テーマは「書くことで自分の感性を思い出す」
Sense of…(センスオブ)は、感性と偏愛をテーマにしたウェブメディアです。このラジオは、記事では書ききれなかったことや、言葉になる前の感覚を、編集部やライターと一緒に声でたどっていく番組として届けられています。
聞いてくださった方が、自分の好きなものやこと、ちょっとした違和感、名前のつかない感覚なんかを思い出せるような時間になったら嬉しいなと思ってます。
第2回のテーマは「書くことで自分の感性を思い出す。日記、メモの話」です。Sense of…には日記やメモを取り上げた記事が多く、ライターからの企画として自然に集まってきたといいます。
書くことが好きな人が、当然のことながらというと多いからね。
10年日記を書き終えて。半分しか書かなかったから見えたこと
伏見さんが特に印象的だと挙げたのが、イトウさんが書いた「10年日記を書き終えて」という記事です。2016年から10年日記アプリで書き始め、2025年末に満期を迎えたときの気持ちや、10年を振り返った感想をつづったコラムだといいます。
ただし、10年間毎日書いていたわけではありません。イトウさんによれば、書いた日数は1921日。10年を日数に直すと3650日ほどなので、半分よりちょっと多いくらいしか書いていない計算です。
面白いのは、どんな日に書き、どんな日に書かなかったかという偏りそのものが記録になっていた点です。イトウさんは、暇なときより充実して忙しいときほど書いていたと振り返ります。
なんか充実してたり、忙しかったり、頑張ってたりする時こそ書いてて。逆にやる気がなかったり、テンションが下がってたりする時は書いてないんですよね。
だからこそ、書いていない空白の期間を見れば、当時の自分のバイオリズムがわかるとイトウさんは話します。空白が長い時期は、悩んでいたりテンションが落ちていたのかもと後から読み取れるといいます。
怒りや悲しみを健やかに消化できる、という信頼
記事の中で伏見さんが心を動かされたのが、感情の消化についての一節でした。当時はめちゃくちゃ怒っていたり悲しかったりしたはずのことも、振り返ると大したことではなくなっている。それは負の感情を比較的健やかに消化できているということだと、イトウさんは書いています。
読み返したときにフラッシュバックして苦しくなるのではなく、怒りの感情は覚えているけれど、今はそこまで胸に来ない。その状態をイトウさんは、自分の中でいい形で処理してきた証だと捉えています。
伏見さんは、自分のことをそう俯瞰して振り返れることを「大人でかっこいい」と繰り返します。一方の伏見さんは、書くことは好きなのに日記が続かないと打ち明けます。
書くこと好きだけど、日記続かないのよ。三日坊主っていうか、同じこと継続できない、性格的な特性なのかな。
連用日記で育児記録を3年間。空白もまた立派な記録
続いて紹介されたのが、杉浦百香さんの育児日記の記事です。お子さんが4歳になった年から3年間、連用日記で育児記録を書き続けた話で、良かったことや続けるコツがまとめられています。
イトウさんは、年数や、自分自身か子どもかという対象は違うものの、同じ日を振り返れるという点で自分の10年日記と似ていると話します。伏見さんは「連用日記」という言葉自体があまり馴染みがないと素直に返します。
この記事でも、杉浦さんは空白があってもいいと書いています。空白もまた立派な記録になるという一文に、イトウさんは深くうなずきます。
記事には、杉浦さんの手書き日記の写真も掲載されています。文字が乱れた雑然とした殴り書きで、その生々しさが逆に良いと2人は語ります。
文字って結構、人の感情とかをなんか如実に表したりする。
書き終わったらきっと自分に感謝する
Sense of…の編集では、ライターの心が動いた瞬間をマーカーや太字で強調するスタイルをとっています。そこを意識して読むと、より記事がグッとくると伏見さんは言います。
伏見さんは、自分のメディアでありながら夜にこうした記事を読んで泣いてしまうこともあると明かします。杉浦さんの記事で見出しになっていた一文にも心を動かされたそうです。
小さな子の成長は1年でも大きく変わります。それが一覧でわかることは、親にとって大きな宝物になるだろうとイトウさんは話します。母子手帳の延長線上に連用日記を置くようなイメージで、日記を書けない伏見さんも憧れが高まると語ります。
20年以上メモを取り続ける。役に立たなくても見返すのが楽しい
4つ目は、日記ではなくメモの記事です。逆盥水尾(さかたらいみお)さんが書いた「一見“役に立たないメモ”だけど…見返すのが楽しいわたし流メモの活用法」で、逆盥さんが小学生の頃から20年以上メモを取り続けているといいます。
内容は、知らない言葉や気になったことをずっとメモしてきたものの、莫大な量で整理できない、というものです。それでも最近は、雑多なメモを雑多なまま見返すことに楽しみを見出せるようになってきたと逆盥さんは書いています。
