アガディール事件が残した「全員の不満」
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今回の冒頭で深井さんは、国名や事件名を暗記する必要はないと念を押します。大事なのは、いくつもの出来事が「コンボ」のように連なって戦争につながった、というプロットをつかむことだといいます。
なんか立場も結構変わりますからね。一時期まではこことここの国が組んでたけど、ここが対立してこうなってとかっていうのがもうぶわって変わっていくから。
この音声コンテンツでそんなことを暗記しなくていいわけですよ。流れとプロットをちゃんと、その大局的に理解するということをしてもらえれば価値があるかなと思いますね。
深井さんによると、アガディール事件はタンジール事件と同じモロッコをめぐる「二発目」のような出来事で、概要はあまり変わりません。重要なのは結果で、イギリス、フランス、ドイツのどの国民も不満を抱えたまま終わったという点です。
誰も勝たず、誰も完全には負けない中途半端な着地だったため、各国に「煽る余地」が残りました。アガディール事件の不満は、各国のメディアと軍部がナショナリズムを盛り上げ、軍備拡大の予算を確保するための材料になっていったといいます。
中途半端な決着
英仏独のどの国も勝ち切れず、全員に不満が残る
メディアが煽る
残った不満を材料に、国民の敵愾心を刺激する
ナショナリズムの高揚
国民感情が敵国に向かって盛り上がる
軍備拡大
軍部が軍拡の予算を確保しやすくなる
同時に、フランスとロシアの関係も強化されます。フランスはロシアのシベリア鉄道 ── ロシアがヨーロッパ側と極東を結ぶために建設した長大な鉄道。軍隊や物資の大量輸送を可能にするため、軍事的にも重要な意味を持っていましたにお金を貸し、フランスとドイツが戦争になればロシアが2週間以内にドイツを攻撃するという約束も交わされたと語られています。
フランスには、普仏戦争 ── 1870〜71年にプロイセンを中心とするドイツ諸邦とフランスが戦った戦争。フランスが敗れ、戦後にドイツ帝国が成立しましたで負けて以来、ドイツから見下された態度を取られてきたことへの深い復讐心がありました。そこにモロッコをめぐる2つの事件で英仏が接近し、ドイツは自分たちの孤立をさらに強く感じるようになります。
オスマン帝国の衰退がバルカンを揺らす
深井さんは続いてオスマン帝国に話を移します。スレイマン1世の時代に全盛期を迎えたオスマン帝国は、その後、大航海時代を経たヨーロッパの経済力についていけず衰退していきます。
南へ領土を広げるロシアとの戦いでも少しずつ負け、ギリシャ、ブルガリア、セルビア、ボスニアなどが独立を目指して動き出します。オスマン帝国は近代化を急ぎますが、国民国家モデルを導入しにくい体制だったため、財政的に国家破産してしまいます。
オスマンの立場から見ると、まあ明白なんですけど、敵は誰かって言ったらロシアですよね。で、第一次世界大戦にオスマントルコ帝国も参戦しますけど、ロシアと戦うためにドイツ側につきます。
深井さんは受験生向けに、オスマン帝国がどちらの陣営についたかは「ロシアと戦いたい」と覚えればよいと補足します。ロシアが南下してくるから、オスマン帝国はロシアの敵になるという整理です。
そこへ起こるのがバルカン戦争です。バルカン戦争は、バルカン半島の諸国がオスマン帝国から独立しようとした戦争で、これによってオスマン帝国はヨーロッパでの影響力を完全に失います。
深井さんによれば、ビスマルク ── 19世紀後半のプロイセン・ドイツ帝国の宰相。ドイツ統一を主導し、統一後は同盟網を巧みに組んでヨーロッパの勢力均衡を保ったことで知られますの根本戦略は、バルカン諸民族をオスマン帝国の影響下に留めて列強のバランスを取ることでした。オスマン帝国が睨みを利かせているからこそ、他の列強は狙いたくても狙えない状態に留められていたのです。
オスマン帝国が睨みを利かせ、列強は手を出したくても出せない均衡状態
諸国が独立し、列強が切り取れる対象になって、ビスマルク体制のバランスが終焉
樋口さんが「この時ビスマルクは何をしていたのか」と尋ねると、深井さんは、ビスマルクはすでに政界を引退し、亡くなってもいたと答えます。ビスマルク体制が完全に消滅したところに起こったのが、サラエボ事件でした。
「ヨーロッパの火薬庫」はどうやってできたのか
