20年続いた戦争のさなかに書かれた『自省録』
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今回のエピソードは、前回登場した五賢帝5人目マルクス・アウレリウスが、過酷な状況の中で何を考えていたのかを追う回です。
マルクス・アウレリウスが戦い続けたマルコマンニ戦争は、勝ったり負けたりを繰り返しながら決着せず、彼が死ぬまで終わりませんでした。つまり後半生の約20年間、ずっと戦争が続いたことになります。
『自省録』は、その戦場に指揮官として赴きながら書かれた手記です。折々に浮かんだこと、思索したこと、書物からの引用などが書き留められた、自分用のメモのようなものだと説明されます。
別にめっちゃ整理された文章とかではなくて、教訓を垂れているような文章でもなくて、脈絡があんまりないんですよ。
自分のその時その時の思いを絞り出すかのように、内面を見つめたり、戒めたり、己を律する言葉が綴られている。
誰かに見せるつもりは全くなかったらしく、マルクスは自分に対して「お前」と呼びかけるように書いています。同帝だったルキウス・ウェルスが亡くなった頃から書き始めたのではないかと言われています。
マルクスは「できていた」のか、「できなかった」から書いたのか
『自省録』はギリシャ語で書かれています。マルクスの母語はラテン語ですが、周囲が容易に読めないようにという意図や、哲学の語彙がギリシャ語のほうが豊かだったことが理由として挙げられます。
この手記からは、高潔で聡明な人柄がにじむと指摘されています。宗教や道徳をめぐる深いインサイトも感じられ、2000年近く経った今も本として読み継がれ、大統領や将軍にも愛読されてきました。
ただし深井さんは、書いてある内容を「マルクスがすでにできていた証拠」と読むのは誤解だと注意します。むしろ逆で、できないから自分に語りかけているのが『自省録』だという読み方です。
それができてるから書いてるんじゃなくて、僕は逆だなと思ったんです。できないから書いたんだと思うんだよね。
ストア派哲学を踏まえると、感情的に受け入れがたいことを、理性でなんとか受け入れようとしている姿が見えてきます。立派なのは達成したことではなく、できない自分を戒め続けたその姿勢だと3人は整理します。
立派なところがあるとすれば、できない自分をなんとかずっと戒め続ける、その姿勢が立派なんだよね。
そもそもストア派哲学とは何か
『自省録』の内容に入る前に、前提となるストア派哲学が紹介されます。ストア派はギリシャ哲学の一派で、紀元前3世紀ごろ、キプロス島出身のゼノンがアテネの広場で学園を開いたことに由来します。
「ストア」とは、壁がなく柱だけが並ぶ廊下(柱廊)のことです。そこで教えが行われたため、ストア派哲学と呼ばれるようになりました。マルクスの時代のものは後期ストア派にあたります。
ストア派では、徳こそが幸福の鍵であると考えます。ここでの徳は中国哲学の徳とは別物で、主に自制心・勇気・正義・知恵で構成されるものだと説明されます。
悩みや苦しみの多くは、物事そのものよりも物事の捉え方に原因がある、と考える点は仏教にも近いと語られます。そして人間がコントロールできる唯一確かなものは、理性による選択だけだとされます。
自制心・勇気・正義・知恵で構成される。幸福になるための鍵とされる
苦しみは出来事そのものより、その捉え方から生じると考える
人間がコントロールできる唯一確かなものとされる
宇宙を貫く秩序「ロゴス」と運命の受け取り方
ストア派は、宇宙全体が何らかの規律で動いていると考えます。朝日が昇り夜に沈むこと、虫や蜂の規則正しい動きなど、自然の営みを見て、人間も含めてすべてが宇宙の規律の中にあると古代人は感じ取りました。
この宇宙の規律をロゴスと呼びます。今では論理を意味しロジックの語源となった言葉です。ストア派では、自分の内面から宇宙の隅々まで、すべてが必然的な秩序=ロゴスに貫かれていると考えます。
このロゴスは神々が決めているとされます。ギリシャ人は合議で物事を決める共和制に慣れていたため、世界も神々が合議で決めていると考えるのが自然でした。一神教と違い、神「々」が決めている点が特徴です。
ストア派の人々は、神々の決定をすべて知ることはできないと考えました。自分にとって不条理に見えることも、神々はトータルでメリットがあると思って決めているはずだ、という受け止め方をします。
自分たちが持ってるインプットという視座で考えてるから、その文句を言ってる人よりインプットが多い。トータルで見たらこう決めた方がいいと思ってやってるんだよ、という感覚。
