深井さん不在の間に始まった「道具」談義
この回は、帝政ローマシリーズの収録途中に深井龍之介さんが用事で抜けたことから始まります。楊睿之さんと樋口聖典さんは、深井さんが戻るまでの時間を使って番外編を収録することにしました。
テーマを持ち込んだのは樋口さんです。樋口さんは、パソコン、マウス、キーボード、左手デバイス、足で操作するデバイス、料理人の調理器具、文房具など、仕事やプライベートで使う道具へのこだわりを聞くのが好きだといいます。
なんかこれ(道具のこだわり)結構その人となりとか生き方、哲学出るなと思ってるんですけど。
話を振られた楊さんは、樋口さんや深井さんのこだわりの強さに比べれば自分は「凡人みたいなこだわり」だと前置きしつつ、最近役に立っている道具を紹介することにします。
楊さんが分割キーボードに行き着いた理由
楊さんが使うパソコンはノートパソコン1台だけです。自宅ではノートパソコンを高めの台に置いて視線の高さに合わせ、Bluetoothでつないだ別のキーボードで入力しています。そのキーボードが、左右に2つに割れた分割キーボードです。
樋口さんによると、分割キーボードはけんすうさんもいま強く推しているものだといいます。楊さんも「もっといろんなメーカーに作ってもらいたい」と話すほど気に入っています。
楊さんが分割キーボードを選んだきっかけは、一枚板の「チョコ板みたいな」キーボードを使っていたころの窮屈さでした。楊さんはタイピングが得意ではなく、ブラインドタッチもあまりできないため、視線も意識もキーボードに集中してしまうといいます。
どんどんどんどんなんかこう脇が締まったりとか、肩が締まったりとか。
樋口さんは、手のホームポジションが体の中心に寄ることで肩が前に出て内側に入り、人間の自然な姿勢として良くないのではないかと整理します。楊さんは、2〜3年ほど前にネットで分割キーボードを見つけ、「これだ」と思って以来ずっと使っていると振り返ります。
手が中央に寄る
ホームポジションが体の中心側に寄る
肩が前に出る
肩が前に出て内側に入り、脇が締まる
不自然な姿勢
人間工学的に自然に沿わない姿勢になる
疲れやすくなる
長時間の作業で疲れがたまりやすい
姿勢の自由と手の角度、分割キーボードの利点
楊さんが挙げる分割キーボードの良さは、座る姿勢が自由になることです。右半身を傾けたまま打つこともできれば、「今日は左腕を伸ばしたい気分」というときにもそのまま入力できるといいます。
樋口さんはすかさず、帝政ローマ人が寝そべって食事をするときの姿勢にもなれるということか、と収録中のシリーズに引っかけて返し、楊さんも笑って同意します。
フレキシブルに、こう自分という体とパソコンっていう道具を結ぶことができるようなインターフェースですね。
樋口さんは、手の角度の話も加えます。一枚板のキーボードでは手のひらが机と平行になりますが、分割キーボードなら斜めに構えられます。樋口さんの記憶では、手をテーブルに置いたときの自然な角度は45度から60度ぐらいだといいます。
手のひらが机と平行になり、手をひねった形が続く。手が中央に寄りやすい
手を斜めに構えられ、体を傾けたり腕を伸ばしたりと姿勢も自由になる
(手が机と平行なのは)ひねってる。なんかずっとヨガをさせられてる感じです。
注目の分割キーボードとトラックボール、音声入力まで
楊さんの分割キーボードは、メーカー名はすぐに思い出せないものの、中国の深センのメーカーのものだったようです。
樋口さんは、最近使っている人をよく見るものとしてCornix ── Cornix。樋口さんが番組内で、最近使っている人をよく見ると紹介した分割キーボードの名前ですを挙げます。また、YouTubeで発信しているMONOGRAPHの堀口さんが出している分割キーボード「コンダクター」も、樋口さんの観測範囲ではよく見かけるといいます。
ポインターデバイスの話題では、分割キーボードにトラックボールが付いたタイプも紹介されます。キーボードから手を離さずにカーソル操作ができるため、文字入力のストレスから逃れられるという考え方です。楊さんのキーボードにはトラックボールはなく、今のマウスが壊れたら試したいと話します。
樋口さんはさらに、AIの進化で精度が上がった音声入力を使いこなせば、キーボードをなるべく触らずに仕事ができるようになる、という最近の流れにも触れています。
あえてApple純正を使い続ける樋口さんの「逆こだわり」
