五賢帝は「養子で選び抜いた」のではなく、ただ息子がいなかった?
帝政ローマ編の最終回は、五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウスが亡くなった直後から始まります。ここからローマは混乱期に入っていきます。
深井さんは、18世紀の思想家モンテスキューの言葉を紹介します。モンテスキュー ── 『法の精神』で三権分立を説いた18世紀フランスの思想家。ローマ史についての著作も残している。
ネルワの英知、トラヤヌスの栄光、ハドリアヌスの勇気、そして両アントニヌスの美徳は兵士たちに自尊心を与えた。
しかし、新しい怪物どもが彼らに代わって登場した時、軍事政権の弊害はその極端にまで及んだ。そして、帝国を売り物にした兵士たちは、皇帝たちを暗殺して、その後の帝権に新しい値段をつけた。
この「新しい怪物ども」は、この後の皇帝たちを指すとも、マルクスのすぐ次に出てくるコンモドゥスを含むとも解釈できます。
ここで深井さんは、五賢帝についての通説に疑問を投げかけます。実力ある人物を養子に選び抜いた、という見方です。
しかし実際には、マルクス以外の4人には実子がいませんでした。深井さんは、たまたま本当に運が良かっただけで、それで5人連続で続いたとも言えると話します。
4人の賢帝が自分の実の息子を抑えてまで有能な人物をわざわざ養子にして後継者として指名したっていう見方は当たらない。
つまり、養子皇帝制という制度に則ってきたのにマルクスがそれを破った、という語られ方は正確ではなく、単純に息子がいた人といなかった人で分岐しているだけだ、というわけです。
期待の跡継ぎコンモドゥスは、なぜここまで壊れたのか
マルクスはこの実子コンモドゥスに大きく期待していました。実子がいる状態自体が1世紀ぶりのことでした。しかもコンモドゥスは、スタイル抜群で金髪巻き毛のハンサムだったといいます。
ところが、このコンモドゥスがめちゃくちゃな愚帝でした。マルクスが亡くなったとき、コンモドゥスは18歳。帝位に就くとすぐ、賠償金を払ってゲルマニア戦線から撤退していきます。
樋口さんは、撤退策の妥当性を指摘する文献もあると補足します。莫大な軍事費を回避する目的があったとされ、伝染病で疲弊していたローマがこれ以上辺境に軍事費を注ぐメリットは少ない、という見方です。ただし、コンモドゥスがそこまで戦略的に考えていたかは不明で、おそらくしていなかっただろう、と二人はみています。
この人のこの後のアクションと認知を見てると、ここだけローマのことを考えて動く方が不自然だなって思う。
ただ帰りたかった。
コンモドゥスはひいきの側近に政治の実権を委ねます。実権を握ったのは解放奴隷出身の侍従サオテルスで、周囲が怒りを覚えるほどだったといいます。
その後、怠惰で放埒な性格が次々にあらわになっていきます。元老院に敵意を示し、気に入った人間を贔屓にし、マルクスに仕えた忠実な部下を口実を設けて処刑しました。
宮殿では300人の美女と300人の美男を侍らせ、歓楽街を夜明けまで徘徊して酒を浴びるように飲んでいたとされます。父マルクスとの落差はあまりに大きいものでした。
さらに親衛隊を手なずけるため給料を大幅に増額し、国庫が逼迫します。すると気に食わない有力者を処刑して財産を没収する、という悪循環に入っていきます。
これもうなんかデジャブっていうくらい見てきたやつやね、これ。やってはいけないことを全部やってる。
闘技場での暗殺はなぜ失敗したのか
やがて暗殺の陰謀が起こります。未遂に終わりましたが、この陰謀の首謀者は姉のルキナでした。コンモドゥスは家族に暗殺されかけたのです。
深井さんは、父があれほど立派で息子がこうなったときの姉の気持ちを思えば、わからなくもないと語ります。
樋口さんによれば、姉は愚かな弟を暗殺した後、実力者である自分の夫を即位させる意図があったのではないかと言われています。ただ、この計画は失敗します。
実際に暗殺を任されたのは、クインティアヌスという若い元老院議員でした。彼はマントの下に短剣を忍ばせ、闘技場の入り口で皇帝を待ち構えていました。
