FundingBeeが選ばれる理由は「早さ」と「透明性」
稲田史子さんは、日本銀行などで金融の仕事をしたあと、バングラデシュでマイクロファイナンスを学び、2019年にマレーシアでビー・インフォマティカを立ち上げました。現在は中小・零細の事業者向けに、デジタルの少額融資サービス「FundingBee」を展開しています。
FundingBeeは、マレーシアの中小・零細の事業者に事業資金を貸すサービスです。銀行ではないノンバンク ── 銀行以外で融資などの金融サービスを提供する事業者。預金を受け入れずに貸付を行うのが一般的で、消費者金融やリース会社などが含まれますで、取材時点でのリピート率は65〜70%ほどだといいます。
お客さんにFundingBeeを選んだ理由を聞くと、まず返ってくるのが「とにかく早い」という声です。稲田さんによると、FundingBeeの審査は1〜2日で終わり、マレーシアのSMEローン業界では今いちばん早い水準だそうです。
他の有名なところだと2週間ぐらいかかるし、銀行なんか3ヶ月ぐらいかかるんで、やっぱとにかく審査が早いし、あとすごく透明性があるって言ってくれますね。
FundingBeeの審査スピードは、他社や銀行と比べると差がはっきりしています。
審査は1〜2日で完了。手続きの流れや必要書類を事前に明示している
有名な他社で2週間ほど、銀行では3ヶ月ほどかかる
一方で、FundingBeeはノンバンクのため金利は高めです。稲田さんはそのメリットとデメリットを認めたうえで、「スッキリしていて早い」ところを好む人が来てくれると話します。
稲田さんによると、銀行で借りられる事業者はFundingBeeには来ません。銀行融資を受けられるのは3年以上安定したキャッシュフローがある企業で、それより小さな事業者がFundingBeeの主なお客さんです。
うちのサービス気に入ってくれると、結構またリピートしてくださるっていうのが多いんで、すごく特徴を好んで使っていただける方たちにはすごい満足いただいているのかな。
原点は教会学校と、世話好きな母
稲田さんの事業の根っこには、人の自立を支えたいという思いがあります。稲田さん自身は、その思いが家庭や子どもの頃の環境から育ったのではないかと振り返ります。
稲田さんの家庭はキリスト教ではありませんでしたが、幼稚園や小学生の頃、日曜日には教会学校に通っていました。教会学校の先生が社会で起きていることを話してくれ、母親から「視野が広がるから行ってみな」と勧められたのがきっかけだったそうです。
稲田さんの母親は主婦で、とても世話好きな人だったといいます。しゃがみこんでいる人を見かけると「大丈夫ですか、気分悪いんですか」と声をかけ、新聞やニュースで知ったことをすぐ稲田さんに教えてくれる母親でした。
(母の)遺伝子を受け継いでて、なんかまあ気づいたらボランティアっていうことには積極的に携わってたんで。
稲田さんがいちばんはっきり覚えているのは、キリスト教系の女子校である女子学院に通っていた中高時代の体験です。夏休みに希望者だけが行く長野県の障害者施設を毎年訪れていました。
長野県のその施設では、障害のある人たちがクッキーやパンを作ったり、羊毛を紡いでセーターを編んだりして、地域で売っていました。稲田さんは、仕事を通して社会の一員として認められることが、本人にも地域にもうれしいことなのだと感じたといいます。
周りの地域社会もかわいそうだわじゃなくて、本当に一人の人間として認めて、やっぱこの人たちがいないと私困りますとかって言われて、そういうのがお互い人として嬉しいわけですよね。
稲田さんは、ハンディキャップがあっても社会の一員になれる仕組みを懸命に考える施設の人たちにも感銘を受けました。こうした「社会の仕組み」を見るのが小さい頃から好きだったことが、人の自立に携わりたいという最初の思いにつながったといいます。
NPO志望から、なぜ「金融」を選んだのか
大学に入った稲田さんは、学内に望むような活動がなかったため自ら調べ、高田馬場にあった国境なき医師団 ── 紛争地や災害地、途上国などで医療・人道援助を行う国際的な民間団体。1971年にフランスで設立され、1999年にノーベル平和賞を受賞していますの学生ボランティアに加わりました。月2回ほど、学生同士でトピックを持ち寄る勉強会もしていたそうです。
