なぜ古典和歌はこれほどほととぎすを詠むのか
この回のテーマは「ほととぎすを詠んだ京極派和歌」です。梶間さんは当初、ほととぎすの歌の紹介を飛ばすつもりだったと明かします。
その理由に触れる前に、まずほととぎすが伝統的な和歌でどれほど多く詠まれてきたかが語られます。参照されるのは『古今和歌集』です。
『古今集』の夏の歌は全部で34首、そのうちほととぎすの歌は28首だといいます。梶間さんは「ほととぎす好きすぎやろ」と驚きます。古今和歌集 ── 平安時代前期に成立した最初の勅撰和歌集。伝統的な和歌を考えるときにまず参照される基準的な歌集です
平安貴族にとって、ほととぎす以外に夏なんて詠むものねえよ、みたいな感じだったのかなという気はします。
冬も事情は似ていて、時雨や氷の歌が最初に少しあるものの、4首目にはもう雪が降り、その後はほぼ雪の歌が続くといいます。夏はほととぎす、冬は雪に偏る構造です。
夏の巻も、藤の花を見ながら「山郭公いつかきなかむ」とほととぎすを待つ歌から始まります。心はいきなりほととぎすにあると梶間さんは指摘します。
遅い桜の歌が1首はさまれた後はほととぎす詠が28首続き、最後の4首でようやく蓮の花や夏の夜の月などの別の題の歌が詠まれる構成だといいます。
ほととぎすの歌を「好きになれない」理由
ここで梶間さんは、なぜほととぎすの歌を飛ばそうとしたのかを語ります。ほととぎすの歌は自分好みではない、はっきり言って嫌いな詠み方が多い、と言います。
ただ、あまりに嫌いだと言い続けているので、逆にどんな歌なのかを紹介したほうが説得力があるだろうと考え、この回で取り上げることにした、と説明します。
好きになれない理由は大きく2つ挙げられます。1つは理屈のうるさい歌が多いこと、もう1つは自分勝手な歌が多いことです。
「お前、世界がお前中心に回ってるとでも思ってるのか? 」と言いたくなるんですよね、多くのほととぎすの歌に対して。
そう詠むものだと決まっているから仕方がない、とは梶間さんも認めます。しかし、仕方がないからといって好きになるわけではない、と続けます。
この感覚を、梶間さんは恋愛にたとえます。相手がつらい経験をしてそういう性格になったということが理解できても、だからといってお情けで好きになることはない、というたとえです。同じことがほととぎすの歌にも起きていると語ります。
「なぜ私の家だけ来ないの」という自意識過剰
最初に紹介されるのは、典型的なほととぎすの歌です。京極派の勅撰集である『玉葉和歌集』の中から、京極派歌人以外の歌人による詠を選びます。玉葉集 ── 京極派の京極為兼が撰した勅撰和歌集。従来の和歌とは異なる詠み方の歌を多く収めています
1首目は権中納言公雄の歌で、「待郭公」という題です。「人こそあれ山時鳥おのれさへなど我が宿におとづれもせぬ」。
研究者の岩佐美代子さんの『玉葉和歌集全注釈』の訳によると、人が来てくれないのは仕方がないが、時鳥よ、お前までどうして私の家に来て鳴いてくれないのか、という内容です。
梶間さんは、この歌そのものというより、こういうタイプの歌が苦手だと言います。ほととぎすは意志をもってその家を避けているわけではなく、気温や餌などの自然条件で来ていないだけなのに、ほととぎすに意志を見ようとする姿勢に人間の自分勝手さが感じられるからです。
「特別私の家を避けている」みたいに、ほととぎすに意志があって意地悪をしているかのように言うのって、すごく自意識過剰。
同じ自意識過剰さを、梶間さんは『万葉集』の恋の歌にも見ます。「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」と、通りがかりの人が言伝もくれないと嘆く歌です。
あなた、「私のことが好きすぎて恋ひ死なば恋ひ死ね」と思ってもらえるほどの方でしたっけ、と(作者に)言いたくなるんです。
ネット上ではこの歌を若者言葉に訳すなどして好意的に紹介する記事や動画も多いといいますが、梶間さんは、この歌からは冷めた気持ちしか浮かばないと率直に語ります。
この自意識過剰な系譜をほととぎすの歌が濃厚に引いていることを、梶間さんは指摘します。他の多くの題は時代とともに洗練されるのに、ほととぎすだけ変わらないと感じられるそうです。