サラエボ事件に入る前に、深井さんはここまでの流れをもう一度整理します。ビスマルクは三国同盟 ── 1882年にドイツ、オーストリア、イタリアが結んだ軍事同盟。ビスマルクがフランスを孤立させるために築いた同盟網の柱でしたを作り、フランスを孤立させながら勢力均衡を保っていました。ところがヴィルヘルム2世が拡張路線を取ったことで、その均衡が崩れ始めます。
そこに4つの出来事がコンボで重なり、ビスマルク体制は完全に崩れていきます。深井さんは、それぞれの事件が何を壊したのかを次のように説明しています。
| 出来事 | 起きたこと | 結果 |
|---|---|---|
| タンジール事件 | ドイツが仲介者の立場を降りる | 三国協商が進む |
| ボスニア危機 | オーストリアがベルリン会議の体制を崩す | ロシアと対立する状況が生まれる |
| アガディール事件 | 国際法を破ったフランス側の主張が英仏の結びつきで通る | ドイツが自国の孤立を理解する |
| バルカン戦争 | バルカンがオスマンの影響下から外れる | 勢力均衡のタガが外れる |
深井さんは、タンジール事件とアガディール事件は第一次モロッコ事件、第二次モロッコ事件とも呼ばれる同じようなものだと覚えておけばよいと話します。オスマン帝国の影響力がなくなり、列強が2つの勢力に分かれ、それまでのタガが外れた状態こそが、バルカン半島が「火薬庫」と呼ばれた理由です。
これがバルカン半島が火薬庫って言われてるのはこういうこと。もうもう爆発するしかないわけよ、これ。
楊さんは、セルビアの動きを補足します。もともと小さく貧しかったセルビアは、バルカン戦争で領土を倍にして経済的に伸び、得た富を「もっと強くないと生き残れない」と軍事に投じました。セルビアの軍拡にオーストリアがひどく警戒する構図も生まれていたといいます。
サラエボ事件と皇太子夫妻の暗殺
深井さんは、サラエボ事件には「悲運の感慨深さ」があると前置きします。ドイツもロシアもオーストリアも、この時点で互いに十分なコミュニケーションが取れていませんでした。
皮肉なのは、ボスニア危機もアガディール事件も軍事衝突が起きてもおかしくなかったのに、実際には起きなかったことです。そのため、ヨーロッパの知識人はかえって「戦争は起こらない」と思い込み、楊さんの言葉を借りればリスクを正しく評価できなくなっていました。
サラエボ事件までに全てのタガが外されて、スタートラインに全員立たされて、青チームと赤チームみたいなのを分けられて、スタート切ればもうスタート切れる状況になったのに。
舞台は、オーストリアに併合されたばかりのボスニアの州都サラエボです。そこを訪れたのが、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントでした。深井さんは余談として、イギリスのバンド「フランツ・フェルディナンド」の名前はこの皇太子から取られていると紹介しています。
ボスニアの住民の40パーセントはセルビア人で、併合に強い反発を抱いていました。そのボスニアで、フランツ・フェルディナントはセルビア人に暗殺されます。
当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、東へ東へと勢力を広げたい立場で、ボスニアのさらに東にあるセルビアも狙っていました。フランツ・ヨーゼフ1世にとって、セルビア人による暗殺は、皮肉にも戦争の口実になってしまいます。
深井さんによると、フランツ・ヨーゼフ1世とフランツ・フェルディナントは、実の親子ではなく仲もよくありませんでした。フランツ・フェルディナントが身分の釣り合わない女性を愛し、皇帝の反対を押し切って結婚したことで関係がこじれていたのです。
絶対許さんって言ったんですけど、無理やり結婚したんですよ。愛を貫いて。それでめちゃくちゃ仲悪くなったんだけど、皮肉なことに夫婦でここで殺されちゃうんだよね。
深井さんは、夫人のお腹には赤ちゃんがいたとされ、暗殺者自身も夫人を殺すつもりはなかったと語っていたと紹介します。殺された側の怒りは大きく、戦争を起こしやすい状況になっていました。
ヴィルヘルム2世はなぜ「いいよ」と答えたのか
フランツ・ヨーゼフ1世がセルビア併合まで強行すれば、ボスニア危機以来オーストリアを嫌っているロシアが必ず出てきます。ロシアはボスニア危機の時は軍備が整っておらず戦争を避けましたが、今回はそうとは限りませんでした。