ここから運命や宿命と呼ぶべきものが立ち現れます。ただし人間は、その運命に抗うことも受け入れることもできます。ストア派は、運命そのものではなく、その受け取り方が人間に任されていると考えました。
これ、運命を動かすじゃなくて、受け取り方が決められるってことよね。面白いね。
だから生きる意味などないと自暴自棄になるのではなく、与えられた運命にどう意味を見出し、理性で受け入れるかが重要になります。その調和した状態こそが幸福だと考えたわけです。
世界市民という発想と、人格を4つに分ける考え方
ストア派には、後の「コスモポリタン(世界市民)」につながる発想がすでにありました。ただし現代のような「世界みんな仲良し」という意味ではありません。
宇宙が同一の法則で動いている以上、住むポリスは別々でも、宇宙という一つのポリスに生きている、という感覚です。理性を共有する者はみな同じ国の同胞だと考えます。
この発想は、解放奴隷から皇帝まで、あらゆる階層がストア派を実践した理由にもつながります。有名な解放奴隷の哲学者エピクテトスから、皇帝マルクス・アウレリウスまで、幅広い人々が実践しました。
さらに深井さんは、ストア派が人格をどう扱うかを紹介します。人格はペルソナと呼ばれ、4つの層に分けて定義されます。この整理を知ると、運命の考え方の解像度が上がると語られます。
マルクスはおそらく、偶然的ペルソナまでを宿命として受け取っていたと考えられます。この4層で今の状況を分析すれば、何が動かせて自分が何に集中すべきかがわかる、という発想です。
個別的とかは動かせないのに、ここをどうにかしようとしてできなくて悩む、その意味がなくなるってことね。
幸福とは、この選択的ペルソナに集中することだと考えられました。動かせないものを動かそうとして悩むのではなく、自分が選べる部分に力を注ぐという整理は、現代にも通じると語られます。
運命を愛せ ── 『自省録』が繰り返す自己への言葉
ここから『自省録』の実際の文章が紹介されます。まず紹介されたのは、運命を受け入れるというストア派の核心を示す一節です。
良き人自身のもとに残るのは、身に降りかかってくることや、自分の上に生まれた運命を愛し、歓迎することだけである。
何かを追いかけず、避けもしないで生きる。起こることすべてを難儀なことと思えても、喜んで受け入れよ。
これらはマルコマンニ戦争を経験しながら、自分に語りかけて書かれたものだと考えられます。ただし消極的に我慢するのではなく、自ら進んで受け入れるという態度がポイントです。
さらに、誰にも信じてもらえなくても怒らず、自分の運命に適合して歩むべきだ、という一節も読み上げられます。深井さんは、マルクスがむしろ怒りっぽい人だったからこそ、この言葉を書いたのだと指摘します。
怒りっぽいんで、机とか蹴ってたんじゃないかな。蹴った後に「ちょっと蹴っちゃダメだったな」と言ってこれ書いてるんだと思う。
こうした言葉は、すべて「受け取り方をどうするか」という選択的ペルソナの話だと整理されます。誰にも信じてもらえない状況は偶然に起こりうるが、それにどう反応するかは自分で選べる、という読み方です。
苦しみは判断の中にある ── 内面に集中せよという教え
続いて、苦しみは外の物事ではなく自分の判断から生じる、という一節が紹介されます。
お前が何か外にあるもののために苦しんでいるのであれば、お前を悩ますのはその外なるものそれ自体ではなく、それについてのお前の判断なのだ。
お前を悩ます多くの余計なものはすべてお前の判断の中にあるので、お前はそれを除去できる。
深井さんはこれを「唯識論だ」と評します。皇帝でありながらカリグラのように暴走せず、この境地を保とうとしたこと自体が立派だと語られます。
また、「君自身の内にあるこのささやかな土地に隠れ住むことを心がけよ」という一節も紹介されます。これは自分の理性に集中せよという意味だと読み解かれます。
「隠れ住む」という表現からは、マルクスの周囲にノイズが多く、理性になかなか集中できなかった状況が垣間見えると語られます。2000年近く前の皇帝の心象が読めることに、3人は面白さを感じています。
クソみたいなこと言ってくる人もいるし、言うことを聞かない奴もいるし、全然自分のことを信じない奴もいる。もう理性に集中しなきゃ、というのがこの「隠れ住む」という表現に立ち現れてる。
城塞・岬・寝坊 ── 崩れそうな自分を励ます言葉たち
『自省録』には、自分を励ます比喩的な言葉が繰り返し現れます。まず紹介されたのは「常軌から自由な精神は城塞である」という一節です。
常軌から自由な精神は城塞である。人間はこれに勝る難攻不落なものを持たず、そこに退避すれば以後揺らぐことのないものとして生きることになる。