そのメモの量は、記事中の言葉をまとめただけで466ページ、8万1859単語にのぼります。伏見さんはそのインパクトに驚きます。
今が知るべき時だった。言葉を再発見する楽しみ
伏見さんは、この記事の中の一節を挙げます。いつかの未来にその言葉を見返して何かを思う日が来るから、全ての言葉は自分が再発見するのを待っている、という言葉です。
たまたまメモした一言が、何年か経って見返したときに今の自分に響くことがある。イトウさんはそこに、積み重ねの重さを感じると話します。
もう一つ2人が挙げたのは、その時調べていればもっと早く知識にできたのにと自分を責めるのではなく、このことは今が知るべき時だったと思うようにしているという一節です。
言葉を軽んじたことへの後悔に向かいがちなところを、その言葉を選んだ意味が今あるのだと捉え直す。それは自分を救ってくれる考え方になりそうだと伏見さんは語ります。
ポジティブすぎずネガティブすぎない、余白のある記事
イトウさんは、逆盥さんの記事に限らずSense of…の記事に共通する魅力として、綺麗事ではなく自分の気持ちを素直に書いていることを挙げます。
ポジティブすぎずネガティブすぎず、っていう、私はそのバランス感覚がすごく好きで。
世の中に出てくるものは、目を引くためにやたらポジティブか、やたらネガティブに偏りがちです。けれど本当のところにそんな偏りはなく、その本当のことにこそ良さがあるとイトウさんは考えています。
伏見さんは、読んだ人がそれぞれ判断できるよう余白や余地を残して編集していると話します。基本はライターの文章を活かす方針で、読後に自分だったらどう思うかを委ねられる感覚を目指しているといいます。
あなたはどうですか、って直接言ってるわけじゃないんだけど、それぞれの判断に委ねられてるみたいなところが、私は結構好きかな。
ムラがあるほどいい日記。続かなくても大丈夫
最後に、伏見さん自身と同じ「続けられない」悩みを書いた記事として、はしもとかほさんの「毎日続かない日記を書いて、日々の小さなことに目を向ける」が紹介されます。
はしもとさんも日記を書きたいのに続けられずに悩んでいましたが、くどうれいんさんの著書『日記の練習』を読んで転機が訪れます。そこにあった「むらがあるほどいい日記」という言葉、つまり書かない日があってもいいという考え方に出会い、自分も書けるかもと日記の練習を始めたといいます。
日記はこうであるべき、というのを取っ払って書いてみたら、とても楽しかった。
伏見さんは、記事の中の一文を引きます。「1ヶ月にはもっとたくさんの出来事があって、日記に残したのはごく一部で断片的だ。けれど、意味がありそうでなさそうなもの、すぐに忘れてしまいそうなことを大切に取っておきたいと思った」という言葉です。
できたことより、たどり着くまでの小さなもの
イトウさんが改めて読んでいいと思ったのが、できたことや結果ばかりに目が行きがちだけれど、そこにたどり着くまでのもっと小さな、でも大切なものがたくさんあると気づいた、という一文でした。
どうしても人はいいことや頑張ったことを書かなきゃと思いがちですが、大切なことはもっと些細なところにある。それを気負わず書けばいいのが日記なのだとイトウさんは話します。
伏見さんは、こうした記事から受けるのは、ガツンとした影響ではなく柔らかい影響だと表現します。「ぐにゅんと、そっかと思える」ような気づきをくれるところが好きだといいます。
文章から受ける柔らかい影響を大切にしたい
はしもとさんが「むらがあるほどいい日記」という言葉に出会って書き始め、今は楽しく書けている。そうやって影響が連鎖していくことに、伏見さんはペイフォワード的なものを感じると語ります。
人の感情や感性に文章として触れられること自体が尊い、と伏見さんは言います。SNSでの発信とはまた違う、文章を通した気づきを信じていたいという気持ちが湧いてくると話します。
この回では日記とメモの4記事が紹介されました。杉浦さんの殴り書きや、逆盥さんのとんでもない量のメモを見て、こういうのでもいいんだと思えたらいいと2人は締めくくります。
まとめ
日記もメモも、毎日続かなくても、うまく書けなくてもいい。書いた日と書かなかった日の偏りや、断片的な言葉そのものが記録になり、後から自分の感情を消化したり再発見したりする手がかりになります。「むらがあるほどいい日記」だと思えれば、続かない人でも一歩を踏み出せるかもしれません。
- 10年日記は毎日書かなくてよく、書いた日と空白の偏りが自分のバイオリズムの記録になる
- 怒りや悲しみも、振り返って大したことでなくなっていれば、健やかに消化できた証になる
- 連用日記は同じ日を並べて見返せるため、育児記録では成長が宝物のように見えてくる
- メモは役に立たなくても、いつか再発見する時が来る。今が知るべき時だったと捉え直せる
- 「むらがあるほどいい日記」という考え方に出会えば、続けられない人でも書き始められる