深井さんは、ロシアが動けば同盟関係によって列強が次々に戦争に入ることになると説明します。楊さんはこれを「数珠つなぎ」と表現しています。
オーストリア
皇太子暗殺を口実にセルビアへ向かう
ロシア
南下を狙い、オーストリアを嫌っているため出てくる
フランス
露仏同盟によってロシア側で参戦する
ドイツ
オーストリアとの同盟によって参戦する
この連鎖がわかっていたため、フランツ・ヨーゼフ1世はまず、兄のような存在である同盟国ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世に「戦争していいか」と尋ねます。ヴィルヘルム2世は宰相がOKならいいと軽く返事をし、ロシアが出てきたらドイツも手伝うという約束までしました。
深井さんによれば、ヴィルヘルム2世はロシアが出てくるとは考えていませんでした。ニコライ2世は親戚であり、皇太子暗殺というよほどの事件なのだから、ロシアもセルビアの非を認めるだろうと読んでいたのです。
それにそもそもボスニア危機の時にロシアは戦争しなかったじゃん。軍備が整ってなかったからね。だから今回もまあ大丈夫だろうって思ってるわけ、ヴィルヘルム2世は。
一方でドイツの軍部は、諸説あるとしつつ、別の計算をしていたと語られます。シベリア鉄道の完成は1916年とされ、この時点は1914年でした。完成すればロシアが脅威になるため、完成前にロシアを叩くのもありだと考えていたといいます。
皇帝と軍部、皇帝と宰相の意思疎通が不十分なまま、ドイツはオーストリアに適当な返事をしてしまいます。それを受けたオーストリアは、セルビアに明らかに飲めない内容の最後通牒 ── 相手国に最終的な要求を突きつけ、受け入れなければ戦争などの実力行使に訴えると通告する外交文書を送り、確実に戦争ができる状況をつくりました。
負のループと露仏同盟の読み違い
楊さんは、オーストリア側の感情を補足します。皇太子暗殺後、セルビアは真相究明を嫌がり、暗殺はオーストリアの国内問題でセルビア人の個人がやったことだと主張しました。実際には、実行者の所属組織にセルビアの軍人などが関わっていたといいます。
楊さんは、日本の皇太子が他国で暗殺され、その国に「うちは関係ない」と言われたら日本人も怒るはずだと例えます。オーストリアの政府と大衆は激怒し、その怒りをメディアで知ったセルビアの大衆もまた反発するという負のループに入っていきました。
ロシアは露仏同盟 ── 1890年代にロシアとフランスが結んだ同盟。ドイツを挟む形で両国が協力することを定め、ビスマルク後のドイツの孤立を深めましたに基づき、戦争になればフランスが参戦するかを確認し、フランスは戦争も辞さないと答えます。ただし深井さんは、ここに興味深いすれ違いがあったと、うろ覚えと断りながら紹介しています。
露仏同盟自体はいわゆる攻撃的な同盟だという風には思ってなかった節があるんですよね。露仏同盟を結ぶことによって、ドイツもオーストリアも攻撃してこれないだろうと思ってたんですよ。
フランス側にとって露仏同盟は防御のための同盟でしたが、ロシア側は「フランスがいるから戦争できる」と解釈しました。オーストリアはオーストリアで、同盟国ドイツが強いからロシアは攻めてこないだろうと思っていた節があるといいます。
| 国 | 考えていたこと | 実際 |
|---|---|---|
| ドイツ皇帝 | ロシアは出てこない | ロシアは総動員に踏み切る |
| フランス | 露仏同盟は抑止のための防御的同盟 | ロシアは参戦の後ろ盾と解釈する |
| ロシア | フランスがいるから戦える | 戦争へ突き進む |
| オーストリア | 強いドイツが抑えになりロシアは来ない | ロシアが参戦する |
ほんとみんな掛け違いまくりってこうなってる。勘違いし続けてる。
宣戦布告から総動員へ、株価は最後まで落ちなかった
セルビアが最後通牒をはねのけ、1914年7月28日にオーストリアはセルビアに宣戦布告します。楊さんは、ある本によるとセルビアは内部では最後通牒を受け入れる決定をしていたものの、ロシアの支援の返事を得てから拒否に転じたという説もあると補足します。
宣戦布告の2日後、ロシア皇帝は全軍に総動員令 ── 国の軍隊を戦時体制に移し、予備役も含めて兵力を一斉に召集する命令。発令は事実上の開戦準備を意味しましたを出します。ロシアが動くと思っていなかったドイツは驚き、イギリスに中立を求め、ロシアに総動員の中止を求めますが、聞き入れられませんでした。