その後、稲田さんは国境なき子どもたちの活動を手伝うよう頼まれ、大学1〜2年の休みを使ってカンボジアとベトナムを訪れました。途上国の親のいない子どもたちのためのシェルターで、ボランティアをしていたといいます。
稲田さんは国境なき医師団への就職を考えていましたが、当時のNPOは資金が乏しく、新卒は募集していませんでした。「手に職をつけてから中途採用で来てください」と言われたことが、進路を考え直すきっかけになります。
(手に職をつけるなら)自分算数、数学も好きだし、まあ金融って経済の血流っていう言葉があるぐらい重要な資源の一つなので、まあ手に職をつけるとしたら金融で。
商学部で国際経済を学び、高校の頃から経済・金融に興味があった稲田さん。いつか途上国で働くための、社会人として自立するスキルとして金融を選び、就職先には銀行を選びました。
日本銀行、ATカーニー、楽天証券での「修行」
稲田さんは2003年に日本銀行に入り、その後コンサルティング会社のATカーニー、そして楽天証券へと移りました。稼ぐ力も肩書きも十分なキャリアを手放すことに、迷いはなかったのでしょうか。
そうですね、私逆に自然でした。なぜなら、もともと割とNPO入りたかった。
稲田さんにとって日本の金融業界は、いつかNPOの世界に戻るための「修行」や「道場」のような場所でした。20代の11年間で3社を経験し、金融を深く理解しようとしていたといいます。
特に楽天証券では、日銀出身で証券のことがわからなかったため、半年ずつ4部署ほどを経験しました。マーケティング部やカスタマーサポート部での経験は、今もめちゃくちゃ生きていると稲田さんは話します。
結局事業って、当たり前なんですけど、本当にいろんな部署から構成されて、それぞれの部署が一つの目標に向かってキュッとこう協力することで一つの事業が生み出せるんですよね。
稲田さんは、事業はお客さんありき、投資家ありきであり、金融だけをやっていれば成り立つものではないと学びました。その接点を担う部署にいられたことが、楽天証券に行った最大の収穫だったと振り返っています。
グラミン銀行との出会いが人生を決めた
稲田さんがまだ日本で働いていた2006年、バングラデシュのグラミン銀行 ── バングラデシュで貧困層、とくに女性に無担保の少額融資を行う銀行。グループでの融資と返済の仕組みで知られ、マイクロファイナンスの代表例とされますと創設者のムハマド・ユヌスさんがノーベル平和賞を受賞しました。担保がなく銀行から借りにくい人たちに、少しずつお金を貸すマイクロファイナンスの銀行です。
途上国×金融が私の中で結びついたのは、グラミン銀行を知った瞬間に、「あ、これかな」って。
稲田さんによると、グラミンモデルでは、文字を書けないような貧しい人でもコミュニティに入ることで、読み書きやお金を借りるための帳簿のつけ方を一緒に学べます。いくら借りて週末にいくら返すのか、お小遣い帳のようなものから教えてくれるそうです。
グラミン銀行のスタッフは村に出向き、ゴザを敷いて青空学校のような場を開きます。稲田さんは、銀行員が村人に寄っていき、借りやすい形に金融を「再仕組み化」したところに、NPOと銀行の間にいるグラミン銀行の本質を見ています。
グループをつくる
村の女性たちがグループを組み、コミュニティに入る
学びながら借りる
読み書きや帳簿のつけ方を学びながら融資を受ける
事業とお金を生む
借りたお金で事業を起こし、収入を得る
次の世代と拡大へ
子どもを学校に行かせ、事業をさらに大きくしていく
稲田さんは26歳ぐらいのときにグラミンモデルを知り、「私が本当にやりたいことを具現化されている」と衝撃を受けたといいます。
その金融にアクセスできない方も、グラミンモデルを使うことでアクセスが可能になったっていうような、そういう金融の再仕組み化を発明した方なんですよね。
稲田さんはその後バングラデシュに渡り、グラミン銀行で少し働いたほか、BRAC ── バングラデシュ発祥の大規模な開発NGO。教育や保健、マイクロファイナンスなど幅広い事業を展開し、BRAC銀行も傘下に持ちますでもインターンをして、マイクロファイナンスのビジネスモデルを学びました。
イギリス留学で知った「借りる側」の気持ち
グラミン銀行で働く前、稲田さんはマイクロファイナンスを深く学ぶため仕事を辞め、イギリスに留学しています。お金を借りる側の気持ちを知ったのも、この頃だったそうです。
