なぜ日焼け止めでも創薬でもなく、デオドラントだったのか?
Taxa Technologiesは、皮膚にすむ微生物の力でにおいの悩みを解決しようとするバイオスタートアップです。共同創業者の福永祐一さんは、アメリカの大学で神経科学を学び、ドイツの研究所の博士課程を約3カ月で離れて起業に専念しました。
Taxaの技術を一言でいうと、殺菌ではなく菌の入れ替えです。脇のにおいの原因になる菌を、においを生み出さない菌に置き換えることを目指しています。
第一弾のデオドラント「SWAP」は、2026年9月の時点でアメリカで限定的に試験提供されています。ただ、福永さんたちが最初に考えていたのは日焼け止めでした。
福永さんによると、日焼け止めからの転換は一般的なピボットとは文脈が違います。まだ会社もなく、学部で研究のシードを探していた段階での判断だったからです。
(日焼け止めは)うまくいかなかった、うまくいきそうになかったので、デオドラントの根幹となる無臭菌を作ろうみたいな風に変えたんですけど、それは意外と結構合理的な、わかりやすい判断だった気がしていて。
日焼け止めの構想はゲノム編集のハードルが圧倒的に高かったといいます。それと比べると、デオドラントに入れる微生物の作り方は比較的簡単だったため、こちらから試すことにしたそうです。
皮膚の微生物を使うなら、皮膚の病気の薬をつくる道もありました。福永さんが創薬 ── 病気の治療薬を研究・開発すること。臨床試験を何段階も経て承認を得る必要があり、期間も費用も大きくかかる分野ですを選ばなかったのは、規制の厳しさと競争環境が理由です。
(皮膚疾患の創薬から)始めてしまうと、ものすごくレッドオーシャンかつ、まあ相手も超有名な研究者みたいな、似たようなパスだと勝てないだろうみたいなところは大きかったので。
そこで福永さんたちは、化粧品のような別の規制カテゴリーや、主張しやすい領域から始めることを意識していたと話しています。
| 選択肢 | ハードル | 判断 |
|---|---|---|
| 日焼け止め | ゲノム編集の技術的ハードルが高い | うまくいきそうになく転換 |
| 皮膚疾患の創薬 | 規制が厳しく、有名研究者がひしめくレッドオーシャン | 選ばなかった |
| デオドラント(無臭菌) | 微生物の作り方が比較的簡単 | ここから始めた |
履歴書の裏にある「バットを振る回数」
福永さんの経歴は華やかに見えます。高校では国際大会に出場し、アメリカの大学では神経科学の賞を受け、卒業後はドイツの研究所で博士課程の研究を始めました。
それは努力の結果なのか、生まれつきなのか。福永さん自身は、自分は努力してきた人間だと考えています。
パッと履歴書見ると、「おー、なんか頑張ったかも」と思うんですけど、裏だとちゃんとバット振る回数が人より圧倒的に多い気はするんですよね。
福永さんは失敗も多くしてきたといいます。挑戦の回数そのものが多いからうまくいく数も多く、そこからヒットやホームランの割合を上げつつ、振る回数を多いまま保つことが重要だと話します。
バットを振らないと何も生まれないと思えたのは、高校1年生のころでした。面倒くさくて振らなかった時期はうまくいかず、取れなかった奨学金もたくさんあったと振り返っています。
福永さんが挑戦を続ける原点には、高校の恩師の一言があります。中学時代の福永さんは1日6時間ほどゲームをしていて、心配した親が三者面談で相談したときのことです。
ゲームは面白いけど、ゲームでレベルアップしても別に今のお前には何もその恩恵が返ってこないじゃないかと。ただ、人生をゲームだと思えば、レベルアップしたらその人生でもっと面白いことができるようになると。
人生をゲームとして見ると、英検や賞の獲得は、新しい出会いや次のステージにつながるレベルアップになります。福永さんにとって、この見方が転機になりました。
ゲームもずっと止まってたら面白くないじゃないですか。マサラタウンでずっとくるくるしてたら面白くないみたいなのと、近しいなみたいな。
ゲーム漬けの中学時代
1日6時間ほどゲームをし、親が三者面談で心配する
恩師の言葉
人生をゲームだと思えば、レベルアップで面白いことができると言われる
見方の転換
英検や賞を、次のステージに進むためのレベルアップと捉える
バットを振り続ける
高校1年ごろから、リスクを取ってでも挑戦を続ける
往復4時間の通学と、手探りの海外大受験
福永さんが通っていたのは奈良の西大和学園で、アメリカの大学に進んだ前例はほとんどありませんでした。中学生のときに学校の留学プログラムで訪れたカナダで、トロント大学に進んだ先輩の話を聞き、海外の大学という道を知ります。
当時の自分にとって一番努力した時期として、福永さんは高校時代を挙げます。アメリカの大学はGPA ── 学業成績を数値化した平均評点のこと。アメリカの大学入試では高校の成績が重視され、合否に大きく影響しますを重視するため、定期テストを絶対にサボれませんでした。
