「福の神って何?」から始まる自己紹介
番組は、安藤さんによるいつものオープニングナレーションから始まります。ただ、声のトーンがなかなか決まらず、何度か録り直すやり取りが続きます。
あの音楽は偶然じゃなかった。その音楽はなぜその時代に生まれなければならなかったのか。
ナレーションが決まると、3人が改めて自己紹介をします。話の途中で、福の神さん自身が「福の神って何だろう」と役割を問い直す場面もありました。
福の神って何だろうねと思う。
音楽を知らない人と知ってる人の場をつなげる、仲人的な立ち回りをさせていただきます。
音楽に詳しくない加藤さんと、詳しい安藤さん・福の神さんの間をつなぐ立ち位置として、この回も進んでいきます。
そもそも70年代のロックに何が起きていたのか
前回は70年代まで進めたものの、流れを説明しきれなかった部分があったとして、福の神さんが改めて70年代を深掘りします。まず出てくるのは、ビートルズの解散です。
1970年にビートルズが解散し、一度は「ロックは死んだ」と言われたというのが、この時代の出発点でした。
ところが、その「死んだ」とされたロックは、むしろよりハードな方向へと姿を変えていきます。それがハードロックです。
多分日本人が一般的に今ロックと言って思い浮かぶのは多分ハードロック。
シャウトするボーカルと、歪んだエレキギターの音。エアロスミスやレッドツェッペリン、ディープパープル、ブラックサバスといったバンドが挙げられます。福の神さんによれば、その源流には音量をもっと上げさせてくれというスタンスのバンドがいたと言います。
安藤さんは、この変化を「音がより歪んで、言ってみればよりかっこいい音になっていくイメージ」と表現します。ロックは若者の反逆を、よりドラマチックに表現する方向へ進んでいきました。
ロックが巨大ビジネスになっていく
70年代には、音楽そのものだけでなく、その売られ方も大きく変わります。それまでライブハウスやクラブで演奏していたバンドが、サッカースタジアムなどの大会場でライブをするようになりました。
スタジアムでライブをさせるようにプロモーターと呼ばれる人たちが出てきて、そうやって売っていく手法になっていく。
万人規模の会場を埋め、大きな金額を稼ぐ。ロックは資本主義の波にがっつり飲まれていった時代でもありました。
その流れの中で、ロックはいくつかの方向に枝分かれしていきます。一つはハードロック、もう一つはプログレでした。
レコードの再生時間が長くなったことで、1曲が20分を超えるような曲も現れます。福の神さんは、ピンクフロイドを例に挙げます。
アルバムで売った方が高単価なんですよ。だから世界観を表現できたものを売った方が、売る側としても利益はある。
アルバム単位で世界観を表現し、それをまとめて売る。作り手にとっても売り手にとっても、そのほうが利益が出やすかったと説明されます。
現実逃避としてのグラムロックと、その反動のパンク
もう一つの流れとして、グラムロックが登場します。「グラマラスロック」の略で、化粧をしたり女装をしたりしながら、タイトなロックンロールを演奏するスタイルです。デヴィッドボウイやTレックスが名前として挙がります。
想像して一番わかりやすいのは初期イエローモンキーだと思ってください。
なぜ現実離れした表現が受け入れられたのか。福の神さんは、その背景に時代の失望があったと語ります。60年代のベトナム戦争やヒッピー文化の中で抱いた理想が、いくらやっても現実を変えられなかったという感覚です。
現実を突きつけられたのが70年代のロックキッズだったような気がしていて。
そこから人々は、現実とはまったく違う世界を見せてくれるものを求め始めます。星からやってきたジギー・スターダストのようなキャラクターを作り、宇宙人が地球で悩むといった作品が生まれました。
しかし、その現実逃避を巨大ビジネスとして肥大化させていく動きに対して、「それはリアリティがない」という反発が生まれます。それが、再びリアルな方向へ戻っていくパンクロックでした。
パンクロックは、複雑化した音楽を極端に単純化しました。コード3つで曲を作るという、当時としては考えられない発想です。