稲田さんは大学時代に育英会で学費を借り、大学院でも資金を借りることになりました。留学資金は貯めていたものの、アベノミクスによる2012〜2014年頃の急激な円安で、手持ちの資金では2年分の学費が賄えなくなったのです。
大事な時に必要なだけの金融を借りるっていうのは、結構人生を大きく左右するんで、しっかりした知識があれば別に怖いことでもないですし、しっかり返せばいい話なんで、計画的に。
稲田さんは、金融にアクセスする手段を知識として身につけることは、生活でも事業を興すうえでも大きな決断に欠かせないと考えるようになりました。自分も金融に助けられてきたという実感が、後になってマイクロファイナンスを職業にする決断とつながったといいます。
バングラデシュで見つけたスタートアップという道
留学の後、稲田さんはバングラデシュでおよそ5年、4つほどの職場で働きました。日本のIT企業の現地拠点でトップを務めた際には、決める権限が自分になかったことから、自分で決めたいと思うようになります。
稲田さんの背中を押したもう一つの出来事が、現地のフィンテック企業、ヒシャブヒシャブのバングラデシュ人オーナーとの出会いでした。稲田さんは、このオーナーがフィンテックで現地の社会課題を解決する取り組みを、1年半ほど手伝っていたといいます。
このスタートアップっていう形、あとテクノロジーを使って資金調達しながら、スタートアップのモデルでフィンテックを普及させるっていう、そういうキャリアモデルに出会ったことで、あ、キャリアが決まりました。
マレーシアで起業、ライセンス取得は「時の運」
稲田さんはバングラデシュ人のエンジニアと組み、2019年8月にマレーシアのクアラルンプールでビー・インフォマティカを立ち上げました。最初に始めようとしていたのは、融資ではなく海外送金の事業でした。
ただし、送金も融資も当局のライセンスがなければ始められません。稲田さんが最初に挑んだ送金ライセンスは、すでに20〜30社弱が取得していて当局が数を減らしたい時期だったため、取得できなかったそうです。
ライセンスは本当に運、時の運ですね。私、最初にトライした送金ライセンスは取れなかったです。
一方、貸金業ライセンスは、運よく2ヶ月で取得できました。稲田さんは、政府の意向や新しいライセンスが出たばかりかどうかなど、ライセンスはタイミング次第だと話します。
貸金業ライセンスには、当時の円で6000万円ほどの初期資本が必要でした。現金を持っていなかった稲田さんたちは、開発していたシステムを会計事務所に評価してもらい、1.2億円の価値があると認められたシステムを現物出資 ── 金銭ではなく、不動産や設備、知的財産などの財産を出資して株式を受け取る方法。財産の価値を適正に評価することが求められますして資本金を引き上げ、無事にライセンスを取得しています。
グループ融資から、一人ひとりへの融資へ
融資事業を始めた当初、稲田さんはグラミン銀行と同じく、女性起業家に5人1組のグループで貸すグループレンディング ── 数人の借り手がグループを組み、互いに返済を支え合う連帯責任型の融資方式。担保の代わりに仲間同士の信頼関係を活用しますを試していました。しかし、首都圏のクアラルンプールでは、なかなか同意が得られなかったといいます。
都市化されている社会では、やっぱり知らない人と突然グループを組みながら連帯責任を負うっていうのは非常に怖い、そして不快ですよね。
稲田さんによると、グラミン銀行のグループ融資がうまくいくのは、村で一緒に育った人たちがほぼ知り合いだからです。全く知らない人ばかりの大都市で5人組をつくるのは無理があると気づき、1対1の融資に切り替えました。
出入りが少なく、小さい頃から一緒に育った知り合い同士で5人組を選びやすい
知らない人同士で連帯責任を負うことに抵抗があり、グループの同意が得られない
女性に限定することにもこだわっていましたが、VC調達を進める中で、市場の小ささを何度も指摘されました。マレーシアの人口は3400万人ほどで、女性だけにすると市場はさらに半分になってしまいます。
大きく広げて後で小さくすることはできるけど、ちっちゃくして後から男性もっていうのは時間がかかりすぎるっていうことで。
稲田さんは、女性向けのサービスラインは後で整えればよいと考え、最初は間口を広くとることにしました。大きな方向転換ではない「マイルドピボット」だったと表現しています。
信用ゼロからのお客さん探しを支えたBNI