楊さんに使っている機器を聞かれた樋口さんの答えは、意外にもApple純正の平べったいキーボードでした。樋口さんは分割キーボードの良さを知り、使ったほうがいいとわかったうえで、「よっぽどのことがない限り、ザ純正を使い続ける」という逆こだわりを持っているといいます。
しかも有線です。充電も電池も不要で、帰宅すればどうせAnker社のハブでLANケーブルやUSBをまとめて挿すため、無線である意味があまりないからだと説明します。
楊さんが「純正原理主義」と名付けたこのこだわりについて、樋口さんが挙げる理由は1つです。純正品は販売中止になりづらく、3年後、5年後も売っている確率が高いからだといいます。
(分割キーボードで)あの第二世代目のあれが良かったのになってなるのがもう嫌なんです、僕。
楊さんは「機能性じゃないんですね」と驚きます。樋口さんにとって大事なのは、流行り廃りで淘汰されず、全く変わらないものを使い続けられることでした。
この考え方は服にも共通しています。樋口さんはUNIQLOのストレッチジーンズを必ず選び、冬はヒートテックの上にTシャツ、夏も全く同じものを着ているといいます。
「使いづらい」は慣れの問題、メーカーの最適解に飛び込む
樋口さんは、利便性なら分割キーボードのほうが上だという意見もわかったうえで、使い勝手の差は人間の慣れで相当対処できると考えています。WindowsからMacへ、MacからWindowsへと乗り換えた人が「使いづれえ」と言うのも、多くは慣れていないことが原因だと見ています。
慣れてないからが理由なのに、その商品が使いづらいって認識をしちゃうのが人間だと思ってるんですよ。
逆に言うと、人間慣れの問題で相当なところまで到達できるっていう、そのなんか人間を信じてるみたいなところがあって。
この姿勢はショートカットキーにも及びます。樋口さんは今3DCGソフトを3つほど試していて、ソフトごとに視点移動が右クリックだったり真ん中ボタンだったりと操作が違いますが、設定は変えずにソフトの標準のまま使うようにしているといいます。
樋口さんの考えでは、開発者はそのソフトなりの最適解を考え抜いて作っているはずです。だから乗り換えるときに過去の自分に寄せるのではなく、まず標準に飛び込んで受け入れ、そこから自分なりに崩していけばよいというわけです。Appleのキーボードも、Apple製品に対して最も最適化されているはずだから一旦受け入れる、というのが基本姿勢だと話します。
楊さんが「慣れの期間を持ちたくないのか」と尋ねると、樋口さんはむしろ逆で、慣れの期間を持つ話だと答えます。本当に使いにくいのか、慣れていないだけなのかを判断するために、まず純正で条件を揃えておくということです。
トラックボールを試して再発見したマジックマウスの凄さ
実際に樋口さんは、トラックボールを使う人が増えている印象から、周囲に強く薦められたLogicoolのM575やL5Sといったトラックボールを試しています。
かなり慣れたうえでの今のところの結論は、Apple純正のマジックマウスの凄さを「一周して」再認識したというものでした。
僕はやっぱり今んところ、やっぱりApple純正のマジックマウスの凄さが一周してやっぱすげえなと。
樋口さんが特に評価するのは慣性スクロールです。マジックマウスには物理的なホイールがありませんが、ホイールに当たる部分を指で弾くと、慣性の法則のようにスクロールが続いていくといいます。楊さんはそのデザインを「新幹線みたい」と表現しています。
左手デバイスについても、樋口さんは物を増やしたくないという理由で使っていません。シンプルで最低限の純正品だけをそろえ、あとは人間の能力で達成する、というのが樋口さんのスタイルです。
メインギターは学生時代から1本だけ
樋口さんの「最低限の道具」へのこだわりは、ギターにも表れています。音楽を作る仕事を10年ほど続け、バンド時代を含めると20年弱音楽に携わってきた中で、本気でメインギターにしたのは1本だけだといいます。
あのFenderのテレソニックっていうギターあるんですけど、これ学生時代に買ってもうメインギター、僕それ一本で来てますね。なんかもう刀みたいな感じで。
ギターには、ジャキジャキとキレのある音、太くパワーのある音など得意な音があり、曲によって使い分けるのが一般的です。それでも樋口さんは、1本でどこまで音を出せるかを、技術やちょっとした設定で追求してきました。
テレソニックを選んだのは汎用性の高さも理由です。テレキャスほどジャキジャキした音も、レスポールやポール・リード・スミスほど図太い音も出ませんが、かなり幅広い音が出せるといいます。