これは自分の中に難攻不落の精神の城塞があると意識し、不動心を得ようと自分を励ましているのだと説明されます。深井さんは、城塞がある人はわざわざそう言わない、つまり今にも崩れそうだから書いているのだと指摘します。
似た言葉として「絶えず波が打ち寄せる岬のようであれ」という一節も紹介されます。岬はただ立っていて、その周りで水の泡立ち=ノイズが静かに消えていく、というイメージです。
自分は岬のようにそこに立ってるだけで、周りのノイズが消えていくんだと。頑張れ俺、みたいな。
さらに、明け方に起きづらいときの言葉も残されています。「人間の務めを果たすために私は起きるのだ」と念じて起きよう、という寝坊対策のような一節です。
その背景として、朝から嫌な人間と会わねばならない憂うつがあったことも語られます。マルクスは、今日も傲慢で妬み深い非社交的な人間と出会うだろう、と朝に自分へ言い聞かせていました。
私は今日もお節介で恩知らずの、傲慢な、欺瞞的な、妬み深い、非社交的な人間と出会うだろう。
一方で、そうした人々に持ち上げられても自分を見失うな、皇帝の位にあっても慢心してはいけない、とも繰り返し戒めています。周囲がしょぼいからこそ「自分はすごいかも」と思いがちだった、と楊さんは補足します。
周りに媚びへつらう奴がいて、しょうもないと思いながら、その人たちに持ち上げられて、自分は慢心して調子に乗っちゃダメだと言い聞かせてる。めちゃくちゃ偉いよ。
他者への寛容 ── 相手の魂を見よという境地
マルクスの言葉は、自分を律する段階からさらに突き抜けて、他者への寛容へと向かいます。人生や名声を突き放して見るような、悟りに近い一節も紹介されます。
肉体に関わるすべてのことは流れであり、魂のことは夢であり、妄想である。人生は戦いであり、客人の一時の滞在である。後世の判断は忘却である。
自分を批判・嫌悪する人については、その魂の中へ入り込んで彼らがどんな人間かを見よ、と説きます。そうすれば彼らの評価を気にする必要はないとわかる、という考え方です。
他人が君を批判したり憎んだりするときには、彼らの魂へ向かっていき、その中へ入り込み、彼らがどんな人間であるかを見よ。
さらに、自然は彼らを君の友として作ったのだから、彼らに善意を持たねばならない、とまで述べます。深井さんはこれを、大乗仏教やキリスト教に通じる極致だと評します。
学者の考察として、人は理性の使い方を知らないために過ちを犯すのであり、それを知れば他者に寛容になれる、という読み解きも紹介されます。自分も同じ過ちを犯しうる同類だと自覚しよう、という発想です。
自分も彼も同じ無知の過ちを犯し得るという意味では同類なんだ。自分のことを棚に上げて相手に怒ったり責めたりすることはしないでおこう。
3人は、それでも寛容になりきれない自分を戒め続けたこと自体がストイックだと評します。できないことをできないままにせず、この態度を取り続けたことにマルクスのすごさがあると語られます。
死を恐れるな ── 自然の営みとしての死
『自省録』には、死を恐れないための言葉も多く残されています。死それ自体から空想的な要素を取り去れば、自然の営み以外の何物でもない、という考え方です。
死は単に自然の業であるのみならず、自然にとって有益なことでもあるのだ。
滝が上から下へ落ちるのを怖がらないのと同じように、死ぬこともまた自然の一部だという整理です。死に瀕していても、今やるべきことをやろうという態度につながります。
さらにマルクスは、死を若さや老い、出産と同じ人生の季節の一つと位置づけます。死に対して無関心でも、激しく恐れるのでも、侮辱するのでもなく、自然の働きとして待て、と説きます。
自然の働きの一つとしてこれを待つことである。ちょうど今、君が妻の胎から子どもが産まれるのを待っている時のように、君の魂がその覆いから抜け出す時を待つがよい。
マルクスは息子や娘、同帝ルキウス、妻など多くの死別を経験し、自身も病を抱えていました。だからこそ、死への恐怖を言い聞かせて乗り越えようとしていたと考えられます。
子どもの死をめぐる言葉は、とりわけ重いものです。愛する子にキスをしているときも、その死を自然の営みとして受け止めよ、と自分に語りかけています。
子供にキスをしている時、おそらくお前は明日死ぬだろうと心のうちで言うべきだ。でもそれは不吉な言葉ではない、自然の営みを意味している。
深井さんはこれを、仏教でいう愛別離苦を悟った人間の言葉だと評します。長く繰り返し言い聞かせているのは、それでも受け入れきれなかったからだと読み解かれます。
現在だけを生きよ ── 過去も未来も失えない