マレーシアでのお客さん探しは手探りでした。しかも、ライセンスを取った2020年はコロナ禍の真っ最中で、外出もままなりませんでした。そこで稲田さんが入ったのが、アメリカ発のビジネス紹介の会BNI ── メンバー同士が互いの仕事や顧客を紹介し合う、アメリカ発祥の国際的なビジネス交流組織。1業種1人の原則で定期的に会合を開きますです。
BNIは1つのエリアにつき30人ほどのグループで、毎週オンライン会合を開いていました。1グループで職業が重複してはいけない決まりがありますが、マイクロファイナンスを手がける人はほかにいなかったため、稲田さんはどこにでも入れたそうです。
(BNIで)サービスの説明すると、あ、それ借りたい人知ってる?とかって言ってくれて。
BNIを通じて出会った中心的な人物は、ショッピングモールのフロアマネージャーで、毎月SMEのブースを立ち上げている人でした。その人がエージェントのように口コミで紹介してくれ、創業初期のお客さんの多くが見つかったといいます。
外国人が金融サービスを始めることについて、稲田さんは日本人であることがむしろプラスに働いたと話します。
あ、逆に良かったですね。なんかこう、日本人だから安心みたいな、なんかこう、なんか透明性あるというか。変なことはしないよね、騙したりとかしないよねって思われてたんで。
稲田さんは、壊れにくい日本の車や電化製品のイメージと同じように、日本人なら騙さないだろうという信頼があったと見ています。また、3つの民族が英語かマレー語で話すマレーシアでは、英語ができれば誰とでもコミュニケーションがとれたため、特に困ることはなかったそうです。
苦しくても満たされていた創業初期
コロナ禍で共同創業者はマレーシアに入国できず、稲田さんが一人で意思決定を担いました。初期は人を雇えず、業務はやってもやっても終わらなかったといいます。
それでも稲田さんは、会社員時代にあった人間関係の悩みや、好きではない仕事への悩みがなかったことを挙げます。やりたかったマイクロファイナンスで起業できたこと自体に、根本から満たされていたそうです。
自己実現っていう一番上の、このマズローの欲求説の一番上のとこが随分満たされたんで、起業ができただけで。
稲田さんが挙げたマズローの欲求説 ── 心理学者マズローが唱えた、人の欲求を生理的欲求から自己実現まで5段階の階層で捉える考え方。一般に「欲求5段階説」と呼ばれますの最上位が満たされていたからこそ、睡眠時間がないほどのストレスがあっても、辞めようと思ったことは一度もなかったといいます。
3年以上かかったVC調達と国選びの教訓
貸し出すための資金は、創業からVCがつくまでの約4年間、すべてエンジェル投資家から集めました。稲田さんの手元資金500万円ほどはシステム開発で使い切り、その後エンジェル投資家から4000万円ほどを集めたそうです。
はい、ありがたいですね。エンジェル投資家様様です。
VCからの調達には3年以上かかりました。海外に渡る前の自分に声をかけるとしたら、という問いに、稲田さんは「国選びは慎重に」と答えています。
稲田さんは、人口の少なさがVC調達にこれほど不利になるとは、起業前には知らなかったといいます。今は隣国のインドネシアへの展開も視野に、2〜3カ国をパッケージにして何億人という市場を示すようにしているそうです。
初期の頃、何年も3年ぐらいVCに刺さらなかったのは、一つはやっぱ人口が小さすぎたっていうのはすごくありましたね。
稲田さんは、マレーシアで起業してVC調達をしている会社を4社知っており、できないわけではないと補足しています。ただ、2.8億人のインドネシアや1億人のベトナムと比べると、人口が少ないだけでつまずきやすくなるといいます。
稲田さんが会った投資家は100人近くにのぼりました。伝え方を磨き直し、ついに資金調達を実現します。
マレーシアで、自立したチームをつくる
2025年7月の調達をきっかけに、ビー・インフォマティカのチームは3人から10人へと一気に大きくなりました。採用では事業の魅力と待遇の両方を伝えつつ、社風も丁寧に説明しているといいます。
ヒエラルキーがほとんどないから、もう若くても自分で考えて、いいアイデアがあればどんどんサジェスチョン、そういう自立してる方がいいので。
稲田さんによると、マレーシアでは有給休暇とは別に病気休暇の枠があり、合わせると年30日近くになるそうです。チームが大きくなるにつれ、日本で慣れた働き方の前提を見直すことになりました。
