最初のコインは交易のためではなかった?
コテンラジオのお金の歴史編は、前回までの貨幣の誕生の話を受けて、いよいよコインの登場へと進みます。楊睿之さんによると、純度や規格を保証する大きな権力が現れたことで、ようやくコインが誕生しました。
最初のコインが生まれたのは、今のトルコにあったリディア王国 ── 紀元前7世紀ごろ、小アジア(現在のトルコ西部)に栄えた王国。世界最古級の鋳造貨幣を発行した国として知られていますです。楊さんは、この場所こそが面白いポイントだと話します。
普通に考えたらですよ、交易が一番盛んなところで生まれるはずなわけです。
当時もっとも交易が盛んだったのは、アルファベットを作った海上民族のフェニキア人でした。貿易で大きく儲けたアテネもあります。しかし、コインはフェニキアでもアテネでもなく、リディアで生まれました。
リディアのコインは、約2700年前に作られたエレクトロン ── 金と銀が自然に混ざった合金。番組では金7割・銀3割と説明されています。英語ではエレクトラムとも呼ばれますという金と銀の合金製です。リディアにはこの合金が自然に豊富にあり、コインにはリディアの神様の狐の絵が彫られていたといいます。
では、リディアでコインが生まれた理由は何だったのか。楊さんの答えは、行政の処理です。リディア王国はたくさんの傭兵を雇っており、その給料を金属の重さを量って払う事務作業が、どんどん重くなっていきました。
だから支払い業務が煩雑だったんでコインになったんですよ。これもイメージと全然違うんです。
業務ハックやったんですね。
リディアで生まれたコインを見て、交易をしていた商人たちも「これを使えばいい」と気づきました。こうしてコインはフェニキアやギリシャへ広がっていきます。
行政の拡大
リディア王国が多くの傭兵を雇い、給料の支払いが増える
事務の煩雑化
金属の重さを量って払う作業がしんどくなる
統一規格のコイン
国家が保証するエレクトロン貨を作る
交易への転用
商人たちが便利さに気づき、フェニキアやギリシャへ広がる
楊さんは、商人だけではコインを作れなかったと強調します。コインには価値を保証する存在が必要で、それができるのは国家権力でした。深井さんも、一人の商人が「これに価値がある」と言っても相手にされない、と言い換えています。
さらに古代の国家は、商業より農業のほうが国力も人口も伸びるため、商人に特別フレンドリーではありませんでした。だからこそ、支払い業務の煩雑さという行政側の理由がない限り、コインは出てこなかったと楊さんは説明します。
荘園の年貢と中世ヨーロッパの停滞が示すもの
楊さんは、行政の必要から貨幣が広がる例は他の国にもあると話し、日本の荘園 ── 平安時代以降、貴族や寺社が各地に持った私有の領地。その警護役から武士が台頭していったとされますを挙げます。
平安時代の貴族たちは、日本全国に荘園を増やしていきました。ところが貴族本人は京都にいるため、各地から魚や米、麦などの収穫物を運んで処理するのが面倒になっていきます。
魚とかめっちゃ嫌です。
楊さんによると、こうした税の回収のニーズの中で「貨幣のほうがいい」という流れが生まれ、日本でも貨幣が広がっていきました。樋口さんは、物々交換から貨幣が生まれたというイメージとは違う、と驚いています。
ここから楊さんは、コインは国家権力が強大でない限り維持できない、という結論を導きます。ローマ帝国が終わった後の中世ヨーロッパは強大な国家権力がない状態になり、そのために経済が停滞したといいます。
だから本当に経済ずっと停滞して、一方でイスラムとか中国では強大な国家権力があるんで、特に中国ね、バーっていくんです、経済が。
樋口さんは、かつて世界のGDPの30〜40%ほどを中国が占めていたと補足します。お金が「技術」だという意味がようやくわかった、という樋口さんのたとえが印象的です。
全然電波入んない携帯だったら通信が発達しないみたいなことですよね。なんか信用が使えないんですね。
中国の銅銭は、なぜ金でも銀でもなかったのか
ここまでのコインの話は西洋の流れでした。楊さんによると、中国の貨幣はルーツがまったく違います。中国では最初、亀の甲羅、牛、子安貝 ── タカラガイの一種の貝殻。古代中国では呪術的な価値を持つものとして扱われ、貨幣の起源の一つとされますが、呪術的・宗教的な価値を持つものとして登場しました。