中二病も300年も経てば変わるじゃないですか。なのに、なんでほととぎすだけこうなの、みたいな気持ちになるんですよね。
間延びと「かな」への違和感
もう1つの理由が、冗長な歌が多いことです。梶間さんは公雄の隣にあった前大納言為氏の歌を例に挙げます。為氏は二条家宗家の人物で、京極派のライバルにあたる家系です。
その歌は「月だにも心つくさぬ山のはにまつよひ過ぐるほとゝぎす哉」。月はすぐ山の端に出てくれたのに、その山の端に鳴くかと待つ夕暮を過ぎても鳴かないほととぎすだ、という内容です。
梶間さんは、この歌はそこまで嫌いではないとしつつも、句切れがなく間延びしていると評します。句切れなしで緊張感を保ち、良い歌に収めるのは難しいと言います。
さらに気になるのが、結句の「ほととぎす哉」です。「かな」は感情を前面に出す表現で、客観性がなくなると梶間さんは指摘します。
ここで終助詞「かな」と、気づきの助動詞「けり」の違いが解説されます。「けり」は「来(き)あり」の約まった語で、心の中に何かが来てある、つまり「そうだったのか」という気づきを表すのがもとの意味だといいます。
そのため梶間さんは、「けり」は詠嘆よりも気づきとして捉えるほうが正確な場面が多いと考えています。気づきには客観性が見えるのに対し、「かな」はもっと主観にべったりだと言います。
主観にべったりで詠むことを厭わなかった伝統的な和歌の文脈は尊重しつつ、梶間さんは、主観にべったりではいられなくなった中世以降の和歌を愛していると語ります。
「かな」をつけて成功させた歌ってそんなにたくさんないよね。みんな古典和歌といったら「かなかな」思ってるけど、そんなに成功しているかな。
理屈でほととぎすに言いがかりをつける
3首目は前参議実俊の歌です。実俊は西園寺実兼の兄弟で、永福門院の叔父にあたる人物だといいます。
その歌は「人をわくなさけなりけり時鳥わがねざめにはおとづれもせず」。人によって分け隔てをする心だったのですね、時鳥は、という内容です。
岩佐さんの訳では、寂しい寝覚めの自分のところには尋ねて来てくれもしなかった、と続きます。梶間さんは、これが最初に挙げた理屈の歌だと言います。
(ほととぎすにしてみれば)あなたが誰だか知らないし、寂しい夜を過ごしているかも知りません。たまたまその辺りを鳴いて行っただけです。
こうした言いがかりのような詠み方がほととぎすの歌にはとても多い、と梶間さんはまとめます。ここまでが京極派の歌に入る前の前提の話です。
為兼の執拗さがにじむ「さらにおきいでゝ」
ここからようやく京極派のほととぎすの歌に入ります。まず『玉葉集』から、京極為兼の1首です。題は「夏暁といふ事を」。
歌は「月のこるねざめの空の時鳥さらにおきいでゝなごりをぞきく」。有明の月が残る寝覚の空を鳴き過ぎた時鳥よ、感動に堪えず起き出して余韻を味わうよ、という内容です。
この歌には本歌があります。千載集に入る徳大寺実定の「時鳥鳴きつる方をながむればたゞ有明の月ぞ残れる」です。ほととぎすが鳴いたあたりを見ると、姿はなくただ有明の月だけが残っている、という歌です。
岩佐さんの補説では、為兼の歌は実定の余情をさらに展開し、感に堪えぬ詠み手の姿を念を押して正確に描き出す、とされます。梶間さんは、その念押しが「さらにおきいでゝ」の部分だと読みます。
ここは字余りになっています。梶間さんは、布団の中で「もう鳴いていないな」と残念がる雰囲気ではない、わざわざ字余りしてでも「起き出した」事実を述べようとする強い意志を、この第四句に感じると語ります。
わざわざ字余りしてでも「さらにおきいでゝなごりをぞきく」と言いたかった、強い意志を感じます。
ここで梶間さんは字余りそのものについて注意を促します。定型があるからこそ余った部分に効果が生まれるのであって、言いたいことが定型に収まらなかっただけの字余りは読者を冷めさせると言います。
効果のない字余りはしないほうがいいですね。「収められなかっただけだな、技術がないんだな」と、読者はすんと冷めた気持ちになるので。
題詠でも「心になりきる」京極派の詠み方
石澤一志さんの『京極為兼』でも、この歌は実定の歌を踏まえたものと解説されます。三句までは穏やかなのに、四句を字余りにして破調を来し、「名残をぞ聞く」と強調した点に独自性があるとされます。
