怨霊と天皇を書いたのは明治天皇の玄孫だった
今回のテーマは「読むと後悔する怖い本」。しゅうへいさんが選んだのは、竹田恒泰さんの『怨霊になった天皇』です。
怨霊と天皇という組み合わせは、ふだんセットで見ることがほとんどありません。片方はホラー、片方は歴史というイメージだからです。
著者の竹田さんは、旧皇族竹田家 ── 明治期に皇族から分かれた家系のひとつ。竹田恒泰さんはその出身で、作家・コメンテーターとして活動している。に生まれた作家で、明治天皇の玄孫にあたります。ホラーを書きたかったわけではなく、表の歴史書では書ききれなかった、いわば敗者の歴史としてこの本を書いたといいます。
怨霊と天皇でセットで見ることって全然ないと思いますけど、そんな一冊を持ってきました。
しゅうへいさん自身、読んだらちょっと後悔するレベルの内容だと繰り返し話しています。
そもそも怨霊とは何か、憤死から生まれる存在
まず前提として、しゅうへいさんが挙げたのは「天皇と怨霊はワンセットである」という見立てです。天皇の歴史を真面目にまとめてきた人が、史実を並べたうえで怨霊は皇室とセットだと述べている点が特徴だといいます。
その背景には、朝廷での権力争いがあります。勝った側が天皇となり歴史に残り、負けた側は無実の罪を着せられて島流しになることが多かったと説明されます。
悔しさを抱えたまま死ぬと。その負けた側が怨霊になるというようなロジックなんですよ。
ここで鍵になるのが「憤死」という言葉です。憤慨して、いわばブチ切れて死ぬことを指します。
番組では笑いながら「憤死しそうなこと」を出し合いますが、しゅうへいさんは、これは実際に歴史上あり得た話だと引き戻します。
1975年には、イギリスのアレックスミッチェルさんがテレビのコメディーで笑いが止まらなくなり、30分笑い続けた末に心不全で亡くなった例があると紹介されます。笑って死ぬことがあるなら、怒って死ぬこともある、という理屈です。
さらにしゅうへいさんは、日本には怨霊が生まれやすい独特の歴史観があると指摘します。海外では自分の不甲斐なさで憤死する例が中心なのに対し、日本は無念の死が怨霊につながりやすいというのです。
その起源として挙げられたのが、イザナギ・イザナミ ── 日本神話の男女の神。死んだイザナミを追って黄泉の国へ行ったイザナギが、「見るな」という約束を破って見てしまい、追いかけられる話が古事記に描かれる。の神話です。裏切られた側が追いかけ、怨霊のようになる構図が、古事記の時代から日本にあるといいます。
学問の神様・菅原道真も怨霊だった
2つ目のポイントは、身近な存在に潜む怨霊です。三大怨霊として挙げられたのは、平将門、菅原道真、崇徳天皇の3人でした。
なかでも菅原道真は、天満宮で受験や学業のお参りをする相手として知られます。つまり私たちは怨霊にお願いに行っているのではないか、としゅうへいさんは投げかけます。
道真は非常に頭が良く、どんどん昇進した結果、嫉妬されて謀反の疑いという無実の罪を着せられました。それを信じた醍醐天皇は道真を太宰府に左遷し、道真は無実を晴らせないまま亡くなります。これがまさに憤死だと説明されます。
道真が亡くなったのは903年。その後、道真を陥れた張本人とされる藤原時平が909年に病死します。
さらに930年には清涼殿落雷事件が起こります。本来ありえない場所に雷が落ち、謀反に関係した人々が黒焦げになって亡くなったと語られます。
それを目の前で見た醍醐天皇も体調を崩し、同じ年に亡くなります。ここで朝廷は方針を変えました。
怨霊を味方につけた方がいいよねって言って、京都の北野に社殿を建てて道真公を神として祀ったんです。
つまり朝廷は道真の怨霊を認め、国として謝るように祀りました。こうして道真は学問の神様となり、全国で天神様として祀られるようになったといいます。
生まれた瞬間から詰んでいた崇徳天皇
そして史上最強の怨霊とされるのが崇徳天皇です。道真の恨みが自分を陥れた人へ向かったのに対し、崇徳天皇の恨みは日本という国全体に向かった点が決定的に違うと語られます。
その悲劇は生まれた瞬間から始まっていました。表向きは鳥羽天皇の子として生まれますが、実際は鳥羽天皇の祖父・白河天皇の子ではないかと噂されていたのです。
番組では、サザエさんやちびまる子ちゃんにたとえて、複雑な血縁関係を整理しようとします。要するに、自分の子のはずが祖父の子であるために、鳥羽天皇にとって崇徳天皇は叔父にあたる立場になってしまうという状況です。
そのため鳥羽天皇は崇徳天皇を「叔父子」と呼び、自分の子だと思っていませんでした。崇徳天皇自身は何も悪くないのに、生まれながらに親から疎まれる境遇に置かれます。
崇徳天皇は5歳で天皇になりますが実権はなく、22歳で退位させられます。しかも次を自分の息子ではなく弟に譲るよう定められ、上皇として実権を握る道も断たれました。
その後、保元の乱 ── 1156年に起きた朝廷内の争い。崇徳上皇と後白河天皇の対立などが背景にあり、この後、武士が政治の中心へ進んでいく転機となった。で崇徳天皇と弟の後白河天皇が戦い、崇徳天皇は敗れます。そして今の香川県坂出あたりへ流されました。
舌を噛み切って書いた国への呪い
