なぜ「歌詞さえあれば即興で歌える」ことになったのか
番外編は、休み時間の雑談から始まりました。深井が樋口に「歌ってほしい」と持ちかけたものの、既存の曲には権利の問題があってそのままでは使えません。
いや、でもなんかこう、既存の歌だと著作権に引っかかるんですよね。
そうなんですよ。権利問題がポッドキャストだといろいろある。
そこで出てきたのが、文章さえあれば即興で歌にできる、という提案でした。ちょうど帝政ローマの収録直後だったため、歌詞にはローマ史の史料が使われることになります。
ちょうどね、帝政ローマの収録の直後なので、帝政ローマに関する歌詞の内容になってます。
アントニウスが残したオクタビアヌス評を歌にする
最初のお題は、アントニウスが手紙の中でオクタビアヌスについて語ったとされる言葉です。深井が本編でも触れた一節を持ち出しました。
樋口はまず歌詞を読み上げます。あの男が寝床に伏したまま空を見つめ、アグリッパが敵を叩きのめすまでじっとしていた、という内容でした。
あの男は寝床に伏したまま、ただ空だけを凝視していた。アグリッパが敵を完全に叩きのめすまで、まるで生きていないかのような姿でじっとしていた。
楊は、この言葉がオクタビアヌスをバカにしている評だと補足します。樋口は少し考えたあと、その場でメロディを付けて歌い上げました。
もう何でも。もう文章あったら何でもできます。
アグリッパの引きこもりも、迷いごと歌になる
次に深井が選んだのは、アグリッパがアウグストゥスの冷淡さに猜疑心を募らせ、田舎に引きこもったことがある、という一節でした。
これ歌にした人、多分世界初だと思う。このローマ史を歌にした人。
面白いのは、樋口が歌詞の内容そのものに迷う様子まで歌に溶かしていった点です。「田舎に引きこもったことがあるのかな」という自問すら、そのままメロディに乗りました。
田舎に引きこもったことがあるのかな。でもやっぱ引きこもったことあるんだろうなってなって。
楊は、この即興ぶりにローマ皇帝も驚くだろうと笑います。史料の一節が、迷いも含めてそのまま歌になっていきました。
自省録の一節が「ヴィジュアル系」になる瞬間
楊が送ったのは、マルクスアウレリウスの『自省録』の一節でした。よき人のもとに残るのは、身に降りかかることや与えられた運命を愛し歓迎することだけである、という言葉です。
樋口はこの哲学的な一節を、力強く叫ぶような調子で歌い上げます。深井はその仕上がりを見て、思わずジャンルを問いました。
自省録ってジャンルこれなんだ。
一応そのヴィジュアル系ですよね。
内省的な哲学書が、その場のノリでヴィジュアル系のナンバーに変わっていきました。史料の重みと歌のテンションのギャップが、この企画の面白さになっています。
「私生活の評判は悪かった」で終わる歌
続いて深井が選んだのは、歴史家タキトゥスによるウェスパシアヌスとムキアヌスの人物評でした。ウェスパシアヌスは生まれつきの兵士だが貪欲、ムキアヌスは寛大で雄弁だが私生活の評判は悪かった、という内容です。
深井は、私生活の評判は悪かった、で終わる歌など聞いたことがない、とお題の無茶さを面白がります。歌の後半は、その一言を引き延ばす形で盛り上がりました。
私生活の評判はどうだ?俺の私生活の評判は悪かった。
深井は、ムキアヌスの私生活の評判が悪かったという記述が、2000年後に歌にされたことに感慨を漏らします。史料に残った小さな一言が、思わぬ形で蘇りました。
アウグストゥスの最後の言葉はバラードで
樋口が自ら選んだのは、アウグストゥスの最後の言葉とされる一節でした。人生という喜劇で自分の役を上手に演じた、この芝居が気に入ったら拍手を、という内容です。
この人生という喜劇で、私は自分の役を上手に演じたと思わないか。
一節の終わりでは、妻リヴィアへの別れの言葉が続きます。共に過ごした日々を忘れずに生きてほしい、という語りかけでした。
最後の言葉という内容にふさわしく、樋口はしっとりとしたバラード調で歌い上げます。深井も、締めくくりの一節にはこの曲調が合うと受け止めていました。
バラードですね、やっぱ最後なんで。
無茶ぶりの極致、ゲルマン部族名の歌
最後の題材として深井が選んだのは、ローマと対峙したゲルマン系の部族名を並べた一節でした。マルコマンニ人、コッティニ人、ウビー人と、耳慣れない部族名が延々と続きます。
深井は、その中から自分の好きな部族名だけを選んで残していきます。歌になる部分を選ぶ作業そのものが、この場の遊びになっていました。
もうあの、僕が好きなやつだけ残していいですか。
樋口は、部族名の羅列をどう歌にするのか、無茶ぶりだと戸惑いながらも挑みます。深井は、これが実際に攻めてきたら怖い、と部族名の連なりの迫力に反応していました。
無茶ぶりもいいとこやで。
最終的に樋口は、マルコマンニやブリといった部族名を繰り返しながら、勢いのある一曲に仕上げました。史料の中の固有名詞の羅列が、そのままロックのフレーズに変わっていきます。
まとめ
番外編は、帝政ローマの史料や皇帝の言葉を、樋口が次々に即興の弾き語りへ変えていく遊びの回でした。硬い歴史の一節が、迷いや脱線ごとそのまま歌になっていく過程に、この企画ならではの面白さがあります。
- 権利問題を避けるため、既存曲ではなく史料の文章を歌詞に使う形で企画が始まった
- アントニウスやタキトゥスの人物評、自省録の一節など、多様な史料が即興で歌にされた
- アウグストゥスの最後の言葉はバラード、自省録はヴィジュアル系と、内容に応じて曲調が変わった
- ムキアヌスの私生活の評判が2000年後に歌になるなど、史料の小さな記述が思わぬ形で蘇った
- 締めくくりは、ゲルマン系部族名の羅列を勢いよく歌い上げる無茶ぶりの一曲だった