石澤さんはこの詠みぶりを「やや執拗なまでの」と評します。梶間さんは、ここに為兼の性格が出ていると受け止めます。
同時に石澤さんは、この歌が「夏の暁」という題で詠まれたもので実景ではないだろう、と注意します。実景でなかったとしても当時の人は多く似た経験をしていたため、共感可能な普遍性を得た、と説明します。
さらに石澤さんは、為兼が『為兼卿和歌抄』で曾祖父・定家の言葉を引き、物語の作中人物になりきって詠む詠み方に触れていることを紹介します。京極派ではこうした成り代わりがしばしば行われたといいます。
梶間さんはこの点を補足します。京極派は「心のままに詞の匂ひゆく」ように詠むべきで、ありもしない心をこしらえて詞で創り立てるものではない、という歌論から出発した人たちです。
ただし、自分の心を正確に表すといっても、近現代人のように「経験したことを詠む」立場ではないと梶間さんは強調します。この時代、京極派でも題詠は必須であり前提だったからです。
だからこそ京極派は、経験のない題でも「こう詠むものだ」と型で処理せず、本当にその心になりきって詠むことを良しとした、と梶間さんは説明します。
この歌も、為兼が「夏の暁」の題で実定の歌を踏まえようと判断し、その場面に身を置いたらどんなふうに心が動くかを追体験し、執拗なまでに追究し詞にした結果だ、と梶間さんは読みます。上3句が穏当なのに四句から結句が粘着質なのは、その追究の表れだといいます。
大らかさが滲む伏見院のほととぎす詠
続いて『風雅集』から、伏見院(伏見天皇)の1首です。「ほとゝぎすなごりしばしのながめより鳴きつるみねは雲明けぬなり」。風雅集 ── 京極派の美意識を体現した勅撰和歌集。伏見院らが深く関わったとされます(この風雅集の注は誤っていますが、現状のPodyでは修正できませんので、「伏見院は関わっていない」と添えるにとどめます)
梶間さんは岩佐さんの『あめつちの心』を参照します。夜明け近くほととぎすの声に目覚め、もう一声聞こえるかと声のした空を眺めるうちに、鳴いた山の端は雲が白々と明けはなれてしまった、という訳です。
「なごりしばしのながめより」という独特の言い回しは京極派っぽいと梶間さんは指摘します。
もとの形では第五句が「雲しらむなり」だったと岩佐さんは記しています。「しらむ」は実景に即してわかりやすく、「明けぬ」は表現として大きいと評されています。
岩佐さんは、この歌が実定や為兼の歌と似ているとしつつ、伏見院の歌はいかにも作者らしいと述べます。
梶間さんは、ここに性格の違いがはっきり出ると語ります。為兼が「さらにおきいでゝ」と執拗に言葉に執着するのに対し、伏見院詠は豊かで大らかな人柄が調べに滲み出ていると言います。
おおらかで、かつすっきりとしているのが大変好ましいところだなと思いますね。
「なごりしばしのながめ」のような修飾について、梶間さんは、二条派からは「舌足らずで幼児のようだ」と悪口が来そうだと想像します。あくまで想像だと断りつつ、あり得そうだと語ります。
関連して梶間さんは、与謝野晶子の『みだれ髪』の頃にも文法的に不思議な修飾があったことを思い出します。『みだれ髪』は京極派再発見の前の作品なので京極派の影響ではないだろうとしつつ、似たものを感じたといいます。
まとめ
この回は、ほととぎすの歌の多くを「好きになれない」と率直に語る梶間さんが、その理由を整理したうえで、それでも紹介したい京極派の2首を選んだ内容でした。伝統的な自意識過剰さへの違和感と、為兼・伏見院それぞれの性格が歌に出るという読みが軸になっています。
- 古今和歌集は夏歌34首中28首がほととぎす詠で、夏の歌材の偏りがわかる
- 梶間さんがほととぎすの歌を苦手とする理由は、理屈のうるささと、ほととぎすに人間のように意志を見ようとする自意識過剰さにある
- 結句の「かな」は主観にべったりで、気づきの「けり」より客観性が乏しいと梶間さんは考える
- 為兼「さらにおきいでゝ」は字余りに強い意志があり、その執拗さに為兼の性格が表れている
- 京極派は経験の有無を問わず、題詠でも「その心になりきって詠む」ことを良しとした