皇帝が到着すると、彼は前に躍り出て剣を取り出します。ところがここで、彼は勝利の雄叫びを上げてしまいました。
思い知れ、これが元老院からお前への贈り物だっつって叫んだ。
この一呼吸の間に衛兵に取り押さえられ、暗殺は失敗しました。刺す前に叫んでしまったのが命取りでした。
刺した後に行けばよかったのに、刺す前に思い知れとか言うから、その間にわってこうみんなに見られて取り押さえられた。
共犯者は徹底的に処罰され、姉のルキナも追放されて殺されます。実の姉に命を狙われたことが、コンモドゥスに与えた衝撃は大きなものでした。
名前を変え、障害者を殴り殺す。エゴを処理できない皇帝の末路
この後もコンモドゥスは再三命を狙われ、やがて精神に変調をきたしていきます。誇大妄想もひどくなり、ローマを「コロニア・コンモディアナ(コンモドゥスの植民地)」に改名したといいます。
これはかつてネロが自分の名を街に付けようとしたのと同じ振る舞いでした。深井さんは、地位の高い人がエゴを処理できないことの厄介さを指摘します。
名前を変えても、本人のエゴが本当に満たされるわけではなく、むしろ軽蔑されるだけです。ネロが巨大なブロンズ像を作っても軽蔑されただけだったように、その意味のなさがわからないことに、深井さんは悲しみを感じると語ります。
エゴをコントロールするためにストア派哲学があるんだけどね。
やがてコンモドゥスは、ギリシャ最強の英雄ヘラクレスを守護神として崇拝し、その化身を気取り始めます。そして剣闘士の姿で自ら闘技場に登場するようになりました。
深井さんは、これを現代にたとえます。
これはまあ総理大臣がブレイキングダウン出てるみたいなもんなんでね。
民衆は当然、大丈夫なのかと不安を抱きながらも見にいったといいます。皇帝と戦えば負けても勝っても命が危ういため、誰も倒せません。
さらにコンモドゥスは、ヘラクレスが足から下が蛇の巨人族と戦った神話になぞらえ、病気や怪我で足を失った人を集め、膝から下に作り物の蛇を付けてこん棒で殴り殺す遊びをしたと伝えられます。
人権がないってこういうことだよね、ほんとね。
父マルクスが「憎まれても相手を憎んではいけない」と自分を律していたのに対し、息子は障害を持つ人を集めて殴り殺していました。二人の落差はあまりに激しいものでした。
皇帝の座が競売にかけられる、軍人皇帝時代へ
こうした行いの果てに、ある大晦日、側室と侍従、親衛隊隊長らが共謀してコンモドゥスを殺害します。民衆も像を破壊し遺体を陵辱しろと叫ぶほど、彼は嫌われていました。
この後、数ヶ月の間に4人が皇帝を名乗り、ウェスパシアヌス以来120年ぶりに内乱へ突入します。この間、親衛隊により多くの手当を弾んだ者が支持されるという、皇帝の位が競売にかけられる事態が起こりました。これがモンテスキューの言う「値段をつけた」の意味です。
抗争の末、193年に皇帝の座に上り詰めたのがセプティミウス・セウェルスです。深井さんは、この時代のローマは肌の色で差別しなかったと補足し、彼が褐色だったという説にも触れます。
深井さんは、混乱の背景に構造的な問題があると整理します。版図が広がったことで、難しい問題や軍事的衝突は辺境の属州で起こるようになりました。すると皇帝がローマにいない事態が増えていきます。
皇帝がローマから離れると、もともと機能を失っていた元老院は、権威までも失っていきます。つまり、版図を広げることができた結果、元老院が骨抜きになっていったのです。
権力の中心は軍隊へと移っていきます。軍人が自分の指揮官を皇帝に選ぶ流れが強まり、あらゆる人が皇帝を自称する軍人皇帝時代へと突入していきました。
すごいよね。中国でいうと五胡十六国の乱みたいな。
樋口さんは、権威を与える存在がなくなった結果、誰が権威かという争いから始まるのだと整理します。深井さんは、ローマ共和制がこの広大な版図を治めるのに適していないことが、外的要因によって確定していったと語ります。
版図の拡大
難しい問題や軍事衝突が辺境の属州で起こるようになる
皇帝の不在