前例がないため、学校側の書類も自分で用意する必要がありました。アメリカ行きを認めなかった担任の説得、推薦状の作成、奨学金の調査も福永さん自身の仕事でした。
そのうえで、福永さんは高校時代に次のような活動を並行していました。
- TOEFLとSATの勉強
- ディベート大会や模擬国連への参加
- 学級委員長の仕事や、約1カ月の高校生外交官プログラム
- SGH(スーパーグローバルハイスクール)の活動や弁論大会
- 国立大学受験に向けたセンター試験の勉強
通学片道2時間かかったので、往復4時間だったんですけど、(それと)両立するのは結構自分にとって、当時の自分にとっては結構大変だったかなと思いますね。
ただ、福永さんはアメリカに行きたくてアメリカの大学を選んだわけではありません。世界中の大学や、大学という制度の歴史、各大学の予算や重点分野まで調べたといいます。
自分にとって大学ってどういう場所で、何をしたいと思って行くのかみたいなことから逆算して、たまたまアメリカの大学が良かったに近いので。
アブダビやイギリスの大学も受けたうえで、受かって行きたかった大学がアメリカにあった、というのが福永さんの説明です。
学生寮での起業と、博士課程を辞める条件
2019年、福永さんはアメリカ・マサチューセッツ州のウィリアムズ大学に進みます。1年目の寮で出会ったルームメイトのハビさんが、のちの共同創業者です。
大学在学中、二人は学生寮で会社づくりを始めました。研究から生まれた先端技術の会社、つまりディープテック ── 大学や研究機関の科学的発見をもとにした先端技術領域。実用化までに時間と資金がかかる一方、社会的な影響が大きいとされますを学生のまま立ち上げることになります。
勝ち抜く自信があったのかという問いに、福永さんは、最初の資金調達が終わるまでは「とりあえずやってみよう」に近かったと答えています。
アメリカで学部生の間、学生企業でディープテックのスタートアップを、それこそアメリカで起業できる機会なんてなかなか日本人だとないじゃないですか。
最初の調達のあと、採用や研究が意外とうまくいっていると気づき、福永さんはより大きなグランドミッションや、どんな会社にしたいかを考えるようになったそうです。
卒業後、福永さんはドイツのマックス・プランク脳科学研究所で博士課程の研究を始めます。研究と会社づくりを並行するにあたり、どうなったら博士課程を辞めるのかを、創業時に共同創業者と話し合っていました。
PH(博士課程)に行くってもう決めてたので、じゃあ何をもって博士課程を辞めるんだとかみたいな話を創業のタイミング、結構ね、言っておいたのは良かったなと思っていて。
福永さんとハビさんは最近も、今の会社に残るメリットや将来やりたいことを改めて話したといいます。アメリカにいるときは毎週1回一緒にサウナに行くと決めていて、その場で話すこともあるそうです。
日本からアメリカに挑戦する人にとって大事だったと福永さんが挙げるのは、アメリカに残りたいのか、なぜ日本ではなくアメリカで挑戦するのかを、アメリカ人の共同創業者にきちんと伝えることです。
移民だからこそ、そのアメリカ人にはあまり伝わらない、このビザの問題とかみたいな、こういう問題がそもそもあって、みたいなことをちゃんと伝えておくみたいなのが結構重要なことだとは思います。
冷え込んだ投資環境を動かした、手書きの手紙
福永さんは約3カ月で博士課程を離れ、Taxaに専念します。サンフランシスコに移った二人を待っていたのは厳しい資金調達でした。当時アメリカのスタートアップ投資は冷え込み、時間もお金もかかるバイオへの投資には特に慎重だったといいます。
ただ、最初の二人の投資家は驚くほど早く決まりました。二人ともウィリアムズ大学の、ずっと年上の先輩でした。
私が通った大学はアメリカでも少人数の大学なので、なかなか学生企業で、なんならバイオで起業する人なんて珍しいみたいなので、面白いねって思ってもらって。
その後は時間がかかりました。最後に出資を決めたのも大学のOBで、大学の中ではスタートアップ界隈で1、2を争う有名人だったそうです。
福永さんは大学の名簿にその人の住所が載っていたため、手書きの手紙を送ります。すると電話がかかってきて、事業の内容やウィリアムズで会社を始めた理由を淡々と聞かれ、「それじゃあお金出すよ」とあっさり決まったといいます。
手紙の内容を福永さんはあまり覚えていません。ただ、ボロボロのドル札を同封したことは覚えています。番組の説明では10ドル札とされていますが、福永さん自身は何ドル札だったかは忘れたと話しています。
これが僕らが一番最初に、私の共同創業者が一番最初に稼いだお金なんだみたいな。全然嘘なんですけど。
これがなんか僕が一番最初に稼いだお金で、これをあなたに託したいみたいな、よくわかんないことを書いた記憶があります。
この出資をきっかけに、他の投資家も次々に動き出しました。Taxaは目標額を大きく上回るプレシード ── 創業して間もない、ごく初期の段階で行う資金調達のこと。番組内でも同じ意味で説明されています調達を完了しています。
スライドを見せないアメリカのピッチ、どう臨む?