流刑の重さは、現代の移住のイメージとはまったく違うとしゅうへいさんは強調します。道中で何が起きても責任を取らない、殺されてもおかしくないという意味を持っていたからです。
付き添いはわずか3人、船は外から鍵をかけられ景色も見られず、亡き父の墓への最後の挨拶も許されないまま、崇徳天皇は泣きながら香川へ流されました。
それでも流された先で、崇徳天皇は3年ほど比較的穏やかに過ごします。恨みを晴らすためではなく、写経を始めたのです。
取り組んだのは五部大乗経 ── 複数の重要な仏典をまとめたもの。崇徳天皇はこれを自らの血で、1文字ずつ書き写したと語られる。でした。自らの血を使い、3年がかりで書き上げたといいます。
崇徳天皇はこの写経を、後を継ぐ人たちのためにと都へ送ります。しかし後白河側は、何が書かれているかわからないと恐れ、受け取りを拒否しました。
ここで崇徳天皇はブチ切れます。国を思って作ったものすら受け取られないのかと、自ら舌を噛み切り、その血で写経に呪いの言葉を書きつけたのです。
日本一の魔物になって天皇を庶民に落とし、庶民を天皇にしてやる。これはもう国の仕組みそのものをひっくり返す宣言なんですよね。
崇徳天皇はそのお経を海に沈め、以降は髪や爪を伸ばし続け、生きながら天狗の姿になったと伝わります。天狗は怨霊を指すため、生きながら怨霊になったとされます。そして1164年、46歳で崩御しました。
呪いは当たっていた?700年続いた武士の時代
この呪いが恐ろしいのは、その後の歴史と重なる点だと語られます。保元の乱の後に武士の時代が始まり、天皇は政治の実権を失ったまま約700年が過ぎました。
だから当時の人からしたら呪いが当たってるんですよ。これが崇徳天皇の呪いだ、と。
さらに、崇徳天皇の式年祭 ── 一定の年ごとに行われる、故人をまつる儀式。崇徳天皇の場合、50年ごとの節目にあたる時期に大事件が起きたと語られる。の前後には、日本で大事件が続いたといいます。
1964年は東京オリンピックの年でもありました。地元の人はその火事を、ごく自然に「崇徳さんだ」と受け止めたそうです。
なぜ被害は小さく済んだのか、孝明天皇の謝罪
著者は、1964年の火事がこの程度で済んだのはむしろすごいことだと述べていると紹介されます。もっと大きな災いが起きてもおかしくなかったという見立てです。
その理由として挙げられたのが、1868年頃、孝明天皇 ── 幕末の天皇。明治天皇の父にあたる。崇徳天皇の霊をなだめるため、白峯神宮の造営などが進められたと語られる。による謝罪です。700年ぶりに、国を挙げて崇徳天皇に謝ったといいます。
白峯神宮の造営が始まり、崇徳天皇を讃岐から都へ帰ってもらうように、まるで生きている人を運ぶかのように、多くのお金と時間がかけられました。
そして謝罪の後、孝明天皇は急に崩御します。著者は、孝明天皇は自分が呪いを受けてでも謝り、崇徳天皇を味方につけなければ日本は終わってしまうとわかっていたのではないか、と読み解いていると語られます。
その鎮魂があったからこそ、明治以降の日本は大戦を経ながらも続き、1964年の災いも火事で済んだのではないか、という流れです。
しゅうへいさんは、怨霊を生むのは死者ではなく、貶めた生きている側の感覚だと指摘します。だからこそ天変地異が起きると怨霊のせいだと思い、生きている側が謝る、という構図が繰り返されてきたといいます。
先祖供養と、身近な場所に隠れた敗者の歴史
話は、日本人が大切にしてきた先祖供養やお盆へと広がります。自分の存在は数多くの先祖のうえに成り立っており、亡くなった人を思うことは日本の良さかもしれない、としゅうへいさんは話します。
ちなみに崇徳天皇を祀る白峯神宮は、今ではサッカーの神様として知られ、子どもたちが上達を願って訪れるといいます。その背景に崇徳天皇がいることも覚えておくとよい、と紹介されました。
しゅうへいさんがこの本にたどり着いたのは、好きだという都市伝説系のYouTubeで竹田さんを見たことがきっかけでした。ふだんは神話や民俗学から入るタイプですが、今回は都市伝説から入った点が自分らしくないと振り返ります。
幸あれこさんは、単なる都市伝説ではなく史実と紐づいている点に驚いたと話します。教科書には載らないこうした背景を知ることで、歴史への興味が改めて湧くという感想でした。
最後に2人は、恨まれるようなことをせず、悪いことをしたら謝る大切さを確認します。どっちみち返ってくる、まさに因果応報だという言葉で締めくくられました。
まとめ
今回は竹田恒泰さんの『怨霊になった天皇』をもとに、天皇と怨霊が結びついてきた日本の歴史をたどりました。崇徳天皇を軸に、怨霊を消すのではなく謝って味方につけてきた独特のあり方が語られました。
- 著者は明治天皇の玄孫で、表の歴史書で書ききれなかった敗者の歴史としてこの本を書いた
- 三大怨霊は平将門・菅原道真・崇徳天皇で、いずれも無念の死や憤死が背景にある
- 崇徳天皇は生まれからの境遇と流刑を経て、舌を噛み切った血で国への呪いを書いたと伝わる
- 式年祭の前後に大事件が続き、孝明天皇の謝罪と鎮魂が日本を守ったと著者は読み解く
- 怨霊を生むのは生きている側で、謝ることや先祖供養の大切さに話は着地した