パンクロックは、三つのコードとか音でやるとか、めちゃくちゃ単純化したんですよ。
CDの登場で、音楽は大量に生産できるようになった
ここから話は、いよいよ80年代へと移ります。まず大きかったのは、技術の変化でした。80年代初頭に登場したCDです。
CDによって、まず録音時間が伸びました。レコードは片面20分ほどでひっくり返す必要がありましたが、CDは最大74分まで収録できるようになります。
そして、加藤さんが驚いたのが、スキップの手軽さでした。ボタン一つで次の曲へ飛べる。曲をスキップできること自体が、当時は革命だったのです。
音入ってないところは溝が刻印されてない溝があるんで、そこに置くと次の曲になる。
レコードでは、次の曲に移るために針を落とす位置を目で探す必要がありました。CDはその手間を一気に取り払います。
もう一つ大きかったのが、製造コストの低下です。レコードは塩化ビニールを温めて冷ます必要がありましたが、CDはポリカーボネートのプラスチックで作れるため、量産しやすくなりました。
塩化ビニール製。片面20分ほどでひっくり返す必要があり、曲送りは針を目で探して落とす
ポリカーボネート製で量産しやすい。最大74分収録でき、ボタン一つで曲をスキップできる
この量産性が、後の80年代後半から90年代にかけての、ミリオンセラーと呼ばれる大ヒットにつながっていきます。生産できれば流通でき、さまざまな場所に置けるようになるからです。
MTVが変えた「聴く音楽」から「見る音楽」へ
CDと並んで、80年代の音楽を指数関数的に伸ばしたもう一つの要因が、MTVでした。1981年にスタートしたテレビ局発の番組です。
加藤さんが「Mステみたいな感じ?」と尋ねると、安藤さんは、Mステがライブを流すイメージなのに対し、MTVはPVをどんどん流してくれるものだと説明します。
それまで、曲を出すときにビデオも出すという発想そのものがありませんでした。プロモーションビデオを作る技術も、発想もなかったのです。
楽しむ場所も変わりました。それまで車のラジオで聴いていた音楽が、リビングルームで子どもたちと一緒に「見る」ものになっていきます。
同時に、映える人と映えない人という差が生まれます。爆発的にショービジネス化し、アメリカでは音楽が本格的に資本主義の流れに乗っていきました。
消費者が欲しいものを作ることになる。
スリラーとマイケル・ジャクソン、白人至上主義だったMTV
流れる側の音楽の話に移ります。前回予告されていた「FOOの人」、つまりジャクソン・ファイブのボーカルからソロで出てきたマイケル・ジャクソンが登場します。
MTVは当初、白人のロックアーティストばかりを流していました。そのMTVが一気に飛躍するきっかけになったのが、マイケル・ジャクソンの『スリラー』です。
『スリラー』が画期的だったのは、メイキング映像を作った点でした。それまで裏側は見せないものでしたが、特殊加工でマイケルがゾンビに変わっていく様子と、その制作過程の両方を見せたのです。
作ってるとこで特殊加工でだんだんマイコーが恐ろしいゾンビになっていく虚構の現実を、こう二枚仕立てでやっていった。
音楽が聴くものから見るもの、ショービジネスへと認識が変わっていく。その象徴が『スリラー』でした。福の神さんは、PVがあったからこそ、音楽に触れてこなかった加藤さんでもスリラーを知っているのだと指摘します。
一方で、MTVには当初、黒人アーティストを意図的に流さないという姿勢がありました。しかし、渋々流したマイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』で視聴率が跳ね上がります。
これが転換点となり、白人以外のミュージシャンも流せるようになっていきました。それまでのMTVは、完全な白人至上主義だったと安藤さんは振り返ります。
マドンナ、プリンス、そしてブランド化するスター
MTVがショービジネスとして音楽を見せていく流れの中で、次に登場するのがマドンナです。マドンナは曲ごとにキャラクターを変え、キャラクターそのもので売っていきました。