ここからは海外で事業を進めるための実務の話です。投資家へのピッチについて、福永さんは日本とアメリカで共通する点と違う点があると話します。
共通するのは、投資の文脈以外でのつながりの大切さです。飲み友達や、ピックルボール、クライミングの仲間であれば、生活の仕方や事業の遍歴を知ったうえで投資の話ができるからです。
違いは、初対面のピッチの進め方にあります。福永さんの個人的な印象では、日本の投資家のほうが形式的な資料を見たがる傾向があるといいます。
ミーティングルーム入った時に、日本だと一番最初に、じゃあプレゼンお願いしますと。で、PC、じゃあ何繋げますか?みたいな会話が結構デフォルトな気がしてるんですけど、アメリカでそれ言われたことはないですね。
アメリカでの最初の1、2回の調達では、会社と創業者を売り込むために、自分たちと会社のストーリーを話すのが基本だったそうです。
プレゼン資料を求められることが多く、最初にPCをつなぐのが定番
資料を求められたことはなく、創業者と会社のストーリーを話すのが基本
では、アメリカではどう臨めばいいのか。福永さんは、だからこそ難しいと考えています。
この会社はユニコーンになる、デカこうになるっていうことをいかに最初のミーティングで示すかっていうことを、ちゃんと多分本当に、あの、英語でfirst principleで考えるみたいなのが結構重要な。
スライドを見せるのも一つの手段で、プロダクトを先に見せるほうがいい相手もいます。福永さんは、考えずにスライドを持っていくことだけはしてはいけないと話しています。
開発スピードの源と、ユーザーの声の聞き方
Taxaがサンフランシスコで本格的に事業を始めたのは2023年11月です。そこから約2年で、研究開発から生産体制づくり、市場開拓までを進めてきました。
福永さんはこのスピードの理由を、運が良かったとしたうえで大きく2つ挙げます。
1つ目はタイミングです。似たことをしていた皮膚のマイクロバイオーム ── 皮膚や腸などにすむ微生物の集まりと、その遺伝情報の総体。健康や体臭などとの関わりが研究されています工学のスタートアップがうまくいっていなかったため、経験者を採用でき、残る選択肢も絞り込めました。
生産面でも、Bolt Threadsのような会社によって、微生物の大量生産にかかるコストや機械の目安が業界として定まりつつありました。
2つ目は、これまで挑戦してきた人のアドバイスをもらえる体制です。アドバイザーやエンジェル投資家として迎えるだけでなく、学部生のうちに競合企業の人へインタビューにも行ったといいます。
(インタビューに行った)ところも学部生だったんで、あんまり敵視されずに後輩を育てるみたいな文脈でいろいろ教えていただけたのは良かったのかなと思います。
開発の進め方でも、福永さんはソフトウェアの考え方を持ち込むことを意識しています。創薬は前臨床からフェーズ1、2、3とマイルストーンが綺麗に分かれていて、研究に近い進め方になりやすいからです。
つまり、それこそPDCAサイクルを早く安く回すとか、アジャイル開発をバイオでもやるとか。
学部で学生起業した立場だからこそ、業界のしがらみにとらわれずにそうした考え方を持ち込めると、福永さんは考えています。
ユーザーの声については、定量・定性の両面での調査を重視しています。アメリカでは試してくれた人と対面で話し、製品を塗ってもらい、気に食わない点や他製品との比較を創業者自ら聞きに行ってきました。
SNSも何十人、何百人分のXアカウントを開いて見まくり、普段使っていないブログに一度だけ製品の感想を書いた人まで見つけたことがあるそうです。
ユーザーの声から見つかった気づきの一つが、商品を届ける箱でした。デオドラントを買ったことを家族にも知られたくない人が一定数いたのです。
(そういう方には)ブランディングされた箱に入れられているよりもありがたいみたいなとかで、もう本当にただただ普通の段ボールに入れてるみたいなことを例えばやろうかとか。
ピックルボールと東野圭吾がつなぐコミュニティ
