テーマが決まらない回を、そのままテーマにする
番組冒頭、木原さんはこの回のテーマが決まっていないことを打ち明けます。ただ、話したいテーマがないわけではないと言います。
今日特にテーマ決まってないからもう終了でいいんじゃない?
そういう終了じゃなくて、テーマ決まってない、悩み倒している僕の話をする会ですね。
木原さんによると、話したいテーマは数多くあるものの、考えるほど「ポッドキャストで喋るとは何なのか」という問いにたどり着いてしまうのだと言います。
考えれば考えるほど、ポッドキャストで喋るって何なんだろうとか、なぜ我々は話してるんだろうみたいなところにたどり着くので、そういう悩みを今日はそれ自体を題材にしたいと思います。
つまりこの回は、テーマ探しそのものを題材にする回として始まります。ボツにした候補を一つずつ挙げていく構成です。
リーダーシップは「神から与えられた」に戻るのか
最初の候補は、これまで扱ってこなかったリーダーシップの話です。小笠原さんは、リーダーシップをスキルや素養として捉えたときの歴史が面白いと応じます。
リーダーっていうのを、まあ特殊性というか特異性だった時から、神から授けられたみたいな時代もあり、でも、いや、行動なんじゃない?ってなり。
小笠原さんは、リーダーシップが「行動」だとされたことで、真似できる、つまり誰でもできるという民主化が起きたと説明します。その結果、サーバントリーダーなど多様なリーダー像が生まれたと言います。
そこまで分解しちゃったから、AIである程度できるじゃんみたいな。
一方で木原さんは、後から学べる研修や自己啓発本が数多くあっても、リーダーはやはり「神から与えられた」ものに近い気がすると話します。
結局ね、神から与えられた、になんかなるような気がするんですけどね、リーダーって。
小笠原さんは、道具やバリューチェーンの進化で小さな行動でも影響が大きくなり、レバレッジが効くようになったから、ちっちゃいチームのリーダーでよくなったと整理します。だからこそ、小さなチームのリーダーは少し学べばある程度できるようになったと言います。
リーダーの素養か、キャラクターか、カリスマか
小笠原さんは木原さんに「リーダーやりたいですか?」と問いかけます。木原さんは、やりたいかどうかというより、これまで自然にリーダーの立場になってきたと答えます。
能力とか素養とか関係なく、キャラクター的にフロントに立つとかリーダーになっているが、自分に素養があるとは思ってない。
小笠原さんは、それは「カリスマ」に行き着くと指摘します。ただし、カリスマが天性のものか、スキルや行動によるものかは別の議論だと補足します。
カリスマこそが、行動によって発生するだったり、相手との関係によって発生するだったり、いろんなこう話が、これも歴史があるわけですよ。
小笠原さんは、カリスマ性を持つ人がリーダーをやるほうがメンバーは気持ちよく働ける時期があると考えていると言います。特に「今これをやらなきゃ」という局面では影響力が大きいと話します。
ここで木原さんは、この話も面白いがこの回のテーマはリーダーシップではないとして、カリスマの話は改めてメモに残すと切り上げます。
頑張りすぎるメンバーの話は、なぜ話しにくいのか
次に木原さんが挙げたのは、メンバーがとても頑張ってくれるが、考えすぎてしまう傾向があるという話題です。頑張ってほしいと思いつつ、頑張らなくてもいい部分もあるのではないか、という悩みです。
頑張ってほしいって言いつつも、頑張らんでいいじゃないですか。
この話題について、小笠原さんは「テーマにしやすい話としづらい話がある」と応じます。ポッドキャスト向きではあるものの、話しにくさもあると二人は認めます。
メンバーって言った時点で、僕には関係するメンバーがもう決まっているので。
つまり、匿名で所属を伏せて話す分には面白いテーマでも、実在するメンバーが特定されうる話は扱いにくい、というのがこの回で繰り返し出てくる「境界」です。木原さんはこの話題もパスします。