アメリカの住居と日本の和室、環境に合わせるか人が合わせるか
樋口さんは、自分の道具観を住居のたとえで説明します。アメリカの住居はキッチンはキッチン、寝室は寝室と、用途ごとに完璧な空間が用意されています。一方、日本の和室は障子で区切られた1つの空間を、応接にも遊び場にも寝室にも使います。
用途ごとに完璧な環境を用意し、環境のほうが人に合わせる
環境は最低限にして、工夫によって人がTPOに合わせていく
樋口さんは自分を環境は最低限にして人間が合わせていく日本的な思想の側だと位置づけます。だからソフトウェアは大好きでも、ハードウェアは極力最低限にしたいといいます。
この一個のパソコンというものの中で、ソフトウェアで中でくちゃくちゃっていじるだけで、ものすごく魔法のようなことが起こるじゃないですか。
楊さんが、固定したハードからどれだけ引き出せるかという「挑戦」なのかと問うと、樋口さんは「挑戦かもしれないですね」と応じます。ただし実際には、テレソニックで出ない音のためにレスポールを買うなど、はみ出すこともあったと認めています。
寿司職人の包丁、箸、中華鍋に通じる「1つで何でもこなす」美学
楊さんは樋口さんの姿勢を、寿司職人にたとえます。包丁1本でどれだけの世界を作り出せるか、という生き方に近いというわけです。
面白いですね。なんか寿司職人みたいですね。包丁一本でどれだけ世界を作り出せるのかっていうね。
樋口さんは「マジそう」と同意し、箸も同じだと続けます。つまむ、切る、すくうを1つでこなせる道具だからです。服も、フォーマルにもカジュアルにも対応できる真ん中の服を1つ決めておくといいます。
料理道具でも、炒め物もスープもできる中華鍋や鍋が好きだと話します。楊さんは、こうした選択に樋口さんの美学と個性をはっきり感じると語っています。
3Dプリンター導入後に芽生えた、単機能の道具へのロマン
ところが最近、樋口さんの道具観に変化が起きています。きっかけは3Dプリンターの導入です。メジャーは測ることしかできない、といった大工道具の単機能ぶりに、ロマンを感じるようになってきたといいます。
1つで多くをこなす汎用的な道具を最低限だけ持ち、人間の工夫で補う
工具や文房具など、1つの機能に限定された道具が工具箱にたくさんあることにも喜びを感じる
楊さんは、この変化をこう読み解きます。3Dプリンターであらゆるものを自由に作れる世の中になっていくからこそ、1つの機能しか果たせないものが、より愛おしく感じられるのではないかというのです。
ネジと歯車への偏愛、そして「社会の歯車になりたい」
樋口さんは、ネジや歯車が愛おしくてたまらないと語ります。ネジはひねられて物を固定する機能だけに特化し、そのために最適な鉄で作られている。さらに皿ネジ、丸ネジ、プラス、マイナス、六角と、場面に応じて使い分けるところもたまらないといいます。
楊さんは、この感覚は職人へのリスペクトに似ていると重ねます。デザインや機能に優れたものがあふれる中で、伝統工芸の曲げ物や能面をひたすら作り続ける職人を「尊い」と感じる気持ちと通じるというのです。
そこに特化した価値を出すためだけに、何て言うんですかね、こう全てがあるみたいな。全ての時間と全ての人生を使うみたいな。
話は歯車に戻ります。樋口さんは、音楽をやっていたころによく見た「社会の歯車になんてなりたくない」という歌詞に、昔から反論したかったといいます。
文房具や工具の話はきりがないため、また追々語ることにして番外編は終わります。ガラスの向こうでベースを弾いていた深井さんに楊さんが「おかえり」と声をかけ、収録は本編へ戻っていきました。
まとめ
道具の話から、2人の人間観や美学が見えてくる回でした。体に合わせて道具を選ぶ楊さんと、純正と最低限の道具に人間が合わせる樋口さん。その樋口さんも、3Dプリンターを機に単機能の道具へのロマンに目覚めつつあります。
- 楊さんは姿勢の窮屈さを解消するために分割キーボードを選び、体を自由に動かせる点を評価している
- 樋口さんは販売終了になりにくく長く同じものを使えるという理由で、Apple純正品を使い続けている
- 「使いづらい」の多くは慣れの問題と考え、まずメーカー標準に飛び込んでから足りない部分を補うのが樋口さんの姿勢
- ギター1本や和室のように、最低限の環境を人間の工夫で使いこなす日本的な効率観が樋口さんの根っこにある
- あらゆるものを作れる時代だからこそ、ネジや歯車のような単機能の道具が愛おしくなるという視点が語られた