福永さんはサンフランシスコで、テニスに似たラケットスポーツであるピックルボールの会を毎週ホストしています。仕事の狙いもあるものの、それより大きいのはサンフランシスコという場所の特性だといいます。
この人とはもう仕事をしたいから、例えばピックルボールをしたいよりも、ピックルボールしてたら、実はこの人と仕事でつながる人だの方がなんかもちろん自然に感じるじゃないですか。
サンフランシスコにはテック業界で活躍する人や関心がある人がもともと集まっているため、趣味を通じて気づけばつながっていることが多いそうです。アメリカでは、ランニングやクライミングジムでも知らない人と一緒にスポーツをすることがよくあるといいます。
福永さんがコミュニティを大切にする原体験は、関西で育った自分にとって東京もアメリカも遠い存在だったことです。アメリカは人脈社会だと言われ、実際にそれを目の当たりにしました。
自分に実力があるないももちろん重要だけれども、それの機会に巡り合うためのキーパーソンとか、つなげてくれる人と仲良くなるみたいな能力が同じぐらいに重要なんだって。
日本人同士のつながりも意識しています。アメリカの留学生には国ごとのコミュニティがあり、学部生にもアカデミアにも存在します。福永さんは、それを活用しながら、日本人が勝っていく土壌をつくる一員にもなりたいと話しています。
意外なつながりを生むのが、小説や映画、オペラです。福永さんによれば、仲良くなるきっかけは利害関係のある会話より、「この小説面白いよね」という話のほうが多いといいます。
東野圭吾さん知ってる方なんて結構アメリカ人も結構多くて。で、あの本、容疑者Xの献身どう思う?みたいな。とか、結構ポンって聞かれたりするんですけど。
黒澤明の作品やオペラ『蝶々夫人』について聞かれたこともあったそうです。文化の話題に会話でついてこられるかを見ている人もいる、と福永さんは感じています。
移民であることは応援される理由になるのか
Taxaには有力な投資家やアドバイザーが加わっています。取締役には、Amazonに買収された薬局サービスPillPackの共同創業者、TJ・パーカーさんがいます。
こうした応援を得られた理由の一つとして、福永さんは共同創業者のハビさんとバックグラウンドがまったく違うことを挙げます。福永さんは移民としてアメリカに来た立場で、ハビさんはアメリカ人です。
(アメリカで)のし上がってきてみたいな、ストーリーって結構アメリカ人好きじゃないですか。
英語を中学から勉強し始め、よくわからないまま田舎のウィリアムズ大学に進んだ福永さんのストーリーに共感して応援したい人は一定数いる、と福永さんは考えています。
福永さんとハビさんは、二人とも高校でディベートをしていて、根拠を並べて議論するのは得意です。それでも文化の違いには今も悩むことがあるといいます。
意見が分かれたとき、福永さんは自分の考えを文化ごと「翻訳」するようにしています。なぜその意思決定をしたいのかを、自分の理解と知識に沿ってブレイクダウンして伝えるということです。
デメリットは長くなるので、会話ですけど、ミーティング結構長くなりがちなんですけど、やっていいことは結構あるかなと思います。
研究の専門家を採用するときは、今はチーフサイエンティフィックオフィサーが見ています。その人自身を採用したときは、候補者の論文を読み込んだうえで、専門知識をわかりやすく伝えられるかを重視したそうです。
難しいことを難しいままに伝えることって簡単だと思うんですけど、それを分かりやすいように伝えるみたいなこと、意外と結構難しくて。
石橋を叩いて渡るリスクテイカー
アメリカの大学に行く前に慶應に1学期在籍し、博士課程に進みながら起業の準備をする。福永さんの経歴には、リスクを見積もって備える慎重さも見えます。
福永さんによると、高校時代は面白いと思ったらとりあえずやってみようと考え、リスクの許容度を意識して上げようとしていました。もともとは保守的な性格で、今は石橋を叩いて渡るタイプだといいます。
何事もちゃんと選択肢を並べて、その中でちゃんと軸を決めて比較して決めるみたいなプロセスをそもそも踏むっていうこと自体が、その後に失敗した時に自分に納得できるような、意思決定にもなる。