君主が臣下に宗教的な好意としてこれらを渡し、そこから貨幣になっていった、というのが中国のルーツです。樋口さんは「変なとこからボール来るな」と反応しています。
周の時代になると、呪術的な意味を持つ貝の貨幣を、銅で模倣するようになります。銅で貝の形を作ったのは、貝そのものに価値があったからではなく、呪術的に価値があったからだと楊さんは説明します。
中国の貨幣の大きな特徴は、金でも銀でもなく、どこでも取れる銅で作られた点です。楊さんは、高価でない金属で貨幣が成り立ったのは、中国の国家権力が強大だったからだといいます。樋口さんは「一歩紙幣に近づいた」と受け止めています。
楊さんはさらに詳しく、中国の権力が及ぶ範囲と貿易相手の範囲が同じだったことを挙げます。一つの権力の内側としか交易しないので、その権力が「銅に価値がある」と言えば成り立ったのです。
(西洋では)その国家権力が一つ強大にあっても、複数に分かれてたりしたんですね。だから、銅を持っていっても交換できないんですよ。
国家が複数に分かれ、どこでも希少な金や銀でコインを作る必要があった。叩いて刻印する製法
強大な一つの権力の内側で交易が完結し、銅で足りた。型に流し込む鋳造で大量生産できた
中国は型に溶かした金属を流し込む鋳造の技術も持っていました。楊さんは、大量の銅銭が作れたことで経済が発展し、ものすごい人数の兵士を動員する戦争もできるようになったと話します。
貨幣の規格を統一したのは始皇帝 ── 紀元前221年に中国を初めて統一した秦の王。文字・度量衡・貨幣の統一などを進めたことで知られますです。楊さんは、統一した瞬間に貨幣を統一したことから、始皇帝がどれだけ社会を理解していたかがわかると語ります。
番組では、中国の貨幣が信用を背景に日本や東南アジアなどアジア全域で流通し、ユーロのようなグローバル通貨だったことも語られます。日本には技術が足りず、中国が保証しているもののほうが都合がよかったといいます。
楊さんによると、前漢の五銖銭 ── 前漢の武帝の時代に作られた銅銭。重さ五銖を基準とし、その後も長く中国で使われましたは280億枚も作られました。
銅銭を使った理由には、国家権力の強さ以外の説もあります。金や銀を持たせると、地方の豪族がローマ帝国のような遠い国とも勝手に交易して力をつけかねません。そこで中国王朝が、外交を独占するために貴金属を民間に流出させなかったという説を楊さんは紹介しています。
宋の紙幣はなぜ一度消えたのか
楊さんは、紙幣が最初に生まれたのは中国だと話します。舞台は経済大国だった宋の時代で、日本にも宋銭が流出していきました。番組内では、日本に宋銭を入れたのは平清盛で、日宋貿易の経済力が武家の頭領になれた理由だという話も出ています。
宋は銅銭を大量に作る力を持っていましたが、経済発展に供給が追いつかなくなります。日本や高麗などから銅銭への需要が高すぎて、民間の人たちが禁止をかいくぐって密輸してしまったからです。
お金を使いたいのにお金がない、という状態から、宋の紙幣が生まれます。最初は「この紙を持っていれば銅銭の束と交換できる」という手形でした。運びやすさと、原材料確保が追いつかないことが理由です。
中国は印刷術や製紙術が発達していたうえ、輸出はしても輸入はあまりしない貿易黒字の国でした。もともと価値の低い銅銭を使っていたこともあり、紙幣への移行にそれほど抵抗はなかったと楊さんは説明します。
紙幣ってですね、実はものすごくマネジメントが難しいんですよ。
紙幣を管理するには、流通量を把握し、刷りすぎによるインフレを抑え、偽札を取り締まり続ける必要があります。最初は四川で商業の組合など民間がそれぞれ手形を刷っており、見かねた宋の政府が統一を試みましたが、最終的には失敗しました。
銅銭の不足
日本や高麗への密輸で、作っても作ってもお金が足りない
手形の登場
銅銭と交換できる紙が、運びやすさと原料不足から使われる
政府による統一
民間がばらばらに刷っていた手形を宋の政府がまとめようとする
管理の失敗
流通量やインフレ、偽札の管理ができず、紙幣は一度消える
楊さんによると、この宋の紙幣はコインの延長線上にあるもので、一度絶滅します。私たちが今使っている紙幣は別のルーツを持ち、後の銀行の歴史の回で語られる予定です。
まだお前らには早いって時代が言われたんですね。
イスラム商業を押し上げたアラビア数字とは?