死の反対にあるのが生であり、現在です。マルクスは、人は現在という一瞬しか生きられないと繰り返し記しています。過去はすでに生きられ、未来はまだ未知だからです。
各人はただ現在、この一瞬間に過ぎない現在のみを生きるのだ。その他はすでに生きられてしまったか、もしくはまだ未知のものに属している。
たとえ3万年生きても、失いうるのは現在だけだ、とマルクスは言います。裏を返せば、人は現在しか生きていないのだから、この瞬間に集中して選択せよ、という教えになります。
人が失いうるのは現在だけだと。彼が持っているのはこれのみであり、何人も自分の持っていないものを失うことはできない。
これはストア派の、コントロールできるものとできないものを分ける発想と重なります。自分ではどうにもできない過去と未来を求めても仕方がない、という整理です。
自分の力のうちでコントロールできないものは、過去と未来なんですよ。自分でどうすることもできないものを求めてもしょうがないじゃん。
深井さんは、名誉を得ることすら考えていない点にマルクスの偉さを見ます。未来の名声に何の意味があるのか、と突き放す姿勢は、業績を細かく書き残したアウグストゥスとは対照的だと語られます。
後世の名声を「忘却」と突き放し、業績への執着を見せない
自分が何を建て、どれだけ与えたかなど業績を細かく書き残した
過労・少食・不眠 ── アヘンを飲みながらの晩年
マルクスは、こうして自分を律しながら、晩年まで戦場にとどまり続けました。前線で緊張状態が続く中、行政と司法の仕事もこなさねばならず、過労状態にあったと語られます。
さらに彼は大変な少食で、1日1食だったとされます。宴会でわざと吐きながら食べ続けるローマの食文化の中では、極めて異例な暮らしぶりでした。
不眠にも悩まされ、執務中に寝てしまうこともあったといいます。それを防ぐため薬を服用していましたが、その薬が現代の感覚では驚くべきものでした。
医者のガレノスがアヘンを飲ませてたって。
アヘンには鎮静・鎮痛作用があり、片頭痛も持っていたマルクスに処方されていたと語られます。当時は薬物という概念が今と異なり、フリードリヒ大王など後世の権力者にも使われた例が挙げられます。
医学の歴史に残るぐらいの人が、歴史に残る哲学的皇帝にアヘンを飲ませてたっていう。これが滑稽やな、ちょっと。
昇る太陽の下へ行け ── 遠征先で迎えた最期
58歳のとき、マルクスはだいぶ衰弱し、イタリアに戻ることもできなくなります。今のセルビア西部のシルミウム、あるいはウィーン近郊とされるウィンドボナで亡くなったと語られます。
最期には、合言葉を求めてきた当番の将校に、印象的な言葉を残したとされます。
死後もマルコマンニ戦争は続きましたが、後を継いだ息子コンモドゥスはすぐに講和を結んで首都へ帰ってしまいます。前線にとどまり続けた父とは対照的で、後世から強く批判されました。
マルクスは「すぐにお前はすべてを忘れるだろう。そしてすぐにお前のすべても忘れられるだろう」と書き残しました。しかし後世は、彼のことを忘れませんでした。
どうせ俺のことなんかみんな忘れてるでしょ、って言ってるからこそ、こんなに忘れられずに残ってるっていう。
深井さんは、哲学に打ち込みたかった青年が戦争に駆り出され、その手記が結果としてストア派を最大に体現した著作として残った皮肉に、歴史の面白さを見ます。本人にはその認知がなかった点も含めての面白さです。
総崩壊しかねない危機の中で、パンデミック・反乱・戦争をやりくりし、皇帝という仕事を諦めずに前線にとどまり続けた。その姿勢は、速攻で戦場を離れたコンモドゥスとの対比で際立つと締めくくられます。
五賢帝の最後の人ですね。忍び切った人ですね。
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まとめ
20年続いた戦争のさなか、マルクス・アウレリウスは誰にも見せない手記に、運命を受け入れ、現在に集中し、他者に寛容であれと自分へ言い聞かせ続けました。それは「できていたから」ではなく「できなかったから」書かれた言葉であり、その戒め続ける姿勢こそが後世に読み継がれてきました。
- 『自省録』は戦場で書かれた自分用のメモで、他人に見せる意図はなかった
- ストア派哲学は、宇宙を貫く秩序ロゴスと、運命の受け取り方に集中する幸福観を説く
- 人格を4層に分け、自分が選べる「選択的ペルソナ」に集中することを重視した
- マルクスは死を自然の営みとして受け入れ、名声への執着も突き放した
- 過労・少食・不眠に苦しみアヘンを服用しながらも、皇帝として前線にとどまり続けた