福永さんにとって意思決定のプロセスは、失敗したときに自信を失わず、次に挑戦するためのメンタルの支えでもあります。
高校・慶應時代は、面白いと思ったらとりあえずリスクを取ってみる
今は選択肢を並べ、軸を決めて比較し、評価してから意思決定する
会社での役割も変わりつつあります。福永さんはCEOであるハビさんに対し、予算やタイムラインにブレーキをかける「大人の役割」を担おうとしてきました。
いただいたアドバイスは、ファウンダーは子供でいた方がいいみたいなことを言われたんですよね。ファウンダーは子供っぽく大きな夢を掲げ続けるべきだみたいなことを言われて。
ブレーキ役はプロフェッショナルな大人を連れてきたほうが会社は伸びる、というアドバイスを受け、福永さんは今、自分は子供に戻り、大人を連れてくることを意識しているそうです。
苦しい時期に折れないための支えは、高校時代の経験です。福永さんは、スタートアップより高校のほうが圧倒的に大変だったと話しています。
その経験を経て、自分がどこまで行くと体調を崩すかというバロメーターもわかるようになりました。回復の手札として挙げたのは次のようなものです。
- 疲れていると思ったらしっかり寝る
- サウナやランニングに行く
- 週末にひなたぼっこをする
- 本を読む、人と話す
とりあえず行ってみる。シリコンバレーで挑む理由
これから海外に挑戦する人へ、福永さんはポジショントークでもあると断ったうえで、気負わずにまず行ってみる価値を語ります。福永さん自身は大学からアメリカに行きましたが、社会人になってから渡米して成功している人もたくさんいるからです。
できない理由を並べたら結構たくさんあると思うんですけど、とりあえず行ってみると何かその残せる可能性が比較的あるような国だとも思うんですよね。
ディープテックで起業する場所についての考えははっきりしています。シリコンバレーは東京よりリソースも人材プールも圧倒的に多く、リスクマネーもついてくるため、多くの人にとって論理的に正しい選択になりやすいといいます。
大事なのは、リスクの強さと期待値をきちんと比較し、正しい選択だとわかったら突っ込んでいく胆力です。福永さんは、選択のための調査を妥協する人が意外と多いと感じています。
頭の中で考えて、絶対これが正しい選択のはずなのに、いややっぱりこう、なんか英語できないと怖いからとかっていうので、本当のリスクよりもう過大評価しちゃって行かないようにしちゃう。
Taxaの先に福永さんが見ているのは、国策や国際情勢に影響を与えるほどの会社です。高校で模擬国連をしていたこともあり、国際情勢に強い関心があるといいます。
今はバイオテックが自分にとって挑みやすい領域だとしつつ、そこに固執はしていません。かつてアメリカがシリコンバレーで半導体やソフトウェアの会社を育てたような機運が、日本か別の国で高まれば、そこに張りたいと話しています。
最後に、起業する前の自分にかけたい言葉を聞かれ、福永さんは「思ったより意外とうまくいった」と伝えたいと答えました。意思決定のプロセスを回したあとに弱気になる癖があるからこそ、その自分を後押ししたいといいます。
まとめ
福永祐一さんの歩みには、バットを振り続ける挑戦の量と、選択肢を並べて比べる意思決定の型が並んで通っています。日焼け止めからデオドラントへの転換、手書きの手紙、アメリカ流のピッチ、コミュニティづくりまで、大胆に見える判断の裏には、納得できるプロセスへのこだわりがありました。
- Taxaは殺菌ではなく「菌の入れ替え」で、においの原因菌を無臭の菌に置き換えるデオドラントを開発している
- 恩師の「人生をゲームだと思え」という言葉から、挑戦の回数を多く保つ姿勢が生まれた
- アメリカのピッチでは資料より、創業者と会社のストーリーやシグナルの示し方を一から考えることが重要だと語られた
- 趣味や文化の話題を通じた自然なつながりが、機会に巡り合うための力になる
- 選択肢を比較して決めるプロセスが、失敗しても自信を失わず次に挑むための支えになっている