前線が激しくなり、皇帝がローマを離れる事態が増える
元老院の形骸化
権威も機能も失い、権力の中心が軍隊へ移る
軍人皇帝時代
軍人が指揮官を皇帝に選び、あらゆる人が皇帝を自称する
帝政という「属人的な形」が抱えていた爆弾
深井さんは、より大きな視点でローマの歴史を振り返ります。内乱の1世紀を経て、グラックス兄弟からアウグストゥスまでの模索の末に生まれた新しい形は、極めて属人的な帝政でした。
帝政は、皇帝がスーパーマンなら何とかなるものの、普通の人間ならカリグラのようになってしまう制度でした。そんな中でも五賢帝という、運良く5回連続で良い皇帝が出てくる時代があったのです。
帝政という形態を共和制から移行して、属人的に移り変わったことによって版図を広げ、強くなったローマは、版図を広げたことによってローマ性を失っていく。
深井さんは、ローマがローマたる所以とは何だったのかと問いかけます。水道橋やテルマエといったハードは残りますが、元老院というローマの中核は完全に形骸化していきました。
後のヨーロッパ人はローマの街を自分のルーツだと語りますが、人種的にも隔絶し、ラテン語を話しているわけでもありません。深井さんは、国とは何なのかという初期の問いに立ち返ります。
その時代時代の人たちのニーズであったりとか、自分たちのアイデンティティをどのように考えるかというニーズによって自分たちで決めていくっていうことをやってるだけ。
深井さんは、人間はストーリー理解の動物であり、どのストーリーを使うかという話でしかない、と語ります。EUでもローマをルーツとする言説がまた出てきていることに触れ、繰り返すものだと感じる、と話しました。
兵士優遇と市民権拡大。息切れするローマ帝国
話はセプティミウス・セウェルスに戻ります。彼はこの流れの中で、兵士の優遇を非常に重視しました。給与を増額し、あらゆるボーナスを渡し、兵役中の結婚も容認しました。
なぜなら、兵士が推した人が皇帝になってしまうため、兵士からよく思われないと皇帝の座に居続けられないからです。同時に異民族との戦いも恒常化し、軍事費の負担が重くのしかかっていきます。
セプティミウス・セウェルスは死に際、2人の息子に言葉を残したと伝えられています。
心を合わせよ、兵を戸閉めよ、他は気にするな。
つまり、2人が力を合わせて兵士を優遇すること以外に重要なことはない、という遺言でした。ここから国としての体裁が留まらなくなってきたといえます。
次の皇帝カラカラは、アントニヌスの勅令を出し、ローマ帝国域内のすべての自由民はローマ市民であると宣言しました。これは大きな変革でしたが、人権的な観念からではなく、シンプルに徴税対象を増やしたかったためだと言われています。
樋口さんが奴隷も含まれるのかと尋ねると、深井さんは奴隷は入らず、あくまで自由民に向けたものだと答えます。税収を増やさないと軍事費の増加に追いつかないほど、ゲルマン人の脅威が強まっていたのです。
深井さんは、これを現代のアメリカと重ねます。世界の覇権国になったことで軍事費が増大し、どこかで息切れが来る、という構図です。
領土を拡大しすぎて、軍事費がでかくなりすぎて賄えなくなったという息切れが来た。
この後に来る軍人皇帝時代の規模を、深井さんは数字で示します。
樋口さんは、これは国の体を成しているのかという問いだと述べます。深井さんは、この時は各地域が自治しているだけだったのだろうと答えます。
その後、本格的なゲルマン民族大移動が起こり、ローマ帝国はディオクレティアヌス帝の頃に東西へ分裂します。西ローマ帝国は民族大移動の余波で早く滅び、東ローマ帝国は長く残った末に、オスマン・トルコ帝国のメフメト2世に滅ぼされました。
平和とは何か。跡継ぎ問題とバランス感覚から歴史を学ぶ
ここからは、シリーズ全体を振り返るエンディングです。深井さんは、このローマの歴史から学べたことの一つとして、平和とは何かを考えられた点を挙げます。
その戦闘状態がないことを平和と呼ぶのか、その間に次の戦争の状態を作ってしまってるということはあり得るんだけれども、それって平和なんだっけ?