ヴィルヘルム2世が強い危機感を持ったのは、この段階になってからでした。深井さんは、市場の反応にも同じ構図が表れていると指摘します。
オーストリアがセルビアに最後通牒を送ってる時は全く落ちてないわけ、株価が。だから誰もこの時点で戦争が起こると思ってない。
株価が急降下したのは、宣戦布告があった27日から28日ごろでした。楊さんはこれを、事態の進行が人の認識の度合いを超えたと表現しています。
ドイツがロシアに宣戦布告したのは、数少ない同盟国オーストリアを失えなかったからです。深井さんは、ドイツは戦争をするとは思っていなかったが、味方すると約束した以上やるしかなかったと話しています。
楊さんによれば、ロシア側はオーストリアの強硬姿勢の裏にドイツのそそのかしがあると理解していたようです。そのため、ロシアは強いドイツを叩かなければならないと考え、最初から全力で動員したといいます。
なぜ誰も大戦争になると思わなかったのか
深井さんは、政治家や軍人の一部を除き、当時の知識人はこれほどの大戦争が起こるとは思っていなかったと話します。その理由として、いくつかの思い込みが挙げられます。
| 当時の思い込み | 根拠 | 実際 |
|---|---|---|
| 戦争は起こらない | 長く平和が続き、グローバル経済で貿易の中断は死活問題だった | 戦争になった |
| 国はまとまらない | 各国が社会主義者などの国内問題を抱えていた | 開戦した瞬間に国民がまとまった |
| 外交で回避できる | これまで回避できていた | ビスマルクの属人的な体制を後継者は理解していなかった |
| すぐ終わる | 国家予算に制約があり、普仏戦争もすぐ終わった | 長期戦になった |
特にロシアは日露戦争に負けて以降、国内問題を大きく抱え、社会主義者も増えていました。ところが開戦すると、政府を批判していた人たちまでが政府と一緒に戦うことを選びます。
これはナショナリズムの力ですよ。
この何回も出てきてる、これ外敵があるとまとまる。
背景には、国民感情の積み重ねもありました。番組では、ボーア戦争以降のイギリスで、ドイツを敵視する小説、劇、コントなどのコンテンツがあふれたことが紹介されます。そうしたコンテンツで育った子どもたちが、成長して第一次世界大戦に従軍していったのです。
ボーイスカウト ── 20世紀初頭のイギリスで始まった青少年団体。野外活動を通じた人格形成を掲げ、現在は世界中に広がっていますもこの時期に成立した団体で、もともと少年の軍事教練のためのものだったと語られます。スカウトは偵察という意味です。
軍事予算の獲得を訴えて寄付を集める協会や教育組織、敵国を攻撃するコンテンツが十数年にわたって続き、世代の価値観が積み重なっていました。樋口さんは、これも国民国家化の一部だと指摘しています。
まるで切ない恋愛ドラマのような経緯
ここまでの経緯を聞いた感想を求められた樋口さんは、各国の動きを恋愛ドラマにたとえます。
それぞれ自分しか知らないなんか思惑とか、相手はこうだろうっていうのがあって。それを基に動いちゃってるんですけども、もう向こうから見たら全然違っててみたいな。
誰一人想像してなかったところに向かってるじゃないですか。なんかね、切ない。
深井さんも、第一次世界大戦を勉強した時に一番強く感じたのは切なさ、悲哀だったと応じます。怪我人を含めて2000万人ぐらいが死傷する戦争を、誰も思い描いていなかったからです。
樋口さんはさらに、局地的に見ればそれぞれの気持ちはわかるのに、全体で見れば戦争しないほうがいいと話します。全員でホワイトボードに書き出して整理すれば解決できたかもしれない、でも無理だったのだろうと感じるところが切ないといいます。
切ないですよね。人類が初めて経験した大戦だったんで、やっぱみんなね、この後何が起こるかっていうのもわかってないんだよね。
深井さんは、ガンディーでさえこの戦争をイギリス側で支援していたことに触れます。戦争に賛成したわけではなく、イギリスが戦っているのにインドが戦わないのはおかしいという責任感からで、第二次世界大戦では考えが変わっていたようだと話しています。
戦後には国際連盟 ── 第一次世界大戦後の1920年に発足した国際平和機構。集団安全保障を掲げたものの、大国の不参加などもあり、第二次世界大戦を防げませんでしたが作られますが、樋口さんが言うようにあまり機能しませんでした。第二次世界大戦までの流れを、誰も止められなかったのです。