ミッドライフクライシスは「クソコンテンツ」か
続いて挙がったのがミッドライフクライシスです。木原さんは、45歳から50歳代に訪れる心理的な不安や葛藤を指す言葉で、この半年ほどよく取り上げられていると説明します。
小笠原さんは当初、ミッドライフを「中流層」の意味かと思ったと話します。実際、金利上昇で住宅ローンの負担が大きく変わる「中流の危機」のほうが深刻ではないかと指摘します。
住宅ローンフラット35固定とか、もう今3点何パーでしょ?2年前の2パー上がってるから、8000万借りてたら3000万ぐらい変わるんじゃない?支払い額。
Geminiで調べた小笠原さんは、役割の喪失や心身の衰えといった要因はずっと昔から一緒だと切り捨てます。「このままでいいのか」という問い自体、常に変わっていこうという当たり前の話ではないかと言います。
「このままでいいのか」って、常に変わっていこうよって話でしょ。何言ってるんですか、これ。
さらに小笠原さんは、乗り越え方を煽って売るようなコンテンツを厳しく評価します。経済の語源に触れながら、その種のコンテンツを断じます。
この話題も、面白おかしく話せるならいつかやってもいいが、一つのテーマとして話しきるのは難しいとして、紹介する程度にとどめられます。
資格・検定はどこまで役に立つのか
最も怖くてテーマにしたくなかったという話題が、生成AIパスポートです。木原さんは、これが実在する資格だと紹介します。この資格そのものというより、こういう時代にはこうした資格が生まれる、という話がテーマになるかを考えたと言います。
ITパスポートがあるからAIパスポートって言っちゃったやつですよね。
ここから小笠原さんは、免許・資格・検定の違いを整理します。運転免許は本来してはいけないことを許すもの、電気工事や弁護士などの資格は何かをやれるようにするものだと説明します。
運転免許のように本来禁じられたことを許したり、電気工事士や弁護士のように特定の行為を可能にしたりする
誰かが権威として認めて採用しない限り、それ自体では役に立たない
他のいわゆる検定系のものは、誰かがそれを権威として認めて採用していかない限りは何の役にも立たないわけですよね。
小笠原さんは、キャリアの文脈で「資格を取ったほうがいい」と言いながら、実際には何の資格にもならない検定を並べているケースを見かけたと語ります。持っていないとできないことがある本当の資格ならよいが、そうでない検定が多いのではないか、という問題提起です。
木原さんも、なんとかデザイン検定のように、その分野で活躍する人がほとんど持っていない検定が数多くあると同意します。二人は、この話は深掘りすると敵を作りやすいとして、この辺でやめておこうと引き返します。
驚き屋とX、そして「雑でいいポッドキャスト」
資格・検定に近い話として、木原さんは「AI驚き屋」を挙げます。小笠原さんは、Xを見なくなった理由がまさにそれだと打ち明けます。
開くとフォロー中の人だけ見たいんやけど、なんかおすすめになってて。並ぶからやだなと思ってフォローの人だけにした時にも、驚きさんがいっぱいいる地獄を見たので見なくなった。
木原さんは、驚き屋のなかにも有用な情報を届ける人はいるが、その選別が難しいと補足します。ちなみに小笠原さんは2007年7月からXを使っており、19年近く同じITサービスを使い続けていることになると話します。
話は「そもそもポッドキャストのテーマを毎回決めるのは難しい」という原点に戻ります。ここで小笠原さんは、ポッドキャストが洗練され、防音室やスタジオでの収録が主流になっていく流れに対して、自分の好みを語ります。
もっと雑でラフで、なんか音もあんま綺麗すぎない方が好きだし。
ただし、雑ならなんでもよいわけではなく、声の大小が混ざっているようなことは避けたいと言います。周囲の音はある程度許容しつつ、雑と面白さは別だと整理します。
雑だけど面白かったりする人もいるじゃん。綺麗に録ってあるから聞いてるかっていうと、ちょっと違いません?