それまでは音しか聞こえなかったため、映える映えないは関係ありませんでした。メディアが変わったことで、アーティスト自体をブランド化する動きが本格化していきます。
ダンス、そんなバリバリなんか決めに行かなくてもよかった。
続いて名前が挙がるのがプリンスです。福の神さんいわく「すごく小さいおじさん」ですが、グラムロックやファンク、ロックといったあらゆる音楽を融合させた天才として語られます。
そのブランディングの徹底ぶりを示す例が、『パープル・レイン』のジャケットです。ハーレーダビッドソンと一緒に写る予定でしたが、実物のハーレーは大きすぎて、小柄なプリンスが写ると映像が痛々しくなってしまう。そこで、わざと小型のハーレーを作ったといいます。
今みたいに加工できないから、現実的に小さくするしかなくて、わざと小型のハーレーを作ったんですよ。
画像を後から加工できない時代だからこそ、現実の側を作り変えるという発想でした。見せ方のためにここまで手をかけるのが、80年代のスターたちだったのです。
ライブエイドと、80年代という黄金時代
見せる音楽が一つの頂点に達した出来事として、1985年のライブエイドが挙げられます。クイーンの映画のハイライトとしても知られるイベントです。
音楽イベントの大規模化・商業化と、MTVに象徴されるショービジネスがピークに達した象徴でした。スタジアムで同時開催し、世界中に同時放送し、アフリカの難民救済を目的として、当時1億4千万ドルの基金を集めたと語られます。
一方で、このイベントには黒人アーティストがほとんど出演していなかったという批判もあった、と安藤さんは付け加えます。
福の神さんは、80年代を日本のバブルのような時代だったと表現します。世界的にお金をかけ、それを回収するノリがあった。音楽シーンを見てもそう感じられると言います。
めっちゃキラキラしてるイメージ。黄金時代って言われてるんですよね。
音楽と映画が一緒になった80年代のサントラ
この黄金時代のノリは、映画にも及びます。80年代は映画の黄金時代の再来とも言われ、スピルバーグなどが登場し、エンターテインメント全体が一気に花開いた時代でした。
音楽の視点で特徴的だったのが、映画のサウンドトラックです。70年代までの映画音楽はオーケストラによる映画専用の曲が中心でしたが、80年代にはポップミュージックやロックがサントラに使われるようになります。
大衆音楽を映画の中に取り入れ始めたのは俺、80年代だと思ってて。
映画を見た人が、そのサントラのCDを買いに行く。音楽と映画が一緒になって巨大なエンターテインメントを作る時代が始まりました。
具体例として、実際の楽曲・ミュージシャン・映画の内容がすべてセットになった『ブルース・ブラザース』や、福の神さんが繰り返し聴いたという『トップガン』のサントラが挙げられます。メディアミックスに近い形で、音楽と映画が結びついていきました。
次回は、このキラキラした音楽がなぜ生まれたのかという時代背景と、その反対側について語られる予定です。陽があれば陰もある。80年代のもう一つの姿へと話は続きます。
まとめ
この回は、70年代にロックがハードロック、プログレ、グラムロック、そしてパンクへと枝分かれしていく流れを整理したうえで、CDとMTVという二つの変化を軸に、音楽が「聴くもの」から「見るもの」へと変わっていく80年代を辿りました。
- 1970年のビートルズ解散後、ロックはハードロックやプログレへと枝分かれし、スタジアムライブとともに巨大ビジネス化していった
- 巨大化・現実逃避化したロックへの反動として、コード3つで単純化するパンクロックが生まれた
- CDは録音時間を伸ばし、スキップを容易にし、量産を可能にして後のミリオンセラー時代の土台を作った
- 1981年に始まったMTVは、音楽を「聴くもの」から「見るもの」へ変え、スリラーやマドンナ、プリンスといったブランド化されたスターを生んだ
- 80年代は世界的な黄金時代であり、ライブエイドや映画とポップミュージックの融合など、音楽が巨大なエンターテインメントへと拡大した