未来は読めない、それでも愛情をベースに動く
深井さんは、世の中の動きが人間の認知能力を超えていると語り、歴史を学んで一番感じたこととして、軽々しく未来は読めないという実感を挙げます。
そのうえで深井さんは、これまで学んだ歴史の中で、愛情をベースにした活動は結構いい方向にしか行かないと話します。例に挙がるのは、番組で取り上げてきたガンディーやヘレン・ケラーです。
愛情の力って結構世代を超えてどんどんいくんだよね。だからなんかそっちの方向でなんか頑張ってやるしかないかなっていうのが、歴史の勉強して(わかった)。
楊さんは、以前の回で深井さんが語った牧師を思い出したといいます。愛はエゴや欲にもなりうるが、その牧師はすべての人を平等に愛することが平和にとって大事だと唱えた、という理解です。
深井さんはその牧師を理想主義者と評しつつ、やはりそうするしかないのだろうと話します。ただ、座学で愛が大事だとわかっても、実践するのはとても難しいと打ち明けます。
学びはシェアしてますけど、その学び、僕実践できてないですから。6割ぐらい実践できてないですから。頑張ってはいますけど。
誰かを「バカだった」で片付けないために
深井さんは、国民国家化には仕方ない部分もあったと話します。社会契約論や人権によって身分の序列がなくなるのは、個人にとってよいことに思えます。まさかそこからナショナリズムがこれほどの戦争を起こすとは、当時コントロールするのは難しかったといいます。
楊さんも、では帝国のまま強力な支配者層が秩序を保つほうがよかったのかと問いかけ、深井さんもそうではなかったと答えます。
深井さんは、こうしたことは人類全体で一緒に学ばなければわからないと語ります。一人だけがわかっていても言葉だけでは通じず、みんなで失敗したからこそみんなで学べる、という考えです。
これって会社でも一緒なんですよね。一人だけ全部わかってるやついても、なかなか言葉だけじゃ通じないから、そのみんなで経験して、みんなで学ぶっていうのはすごい共通経験として多分すごく大切で。
だからこそ深井さんは、第一次世界大戦の失敗を「バカだった」で片付けてはいけないと強調します。ヴィルヘルム2世が選ばれた理由、ドイツが台頭した理由、イギリスが栄光の孤立をやめた理由、日本の登場など、多くの要因が関係して帰結しているからです。
深井さんは、ヴィルヘルム2世の能力が高くなかったことは事実としてあるだろうと認めます。そのうえで、社会のベクトルが戦争へ向かっていた以上、ビスマルクほどの人物でない指導者はどこかで必ず現れ、個人のせいにすると本質を見失うと話します。
ビスマルクの次がヴィルヘルム二世だったら、もうある程度必然だったじゃん。それ(大戦)はビスマルクが抑制してた頃こその反動だったわけだから。
楊さんが「もうわかったと言えなくなってきた」と応じると、深井さんは、安易にわかったつもりになり、自分が実践も経験もしていないことを評価しないのが大事だと話します。一方で、意志を持たずに生きるのもよくないので、そのバランスが難しいといいます。
最後は樋口さんの「もう愛でしょ、愛」という一言から、深井さんが自分の「愛偏差値」は35ぐらいで、最近40ぐらいに上がったかもしれないと笑う場面に。次回はいよいよ開戦の回で、台本はまだ半分ほどだと明かされます。
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まとめ
サラエボ事件は単独で大戦を引き起こしたのではなく、ビスマルク体制の崩壊によってタガが外れたヨーロッパで、各国の読み違いとナショナリズムが連鎖した結果として大戦につながりました。3人は、この悲劇を個人の愚かさで片付けず、未来は読めないという前提で学び続ける姿勢を語っています。
- アガディール事件やバルカン戦争を経てオスマン帝国の影響力が消え、ビスマルク体制が崩れたバルカン半島は「火薬庫」になった
- サラエボ事件後、ドイツ、フランス、ロシア、オーストリアがそれぞれ相手の出方を読み違え、ボタンの掛け違いが連鎖した
- 株価は最後通牒の段階では落ちず、宣戦布告の頃に急降下するほど、戦争は人々の認識を超えて進んだ
- 社会主義者までまとめたナショナリズムの力と、反ドイツのコンテンツなどによる国民感情の積み重ねが背景にあった
- 深井さんは、個人を「バカだった」で片付けず、わからない中で愛情をベースに足掻き続けることが大切だと語った







