。
最低でもこれぐらいでっていう風に思ってたのの半分以下だったと思います。
越さんは、TalentExのタイ法人の買収金額は約3000万円で公開されていると話します。そのうえで、売却で得るものは金額だけではない、と強調しています。
希望額との差ばかりが目に入り、目線を下げて我慢しているように感じる
社員や自分の給料、オフィス、開発のサポート、次の挑戦に使える時間まで含めて考える
越さんは、5億円で売りたいところが1億円にしかならなくても、その決断ですぐに次の事業へ挑戦できるなら、失った4億円以上の価値を生める可能性もある、という例を挙げます。売却金額は1つの要素にすぎないと思えるだけで、経営者の心の調整がだいぶつくはずだ、というのが越さんの考えです。
PMIで「意思決定者から実行者へ」
M&Aのあと、買われた側の経営者には何が起きるのか。越さんは、統合のプロセスであるPMI ── Post Merger Integrationの略。M&Aの成立後に、組織、業務、システム、企業文化などを統合していくプロセスのことですで大事なことの1つとして「割り切り」を挙げます。
MCが「プライドの問題か」と尋ねると、越さんはそうだと応じ、M&Aを境に経営者の立場が大きく変わると説明しました。
すべてを自分で決める意思決定者
人から言われたことを実行する執行者
なんかそれは信念を曲げるとか負けるっていうことではなく、ある種、俺はそういうプレーもできるぜみたいな。
ドリブルだけが持ち味っていう風に言われてきたけど、いやそうじゃなくて、俺ちゃんとアシストもできるからねみたいな。
越さんがもう1つ挙げるのは、統合後の期間を学びの期間と捉えることです。多くの場合、自社より大きな会社に買収されるため、予算と実績の管理、経営計画の精度、監査役の設置など、自分の会社のサイズではできなかったことを経験できるといいます。
越さんはPMIを結婚にたとえ、トイレの蓋を閉めるかどうかのように、どちらが正しいかではなく、違いをどれだけ受け入れて互いに幸せになれるかが問われる、と話しています。
日本に戻った越さんが描く、次の海外との関わり方
2025年、ポーターズの事業見直しにより、ワクワクは終了することが決まりました。越さんは現在日本に戻り、2026年に立ち上げた会社「越ワークス」で愛知を拠点に活動しています。
越さんがワクワクを手放した理由には、家族のことの他に、タイ以外の場所でも挑戦したいという思いがありました。コロナ前にはロシアやマレーシアにも広げていましたが、ワクワクを持っている限り、タイ中心の状態から抜け出しづらかったといいます。
逆になんかタイで一点やってみたからこそ、なんかこうできてないこととか、もっとやってみたいこととかっていうのは見えたので。
越さんが思い描く挑戦は、別の国に住むことだけではありません。たとえば妻の実家がある豊根村に東南アジアなど海外の人を呼び込むことも、今の自分だからこそ両親の役に立てることではないか、と話しています。
越さんは、20年前の自分と同じ思いを持つ人のためにもメディアに貢献したいと語り、タイだけでなくインドやドバイもわかるように視野を広げることで、貢献できることが増えるはずだと考えています。
今は(日本から海外を見た視点が)より濃く多分見えてるので、ああ、なんかこう、やっぱりこういう面は海外に飛び出してよかったなっていうものもあれば。
海外に出る前は日本の嫌なところばかり目についていた越さんですが、日本に戻った今は、日本の素晴らしさを感じることも増えたそうです。
12年前の自分に伝えたい言葉
最後に、12年前、タイで起業した頃の自分に声をかけるとしたら何と言うか。越さんの答えは短いものでした。
越さんは『HUNTER×HUNTER』の好きな言葉として、本当に欲しかったものは目指したものより先に来た、という趣旨のセリフを挙げます。幸せや起業家としての成功を目指して始めても、本当にやってよかったと思える瞬間は、到達点より前の途中にあるのではないか、という考えです。
MCが「青い鳥は近くにいる」とまとめると、越さんは創業3年目の3日間の話に戻ります。10人に頭を下げたとき、最初に応じてくれたのはジャックさんでした。
ジャックさんに助けてもらえた瞬間、本当に生きててよかったなと。
信頼を受け取り、それに応えようと頑張ることに、越さんは大きな生きがいを感じたといいます。ただ、起業する前の自分にそれを言っても伝わらないので、まずは成功した自分を想像して頑張ればいい、とも話しています。
越さんの12年は、思い通りにならないことの連続でした。それでも価値は到達点ではなく途中にあるという言葉が、この回全体を貫いています。
まとめ
越陽二郎さんの12年は、黒字化の壁、契約直前の破談、コロナでの全社員解雇、M&Aと事業終了という山場の連続でした。その経験から語られたのは、早く判断することの大切さや、日本で準備してから海外へ出る順番、M&Aでの期待値の合わせ方など、具体的で実践的なヒントです。
- 月10万円を稼ぐのにも苦労した創業期、越さんを支えたのは家族と投資家への責任感と、助けてくれる人の存在でした
- 全社員の解雇はもっと早く決めていれば、社員に退職金と時間を渡せたと越さんは振り返っています
- 海外起業は、日本で会社を作り資金と協力を得てから行くほうが成功確率は高いと越さんは考えています
- M&Aでは、相手は身近にいることが多く、売却で得るものを金額だけで捉えないことが心の調整につながります
- 越さんは「思い通りにいかないけど、やる価値はある」と、12年前の自分に声をかけています