変えれないものと変えれるものがあるから、変えれないものはそのままにして。
稲田さんは、いかに社員が辞めずに気持ちよく働けるかという方向に意識を切り替えました。具体的には、次のような取り組みをしています。
- 月1回のハッピーアワーで、新しく入った人を中心に自己紹介やゲームをする
- 月1回ほど、スポーツやオフィスでのディナーなどの時間を設ける
- 月1回の人事評価で、次の成長のステップを伝える
あなたも大事にしてるんだよっていうメッセージを一人一人、受け取ってほしいなと思って。
右腕の口癖「ここはマレーシア」
稲田さんの考え方の切り替えを後押ししたのが、右腕のサイードサイードさんの助言でした。サイードさんはマレーシアで14年ほど暮らし、現地のスタートアップを渡り歩いてきた人で、口癖は「ここはマレーシア」だそうです。
稲田さんは、頭では現地の文化を理解しているつもりでも、心がついていかないことが多かったと率直に語ります。
だけどやっぱり怒っちゃダメ。まあ私もしょっちゅう怒ってますけど、そういうつまらないことで変えようとしても変わらないし、無駄なエネルギーになっちゃうんで、お互いが。
稲田さんは、現地の文化を理解したところから新しいマネジメントの手法が生まれ、従業員と働くことに大きな喜びや学びがあると話します。
事業はロジックで進めてよくても、人と向き合うときはEQ ── 感情を理解し適切に扱う能力を指す「心の知能指数」。自他の感情を認識し、人間関係を円滑にする力とされますを使い、現地の人の声に耳を傾けることが大事だというのが、稲田さんが最近学んだことです。
家族との「ちょうどいい距離感」
稲田さんの夫は日本で働いており、二人は日本とマレーシアに離れて暮らしています。稲田さんが3ヶ月に1回日本に帰る形で、行き来しているそうです。
稲田さん夫婦は、それぞれが事業を持っていることもあり、今の生活に不満はないといいます。2ヶ月は別々に自分の時間を持ち、1ヶ月は一緒にいるというリズムを繰り返しています。
まあそれぞれの夫婦、多分それぞれの距離感、ちょうどいい距離感ってあると思うから。
これからのFundingBeeと、海外起業へのエール
FundingBeeは今、スケールの時期に差し掛かっています。稲田さんは、マイクロファイナンスに加えてBNPL ── Buy Now Pay Laterの略で、商品を先に受け取り代金を後から支払う後払いサービス。分割払いに対応するものも多くありますのサービスも加えていく考えです。
あくまでやっぱり目指しているのは、現地の中小企業の事業を金融の面からスケールさせるお手伝いをしたいっていう。
稲田さんは、マレーシアだけでなく、インドネシアやシンガポールなど東南アジアに広げていくことをミッションに掲げ、サービスとエリアの両方を拡充していく方針です。
海外での起業を勧めるかという問いに、稲田さんは「めっちゃ勧めます」と即答しました。日本だけでは市場が縮むばかりで、海外で日本企業の進出を手伝えることも多いと見ています。
国内立ち上げの時よりも苦労は多いけれども、それでも、自分の大切にしている価値観とかミッションが具現化する喜びみたいなのはかけがえがないので、ぜひ、自分のミッションに素直に挑戦してほしいなと。
なぜここまで続けてこられたのか。インタビューの最後に、稲田さんは初めてバングラデシュを訪れたときの気持ちを挙げました。
そういう自分の好きなテーマに出会えてラッキーっていう感じはありますね。
まとめ
稲田史子さんの歩みは、人の自立を支えたいという子どもの頃からの思いを、金融という武器で形にしてきた道のりです。ライセンスや資金調達の壁、文化の違いに向き合いながらも、自分の原点を手放さなかったことが、FundingBeeの成長を支えています。
- FundingBeeは審査1〜2日の早さと透明性で、銀行から借りにくい中小・零細の事業者に選ばれている
- 日本の金融機関での11年間を「修行」と位置づけ、グラミン銀行との出会いでマイクロファイナンスへの道が定まった
- 都市部では5人組のグループ融資が機能せず、1対1の融資と間口の広い市場設定に切り替えた
- 人口の少なさが壁となりVC調達には3年以上かかったが、100人近い投資家に会い、2026年5月に単月黒字化を達成した
- マレーシアでのチームづくりでは、ロジックだけでなく心の対話で現地の声に耳を傾けることを学んだ