ポッドキャスターを1000人産もう
雑談は、大学を舞台にした構想へと転がっていきます。小笠原さんが持ち出したのは「ポッドキャスターを1000人産もう」というアイデアです。
ポッドキャスターを1000人産もう。
小笠原さんは、通信も含めて2万2000〜2万3000人いる学生のうち、20人に1人がやってくれれば面が取れると言います。そこからポッドキャスト制作の科目を作ろう、という話に発展します。
木原さんは、この構想の最終目的を尋ねます。小笠原さんの答えはシンプルでした。
最終目的は何なんですかそれ。
いや、プロセスを楽しみたい。
さらに小笠原さんは、演習科目としてのポッドキャスト制作を具体的に描きます。ツールの使い方から、音や話の質をどのくらいにするか、どんなテーマを企画構想し、人に聞かせるためにどうアプローチするかまで扱う、という構想です。
ポッドキャストの手間と、マルチユースという考え方
木原さんは、授業にするより有志を募る形もよいのではと言いつつ、一人でポッドキャストをやることの学びの多さを挙げます。収録から編集、配信、そして聞いてもらうためのPRまでを一人でやる一連の流れです。
特に木原さんが強調するのは、単純な音声に見えて裏側の手間が大きいという点です。今回もZoomではなく、それぞれのローカルに保存したデータを後で結合していると説明します。
こんな単純な音だけのはずなのに、じゃあこの音はどこに保存されて、その保存されたものをどうくっつけて編集するのかみたいな裏っ側の手間がめちゃめちゃかかる。
話題は、ケンスーさんが好むという「マルチユース」の考え方に移ります。小笠原さんは、これが自分にとって重要な動機だと言います。
マルチユースの想像使えへんかったら、俺絶対やんないもん。
木原さんも、収録したものをXの投稿に切り出して毎日上げているなど、マルチユースを実践していると話します。小笠原さんは、良いものをたくさん残せばいいという発想を示します。
授業を全部撮って、オープンにする
マルチユースの発想は、ポッドキャストにとどまらず、会議や授業など「音声でコミュニケーションを取っているもの」全般へと広がります。木原さんは、授業がポッドキャスト化されたり、テキストコンテンツになったりする設計を思い描きます。
木原さんは、卒業生の取材でとても良い話を聞いても、テキスト記事だけに収まってしまうもったいなさを例に挙げます。設計の甘さを、自分自身も含めて認めます。
小笠原さんは、ほぼ全教室にマイクとアンプがある前提で、そこに挿すだけの機械をセットし、守られたストレージに保存する仕組みを提案します。そのうえで踏み込んだ方針を示します。
授業を全部撮ろう。それ前提に、授業をみんなにしてもらおう。
同時に小笠原さんは、対面でその場でしか言えないことがある場合に備え、オフレコにできる仕組みも必要だと補足します。意図があって切るのはよいが、好き勝手に喋りたいだけで撮影を拒むのは違う、という線引きです。
学びを制限せず、学位とは切り分ける
話の着地点は、オープンエデュケーションのあり方です。木原さんは、Zoomで喋るだけがオープン化ではなく、授業を録画してショート動画やノート記事など異なる形に展開できると整理します。
小笠原さんが特に強調したのは、オープンにした教材を見聞きしただけでは単位にはならない、という点です。学ぶことを制限したいわけではないので、学ぶ分にはどうぞという立場です。
学位がいるならね、入ればいいだけの話で。別に学位とか関係なく学びたい人に学びを提供するって、公益性を持った法人としてはやるべきこと。
小笠原さんは、施設利用や学位取得といった教育サービスに納得感があれば入学してくれる人と、外で少し学びたい人と、どちらも大学の関係人口として見ていけばよいと話します。テーマ探しの雑談は、最終的に学びの話へと着地しました。
人の相性は、状況次第
最後に木原さんは、台本の下のほうに書いてあった「人の相性」の話に触れます。ただ、これも良くないテーマかもしれないと言いつつ、小笠原さんとの相性の話になります。
相性がいいか悪いかってどう言ったらいいんかな。めっちゃいいすよ、と必ずしも言えない時もあるじゃないですか。だってそれ、仕事働いてたら絶対そうなるじゃんって思う。
状況、状況次第でしょ。
相性は固定されたものではなく状況次第だ、というやり取りを残したまま、この回は締めくくられます。テーマが決まらない回でありながら、二人の会話は最終的に大学と学びの構想へとたどり着きました。
まとめ
この回は、テーマが決まらないことそのものを題材に、話せる話と話せない話の境界を確かめながら、最終的に大学でのポッドキャストや授業のオープン化構想へと展開していきました。実在のメンバーが特定される話や、深掘りすると敵を作る話は避ける一方、資格と検定の違いや、煽るコンテンツへの違和感がはっきり語られています。
- 話しにくいテーマの多くは、実在の人物が特定されうるかどうかが境界になっている
- リーダーシップやカリスマは、天性か行動かで捉え方が変わり、レバレッジの効く時代に小さなチームのリーダーは学べる領域になった
- 免許・資格・検定は役割が異なり、誰かが権威として認めない検定はそれ自体では役に立たない
- 小笠原さんは雑でラフなポッドキャストを好みつつ、雑と面白さは別だと整理している
- 授業や会議も含めた音声のマルチユースと、学びは制限せず学位と切り分けるオープンエデュケーションが構想として語られた