中国が発達し、ヨーロッパが停滞していた間に、もう一つ経済を発達させた勢力がイスラム世界です。楊さんは、イスラム教の創始者ムハンマドがもともと商人だったことに注目します。
イスラム教国には商人に好意的な国が多く、国が違っても宗教が同じなので、常識やルールが共通していました。楊さんは、これによって対外交易のリスクと取引コスト ── 取引相手を探したり、条件を交渉したり、約束が守られるか確かめたりするためにかかる手間や費用のことが下がり、交易が盛んになったと説明します。
イスラムの商業を押し上げた原動力が、インドから取り入れたアラビア数字とゼロの概念です。当時のヨーロッパではローマ数字が使われていました。
ドラクエ、Iとファイブとか、ファイブとIみたいな。あれで計算できないじゃないですか。
ローマ数字は計算が煩雑で、習得コストが異常に高いと楊さんはいいます。一方、十進法でゼロの概念を持つアラビア数字は計算に適しており、利子などの計算がしやすくなったことで商業が効率化しました。
楊さんは、日本の江戸時代の人も漢数字で計算していたが大変だったと話します。アラビア数字なら取引のスピードが上がり、習得もしやすいので、多くの人が商業に関われるようになるという見方です。
このアラビア数字は、十字軍の時代にイスラムからヨーロッパへ伝わり、それがヨーロッパでの銀行の誕生につながると楊さんは予告します。宗教、数学、貿易、政治と話が広がることに、樋口さんは「ギリギリついていっている」と打ち明けています。
楊さんは、ここまでの流れを三つの地域に分けてシンプルにまとめています。
| 地域 | 特徴 | 経済の状態 |
|---|---|---|
| ヨーロッパ | コインは生まれたが、国家権力が弱まった | それ以上発達せず停滞 |
| 中国 | コイン作りがうまく、強い国家権力がある | 大きく発達 |
| イスラム | 商業を奨励し、宗教とアラビア数字が支えた | 商業が発達 |
樋口さんは「やっと現代に近づいてきた足音が聞こえてきた」と話し、次回は銀行の誕生へと進むことが告げられて、この回は締めくくられます。
まとめ
この回では、コインや紙幣が交易の便利さからではなく、行政の必要と国家権力の保証によって生まれ、その権力の強弱が地域ごとの経済の発展を左右したことが語られました。
- 最古のコインはリディア王国で、傭兵への給料支払いを楽にする「業務ハック」から生まれたと語られた
- コインは国家権力の保証がないと維持できず、強大な権力を失った中世ヨーロッパは経済が停滞したとされる
- 中国は権力の範囲と交易範囲が一致したため、安価な銅で大量の貨幣を鋳造でき、経済が大きく発達した
- 宋の紙幣は銅銭不足から生まれたが、流通量や偽札の管理が難しく、一度消えていった
- イスラム世界は共通の宗教による低い取引コストと、計算しやすいアラビア数字で商業を発達させた