樋口さんは、部屋の中に爆発するガスが充填しているけれど燃えていない状態を平和と呼んでいる可能性もある、とたとえます。深井さんは、自分の代だけいいっていう感覚を捨てないといけないと語り、平和にはもっと長い時間軸が必要だと話します。
深井さんは、戦闘状態がなければいいわけではなく、恒常的に平和にするにはどういう状態が必要かを、諦めずに考えることが大切だと述べます。そして、ここで諦めるリアリストは本物ではないと語ります。
今まで何度も繰り返した失敗をもう一回絶対に繰り返すと限らないから、むしろ何度も失敗を繰り返したからこそ改善できるんじゃない?って思うか、思う以外やることないよね。
もう一つの学びは、跡継ぎ問題です。立派なマルクスから愚かなコンモドゥスが生まれたことから、深井さんは跡継ぎには気をつけろと感じたといいます。
その上で、ローマほど属人的にしてはいけないと語り、徳川家康を対比に挙げます。江戸幕府は、あまり賢くないと言われた将軍が出ても総崩れしませんでした。一人に継ぐのではなく、チームで継ぐ仕組みだったからです。
三つ目の学びは、バランス感覚です。深井さんは、いい皇帝の次にダメな皇帝が出がちな一方、ダメな皇帝の次にダメな皇帝は続かない点に注目します。
バランスを取るっていう能力のために最も重要なのは、バランス取れてないやつを見ることなんだと思うんだよね。
樋口さんは、人の振り見て我が振り直すが一番の勉強になると応じます。バランスが取れている人を見ても、本人は当たり前のようにやっているため、何をしているのか周りには見えにくいのです。だからこそ、ネロのような反面教師には大きな意味があります。
歴史を「線」で見る。似ている点と違う点を同時に見る
樋口さんは、歴史の勉強の仕方そのものに話を広げます。ネロやカリグラは単体だとキャラが濃く、面白かった、で終わりがちだと指摘します。
学びと成すにはやはり時間軸を取る、長く取る、最初から最後までひとつながりのシリーズとして一回全部受け取るっていうのが大事なのかな。
ネロだけでシリーズを作ることもできますが、それでは学びが制限されてしまいます。マルクス・アウレリウスもネロもアウグストゥスもいる中で相互比較してこそ、より深い学びが得られる、というわけです。
深井さんは、この「線で見る」姿勢を、似ている点と違う点を同時に見ることへと展開します。歴史を勉強すると、似ている点だけを見る人が多いといいます。
違う点を見ないと意味がないんですよね。似てる点だけ抽出したらどうにでもストーリー作れるから。
深井さんは、現代の価値観で過去を裁くことの意味のなさにも触れます。現代の基準ならマルクス以外の五賢帝もアウグストゥスもアウトになってしまい、それでは何も学べません。本人が置かれた環境や背景情報を理解した上で考察することが重要だと語ります。
樋口さんは、昔の話だからこそ、今の自分と距離を置いて俯瞰的に見られる、というメリットを挙げます。時代も場所も離れているからこそ、ある程度の距離を保って相対的に比べられるのです。
メリットが同時にリスクになる。「空」としての歴史
樖口さんは、シリーズを通して最も面白かった点として、メリットとリスクが表裏一体である構造を挙げます。アウグストゥスが権力を自分に集めたことでバランスを利かせ立て直せた一方、その帝政には、ダメな皇帝が出たときの爆弾が最初から抱え込まれていました。
いい時はめちゃくちゃいいが、悪い時はめちゃくちゃ悪い。深井さんはこれを「ボラティリティ」と表現します。良くするための特徴が、同時にリスクを帯びているのです。版図を広げたことも、繁栄であると同時に崩壊の原因になっていました。
深井さんは、これを仏教の「空」という概念で説明します。単体で素晴らしい出来事はありえず、物事は関係性の中でしか出現しない、というわけです。
跡継ぎが器でないときにどうするか、という問いにも、深井さんはローマの中には解がないが世界史上には存在すると答えます。息子がどうであれ何とかした事例、たとえば徳川家康です。
チームごと新しい体制を作るってことです。一人に継ぐんじゃなくて、チームに継ぐっていう概念でチームに継がせていく。
チーム単位でパフォーマンスを担保するやり方が、最もボラティリティが少ないといいます。その際に重要なのは、トップと見なせる人間が調子に乗らないことです。支えられているなと言いながら支えさせてあげる。その謙虚さこそが帝王学だ、と深井さんは締めくくります。
まとめ
五賢帝の黄金期は、選び抜かれた制度の成果というより、実子の有無という運の産物でもありました。跡継ぎコンモドゥスの愚行から皇帝の座が競売にかけられる軍人皇帝時代へと転落する過程は、属人的な帝政が抱えていた爆弾があらわになる歴史でもあります。二人は最後に、平和とは何か、跡継ぎをどう継ぐか、そして歴史をどう学ぶかへと話を広げました。
- 五賢帝が続いたのは、養子で選び抜いたからというより、マルクス以外に実子がいなかったという分岐によるところが大きい
- 版図の拡大が辺境での問題を増やし、皇帝の不在と元老院の形骸化を招いて軍人皇帝時代につながった
- 戦闘状態がないだけでは平和とは言えず、自分の代だけよければいいという感覚を捨て、長い時間軸で考える必要がある
- バランス感覚は、バランスの取れた人ではなく、取れていない反面教師を見ることで学べる
- メリットとリスクは表裏一体であり、跡継ぎは一人ではなくチームで継ぐことでボラティリティを抑えられる






